134話 ヴェールとナディア(1)
それはイリスたちが英雄都市を訪れる10年も前の事であった。
「ふむふむ……、なるほど、なるほどねぇ……」
「ナ、ナディア……ナディア……! 助けてっ……! こっちを手伝って下さい……!」
「グオオオオオォォォォォッ……!」
ここはとある遺跡の地下奥深くであった。
四方が石の壁に囲まれており、明かりはほとんどなく暗い場所であった。長年人が入らなかった為か、つんとかび臭い匂いが鼻につく。
そんな遺跡の中を一組の若い少年少女が探索していた。
「んー……この壁画はどういう解釈をすればいいのかなぁ……?」
遺跡の壁画をじっと見つめているのはナディアという少女であった。
杖の先に光の魔法を灯し、遺跡の壁に描かれた絵や文字を思案顔で見つめながら、それらを紙に写し取る作業をしていた。
彼女はファイファール家次期当主である。
英雄都市トライオンの領主であるファイファール家を継ぐ存在であり、当時はまだ12歳の少女であった。
「死ぬっ……! 死ぬっ……! ナディア、助けてっ……!」
「グオオオオオォォォォォッ……!」
「うわあああぁぁぁぁっ……!」
そのナディアの背後で轟音を立てながら戦っている少年がいた。
ヴェールという名の少年であった。彼女に仕える執事である。
彼は今まさに遺跡の番人である巨大なゴーレムと死闘を繰り広げていた。
大きさが10m程もあるゴーレムが腕を大きく振り回し、そのヴェールをひき肉に変えようとする。ヴェールは必死に抵抗をしていた。
ヴェールの体は既にボロボロであった。
何とか根性と勘と運を振り絞って目の前のゴーレムの攻撃を防いでいく。敵の攻撃一つを防ぐ度に神経が削れていく。
彼は死力を尽くして自分の命を守っていた。
「ナディアっ……! 助けてっ……! こっちを手伝って……!」
「大丈夫、大丈夫、エンシェントゴーレムくらい余裕ですって。頑張れー」
「んごおおおおおぉぉぉぉっ……!」
ナディアは悠々と遺跡の調査作業を行っていく。
そのすぐ傍でヴェールは古代の遺跡のゴーレムと死闘を繰り広げていく。
彼の苦痛の叫びがその遺跡の中に響くのであった。
ナディアはとても綺麗な少女であった。
顔たちは整い、目つきは凛として、海の様に濃い青色の髪を後ろで纏めてポニーテールにしている。
どこか中性的で、綺麗な容姿をしている少女だった。
そして少し変わった事情を持つ子供でもあった。
まだ12歳という年にも関わらず、冒険者としてS級の認定を受けていた。途轍もない程の武の才を持ち、最高位のS級を最年少で保持するという記録を持っていた。
そして、家の事情で男装をしていた。
ファイファール家は第一子が女子であっても、男子として育てるという隠れた風習があった。
その為彼女は普段男性として振舞っており、その時は少しの変身魔法を使い、少し目を細くして男性らしさを繕っていた。
そんな彼女に幼い頃から仕えているのがヴェールという少年だった。
彼はナディアと同じ12歳であり、整った金色の髪をしていた。
「助けてっ……! 助けろ、ナディアぁぁぁっ……!」
「頑張れー、ヴェール」
「があああぁぁぁぁっ……!」
とにかく彼は自分の主に振り回されていた。
ナディアは幼くしてS級の実力を持った正真正銘の天才であり、自身の基準に合わせて動く彼女に付いていくには、それはもうとてもとても大変な事であった。
規格外の彼女の突飛な行動により、ヴェールは様々な被害を受けていて、屋敷の中の者は皆彼に同情していた。
可哀想な彼はよく暴走する彼女にボロボロにされ、そしてその彼女の行動の後始末をしなければならない役目を担っている。
そして今はエンシェントゴーレムを一人で倒さなければならない無茶を強いられていた。
「こんのおおおおぉぉぉぉっ!」
「グオオォォッ……!?」
普段はぼそぼそと小さな声で喋る彼が、雄たけびを上げながら剣を振るう。
自分の限界を超えた一撃を繰り出し、エンシェントゴーレムの強固な体を削り取った。
ナディアと一緒にいると、いちいち自分の限界を越えなければならない為、地獄であった。
「ぜぇっ……! ぜぇっ……!」
それからも死闘を繰り広げ、なんとかヴェールはエンシェントゴーレムとの戦いに勝利した。
自分の限界を超えた渾身の攻撃を何度も何度も引き出し、奇跡を掴み取る様に勝利をもぎ取っていた。
今日もまた彼は生き延びた。
彼は疲れ果て、遺跡のひんやりとした石の床に寝転がる。
そんなヴェールにナディアが近づいた。
「僕の壁画の写しも終わりました。さぁ、戻りましょう」
「ちょ、ちょっと……休憩させて……下さい……」
「ダメ! 日が暮れてしまいますよ!」
「鬼ですか……」
遺跡の調査を終え、ナディアは自分の執事に帰還を命ずるが、ヴェールは立つことすらままならなかった。
「今日、僕達にはまだまだ予定があるんですから。これからチェベーンの都市に行って、チェベーン家の不正の証拠を探さないといけないですし、冒険者ギルドに嘘の報告書も書かないといけません。
家に帰るのが遅くなってもいけませんしね」
「…………」
今日の予定を話すナディアにヴェールは閉口する。
彼女たちはある目的を持ってこの遺跡の探索を行っていた。
それは『叡智』の力の調査である。
ナディアはある時、自分の家の別荘にある先祖の隠された石碑の存在に気が付いた。
そこには自分の先祖である大英雄ナディオンが『叡智』の怪物と戦った記録が記されていたのだった。
そしてナディオンと『叡智』の戦いは決着が付かなかったことを知る。
自分は彼の子孫として『叡智』の力の正体を探らないといけないと、ナディアは使命感を覚えていた。
そして彼女は自分の執事のヴェールを連れて、『叡智』の力の伝承を探る活動を行っていた。
冒険者としてのダンジョン探索、という建前を隠れ蓑にして、慌ただしく様々な調査活動をしているのだった。
そうすると、『叡智』の力の伝承だけでなく、様々な情報も飛び込んでくる。
どうやら自分たちの家の傍にあるチェベーン家が何かしらの犯罪行為に手を染めていることに気が付く。
その為、そちらの調査活動も並行して行っていた。
これらの全ての活動を彼女たちは秘密裏に行っており、表向きは冒険者の活動として都市の外に出ているのだった。
だから家に帰る時間に遅れる訳にはいかないし、冒険者ギルドへの報告も欠かせない。
結果として、外出記録に様々な齟齬が出たりしてしまうのだが、彼女たちはそんな忙しない活動を行っていた。
「ほら、ヴェール、立って下さい。僕達、あと10分でこの遺跡を出ないと予定から遅れてしまいますよ」
「……こんな人間離れした予定を立てた貴女が悪いんです……」
「批判は受け付けませぇん」
ナディアはふざけるように口を尖らせながらそう言い、ヴェールは少しイラっとした。
普通だったら今いるこの広い遺跡を調査するのには、慎重な行動と、何ヶ月という時間が必要である筈なのに、ナディアたちはこの場所を2時間で踏破するという常識外れの攻略を行っていた。
そのしわ寄せで、酷く疲労困憊しているのはヴェールであった。
「あと2人きりの時、敬語は止めて下さいってば」
「……いちいち使い分けるのが面倒なんだよ」
ヴェールは今よりももっと幼い頃からナディアに仕えている。2人の関係は主従であり、そして幼馴染の様なものであった。
「さぁさぁ、立って下さい、ヴェール。夕飯までには家に帰りましょう」
「ムリ。ムリに決まってるだろ……。俺はさっき自分の限界を超えた戦いをしたんだ……。もう一歩も動けな……」
「あ、エンシェントオリハルコンゴーレム」
「もおおおぉぉぉぉっ……!」
遺跡の陰からオリハルコンの金属で出来たゴーレムがひょっこり姿を現し、ヴェールは急いでがばっと起き上がった。
寝てたままだと死ぬためである。
「さぁ! 7分でこいつを倒して、3分でここを出ましょう! そうすれば今日の予定通りです」
「……俺は今日こそ死ぬと思う、ナディア」
「そのセリフ何百回と聞いていますが、一度も当たった事ないですよね」
当たった時は死ぬ時だ、という言葉をヴェールは呑み込む。このやり取りも何百回と繰り返した受け答えであったからだ。
「ウゴオオオオオォォォォォッ……!」
「…………」
エンシェントオリハルコンゴーレムが唸り声をあげる。低く、鈍く、弱い者が聞いたらそれだけで平常心を失いそうな怪物の声であった。
しかし、ナディアもヴェールも冷静に武器を構える。
ナディアは槍の切っ先をゴーレムに向け、ヴェールは自分の主を守る様に一歩前に出て剣を構える。
「……死んだら化けて出てやるからな、ナディア」
「それはいいですね。死んでも僕に仕えて下さい、ヴェール」
「…………」
ヴェールは微妙な顔をした。
エンシェントオリハルコンゴーレムとの戦いが始まる。ベテランの冒険者をも粉砕する程の攻撃が2人を襲う。
ナディアは余裕を持ってそれをいなすが、ヴェールは一撃を防ぐことに走馬燈が駆け巡る。命からがら敵の攻撃を凌いでいく。
俺は死んだって彼女に振り回され続けるのだろう、彼はそんな悲しい気持ちを諦観の感情と共に胸に抱いた。
そして、彼女たちは何とか夕飯までに家に帰宅する事に成功するのであった。
* * * * *
「てやっ! そりゃっ! とりゃっ……!」
「うわっ……! ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待てっ……! ナディアっ……!」
「遅いっ……! 敵は攻撃を待ったりしてくれないんですよっ……!」
空には星が輝いていた。
ここはファイファール家が所有する修練場であった。冷たい風が吹く夜更けの中、ナディアとヴェールは戦いの訓練を行っていた。
というより、ナディアの訓練にヴェールが巻き込まれていたと言った方が正しかった。
月の明かりの元、2人きりの訓練場で彼らは何度も武器を交えていた。
「死ぬっ! 死ぬっ……!」
「頑張れ、ヴェール!」
「手加減しろって言ってるんだよっ……!」
S級の実力を持つナディアの高速の突きが容赦なくヴェールに襲い来る。
彼は長年彼女に仕えてきた経験のみでなんとかその攻撃を凌いでいく。
ナディアは好んで幼馴染のヴェールを自分の訓練に付き合わせていた。本当なら100年に1度の天才である彼女の訓練にヴェールが付いていける筈もない。
だが、長年一緒に訓練を積んできている、というたったそれだけの武器を頼りにして、ヴェールは泣きそうになりながらも何とか彼女との特訓で己の身を守っていた。
「ぐわっ……!」
しかし結局の所、彼女と彼の間には広い実力の差が存在する。ヴェールはナディアの突きにより吹き飛ばされ、尻餅をついた。
「ま、参りましたっ……!」
「あまーい!」
「うわぁっ……!?」
降参の意を示したヴェールに対してナディアが追撃の突進を行う。慌てて床を転がり、ヴェールは彼女の攻撃を避ける。
「降参したからって敵が命を助けてくれると思っちゃいけませんよっ! 自分の命は自分で守るんですっ!」
「その前にお前に殺されるぞっ……!」
「大丈夫大丈夫! ヴェールならなんとか生き残ります! 僕はそう信じています!」
「くっそぉっ……!」
そうやって容赦なく襲い掛かってくるナディアから、彼は必死に自分の身を守った。
彼にとって、彼女との毎日の訓練こそが命がけの修羅場であった。
「ふー、いい汗掻きました」
「ぜぇっ……! ぜぇっ……! はぁっ……! はぁっ……!」
訓練が終わり、爽やかにタオルで汗を拭くナディアに対し、ヴェールは床の上に倒れ伏せて今にも死にそうに息を荒げていた。
彼は今日も生き残ることが出来た。
「お風呂入りたいですね。使用人にお湯張って貰わないと……」
「……もうお湯は沸かしてあるぞ、ナディア。……すぐにでも入れるはずだ」
「お、流石僕の有能執事。感謝します」
「……そう思うなら、もう少し労わってくれ……」
ヴェールは床に寝そべったままか細い声を出していた。体はピクリとも動いていなかった。
「……一緒にお風呂入ります?」
「アホ言うなよ……」
にやにやとからかう様に喋るナディアに対し、ヴェールは即答で否定の言葉を口にした。
慣れっこだった。
「昔はー、一緒に入ったのになー」
「そういう事は、ちゃんとした結婚相手とやりなさい……」
倒れ伏せたままそう言うヴェールにナディアが近づき、その近くでしゃがみ込んだ。
「結婚? この僕が?」
「…………」
「まともな結婚できると思います? 性別を偽っているこの僕が?」
ナディアは家の風習により性別を偽っている。
女性である事実を隠して男性として生き、変身魔法で少し顔を変え、着飾らず、おしゃれをせず、ただ武功を重ねて生きていた。
男性のナディスとして、ナディアは自分を捻じ曲げて生きていた。
「……君が自分を押さえているのは分かっている」
「…………」
「君がこの風習に不満を覚えている事も……この風習を無意味なものだと思っている事も……」
ヴェールは小さな声でナディアに語り掛ける。
家の風習に意味などなかった。少なくとも、ナディアは自分自身が男装をする意味を生まれてから一度も見いだせたことが無かった。
ただの伝統であり、それ以上の意味を持つことはない。
ナディアはいつも明るく元気に生きていたが、その胸の内に燻る思いを抱えていた。
ヴェールは倒れたまま顔だけを動かし、ナディアの方を向く。
「……昼はメリューと一緒で、楽しかったか?」
「……うん!」
ヴェールの問いかけに、ナディアはこくりと頷いた。
彼女には最近よく会う同年代の少女がいた。
メリューという名の子であり、ナディアが『叡智』の力の調査をしている最中に出会った少女であった。
メリューは実際に『叡智』の力を宿す人間であり、ナディアと知り合ってからは一緒に『叡智』の力を調査するようになっていた。
「……仲の良い友達が出来て、良かったな」
「うん……」
ナディアはその事情から、同年代の同性の友達が非常に少なかった。
だからこそ、彼女はメリューと一緒に何か活動出来る事がとても嬉しかった。
「今ね、メリューと一緒に暗号書を作っているんですよ。これが中々手が込んでいましてね、そう簡単には暗号は破れないですねぇ」
「……自信作か」
「えぇ。ヴェールに解けるかなぁ?」
ナディアは楽しそうに喋り、ヴェールは小さく笑いながら相槌を打つ。
ヴェールはナディアとメリューが何をやっているか、よく知らない。
本当は執事という立場上、ずっと彼女の傍に張り付いていなければいけないのだが、同い年の少女との遊べる時間はナディアにとってとても貴重であった。
だから、ナディアがメリューと遊ぶ時、ヴェールはいつも彼女に付いていく事はしなかった。
「楽しそうで良かった……」
「…………」
「……ナディア?」
ナディアは小さく笑っていた。
その笑みは花の様に鮮やかで煌びやかなものでは無く、月の様に静謐な柔らかい笑みであった。
「ヴェール……いつもありがとね?」
「…………」
「いつも傍で支えてくれて、ありがとうね……?」
ナディアは家の都合上、友達が少なかった。
それだけではない。若くしてS級の強さに至る程の飛び向けた才能、それは彼女を容易に人並から外れさせてしまっていた。
だが、ヴェールはずっと彼女の傍を離れない。
彼女に振り回され、毎日毎日大変な思いをさせられるが、それでも彼女を1人にすることなんてしなかった。
「僕をずっと理解していてね?」
「…………」
「ずっとずっと、僕の一番の理解者でいて下さいね……?」
ナディアはヴェールに手を差し出し、彼はそれを掴んで何とか起き上がる。
まだ彼の体はふらふらで、よろけそうになる体をナディアがほんの少し支えている。これではどっちが従者なのか分からないな、とヴェールは内心苦笑した。
「お前を理解出来る奴なんて、そういる筈がない……」
「ふふふ、ヴェールは酷いですね」
「事実だ」
そう軽い言葉を交わし合った。
「だから、ずっと一緒にいてやる……」
「ヴェール……」
「仕方ないから……ずっと、一緒に……」
訓練の疲れでふらふらになりながら、ヴェールはそう言葉を口にする。照れ臭さからか、彼は少し彼女から顔を背けた。
頬がほんの少しだけ染まっている。
ナディアは彼の横顔を見て微笑んだ。
「じゃあ一緒にお風呂入りましょうか?」
「1人で入れ……」
「えー?」
そう言って2人は屋敷の中へ向かってゆっくりと歩いていく。
2人はこれまでの人生をずっと一緒に過ごしてきた。これまでずっと、ナディアはヴェールを信頼し、ヴェールはナディアを支え続けてきた。
だから当然の様にこれからも一緒にいるものだと思っていた。
離れ離れになる事など、想像する事も出来なかった。
夜空に星が映えていた。
屋根のない訓練場ではその星を見上げることが出来る。冷たい風が彼らの肌を撫で、2人は小さく身を震わせる。
星の灯りが遥かな空から2人を照らす。
2人は寄り添うようにして同じ道を歩いていた。
* * * * *
そして悪夢の日がやってくる。
ある日突然、英雄都市に竜の大群が押し寄せた。




