8 早まった手術
「うわぁー、なんか病室って感じがしないね?広いし」
案内された病室は、消化器外科のベットが空いていなかったので別の科の仮部屋だった。そこはとても広い部屋で、もう一つベットがあるけど今は誰もいないので広い部屋にお兄ちゃん一人。誰に遠慮もいらないからか、お兄ちゃんは時間があるとすぐにベットの上に図面やら色々な書類を広げて仕事をしだしてしまい看護師さんに怒られていた。
毎日検査ばかりの日々で飽きたとウンザリしているが、入院してからのお兄ちゃんはとてもガン患者にはみえないくらい元気だった。
「茉緒、すげーんだぞ!おやつがでるんだ」
今日のおやつはアイスだったとはしゃいで見せたり、担当の看護師さんが可愛いとか、あれはオカンみたいに口うるせーんだとか、ここでのんびり昼寝している間に会社の事を色々考えられるから丁度いいとか、これを機会に会社を立て直すぞー!と全てを前向きにとらえていて意欲的なの。
(こんなに元気なんだもん、ガンなんて間違いだったのかも知れない)
そんな夢をみてしまうくらい、お兄ちゃんは元気だった。
ガンと告知されてからも、全てを受け入れた上で前向きに考えている。ドロドロの絶対にマズイ!と思うようなご飯も、体力つけなきゃって残さず食べてるし。コロコロを使って自分のベットもちゃーんと綺麗にしてるの。
「お兄ちゃん、なんでこんなとこにコロコロがあるの?」ベットの脇にちょこんと置かれた、ホコリなどを張り付けて取る粘着テープのついたローラー『コロコロ』を見つけた時に不思議に思って兄に聞いたら。
「あーコレか?ひでーんだぜ。自分のベットは自分で綺麗にしろって、人使い荒い看護師がいるんだよ」
そう言ってお兄ちゃんは自分のベットの枕の辺りを楽しそうにコロコロしている。
「あら、一之瀬さん?聞き捨てならないわねぇ、誰が鬼のような看護師ですって?」
担当の看護師さんがニコニコしながら部屋に入ってきた。
「あっ、こんにちは。兄がお世話になっております」
「俺は病人だっての…」
「病人でも動ける人は使うの、自分のベットくらい自分で綺麗にしなさい」
この看護師さんと兄のやり取りはいつ聞いても漫才みたいで。ココが病室だなんて思えないくらい、いつも笑い声が絶えなかった。
だけど……
点滴を入れていた左手が腫れてしまって右手に点滴をやり直したり、アチコチに注射の跡があったりと管が入っている腕を見ると夢は一瞬で消えすぐに現実に引き戻される。
『やらなきゃならない勝負なら、笑って挑もう』
私は泣きたくなった時、お兄ちゃんのこの言葉を思い出して上を向くようにしていた。自分に負けちゃダメだ!私がしっかりしなきゃ!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そして入院して4日目、本来の消化器外科の病棟に移動となった。
「こんにちはー」
お兄ちゃんはベットの上に座って、何やらボールが入った箱みたいな物をプカプカ浮かべて遊んでいる。
「ソレなに?何でそんなもので遊んでるの?」
透明のおもちゃみたいな容器から出てる管に口をつけて、息を吸ったり吐いたりすると?中に入っている3つのボールが上にプカプカ浮かんだりコロンと落ちたりする。
「遊んでんじゃねーぞ、これはトリフローって言ってな。手術前の訓練なんだぞ」
そう言って兄はそのおもちゃみたいな物に楽しそうに息を吹き入れて訓練?していた。どうやら全身麻酔前の腹式呼吸の練習らしい。
「出産するみたいだね?呼吸法を覚えましょ~!みたいな感じ?あはは」
兄は「あははっ!」と豪快に笑った。そして楽しそうに何度もソレで遊んでいた。
(もし私がお兄ちゃんの立場だったら?こんなに強くいられない…)
笑い声が辛くて、苦しくて、私はまた泣きそうになった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
朝、家事をして事務所を開けて社員のみんなを現場に送り出し、3時まで仕事をしてから病院へ。健太郎が夕飯はいらないと言ってくれたのでお兄ちゃんと一緒に病室で私も夕飯を食べて、帰りがけに買い物して帰宅するのはいつも9時過ぎ。一日の終わりには毎日源さんがその日の仕事の様子を知らせに寄ってくれて、お兄ちゃんと打ち合わせをする。源さんは何かに気付いている様子だったが私達には何も言わなかった。
入院して6日が経ち、そんな生活にやっと体も心も慣れてきた頃。
「いつも仲がいいですねぇ」
「あっ黒田先生、兄がお世話になっています」
「一之瀬さん、具合はいかがですか?」
「元気っすよー、このまま現場行ってバリバリ仕事できそうですよ」
「あはは、それくらい元気があれば大丈夫ですね。手術ですが22日に変更になりました」
「明後日ですか?」
黒田医師は何事もないようなサラーッとした口調で、ニコニコしながら手術日の変更を告げた。
(なんでそんなに早くなったの?だって29日が予定日だったでしょ?まさか悪化してるの?)
また不安と恐怖が押し寄せてきた。素人の私があれこれ詮索しても仕方ないのはわかってるけど、病院側の都合で早まっただけかも知れないし……でもこんなに早くなるなんておかしいよ!
理由を聞こうと思ったけど、それからの私は看護士さんの案内でICUの説明を受けたり手術に必要なものを病院内で買い揃えたり、健太郎となおちゃんに連絡したりとバタバタしてクヨクヨしている暇も余計な事を考えている時間もなかった。
そして手術前日。
私と健太郎となおちゃんの三人は黒田医師に呼ばれていた。難しい事は理解できない。だけど先生達は一生懸命お兄ちゃんを治そうとしてくれている、それがよくわかる手術前の説明だった。
大丈夫!絶対に大丈夫!
お兄ちゃんのガンは、この先生が絶対に治してくれる!




