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第捌話 崖様


第捌話 崖様



「化物はいるか?」



 と問われれば、わからない、と答えるほかない。


 見たことがないものはわからない。

 わからないものは判断しようがない。

 判断しようのないものを、俺は常識だけで否定したくない。


 それでも。

 強いて言うなら、俺は化物の存在に肯定的ではなかった。

 なぜなら、俺がいままで見聞してきたものの延長線上に、化物の実在を示唆しさするものはなかったからだ。



 ――そう、つい先日までは。



 現在は――揺れている。

 ひょっとして、化物はいたかもしれない、と思い始めている。

 何故なら。真に迫ってその存在について語る人間に、出会ってしまったから。


 黒沼繭くろぬままゆ

 化粧町奥の居黒沼家の娘。

 彼女の語る、不気味で奇妙な化粧町の縁起えんぎ



 ――化粧町は、かつて化物の住処すみかだった。



 ――白沢家と黒沼家は、化生の血が入った家系だ。



 事実を証明する手段は一切ない。だが。

 化生を封じたという、ホウジ稲荷。そしてホウジ稲荷を取り囲むように配置された神域。

 その厳重さ、周到さ。費やされた労力と込められた執念。少なくとも、当時の人間は、化物の存在を信じていたに違いない。それも極めて深刻な実感と持って。


 自然、思い返す。

 ホウジ稲荷で感じた視線を。

 脳の端をよぎるだけで寒気を覚える、あの体験。

 たとえ心の中で描いた化物を恐れているだけだとしても。

 心の中にそれを描かせた、ふるい狂気の産物は……化物と呼んで、差し支えないのではないだろうか?



 ――それすらも、真実とは限らないけどね。



 頭の中で黒沼繭――狐面の少女がささやく。

 仮面の奥にどんな顔が隠されているのか。わからない。


 だけど、俺はあの狐面の奥に、雛の顔を見てしまっている。

 藤原の姫と入れ替わった化生のように、何の気なしに雛の姿で現れる。そんな姿を、思い描いてしまっている。


 俺にとっては、黒沼繭こそが化物だった。







みそぎ”六日目。

 心中の迷いを映したように、この日は朝からくもりだった。



「今日は涼しくていいね」



 出発の折、雛はそう言って笑った。

 たしかに、その通りだ。思えば化粧町に来てから晴れの日ばかりだった。

 そのせいで、“禊の儀”のあいだ中、炎天下での化粧町巡りを強いられていた。曇り空は、言われてみれば、むしろありがたい。



「そうだな。じゃあ行くか」


「うん。でもサトリちゃん、ほんとに大丈夫? しんどいのなら、もうちょっと休んでからでもいいよ?」



 病み上がりを心配したのだろう。

 雛が朝から何度目かの提案をしてきた。



「大丈夫だよ。さっきも言ったろ? もう風邪の気は消えちゃったし、かえって調子がいいくらいだって」


「むー。サトリちゃん。無理しないでよ?」



 すこし膨れて、雛が言う。



「大丈夫だよ」



 笑顔で答えて、曇り空の化粧町へと歩き出す。

 向かう先は、北西。龍神川が西に折れ、山間の谷を通って化粧町から出て行く、その間境。


 西入り谷。そう呼ばれる土地だ。



「あと、どうだろう。一時間くらいかな」



 遠くに見える山間やまあいの谷を見ながら、つぶやく。

 川上原の民家や田んぼを、うように進むこと一時間。ようやく龍神川りゅうじんがわが見えてきたところだ。


 よほど大きいのだろう。

 西入り谷の切り立った岩肌の崖は、こんな遠くからでも視界に入る。



崖様がけさまってのは、あの崖のことか?」


「そうだけど、そうじゃないの」



 雛は、よくわからないことを言う。

 首をひねっていると、彼女は言葉を探しつつ、説明を始めた。



「よく見て? 崖の中腹に、仏さまが彫られてるの、分かる?」


「ん? んー……言われてみれば、そう見えるな」



 雛が指をさした先には、たしかに仏像と思しき影があった。

 崖に仏像を彫る、いわゆる磨崖仏まがいぶつだ。崖の見えている部分がおよそ50メートルだとすれば、磨崖仏の大きさは15メートルほどか。



「あれが、西入り谷の崖様。西入り谷の岩崖に掘られた、仏さまなの」


「……すごいな。どうやって掘ったんだろう」


「わかってないの。しかも……まあ、近づいてくと、わかるかな? サトリちゃん。崖様の姿、気にしてみて」



 雛の言葉を聞いても、しばらくは理由が分からなかった。

 気づいたのは、龍神川を越え、川下原から西入り谷に入る直前になってから。

 すでに見上げるほどに近づいた崖様は、その視線をずっと俺に投げかけ続けている。



「気づいた? 崖様はね、村のどの位置にいても、こっちを見ているの」


「ほんとに不思議だな……タネとかどうなってるんだろ」


「また。タネとか言わない」



 雛の説明に首をひねっていると、叱られた。

 叱られながら、考える。化粧町のどこからみても、こっちを見ているのなら。

 ホウジ稲荷を見張り続けることも、さらにはホウジ稲荷に封じられた化生がどこに逃げても、その姿をとらえ続けられるはずだ、と。






 西入り谷に差し掛かると、川土手が緩やかに広がっていく。

 それが西入り谷にぶつかるまで続いていて、この川土手に囲まれた土地とその周辺が、地名としての西入り谷になる。


 その、入り口。

 川土手を登る木造りの階段、その下に、御当人の老人が立っていた。



「“禊の儀”。男。青峰佐鳥。御伽人おとぎにん、白沢の雛。むっつ。西入り谷の崖様に参らせ給わん」


「“禊の儀”むっつぅ。西入り谷。御当人ごとうにん武藤為助むとうためすけ。承ったぁ」



 谷に入る手前のところで白衣姿の御当人と挨拶を交わしてから、階段を登って行く。


 そして、俺は絶句した。

 目の前に広がったのは、龍神川と、それを囲う広い河原。

 無数に転がっている石は、まるで敷き詰められたかのよう。


 さい河原かわら

 そんな言葉を連想する、光景。

 それは化粧町に来る時、バスの中でみた、夢の中の場所。



「ここは……」


「ここが、西入り谷。崖様とともに龍神川を見送る場所だよ」



 雛の説明をうわのそらで聞きながら、川原に降りる階段に足をかける。



「崖の手前、崖様の足元に、石が積んであるでしょ? あそこだから」



 ついて来ながら雛が説明する。

 見れば、川原の片隅に、ゴザのようなものが敷かれている。

 その四隅に、石が塔のごとく積まれている。まるで、賽の河原のように。

 中央には台があり、風よけに巻かれた和紙の中で、蝋燭ろうそくの炎が揺れている。


 そこに立ち、真上の崖様を眺めながら、拝む。

 頭上の崖からは、崖様がこちらを見下ろしている。


 間近で見て、仕掛けが分かった。

 眼窩がんかが、えぐれたように掘りこまれている。

 その中で、瞳の部分だけが白く球状に残されていた。

 これなら、どの方向から見ても、目玉がこちらを向いているように見える。


 だが、そんなことは二の次だった。

 ひたすらに、この場所が気にかかる。

 儀式を済ませてから、俺は河原を先に進んだ。


 両側を崖に挟まれた暗がり。

 賽の河原は奥までずっと続いている。



 ――間違いない。



 心の中でつぶやく。

 いつのまにか早足になっている。

 勘違いではない。感覚が覚えている。

 もう少し進めば、夢の中で雛が居た場所に着くはずだ。



「ちょっと、サトリちゃん、待って!」



 雛の制止も耳に入らない。


 走って。

 走って。

 目的の場所が見えた。刹那。



 ――死。



 猛烈な悪寒。

 本能の訴えに全力で従い足を止める。


 その瞬間。

 鼻先を黒い何かが横切った。


 直後、足元の小石がはじける。

 驚き見れば、そこには大きな石。

 握りこぶしより大きいそれが、頭上から落ちてきたのだ。

 足を止めなければ、石は頭を直撃し――おそらく俺は死んでいた。



「サトリちゃん!?」



 悲鳴を上げる雛を尻目に、ひやりとして頭上を見上げる。

 暗い谷からのぞく空は、曇りのために白い。


 だが。

 その中に。

 一瞬だけ、見えた。

 黒い影が、こちらをのぞきこんでいたのを。



 ――自然の落石じゃない……落としたんだ。誰かが。



 ぞっとして、石を拾い上げ、見た。

 よりおぞましいものが、俺の背筋を這い抜ける。

 石には、見覚えのある筆跡で、こう書かれていた。



 ――帰れ。



 黒沼繭。彼女が残した文と、同じ筆跡ひっせき

 ということは。俺を殺そうとしたのは、彼女に他ならない。



「サトリちゃん、大丈夫!?」



 雛が駆け寄ってくる。

 俺はとっさに石を川の中に放り投げた。

 なぜ、そんなことをしたのかは、自分でもわからない。

 強いて言うなら、落石の犯人と狐面の少女を、即座にイコールで結んでしまうのに、違和感を覚えたからか。



「大丈夫だ。びっくりしたけど、怪我はない」


「ほんとにだよ。この辺り、危ないんだから、気をつけないと。というか、川の中に石を放り込んじゃ駄目だよ」


「ごめんごめん」



 謝りながら、あらためて辺りを見回す。

 ちょうどここは夢の中で雛と出会った場所だ。


 あまりにも見覚えがありすぎて、思う。

 ひょっとして、俺は小さい頃、本当にこの場所に来たことがあるんじゃないかと。



「雛、俺、昔ここに来たことってあるか?」


「ないと思うよ? わたしもサトリちゃんとこっちに来た覚え、ないし」



 雛は否定した。


 だが、やはり、似すぎている。

 記憶の中の光景と、あまりにも重なりすぎる。

 もし、あれが実在する別の場所だというのなら、それはどこなのか。

 あのとき出会った少女は、雛でない別人だと言うのか。考えるだに、うそ寒いものを覚える。


 ぞっとする感覚を引きずって、俺は西入り谷を出た。

 帰りに御当人の老人が、雛に話しかけてきて、しばらく足を止めることになった。

 だいぶよいよい・・・・で、記憶が定かでないようだが、俺のことも知っているらしかった。まあ、例によって俺自身は幽霊扱いだったが。



「しかしぃ、白沢のお嬢ちゃんも大きくなったもんじゃ。先代さまも満足じゃろ……まあ、娘さんのほうに子が無かったのだけはぁ、心残りぃじゃったろうが」



 ――は?



 老人の一言が、思考を凍らせた。


 白沢の祖父に娘は一人しかいない。

 黒沼家に嫁いだ、伯父と父の妹。それが、子供を産まなかった?


 なら、黒沼繭。そう名乗ったあの少女は……誰だ。


 寒気が、収まらない。

 彼女ははたして、人か、化物か。

 それすらも、わからなくなってしまった。







 龍神川を川沿いにさかのぼり、上川原のバス停まで帰ったところで、ちょうど昼になった。

 バス停のそばには、木造りの、簡単な待合所がある。そこで弁当を広げて、昼食を取った。


 それから、家に帰ってしばらく休憩。

 縁側で鬱陶しい空を見ながら、考える。

 頭の中に渦巻いているのは、黒沼繭のことばかりだ。


 はたして彼女は何者か。

 そもそも人間なのか。あるいは黒沼繭に化けた、ナニモノカか。

 なぜ、“禊の儀”の妨害をするのか。なぜ、いろいろな謎かけを俺に問い続けてきたのか。


 わからないまま、謎が頭の中に渦巻いている。



「サトリちゃん、大丈夫? ぼーっとしちゃって」



 雛に心配されながら、夜になって布団に包ってからも、ずっと彼女のことを考えていた。

 そのせいで、だろうか。それとも無意識に彼女を避けてしまったのか。いつのまにか俺は寝てしまっていた。


 深夜になって目を覚まし、はっと気づいて、あわてて縁側へ向かおうとした、その時。

 外から声が聞こえてきた。



「なにをしに来たの?」


「なんだと思う?」



 雛の声だ。相手は狐面の少女、黒沼繭。

 ふたりに見つからないよう、注意深く縁側をのぞく。

 曇り空は、まだ続いているらしい。漆黒の闇の中、黒装束と白装束、相似形の少女が、縁側の上と下で相対している。


 その姿を見ていると、思い出す。

 藤原の姫と、入れ替わった化物の娘の話を。

 不吉な予感に駆られながら、ふたりの様子をうかがいつづける。



「……出てって。わたしの場所に入り込まないでよ」


「つれないね」



 仮面の奥から苦笑がこぼれた。



「邪魔するつもりはないよ……いまさら、雛になるつもりなんてないから」



 彼女がさらりと口にした言葉に、ぞっとする。

 雛になる。彼女はたしかにそう言った。

 おとぎ話の中の、化物の娘のように。


 考えるうち、雛が口を開く。



「だったら、なんでここに?」


「懐かしかった。ただ、それだけ……それも、許せないの? あなたが?」


「っ、いいから出て行って!」



 くすり、と、鼻で笑った気配。

 そして彼女は言った。



「じゃあ、またね。佐鳥ちゃんも・・・・・・



 いきなり声をかけられ、心臓が跳ね上がる。



「……サトリちゃん?」


「……悪い。さっきから居た」



 雛に言葉を向けられ、おずおずと縁側に出て行く。

 俺の方に視線をやってから、雛は狐面の少女ににらむような視線を向けた。



「あなた、気づいて」


「あれ? ここは感謝してもらうとこだと思ったのに……まあ、今晩はおいとましましょうか。またね、佐鳥ちゃん。いや、よろしくね、かな?」



 そう言って、静かに。

 狐面の少女は闇の奥に姿を消した。

 頭の中に渦巻く謎をすべてぶつけたかったが、そんな暇もなかった。

 彼女の幻影を追うように、俺は暗闇を見続ける。その隣で、なぜか雛がじっと眼を眇めている。



「サトリちゃん」


「ああ。すまない。盗み聞きするつもりはなかったんだが」


「サトリちゃんのあれ・・を見る目、ちょっとおかしかった」



 すこし、不機嫌な様子。

 しかし、その理由は明後日向きだった。



「ひょっとして、ああいうのがいいの?」


「なにがだ?」



 意図を理解できず、問い返す。



「だから、ああいう、ケモノっぽい感じとかが、好きなの!?」


「……いや、なにを言ってるんだお前」


「わたしも、その、お面とか付けて、にゃーとか言ったほうがいい?」


「見てみたいし言って欲しいが、話が違う。なんで俺はこんな質問受けてるんだ!?」


「だって、サトリちゃんあいつのこと、いやらしい目で見てたもん! なんかわたしの時と違うっ!」



 脳が理解を拒絶するような超理論だった。

 もちろん事実ではない。だから、とりあえず正直に説明する。



「いや、いやらしい目では見てない。どっちかというと得体の知れないものを見る目だ」


「……ほんとに?」


「なんで疑わしげなんだよ。というか、お面かぶった女が好きとかどんな特殊性癖だよ。俺の性癖はそこまで特殊じゃない」



 なぜ俺がこんな弁解をする羽目になっているのかは不明だ。

 しかし一連の会話を、なぜか斜めからひねるように受けて。


 翌朝、雛は猫耳姿で現れたのだった。




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