7 お兄ちゃんとの約束
ガンを告知されたのに、お兄ちゃんはいつもと変わらなかった。
病院からの帰り道ずっと無言だった健太郎に「なに死にそうな顔してんだ、ばーか」って言いながら頭をコツンと突いたり、下を向いたままの私の頭をわしゃわしゃしながら笑っていた。辛いのはお兄ちゃんなのに、泣きたいのはお兄ちゃんの方なのに……ずっとにこにこ笑っていた。
「茉緒、健太郎、ガンの事は誰にも言うな。いいな?」
これからの事は家族だけで乗り越えていく。他の人達に余計な心配はかけたくないから黙ってろと言ったのだった。
「でもお兄ちゃん、源さんにだけは……」
「だめだ、余計な心配かけさせるような事はしたくねぇんだ。黙ってろ、いいな」
「うん……」
自宅についてお兄ちゃんは早速仕事を始めた。暫く留守にするための段取りを手際よくこなしている。その姿を見ていたらさっき病院で言われたことは本当は夢なんじゃないかって思えるくらい。夕方になって現場から戻ってきた社員のみんなにもニコニコしてた。
「ちょっとだけ入院と手術ってやつを体験してくるわ」
そう言ったお兄ちゃんの言葉にみんなびっくりした顔をしたけど。あまりにもアッケラカーンとした調子で言ったので、まさか重大な病気だとは誰も思わなかっただろう。
「いいか、俺がいないからってサボんじゃねーぞ!源さんの言葉は俺の言葉だ。みんなしっかり源さんについていけよ!」
『うぃーす』
「安全第一だ!それを絶対に忘れんじゃねー、いいなっ」
「社長、俺ら子供じゃねーんすから、大丈夫ですって!安心して手術でも何でもしてきてくださいよ」
テツくんが少しおどけたように言ったので、みんながそれにつられて笑う。でも源さんだけは厳しい顔をしたままだった。
源さんは、お父さんが会社を立ち上げた時からずっと一緒にやってきて、お兄ちゃんを職人として一人前に育て上げてくれた人だ。お父さん達がいなくなってしまってからも、お兄ちゃんの片腕としてどんな時でもお兄ちゃんを支えてきてくれた。
その源さんに、これから私は嘘をつかなければならない……
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
先生と入院を約束した1月15日の朝。
出発前に、ざわつく心を少しでも落ち着けようと私は庭に出た。初詣に行った時に出店で買った「柚」と「みかん」の小さな苗木をそっと撫でながら呟く。
(この苗木が大きくなって、沢山の実がなって、それを4人で食べるんだ、絶対に4人で!)
苗木を撫でていると涙が出てきた。もしかしたらこの木に実がなる頃お兄ちゃんはいないかも知れない、一緒に食べれないかも知れない……そんな不安が襲い掛かる。そしてまたあの画像が脳裏に蘇り、怖くて怖くて身体が震えだしてきた。あの日以来泣かないでいられる日はなかった。お兄ちゃんの前では絶対に泣かないと決めていたので、毎晩お布団に入ってから一人で泣いた。辛くて悲しくてどうしたらいいか分かんなくて。
「こんなとこにいたのか、そろそろ出る時間だろ?」
「お兄ちゃん…」
「なに陰気くさい顔してんだ?大丈夫だ、俺はガンなんかに負けねぇよ」
そう言って私の頭をポンポンとしながらニカッと笑った。その笑顔が眩しくて、辛くて、悲しくて、苦しくて、私はもう我慢できずに兄に抱きついて泣いた。
「お兄ちゃんっ、元気になって、絶対にココに戻ってきて!約束…して…」
「あぁ約束だ、俺は必ず元気になって家に戻ってくる、だから泣くな」
約束だよ。
ねぇ本当に約束だよ?ココにちゃんと戻ってきて。
元気になって4人で旅行にいくんだから、約束だよ?
一番辛いのはお兄ちゃんなのに、私が泣いちゃいけないのに、泣きながらしがみついている私をそっと抱きしめてくれた兄の身体は温かかった。
「茉緒?俺だって怖くないわけじゃねーんだ」
「うん…」
「だけどな?俺は負けないぞ。少なくとも自分には負けねぇぞ!」
「お兄ちゃん…」
「だから茉緒も自分に負けるな、やらなきゃならない勝負なら、笑って挑もう!」
前向きに考えよう。兄はそう言ってニカッと笑った。
「よし、行くかっ!」
「うん。あっ、今日はクリウンで行けって健太郎が言ってた」
「なんだ?クリウンで行くのか?つーかピカピカじゃねぇか」
「昨日、健太郎が帰って来てから一生懸命磨いてたよ」
健太郎は昨夜遅くに帰宅したのにいきなり洗車を始めた。理由を聞いたら「願掛け」のようなものらしい。
「元気になって戻ってこないと、コレは俺がもらっちゃうぞ~って言ってたよ」
「誰がやるか、ばーか!って言っとけ」
「ふふっ、うん!これはずっとお兄ちゃんの車だもんね」
(いつも作業車で、めったに乗らないから新車のままだよ)
健太郎が、無事にまたココに元気に戻ってきますようにと願いピカピカにしてくれた車で、私達は病院に向かう。
ここから、私達の闘いが始まったのだった……




