僅かな休息と黒衣の訪問者
「そういえば街に入ってから騎士の人とか見かけないけど、ここにいないってことは元のところにもいないってことだよね。どこいったんだろ?・・・まさか俺たちみたいにここに来ちゃったりしてないよね?」
礼拝堂の机に腰掛けたアシュレイがふと思い出して恐る恐る問いかけた。アシュレイ達も実際迷い込んでいる上、聖霊の力なしに踏み込むと体が消滅してしまう空間などという恐ろしい話を聞かされたのだから心配するのも無理のないことだった。
イヴはアシュレイの言葉に「分かりません」と返事をしたあと今度はヴェントゥスに話しかけた。
「元初ヴェントゥス。お聞きしたいのですがよろしいでしょうか?」
『なにー?』
「私たち以外にこの空間に訪れた者はいますか?また消滅した者は存在しますか?」
イヴと発言にヴェントゥスでなくアシュレイが目を剥いた。
『んー?ここに来た普通の人間はアシュレイが初めてよ?』
「そうですか。では騎士達は今のところ無事ということでしょう」
「そっか。でもこれから巻き込まれる可能性もある?」
イヴの言葉にアシュレイは一度は安心するもまた新たな不安が沸き起こった。そんな様子のアシュレイにのんきな声が降り注ぐ。
『心配なのー?まぁ、私としても人間が消えるのは好きじゃないしぃ。とりあえず消えないようにはできるわよ?』
ヴェントゥスはどうする?と問いかけるようにアシュレイの方を見る。表情を明るくしたアシュレイは勢いよく首を縦に降った。そんな反応を見てヴェントゥスはニコニコと笑顔を向けた。
『やっぱり人間は面白いわねー。大人っていうのもそれなりに面白いけどやっぱり子どもの方が断然面白いわぁ』
今の場面でどこが面白いのかわからなかったアシュレイに対し異様に嬉しそうなヴェントゥスはさらに機嫌よく話す。
『大昔から人間見てきたけど本当に面白い生き物よね。ほかの動物と違って行動原理が不思議だし、昔と今で全く正反対のこと言ってたりやってたり。見ててあきないわぁ』
「えーと、ヴェントゥスは人間観察が趣味なの?」
アシュレイが素朴な疑問をぶつけるとヴェントゥスは少し考えるような素振りを見せる。
『趣味?そうね、人間で言うとそうなのかしらね?けれど私たちの場合そういう性質と言ったほうが正しいかもしれないわね』
そう言ってまた笑うヴェントゥスの言葉の意味が分からず、アシュレイは問い返そうとするがそれは扉が開かれる音に遮られた。
現れたのは黒い影だった。
黒いローブに全身を包み、見た目ではその性別も年齢もわからない。アシュレイは迷い込んだ人間かと思い声をかけようとしたが、後ろからいきなり吹き付けてきた風に驚き振り向いた。
そこにいたのは先程までのヴェントゥスではなかった。その身に荒々しい風をまとい、顔を歪めてまるで卑しいものを見る視線を黒い影に突き刺した。
『お前!何者だ!即刻ここから立ち去れ!!』
激しい怒気のこもった言葉を発すると同時にヴェントゥスから強烈な風が一直線に放たれた。そしてその光は激しい破壊音と共にその先にいた黒い影に容赦なくぶつかった。そして扉付近からあたりが見えなくなるほどの光の粒子が舞い散った。
唖然とするアシュレイとそのアシュレイをかばうように身を構えるイヴ。そしてまだ荒々しい風をまとうヴェントゥスによってその場の空気はこれまでにないほどピンと張り詰めた。
粒子が舞う中、光に打たれたと思われた黒い影は、まるで何事もなかったかのように先程と同じ場所に悠然と立っていた。ゆらりと一歩足進めたかと思うと次の瞬間今度は黒い影の方が風をまとい容赦なくそれを放つ。そしてヴェントゥスも同時に先程以上の風を放った。
風と風が激しくぶつかり合い礼拝堂内が荒れ狂う風によってバリンッと無数のガラスが激しく割るかのような音を立て崩壊する。あまりの衝撃にイヴとアシュレイを伏せさせながら礼拝堂の柱にしがみつく。
しかしそんな抵抗も虚しく周りの風景が粒子となって形をなさなくなり最後には地面からも粒子が吹き出し足場がもろくも崩れ去ってしまった。
「っく!」
「!うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」
それぞれ衝撃に声を上げ、なすすべもなく倒れた。
“落ちる”
そう思ったが覚悟していた衝撃は一向に訪れなかった。おかしいと思ったアシュレイはきつく瞑っていた目を恐る恐る開けてみた。
「・・・え?」
アシュレイはそこで呆然とした。先程、礼拝堂の床が抜けて落ちたと思ったのに、部屋はどこにも破損もなく瓦礫のひとかけらも落ちておらず、体に傷の一つもなかったのである。それどころか今いる場所は先程までいた礼拝堂ではなく、昔見た絵本に出てきたお城のパーティの会場のようで高そうな赤い絨毯が一面に敷かれ、上を仰ぎ見るとそこにはしっかりと天井が有り、壊れた様子どころかシャンデリアが美しい輝きを放っていた。
「えーと?えーと?」
「落ち着きなさい、アシュレイ」
混乱する様子のアシュレイの耳に相変わらず冷静なイヴの声が届く。
「初めに言った通りここは聖霊域です。全ては聖霊の力で出来ているので空間の中のものが壊れても、私たちが過ごしている空間のように残骸にはなりません。一時的に粒子となりすぐ元の形に戻ります。私たちがここにいるのは、先ほどの衝撃で私たちのいた空間が激しく歪んだため、元の空間を構築する過程で私たち不要なものとしてほかの空間に放り出したといったところでしょう」
イヴは限りなく回答に近いであろう推測をアシュレイに告げると、その言い分に納得したようで落ち着きを取り戻す。そして先程のヴェントゥスと振るわれた力を思い出しながらアシュレイは呟いた。
「・・・聖霊って色々すごいんだね」
そう言ったアシュレイは遠い目をしていた。
「ええ、聖霊は人などと比べ用のない存在ですから」
無表情の中に畏怖の念を込めてそうイヴは語る。
アシュレイとイヴは表面上会話が成り立っていたがアシュレイの言葉に含まれたニュアンスはイヴには正しく理解されなかった。きっとこれ以後も理解されないのだろうなとアシュレイはなんとなく思った。
「とりあえず墜落死(?)しなくてよかったけど、あの人・・・って人じゃないか。えーとヴェントゥスはどうなっちゃったの?あの黒い人は?」
あれほどの衝撃は人ならどうにもできなさそうだがヴェントゥスは聖霊だ。アシュレイとしては聖霊の生態がどのようなものかよくわからないので、どうなったのか予測もつかない。黒いローブの人間については更にわからない。
「・・・気配を探ってみます」
イヴは目を閉じて少し沈黙した後怪訝な表情を浮かべ、パッと目を開いた瞬間アシュレイの襟首をつかみ駆け出した。
「うぇ!!?」
アシュレイは潰れた蛙のような声を出すがイヴはそのまま低い声で言い放つ。
「逃げますよ」
言葉を合図にするかのように、突然ガシャンガシャンと無数の金属音が当たりに響く。後ろ向きに引きずられる形でその場から去るアシュレイの目に映ったのは鎧の兵士。
完全防備した兵士たちはたちが皆剣を握り人間離れしたまるでゾンビのような足取りで追いかけてきたのである。それはだだの人であるアシュレイでも感じられるほどの禍々しい気配だった。
「なっ!何!?」
「今は走りなさい。」
またしてもなすすべなく二人は兵士から逃げることになった。
そうして終わりのわからない逃亡劇が始まったのである。




