夕暮れの高き塔の上
いつもと変わらぬ夕日が街全体を朱に包む。その暖かく柔らかい光でもやはり眩しくて、少女は目を細めた。少女の髪も街と同じに朱に染まりキラキラと輝いている。
少女がいる場所はこの都市の中に位置する一番高い塔の最上階であり、そこにある窓からは街が一望できる。初めて来た人間ならばその景色に感嘆するかもしれない。だが、少女はそうは思わない。誰もいない広く静かな部屋の窓辺に座り、見飽きた景色をなんの感慨もなくガラス玉のような瞳で見つめるだけである。
「本当にバカばっかりだわ」
ポツリと誰にともなく発した言葉は辛辣だがその声音はどこか諦めを含んでおり、表情はどこか悲しげである。
すると不意にノックの音が聞こえてくる。少女は振り向かずその表情を引っ込めるとドア越しに聞こえてきたのは落ち着いたアルト。
「カノハでございます。夕餉を持ってまいりました」
「入っていいわよ」
「失礼いたします」
少女の許しを得て室内に入ってきたのは、白の給仕服に身を包んだ20歳前後の品のある女性である。カノハは優しげな容貌に優しい笑顔を浮かべ、その手には美しく盛り付けられた料理が乗ったお盆を持っている。
「あなた、よくやるわね。上のやつらに睨まれるわよ。それと飢え死にされては困るとでも言われてのかしら?」
少女は視線だけをカノハに寄越し、眉根を寄せて語りかける。刺のある言い様だったがカノハの表情は変わらない。
「上の方は知りませんが、誰であろうと飢え死ぬ姿は見たくありませんわ」
カノハは微笑みを崩さず、部屋のランプをつけたあと流れるようにテーブルの上に料理を並べていく。少女はその動きを無意識に目で追った。
カノハの所作はとても美しくその秀麗な容姿も相まって、まるで絵画の一ページのようである。この塔の最上階は全て少女のためにあり、いくつもの部屋が存在する。そこには高級な調度品が揃えられ、貴族の屋敷に劣らないほどでありこの部屋は特に群を抜いている。少女としては自分よりもよっぽどこの部屋にふさわしい容貌だろうと思った。
ここは豪邸と言えるレベルの空間だが、働く者はとても少なくカノハを含めてもやっと二桁の達する程度である。
それは少女の特殊な立場ゆえのことであり、さらに言えばその少人数でさえ少女とまともに対面できる者はいない。誰も少女に声をかけることもなければ、少女が語りかけても答えることはない。ここの主は少女であるが、雇い主は別にいるため少女の個人の願いを聞き届ける必要はないし、逆に与えられた仕事以外をすることはたとえ親切心でも許されない。
食事の時間にダイニングに現れない少女にわざわざ食事を部屋に運ぶことも本来は許されていないが、カノハはいつも当たり前のようにそれをする。視線に気がついたカノハはくすりと笑う。
「これでもわたくし世渡り上手なんです。ご心配には及びません」
「・・・別に心配なんてしていないわ」
少女は複雑な表情を浮かべ視線をそらした。だが、カノハはとても聡い女性である。少女のそっけない言葉の中にカノハに対する気遣いを見つけて笑みを深くした。少女にとってそれは別に不快ではないが心の内を覗かれているようで少しおもばゆい。
少女は友好的な態度を示さないが、カノハを嫌っているわけではなかった。むしろ、カノハがここで働くようになるまでは対話らしい対話をしたことのなかった少女にとっては特別な存在であった。
「ご用意整いました。お召し上がりください」
丁寧ながらも有無を言わせない雰囲気を醸すカノハにそう告げられ、少女は無言でカノハが引いた椅子に腰掛けた。目の前の料理は3品。鶏肉のソテーと彩り豊かなサラダ、そして琥珀色のコンソメスープだ。品数が少ないが少女の胃袋に調度いい量である。
両サイドにあるナイフとフォークを手に取り静かに食事を始めた。香草薫る鶏肉はとても風味豊かである。食にこだわりはないがここに居るシェフの腕は一流だと少女は思っている。むしろこんなところで働いていたら腕の奮い甲斐ないのではとも思っていた。
そんなことを考えているうちに食事はものの数分で終わる。
「相変わらず食べるのがお早いですね。お口が大きいわけでもかんでいないわけでもないのに何故でしょうね?」
「量が少ないだけじゃないの?」
毎度のごとく不思議そうに見つめてくるカノハに少女は思ったまま答えた。
「そうですね。でも以前よりはお食べになられるようになったでしょう?食事は大切ですわ」
「まぁ、動かなくてもおなかは減るからね。いい物の食べさせて貰ってるし」
「ふふ、シェフに伝えておきますわ」
カノハは料理を並べた時と同じ所作で手早く、お盆の上に空いた皿を載せていく。外を見れば日は完全に暮れていた。立ち上がって窓から見下ろせばいつもの街灯りが見える。
「ここ数日気温が下がっていますが、寒くはございませんか?」
カノハの問いかけにポツリと呟く。
「・・・北はもっと寒いのかしら」
「北ですか?北方守護伯領でしょうか?こちらよりかは若干寒いかもしれませんが、まだ秋口ですからね。そこまでではないと思います。何か気になることが?」
「ううん。別に。なんでもないわ。今のところ特に寒くはないわ」
少女は歯切れ悪くそう返す。だが、カノハはそうですかと微笑みそれ以上何も追求しない。それは少女にとってとてもありがたいことだがそれは口にせずなんでもないように装った。言わなくてもカノハにはお見通しだと分かっているゆえの甘えである。
「明日はどうせ外に駆り出されるからちゃんとダイニングで食事をとるわ。食べる量はさして変わらないでしょうけどね」
「分かりました。明日はきっと忙しくなりますからね。明日のために今晩はゆっくりお休みください」
お盆を持ち上げてカノハは静かに退室した。残された少女はベッドには向かわず、再び窓辺に座る。街の灯りに照らされた夜空にはあまり星が見えない。するとフッと部屋の明かりが消えた。
「カノハちゃんは肝の座った子だねぇ」
唐突に降ってきたのは気の抜けた男の声。だが少女は特に驚かない。それは最近よく聞く声だったからである。そして、聞きたくない声でもあった。
「相変わらず害虫のような奴ね。夜に女の寝所に無断で入るのはどうかと思うわ」
カノハの時とはまた違う冷たく突き放すように言葉をぶつけた相手の姿は見えない。
「カノハちゃんには可愛い態度とるのにどうして俺にはそうなんですかね?まぁそれはそれでいいですけど。あと、害虫を侮っちゃいけませんよ。使いようによっては美しい蝶よりいろいろお役立ちかもしれませんし?」
「使われる気なんてないでしょう?」
「俺はいつも使われる立場ですよ?どうです?使ってみません?」
「害虫の手を借りるほど落ちぶれちゃいないわ」
「はは、俺雇ってる人にすんごい失礼な発言ですね。まぁ気が向いたら言ってくださいよ。安くしますから」
交わされる会話は滑らかだがその内容は不穏である。少女かの言葉には敵愾心があふれており、男に方はふざけているのか本心が伺えない。
「話を聞きに来たんだったらこそこそ隠れるんじゃないわよ」
「あれ?俺に顔見たいんですか?」
ふざけた物言いに少女の額に青筋が浮かぶ。だが怒鳴り散らしたところで意味はなく、むしろ大げさな反応を示せば男を喜ばせることになるのを知っているのでただ低い声で告げる。
「声だけ聞こえるのが気持ち悪いと前も言わなかったかしら。あなたの頭におが屑でも詰まっているのかしら」
「うーんそれはどうだろう?まぁ、何かしら詰まってるんじゃないですか?」
少女の皮肉に異も介さない男の声がさっきよりもはっきりと聞こえた。先ほどまで誰もいなかった部屋の中央に忽然と現れた人影が少女に静かに歩み寄る。近づいてきた人影は窓から入る微かな光を浴びてその姿を映し出された。光を浴びた男はヘラっと笑った。
「改めてこんばんわ。神呼さま。ご機嫌麗しゅう?」
「害虫が現れて気分が悪いわ」
「俺にも一応ベルって名前がありますよ。きっと呼びはしないでんしょうけど」
「ないわね」
「つれないことで。じゃ本題に入りますか」
笑みを深くするベルを神呼と呼ばれた少女は胡乱な瞳で見つめた。この男はいけ好かないと改めて思った。




