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第玖話 泥仏様


第玖話 泥仏様



 黒沼繭くろぬままゆという少女について考える。

 化粧町の名家、黒沼家の娘だという。

 狐面で素顔を隠した、しかしどこか雛と似た雰囲気を持つ少女。


 化粧町の風習に対して、“みそぎ”に対して。

 あるいは古い縁起に対して。自分たちの血脈に対して。

 数々の疑問を投げかけ、ときに忠告めいたことをほのめかしながら、彼女はなにひとつとして真実を語らない。


 それだけではない。

 彼女が本当に黒沼家の娘かどうか。

 それすらも、真実かどうかわからない。

 いっさいが霧の中にあって、なおまどいをもたらす。

 俺の中で黒沼繭という少女は、いつしかそんな化物のような存在になっていた。







 朝、起きて。

 もう一度眠ろうと思った。



「さ、サトリちゃん? 朝だよ? 起きようにゃん」



 止められた。

 仕方なく、目の前の珍妙な存在に声をかける。



「あの……雛さん? ちょっと質問してよろしいでしょうか」


「なんで敬語にゃん!?」


「あ、いえ、ちょっと離れてもらえませんかね? 近いので」


「なんで!?」



 涙目になる彼女を無視して、質問。



「その、あなたの頭に乗ってる猫耳は、どうされたんでしょうか」



 雛の頭の上には、彼女の黒髪に合わせてあつらえたような、見事な猫耳がのっていた。



「昨日あれから作ったの! どうにゃん? 似合ってるにゃん?」



 雛は必死だ。

 意味不明だ。

 実際似合ってるけど。

 かわいいけど。それだけに。



「なんだろう。いい年した身内がこんなことしてると思うと、気持ちが沈んでくる……」


「そこまで!?」


「雛もさ、再来年には成人式するような年なんだからさ、もうちょっと、さあ……思いつきを行動に移す前に、立ち止まって考えようよ」


「それサトリちゃんにだけは言われたくないっ!」



 もー、もーと言いながら、雛は真っ赤になって反論する。



「だいたい、サトリちゃんがあんな女狐にぼーっとなってるからわたしがこんな格好してるんじゃないの!」


「女狐て……昨日も言ったろ? 俺は別にあれを好きなわけじゃないし、狐面あれが好きなわけじゃない」


「ほんとに?」


「ああ」



 言いながら、つい猫にするように、頭をなでてしまう。



「ふぇ? あ、わ、わたし、やっぱりこの猫耳ずっとしてる!」


「それは絶対止めとけ」



 とんでもないことを主張しだした雛を、俺は冷静に止めた。







 どたばたの後。

 食事をとってから、白沢家別宅を出た。

“禊の儀”も七日目、最終日。向かう先はおく黒沼家。

 黒装束に狐面の少女。あの黒沼繭の、おそらくは領域だ。


 空は、朝からうす暗い。

 灰色の雲は低く、いまにも降ってきそうな曇り空。

 中でも奥の居。化粧町の奥座敷になる、三方を山に囲まれた沼沢地は、それ自体が光を拒んでいるのだろうか。ひときわ暗く感じる。


 いちど舗装ほそう道路まで出て、御山おやまを左手に見ながら南へ。

 未舗装に変わった道をまっすぐ南に進んでいくと、奥の居の入り口が見えてきた。


 泥の湖。

 そんな表現がふさわしいだろうか。

 蓮の葉がまばらに浮いた泥沼のあちこちに、緑の陸地が、まるで島のごとく浮いている。

 島を渡すように、丸太を何本か並べただけの粗末な橋が据えられており、それが沼沢地の向こう側へと続いている。


 その半ばに、人の姿がある。

 女だ。装いは、雛や俺とは対照的な黒装束。

 顔は見えない。目深に差した赤い塗り傘が、その顔を覆い隠している。だが。



 ――黒沼、繭。



 こちらに歩みくる姿を見ながら、確信する。

 身にまとう雰囲気は、間違いなく彼女のものだ。


 ちらと横を見ると、雛は足を止めている。

 彼女が沼沢地しょうたくちを渡り、こちらに来るのを待っているのだろう。

 ほどなくして、少女が目の前に姿を現した。その顔は、やはり狐面で覆われている。

 白沢だけではなく、この奥の居においても狐面を外さないのには、なにか理由があるのか。

 ひょっとして、少女が狐面で現れたのは、白沢家をはばかったからではなく、外の人間である俺に関係しているのかもしれない。



御当主ごとうしゅ


御伽人おとぎにん



 白沢雛と黒沼繭。

 ふたりの少女は対峙し、瓜二つの声をたがいに掛ける。



「“禊の儀”。男。青峰佐鳥。御伽人、白沢の雛。ななつ。泥仏様どろぼとけさまに参らせ給わん」


「“禊の儀”ななつ。泥仏様。黒沼家当主、黒沼繭。当主立会いの下、青峰佐鳥の参拝を許す」



 息がつまった。


 彼女は言った。

 黒沼家当主、黒沼繭、と。

 それはつまり、黒沼の叔父がすでに亡いということ。

 亡き叔父に代わり、彼女は黒沼家当主の座に収まった。



 ――どうやって?



 ふいによぎった思考に、背筋が冷える。


 普通に考えれば親子相続だ。

 しかし、俺は知っている。黒沼の叔父に、子はない。

 だったら、養子か。それとも……なり代わったとでもいうのか。

 藤原の姫と、化物の娘。彼女が語った、あの不気味なおとぎ話のように。


 考えていると、雛が俺の袖を引いた。



「サトリちゃん。わたしはここまでだから、気をつけてね」


「え?」



 言葉の意味がとっさにわからず、聞き返す。



「奥の居は黒沼家の領域なの。だから白沢家の人間は、たとえ御伽人でも入れないの」



 雛が理由を説明した。

 そういえば、黒沼繭は言った。

「当主立会いの下、青峰佐鳥の参拝を許す」と。

 それは雛に代わって彼女が儀式に立ちあう、ということだったのだ。


 この少女と、ふたりきりで。

 想像するだけで、寒気がする。

 だが、行かないわけにはいかない。



「では、ついて参られよ」



 そっと、黒沼繭が手を差し出して来る。

 白い手だ。思いながら、手を伸ばしかけて、ためらう。

 少女の手が、この世ではない異様の世界に引き寄せる誘いの手に見えた。


 横で、雛がうなずいた。

 すこしねたような顔だったが、それで踏ん切りがついた。

 たとえ向こうでなにがあっても、雛はここで待っていてくれる。それを確信できた。


 少女の手を握る。

 白く、冷たい手。暗い沼沢地の中で、それは冷めた光を放っているように見えた。







 沼沢地は長々と続く。

 目の前で、朱塗りの傘が揺れている。

 黒沼繭は無言のまま、滑るように丸太橋の上を歩いていく。

 彼女に手を引かれたまま、二十分も歩いただろうか。ようやくにして沼沢地を越えた。


 山に囲まれた、小さな平地。一面の田畑、まばらな民家。

 沼地を過ぎれば、見える情景は化粧町の、他の地域と変わりない。


 まれに出会う人たちも、同じ。

 黒沼繭に会釈をし、俺を居ないもののように扱う。



 ――けがれ、か。



 ふと思う。

 穢れとは、なんだろう。

 化粧町は清浄で、外の世界は汚れている。

 だから、話さない。だから、触れない。だから、認めない。


 たとえそれが真実だったとしても。

 あるいは、隠された深刻な理由があったとしても。

 この、ある種選民的な穢れ思想こそが、化粧町を閉ざしている、この小さな世界を形成している、原因だ。


 空は、ますます暗くなる。

 未舗装の道は、奥の山へとまっすぐに続いている。

 さらに数十分も歩いただろうか。一軒の大きな屋敷が見えてきた。

 三段がさねの石垣の上に建てられた屋敷のつくりは、白沢本家のそれと相似形。


 ただ、違う点があるとすれば。

 山崖を背にした屋敷一帯が、黒い沼で覆われていること。



「これが……黒沼家」


「やっと、口を開いてくれたね。佐鳥ちゃん」



 静かに、黒沼繭が口を開いた。



「ええ。これが黒沼本家。といっても、わたしのほかには、使用人が何人かいるだけだけれど」


「お前は、何者なんだ」


「その答えは、儀式を済ませてからにしよう? もっとも、あなたが儀式をちゃんと終えたいなら、だけど」


「ここまで来たんだ、逃げないさ。儀式からは、な」



 話しながら、屋敷の裏手に回る。

 黒沼は、山崖の際まで続いている。

 奥の居入口の沼沢地でみたように、丸太橋がかかっていて、崖の中にぽっかりと口を開けた洞窟に続いている。


 手を引いていた狐面の少女が振り返り、言った。



「――では、案内あない致しましょう。泥仏様の元へ」







 洞窟の中は異様だった。

 ロウソクに照らされた狭い横穴。

 地面を浸す泥の上、渡された板橋の上を歩いていくと、開けた空間に出た。


 そこにあったのは、木造のいおり

 見るからに年代を重ねた、古い庵の戸は開かれていて、奥には陶製の仏像が見えた。


 少女に誘われるまま中に入って、絶句した。

 仏像の膝元から、庵の両脇、そして側壁にしつらえられた棚に至るまで、ずらり。

 古いものから新しいものまで。数千にも及ぼうかという膨大な数の泥人形が並んでおり、それが庵の中を異境に変えていた。



「これぞ、黒沼家泥仏様。白沢家影仏様と対を為す秘仏にして、化粧町を化粧町たらしめている、かなめ



 絶句していると、少女が淡々と説明する。

 黒沼の泥で作った泥人形に、おのれの名を記した木札を埋め込み、仏さまの元へ納める。

 泥の仏。穢れを祓い吸い取り肩代わりする、もう一人の自分。つまり泥仏様は、一種のかたしろ・・・・なのだろう。



 ――なるほど、化粧町を化粧町たらしめている要、ね。



 穢れ思想が作る、化粧町という狭い世界。

 これはその象徴ともいえるものだ。



「……どうする? 儀式を止めるなら、これは最後のチャンスだよ?」



 黒沼繭は、相変わらず俺を惑わせる。

 だが、いまさらだ。



「続けるさ。それが真実にたどり着く手段ならな」



 少女の指示のもと、俺は“禊の儀”最後の神域での儀式を、無事済ませた。

 儀式は終わった。しかし、それはまだ、始まりに過ぎなかった。







 帰り道を、また二人で歩く。

 俺はふたたび、問いかける。



「儀式は終わった。教えてくれるよな? お前が何者なのか」


「ええ。儀式が終わったのなら、話さない理由はないし」



 言ってから、しばし無言。

 やがて少女はぽつりと口を開いた。



「わたしの名前は黒沼繭。黒沼家の当主。ただ、三年前に亡くなった先代様とは、直接血のつながりはない」


「ちらっと聞いた。先代と叔母さんの間に子供はいなかったって」



 すこし不審げに首を傾けてから、少女は頷く。



「だから先代様は、最も血の近い縁者から、娘を貰いうけて養子にした。その縁者の名は――白沢義盛しらさわよしもり



 思わず息をのんだ。

 伯父、白沢義盛の娘、ということは。

 俺の心を読んだように、少女はうなずいた。



「そう。わたしの旧姓は白沢――つまりわたしは」


「雛の……姉、か」



 妹だよ、と狐面の少女は訂正した。

 事実を聞いて、俺はすこしほっとした。

 人か、化物か。判然としなかった彼女が、たしかに血縁だとわかったからだろう。


 それにしても、妹だという彼女より、雛のほうが精神的によほど幼いように感じる。

 まあそこは、黒沼繭が早くに当主を継いで、苦労してきたからなのだろうが。



「なんで“帰れ”なんてメッセージを? ご丁寧に石にくくりつけて。一度なんて死にかけたぞ?」



 つぎの疑問を口にする。

“帰れ”。二度にわたって送られたこのメッセージも、彼女を分からなくしている要因だ。


 だが、俺の問いかけに、彼女はなんのことか分からない、という風に首を傾けた。



「帰れ」



 反芻してから、少女は思い当たったのか、うなずいた。



「あれはわたしじゃない。たぶん赤谷仁の仕業。別宅に放り込んであった手紙は見たけど、仁の筆跡ひっせきだった……でも、死にかけた?」


「でっかい石を西入り谷の崖の上から落とされた」



 初耳だったのだろう。

 狐面に隠されてわからないが、少女は驚いたようだった。



「ごめんなさい。許してあげて」


「なんでお前が謝るんだ」



 ぺこりと頭を下げた少女に、理由を問う。



許嫁いいなずけだから」



 もっとも、仁は雛のほうがいいみたいだけど。

 少女はそう、付け加えた。


 それで、はっきりした。

 ちぐはぐに見えた黒沼繭の行動。

 その、別の軸と見えた一連のメッセージは、別人のものだったのだ。

 理由も単純。仁少年は雛のことが好きで、だから俺のことが気に入らなかった。

 別宅に投げ込まれた石の文も、西入り谷の崖から落とされた石も、仁少年の、ホウジ神社での妨害の延長線上にあった事件なのだ。


 見えなかった黒沼繭という少女が見えてくる。

 俺は彼女に対する最後の疑問を口にした。



「なぜ、なぞなぞを?」


「言ったでしょう? 選んで欲しかったから。でも、もう意味がない謎かけかな」



 この件に関しては、少女はそれ以上説明しようとしなかった。


 雨が、ついに降ってきた。

 いつのまにか、奥の居の入り口。

 あの広い沼沢地まで来てしまっている。


 沼の向こうには、じっと立って待つ少女の姿が見える。

 足を滑らさないよう気をつけながら、雛がこれ以上濡れないよう、急ぐ。


 白装束と黒装束。

 二人の少女は再び対峙する。



「黒沼家当主、黒沼繭。儀式の無事を認める」


「御伽人、白沢の雛。承った」



 雨が降っている。

 その中で、雛は俺に向き直った。

 目が、爛々と輝いている。口元が喜びに歪んでいる。

 抑えきれない歓喜を漏らしながら、雛は俺に対して告げた。



「よくできたね、サトリちゃん。これでもう――逃げられないよ(・・・・・・・)」



 意味が、わからない。

 分からないまま、呆然としたまま。雛を見返す。


 とたんに雛は、狂喜を爆発させた。



「あははははははははははははははははははははは……」



 雛は狂ったように笑う。

 狂ったように哂いつづける。

 この瞬間。俺の中の化粧町は、音を立てて……崩れ落ちた。







“禊の儀”っていうのはね、佐鳥ちゃん。

 たしかに穢れを祓うっていう意味合いもある。

 だけど、化粧町の外で生まれた人間がこれを行うってことには、特別な意味があるの。


 その人間を、化粧町の人間として迎え入れる。

 条件は、たったひとつ。伴侶が化粧町の人間であること。

 そういうケースでは、たいてい伴侶が御伽人になる。今回みたいにね。


 ……耳に入ってないか。

 じゃあね、佐鳥ちゃん。やっぱり「よろしくね」だったね。




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