④お兄ちゃんを助けて
病院の正面玄関を出るとオレンジ色の綺麗な夕日が西の空に見えた。太陽に照らされてキラキラと輝く遠くの雪山を見ながら病院内に入った……そしていま長い一日が終わった。この一日は夢だったんじゃないかと夕日を見ながら思う。夢であってほしい!泣きそうになる顔を兄に見られたくなくて、私は兄の腕に自分の腕を絡ませその温かな体に身を寄せながら歩いた。
「綺麗な夕焼けだね」
「そうだな、こんなに時間がかかるとは思わなかったなぁ」
「大学病院なんてこんなもんだよ、私も検査の時は一日かかるもん」
「だが、明日も来なきゃなんないとはなぁ」
参ったなぁと兄は深い深い溜息を吐き、明日は現場での打ち合わせもあるし…ボソッと呟いた。
「ダメだよっ!ちゃんと来なきゃダメなんだからねっ!」
ふんわりと寄り添っていた身体が一瞬で硬直する。自然と小刻みに震えだす自分の身体を必死で押さえつけながらギューッ!ときつく兄の腕にしがみつき私は叫んだ。
あまりにも凄い勢いで言ったからか?兄はちょっとびっくりした顔をしたけど、すぐに優しい顔になり私の頭をポンポンと叩きながらおどけて言った。
「あぁ、今回は茉緒のいう事を聞くよ。こうなったら『まな板の上の鯉』だ、しっかり診てもらって早く元気になるからな、大丈夫だ!そんな心配すんな」
「うん…」
自宅に戻った後、兄は明日の仕事の段取りをするために社員のみんなを集めて細かく指示を出していた。
「これから源さんとテツとちょっと現場行ってくる。メシは帰りに食ってくるから俺のは用意しなくていいぞ」
「えっ、今から現場いくの?」
(そんな…そんな身体で今から現場なんてダメだよ!)
私が余程不安そうな顔をしたからか?テツ君が「自分が運転していくから心配ないっす」と言ってくれ、源さんは兄に聞こえないように「お穣さん、私らがついてますからご安心ください」とコッソリ耳元で囁いた。
(お兄ちゃんが体調悪いの、みんなも気付いていたんだ…)
お兄ちゃん達を見送り、事務所のシャツターを閉めてから自宅に入る。仏壇のお父さんとお母さんのところにいき私はやっと泣くことができた。声をあげて、わぁーわぁー泣いた。
神様、私達からお兄ちゃんを奪わないで下さい!あんな辛い思いをするのは嫌です。お願いします。お兄ちゃんを助けてください!
お父さん、お母さん、お兄ちゃんを連れて行かないで。
お願い!お兄ちゃんを…お兄ちゃんを助けて!
お父さん、お母さん……お願いだから…助けて…よ……
(もう、やだよ…誰かがいなくなるのは、もう、やだよ!)
私は泣きながら健太郎となおちゃんに報告の電話をいれたのだった。
その夜、お兄ちゃんがお風呂に入っている時を見計らって健太郎が私の部屋にきた。
「明日は俺も病院に行くから」
「会社は?大丈夫なの?」
「大丈夫だ、姉ちゃん一人じゃ辛いだろう?」
「うん…」
「先生は何と言ってるんだ?」
「詳しくは外科の先生と話してくださいって、僕は内科だからコレ以上の事は言えないって」
「そっか、そんなに酷い状態なのか?」
「初期のガンではないよ、たぶんかなり進行してる。所々から出血してて、食道の中はガンの塊でいっぱいだった……」
あの悪魔の塊の画像が脳裏に蘇ってくる、また体の震えが止まらなくなる。
「なんでそんなになるまで!もっと早くつれていけばよかった!」
健太郎は唇をかみしめていた。私だって同じ気持ちだった、何でもっと早く!引きずってでも連れていけばよかった!また涙が溢れてきて止まらなくなった。
「先生が本人に告知をって言うんだけど…」
「うん、難しい問題だな。姉ちゃんはどうしたいんだ?」
「私は、私は…黙っていたい」
人は、ガンという言葉だけで脆く崩れてしまう。どんなに精神力の強い兄だったとしても、ガンという言葉は心に重くのしかかるだろう。しかも初期ではない。
「なおちゃんがね、隠し通すことの方が辛いよって言うんだ」
「そうだな…」
その夜、私達は兄への告知をどうするか?結論が出せないままだった。




