狂う人
ハルはタクシーから降りて、すぐさま例の民家を目指す。
午後の天気は大荒れだった。
雨と風が降りつける中、ハルは足早に民家まで向かった。
玄関口に辿り着く。
窓にかけられたカーテン越しに微かに光が漏れている。
「居るな」
ハルは玄関を強めに何度もノックした。
少し時間を置いて、鍵を解錠する音と伴に、扉がゆっくりと開かれた。
「……この天気だ、さぁ中へ」
現れたのは初老の男性だった。
ハルが訪れるのを知っていたかのような態度で彼を迎え入れた。
イタリア訛りの無い流暢な英語が、ハルと同郷であることを示している。
ハルは何も言わず、男に着いて部屋に上がり込む。
リビングに案内されると、ハルは席についた。
「はじめましてベンジャミン・グラハムさん。私はハル・ストーナー」
「存じているよ、ストーナー君。私の事も知っているようだね。何か飲み物を持ってこよう。コーヒーでも宜しいかな?」
ハルは黙って頷いた。
暫くすると、ベンジャミンがコーヒーをテーブルに乗せた。
そしてハルの対面に腰を落ち着ける。
「グラハムさん。私には時間がもう無いので、早速ですがいくつかの質問をさせてもらいます」
「さて、私で力になれるかな」
ハルはベンジャミンの姿を観察する。
寝間着にボサボサの髪の毛、伸ばしきった髭は世間を拒絶しているであろう人間の姿をまじまじと表していた。
「まず、私は10年前にこの場所で起きた一家殺害事件を調べています」
「知っているよ。マウロから聞いている。全く何故よりによってこの事件なんだ。自分の国の未解決事件でもまず優先するべきだろうに」
「観光のついで、とだけ言っておきます。さて、その事件の唯一の生存者、アリアの居所をお伺いしたい」
ハルの予想に反して、ベンジャミンはあっさりと返答をした。
「私には分からないよ。むしろ私も知りたいくらいさ。もう一度あの娘に会いたい」
「どういう事ですか……?」
ベンジャミンは立ち上がって、近くの本棚へと向かった。
何かを探しているようだ。
ベンジャミンは分厚い辞書を数冊ほど端に寄せる。
その裏に何冊ものファイルが並べられていた。
「あった、これだな。この事件の詳細な経過報告書だ。本来私が持っていてはいけないものなんだがな。私にはこれがどうしても必要だったんだ」
そう言って、ベンジャミンがファイルをハルに手渡す。
ハルはそのファイルを開き、アリアについての記述を探した。
アリアの証人見聞に関して書かれた項目のすぐ後にそれは記載されていた。
そして、その項目を最後に、アリアに関しての記述は出てこなくなる。
「……これは、これはどういう事ですか? 行方不明になってそれでお終いと言うことですか?」
「表向きはそうだ。彼女は行方不明という扱いにされた」
「というと?」
「恐らく彼女は保護されたんだ。犯人から護る為だろう。そして、彼女の行く末は当時の署長の私にも伝えられなかった。だから、彼女の居場所は私にも分からん」
ハルはファイルを何度か読み直す。
だが、やはりアリアに関しての記述は他に見つからなかった。
しかし、ハルはアリアに関してとは別の、興味深い記述を見つけた。
「グラハムさん、娘さんを亡くされていたんですね……。それも、この事件の起きたほんの数日前に。しかも、これは殺人として捜査されている。犯人はやはり捕まっていないとなると」
「あまり詮索はしないで欲しいな。だが、そのとおりだ。私も娘を亡くしている。妻には娘が生まれたばかりの頃に先立たれた。私はそれから一人で生きてきた」
「お気の毒に……。アリアの一家殺害事件と、グラハムさんの娘さんが殺された事件、同じ犯人だと思いますか?」
「詮索するなと言ったろう。私はそうは思わない。それは有り得ない……。有り得ない……」
ベンジャミンはブツブツと独り言のように言葉を繰り返し始めた。
ハルはその姿を見て不気味さを覚えたが、次の質問をする事にした。
「グラハムさん。何故あなたはここに隠れているのです? この事件現場である民家にひっそりと」
ベンジャミンは我に返ったようにハルの方に視線を向ける。
「……まだやり残した事があるんだ。だからここに戻ってきた。不気味だと思うだろう。殺人事件が起きた家に棲み着くなど正気では無いからな。そうなんだよストーナー君、私はもう正気では無い。あの事件の日からずっと正気では無いんだ。ここにはやり残した事がある。それを終えるまではここに居続ける。君達が数日前にここを訪れたことは知っているよ。急いで姿を隠したが、人が住んでいた痕跡というのはそう安安と消せないものだ。全くどうにもならない。この辺りはもう10年間も誰も住んでいないのだ。だから油断していた」
「やり残した事……。それなら私が、解決の手助けをしますよ。貴方と私の目的は合致しています」
ベンジャミンはその言葉を聞いて鼻で笑う。
「違うなストーナー君。そうじゃないんだ」
ベンジャミンは、それだけ言うとまた視線を何処かへ向け、何かをブツブツと呟き始めた。
「……そう言えば、ベンジャミンさん。貴方は地下室の扉のある部屋にだけは立ち入っていない様子でしたが……」
ハルの問いかけにベンジャミンは即答する。
「あそこには私の失敗が残されている。それを清算する時まで、あの部屋には入らない。さぁ、雨も弱まってきた。もう十分だろう?」
「長居してしまって申し訳ないですが、最後にひとつだけ」
ハルは荷物をまとめながらベンジャミンに鋭い視線を向けた。
「今朝、おそらく自殺したとされるパッツィ・ロイという偽名を用いていた男。貴方と親しかったようですが、どんな関係ですか?」
「彼の話は今はしないでくれ。なんて気遣いの出来ない人なんだ君は。彼は、私の娘の恋人だったんだ。あぁそうさ! 彼の恋人こそ私の娘だ!! 何か間違っているのかね!! それは事実だ!!」
ベンジャミンは声を荒げた。
ハルはその姿を不気味に思いつつ、民家をあとにした。




