9 笑って挑む勝負の日
1月22日。手術の朝。
私は4時頃には寝覚めてしまった。目覚めた?実際のとこ寝ていたのか起きていたのか分からなかった。床に入ってからもウトウトしてはハッとして起き上がってしまう。一晩中そんな事を繰り返していたから。
まだ星が出ていて辺りは薄暗かったけど庭に出てあの苗木を触ってみる。入院する前にお兄ちゃんと一緒に「大きく育てよ」って撫でたみかんと柚子、私はその苗木たちに向かって語りかけた。
(あなた達が沢山の実をつけてくれて、それを4人で食べるんだよ?絶対に食べさせてね?)
「お姉ちゃん、こんなとこで何してんの?」
「菜緒ちゃん、もう起きたの?まだ早いよ」
「自分だって起きてるじゃない、気持は同じだよ」
「うん…」
暫くの間二人で無言のまま苗木を撫でていたら、ふいに菜緒ちゃんが元気よく立ち上がって言った。
「まずはしっかり美味しい朝食を食べようよ、私達が倒れたら大変なんだから」
「誰が作るの?」
「お姉ちゃんに決まってるじゃない!お母さんのお味噌汁作って~」
「もぅ、調子いいんだから」
菜緒ちゃんのおでこをコツンと突きながら笑い合った。そう私は一人じゃない、菜緒も健太郎もいる。うん!大丈夫!
(長女なんだもん、私がしっかりしなきゃ!頼りないお姉ちゃんでも、私がしっかりしなきゃ!)
私は自分に気合を入れて、お母さんがいつも作ってくれていた、一之瀬家定番の朝食を作った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それから出かける支度をしていると、恋人の達郎から電話がかかってきた。詳しい病状は言わなかったけど、お兄ちゃんの事は話しているので心配してかけてきたのだろう。
「もしもし、おはよう」
『おはよう、今日手術だろ?大丈夫か?』
「うん、先生に任せるしかないもん」
『違うよ、俺が心配してるのは茉緒のことだ』
「ありがと…」
『あのな、黙っていようと思ったんだが…』
達郎はちょっとだけ真剣な声でそう言ったきり黙ってしまった。
「なぁに?」
『やっぱり茉緒には言っておいた方がいいと思って…』
それから達郎は、一言一言噛みしめるようにゆっくりと話し出した。
お兄ちゃんは昨夜、達郎に電話をしたらしい。自分が初期ではないガンであり、これからどうなるかわからない事、だけど最後まで諦めずに闘うこと。そして私に全ての負担がこれからかかることを心配して「茉緒を支えてやってくれ」と話したらしい。
『最後にお兄さんに言われた、茉緒のすべてを俺に託してもいいのか?と』
「えっ?」
『茉緒?前にも言った。俺はお前を嫁にする、この言葉に偽りはない。それをお兄さんに話して了解してもらった』
「達郎…」
「いいな?一人で全てを背負うな。俺がいる、それを忘れるなよ?」
お兄ちゃんはどんな気持ちで達郎に自分の病気の事を話したんだろう。どんな想いで私の事を達郎に託したんだろう。
涙があふれて止まらなくなった……
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
7時半には病院に到着。
「おはよーお兄ちゃん!」
昨日は下剤が辛かったとげんなりした顔をしていたけど、今は晴々した顔をしている。何ていうんだろ?潔いキリっとした顔って感じ?
心臓の検査があったので手術開始は11時となったが、何だかんだとあっという間に時間が過ぎて…いよいよ決戦の時間がきた。
『一之瀬さん、いきましょうか?』 担当の看護師さんと手術室に行く専用のエレベーターに私達も乗る。手術着を着て頭も覆われ、よくテレビとかで見る「アノ姿」に心がキュッと痛んだ。
「お兄ちゃん、頑張ってね!」
「頑張るのは先生だろ?俺は寝てるだけだ。ぐっすり寝てる間に終わっちまうよ、心配すんな」
「うん…」
そう言ったきり下を向いてしまった私の背中を突きながら、健太郎がおどけた調子でお兄ちゃんに笑いかけた。
「兄貴、そのストッキングだか何だか知らないけど、おもしれーもん履いてんな?おれ恥ずかしくてそんなの履けねーよ」
「ばか言ってんじゃねー!俺だってこんな女が履くような靴下なんて嫌なのに無理やり履かせられたんだ」
「ふふっ、無理やりって?なんだか想像つくよ」
『そうなんですよ。一之瀬さんにコレ履かせるのにホント苦労したんですから』看護師さんがやれやれと言った表情で少しおどけて首を竦めると、緊張に包まれていたエレベータの中に少しの笑いがおきた。
「お兄ちゃん、看護師さんに迷惑かけちゃダメじゃない。お姉ちゃんじゃないんだから」
「ちょっと、なおちゃん!私は迷惑かけてないよ?」
これから大変な手術に向かうはずなのに私達は敢えて笑った。笑ってないと、バカなこと言ってないと、怖くて怖くて泣き出しそうだったから……
手術室の前まで来ると今度はオペ担当の看護師さんと入れ替わる。白衣の優しそうな人と違って緑色の戦闘服みたいな感じの服を着て、いかにも「これから手術をします!」って感じで少し怖かったけど。その人は私達を見てニコッと笑ってくれた。
そして静かな落ち着いた声で『ご家族の方はこの待合室でお待ちください』と言いながらそっと私を促した。健太郎と菜緒ちゃんを待合室に残し、私だけお兄ちゃんと一緒にさらに奥まで進む。
病院にきてから何度も何枚も色んな承諾書にサインをしてきた。そして、これから手術が始まる前の最後の承諾書にサインをする為に私は手術室の奥まで入った。
(これが最後のサインであってほしい…)
「お兄ちゃん、頑張ってきてね」
「あぁ、行ってくる…」
お兄ちゃんは笑って、だけどちょっとだけ、ほんの少しだけ、切なそうな何とも言えない顔をして、手を挙げて手術室の中に入って行った。




