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135話 ヴェールとナディア(2)

 火が揺らめている。

 辺り一面が炎に包まれ、熱い赤色と真っ黒な煙が都市を覆いつくしていた。


 数百体もの竜が押し寄せ、都市を踏み荒らしていく。人々は怯え、逃げ惑うけれど、竜の大群の神の如き力の前には為す術もなく、人はただ蹂躙されてゆくのみであった。


 地獄のような光景が広がっている。

 都市のどこにいても炎の熱が肌をちりちりと焼く。熱く、のどが渇き、大きく息を吸えば煙を吸い込み、咳込んでしまう。


 竜が何百年と続く都市の建物をおもちゃの模型の様に踏みにじっていく。竜に睨まれたら最後、もうこの都市にどこにも逃げ場は無かった。


 英雄都市トライオンが竜の大群に襲われている。

 後に『龍の襲撃事件』という名が付く大惨事が起こっていた。


 そんな中、1人の少女が真っ黒焦げの焼死体の前に跪き、両手を組んで祈りを捧げる。


「……申し訳ありません、貴女の遺体を利用させて頂きます」


 その少女、ナディアは自分の身に着けていた金属のネックレスを外し、土を擦り付けて汚れを作る。

 そして、その焼死体の首にそれを巻いた。


 焼死体は全身が黒く焼け焦げていて、身元の判明は不可能であった。

 背格好はナディアと同じ程であり、彼女のネックレスが首に巻かれていてはその遺体がナディスと誤認されるのも無理のない事であった。


 ナディアはもう一度深く深く祈りを捧げ、そして立ち上がる。

 その目には覚悟の火が灯っていた。


「ナディア……」


 その彼女の後ろには執事のヴェールが控えていた。

 悲しい顔つきでただ彼女の背中を眺めていた。


「ナディア、止めよう……。生き延びることを、考えよう……」

「ヴェール……」


 ナディアは小さく振り返る。


「メリューは捕まってしまってはいけない存在なのです。敵は『叡智』の力を集めている。メリューが捕まってしまえば、その災厄はどう動くか分かりません」

「それは……あくまで推測だ……」

「貴方にも分かっている筈です」

「…………」


 ヴェールはギリギリと歯を食いしばる。長年連れ添ってきた自分の主人がいなくなろとしている。自分の命を使って、友達を守ろうとしている。

 初めて出会ってからずっとずっと一緒にいた少女が命を散らそうとしていた。


「ならばっ! 最期まで俺を一緒に連れて行ってくれ……! 最期まで一緒に戦わせてくれ……!」

「ダメですよ」


 ヴェールの叫びに、ナディアは小さく首を振った。


「だって貴方は、僕より弱い」

「…………」


 その言葉にヴェールの胸は締め付けられ、それだけで息が止まりそうになる。唇を噛み、そこから血がとろりと垂れていく。

 涙は流れない。彼の中にあるのはただ悔しさだけであった。


「……それにヴェールが僕と一緒にいたら、僕がメリューに変装する意味が無くなってしまいます。僕の執事が僕以外の人を守っていたら、おかしいでしょ?」

「…………」


 ヴェールは全身を震わせながら、そこで立ち竦む事しか出来なかった。

 明らかに戦力として実力が足りない。それはこれまでずっとナディアと一緒にいたからこそ、骨身にしみて分かる事だった。


 ナディアは彼の手を取り、両手でその手を包み込む。


「……貴方に最後の任を与えます」

「…………」

「僕の屋敷の中の神器トラムを強奪し、それを使って次に何かを残しなさい。どんなか細い火でもいい。ただ身に起こったことを誰かに伝えるだけでもいい。

 ただ、ここで何もかも途絶えさせないで下さい」

「…………」

「そして……難しいかもしれないけど……出来たらメリューと合流して彼女を守ってあげて……」


 そう言って、ナディアは彼の手を離し、2歩3歩と身を引く。


「今まで良く僕に仕えてくれました。心の底から感謝いたします」

「…………」

「僕の相手は面倒だったでしょう? これで主従の契約は終わりです。貴方は、お役御免です」


 ヴェールは何の言葉も紡げない。ナディアは目から小さな雫を垂らした。


「さぁ、行って。貴方の役目は重大です」

「…………」

「僕もそろそろ、行かなくちゃ……」


 そう言って、ナディアは彼に背を向ける。向かう先はメリューの自宅である。そこで彼女は最後の戦いを挑む。

 ナディアがゆっくりと歩き始める。後ろ髪引かれる思いを振り払うように、1歩1歩しっかりと足を動かす。


「俺はっ……!」


 そして、ヴェールは大声を出した。


「君に仕えられて、幸せだった……!」


 そんな彼の大声に驚き、ナディアは目を丸くしながら振り返る。そこにはボロボロと涙を流すヴェールの姿があった。

 そんな彼を見て、ナディアは花の様な笑顔を浮かべる。


「ありがとう、ありがとう! ヴェール!」

「…………」

「今まで一緒にいてくれて、ありがとう!」


 ナディアは子供の様に手を振り、ヴェールに別れの言葉を告げた。

 そしてナディアは自分の歩むべき道へと歩き始める。その後姿を少しの間見つめ、ヴェールもまた自分の道を歩き出す。


 2人はお互いに背を向けながら、その距離を離していく。

 巻き上がる炎が肌をちりちりと焼く。でも、そんな痛みは胸の痛みに比べれば些細なものだった。


 そうして2人は道を違えたのだった。




* * * * *


 ある貧相な住宅街の一角。とある部屋の中でのことだった。


「……お前が『叡智の分流』か?」

「……いかにも。わらわがメリューじゃ」


 この部屋の扉を乱暴に蹴破り、フードを被った2人の男が入ってきた。

 その2人は貴族騎士団団長ベイゼルと立心刻栄流師範グロッカスであり、『アルバトロスの盗賊団』の命を受けメリューを捕らえに来た刺客だった。


 その2人に返事をしたのは変身魔法によってメリューに扮したナディアだ。本物のメリューはナディアによってタンスの中に押し込められ、息を殺し震えている。

 ベイゼルとグロッカスの頭はフードに包まれ、顔がよく見えない。


「大人しく捕まって貰おうか?」

「冗談」


 交わす言葉も少なく、戦闘が始まった。


 ナディアは戦闘の天才で、若くしてS級の実力を持った最強の少女だった。

 しかし相手が悪かった。ベイゼルは『叡智』の力を引き上げ、既に『領域外』に至っている。


 ナディアが力の全てを尽くして戦えど、ベイゼルはそれを全て封殺する。

 彼女は為す術なく、ベイゼルに斬り伏せられ、血を流して倒れた。


「ふぅ……。やれやれ、とんだじゃじゃ馬だ……」

「終わったか」


 ベイゼルがメリューに扮したナディアを抱える。


「あぁ、これで『叡智の王』に喰わせる餌は揃った……」

「餌……?」

「……生贄ってことだよ」


 そう言って、2人は悠々と部屋を後にした。勝利の快感に少しだけ心を酔わせながら、火が上がるその建物から離れていった。


 しかし、本当の勝者はナディアであった。

 彼女はメリューに変装をして、彼女の身を守る事に成功した。自分が身代わりになる事で、メリューの中に流れる『叡智』の力を敵に奪わせなかった。


 計画が上手くいき、内心ほくそえみながら、ナディアは意識を途絶えさせた。


「いやじゃ……」


 タンスの中でメリューは震えていた。


「すまぬ、すまぬ……、ナディア……」


 炎が部屋を呑み込んでいく中、涙をぽろぽろと零しながら彼女は小さな言葉を漏らしていた。


「すまぬ……、すまぬ……、すまぬ……」


 自分の代わりに犠牲となった友の事を思い、むせび泣く。

 炎の黒い煙が中に入ってきても、言いつけを守り、一生懸命彼女はタンスの扉を開けないままでいた。




* * * * *


 ファイファール家の屋敷の宝物庫から隠し扉を経て更に奥、石畳の暗闇の中を蝋燭一本だけの明かりと共に、ヴェールはその場所を歩いていた。


「あった……」


 蝋燭のか細い明りを前に掲げ、この家に伝わる伝説の槍に灯を当てる。

 神器トラム。

 ファイファール家の先祖、大英雄ナディオンがその槍を持って邪蛇ナーガを撃ち滅ぼしたと言われる伝説の槍であった。


 ヴェールはこの家の正統な後継者であるナディアから、この槍を持って家を出ろと命じられている。

 心臓をバクンバクンと震わしながら、ヴェールは神器トラムを手に取った。


「……っ!?」


 その直後、神器の魔力がヴェールの中に流れ込んでくる。

 トラムの中に宿っていた魔力がヴェールの体の中を駆けずり回る。それはまるで、この人間が自分の所有者にふさわしいか、槍の魔力がヴェールを探っている様だった。


「かっ……! がはっ……!?」


 ヴェールは口から血を吐く。

 体の中の魔力を直接弄られ、彼の体には激痛が走る。体をびくんと震わしながら、尚容赦なく神器は人間の体の中を探っていく。


 探究と共にヴェールの体そのものが作り替わっていく。

 金色だった髪は闇の様な黒色に、白い肌は浅黒い肌に変色していく。


 魔力の変質による容姿の変化が起こっていた。非常に稀な事ではあるが、人は体内の魔力が変質してしまうと、容姿そのものが変わってしまう事もある。


 やがて、ヴェールは膝を付く。


「ぜぇっ……、ぜぇっ……!」


 荒い呼吸を繰り返し、目や鼻からはぼたぼたと血が垂れる。

 しかし、激痛は収まった。


「…………」


 ヴェールはトラムを胸に抱え、強く抱きかかえる。

 彼は神器に認められた。

 暗闇の中で1人、小さく涙を零した。


 それから彼はすぐに都市を出た。

 愛用の剣だけを都市に残し、それがまるで自分の遺品であるかのように見せかけた。

 もう彼は剣を使わない。彼はこれから彼女が与えてくれた槍を使う。


 メリューとは合流出来なかった。

 あの後、ヴェールは以前から聞いていたメリューの家を訪れたが、そこはもぬけの殻であった。もうメリューもこの都市を出てしまったのだろう。

 ヴェールもまた1人で都市を出る。


 そして彼は旅をする。

 汚いスラムの子供を装いながら、神器トラムを使い小汚い武功を上げ、小悪党を演じ生きていた。


 ナディアは言った。

 神器トラムを使い、何か次に残してくれと。ただ身に起こったことを別の誰かに伝えるだけでもいいから、自分たちのか細い火を伝えてくれ、と。


 しかしヴェールはそれでは満足出来なかった。

 やる、やってやる。汚れた服を身に纏いながら、ただ胸の内では炎が燃え盛り、それはいつまでもいつまでも消える事は無かった。


 そして、釣れた。


「助けて下さい! 命だけは助けて下さい! お願いします! 神器はお渡しします! だから命だけは助けて下さいっ……!」


 ヴェールは地に頭を擦り付け、自分を囲いにやにやと笑う男たちに懇願をする。

 彼は『アルバトロスの盗賊団』に囲まれていた。神器トラムを使うガキがいるとの噂を元にして、神器トラムを回収しようとしていた。


 その男たちが神器トラムの行方を追うバーハルヴァントの部下であったと彼が知るのは、また後の事であった。


「貴方たちの為に何でも致します……! 俺をこき使ってください! だから、命だけは助けて下さい……!」


 ヴェールは必死な声でそう叫ぶ。

 つまり、彼は神器トラムを餌にして『アルバトロスの盗賊団』を釣ったのだ。


 その内部に入り込むために。

 主の復讐を果たすために。


「……お前、名前は?」


 にやにやと笑う男がヴェールに問いかける。

 ヴェールは顔を上げ、黒い目を鋭く輝かせながら、言う。


「俺の名前は……セレドニです……」


 そうして彼はセレドニとなった。


 そして彼は組織内で地位を上げる。一度は回収されたものの、神器トラムを扱うに相応しい人材と認められ、また彼は槍を手にする。

 覚悟は一層強くなる。


 ナディアを殺した仇を……。

 仇を取る為に……。


 それだけを思い、彼は前に進み続ける。

 あの日の悔しさの炎を、いまだ胸の内に燃やしながら。


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