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第漆話 ホウジ稲荷


第漆話 ホウジ稲荷



 世界が崩壊した。

 そう感じたことが、俺にはある。

 中一の秋口あきぐち。両親を交通事故で失った時がそれだ。

 父がいて、母がいる。それが当たり前だった俺の世界は、足元から崩れ落ちた。


 泣かなかった。

 泣けなかった、と言った方が正しい。

 これから、どうすればいいのか。なにをすればいいのか。

 なにもかも分からず、しかし自分の力で動かないと、これからは生きていけない。

 そんな、たしかな実感と、容赦ようしゃなく襲ってくる現実の予感が、俺に泣く機会を与えなかった。


 そんな絶望の最中さなか、俺はあの人に出会った。



「――よう、坊主ぼうず。しょぼくれた顔してんな」



 火の気の消えた我が家に、熱の篭もった声を響き渡らせた老人。

 仙人になり損ねたようなゴマ塩のひげに、ぎょろりとした丸い眼。ハーフパンツにアロハシャツ姿の、母方の祖父。青峰晴峰あおみねせいほうだった。



「……青峰のじいちゃん」



 俺の声は、控えめに言っても、死人のようだったろう。

 祖父は俺の様子を見ると、目を伏せて独白する。



「まったく。こんなガキ残して逝きやがってよ。早すぎるぜ」



 それから、祖父は再び俺に目を向けて、問いかけてきた。



「――坊主、これからどうしたい?」


「どう、って?」


「どう生きたいかってことだよ。ひよっこ」



 それは、壊れた世界の中でひざを抱えていた俺には、遠すぎる質問だった。

 子供らしく、夢のような将来図を描いていたはずなのに、大切なものを失って、それが分からなくなっていた。



「わからない」



 俺が正直に答えると、祖父は困ったように頭を掻いた。



「おいおい、しっかりしろよ。わしがお前くらいの年には、自分てめえの生き方なんぞとっくに決めてたぜ? 玉峰ぎょくほう先生――あー、画家のな、偉い先生んとこに押しかけて、無理やり弟子やってた時分じぶんだ。お前はどうなんだ。これから、オイ、どうしたい?」


「わからない」



 自分がひどく情けない人間に思えて、うつむく。

 そんな俺に、祖父は面倒くさそうにため息をつくと、言った。



「なら、仕方ねえ。自分で飛べるようになるまで、おい、じじいが面倒見てやる……お前ぇに飛び方を教えてやるよ。佐鳥」



 祖父はそう言って手を差し伸べてくる。

 その時俺は体が浮きあがるような、不思議な感覚を覚えた。


 それから、日本各地を歩いて回る祖父の背を見て育った。

 壊れた世界の向こうには、とてつもなく広い世界があることを、教えられた。


 俺の高校卒業を待ちかねたように、祖父は世界へと旅立った。

 世界をめぐって、気に入った風景を描いて回る。画家である青峰晴峰の、それは夢だったらしい。


 俺も、世界が見たい。

 もっと広い世界の中で、いろんな人と出会いたい。

 いまなら、祖父に胸を張って言える。それが、俺の。青峰佐鳥の飛び方だと。



「――でも、だめだよ? サトリちゃん」



 ふいに、雛の声が思考に割って入った。

 同時に、ふわりと、後ろから腕が回される。

 白魚のような手は、万力の強さで体を締めつけてくる。



「雛」


「サトリちゃんはね、ずっとこの化粧町に居るの。そう決まってるの。だって、結局……サトリちゃんも、化粧町に囚われた駕籠かごの中の鳥なんだから。でも、いいよね? わたしのこと、好きだと思ってくれてるんだから」


「雛、俺は」


「――世界をめぐる。出来るの? そんな恰好で」



 言い返そうとして、正面から、また別の声。

 目の前には、いつのまにか狐面の少女が立っている。



「手を見てごらん。そんな手で、顔を見てごらん。そんな顔で、あなたは化粧町以外で生きていけるの?」



 ぞっとして、視線を落とす。

 腕が、いつのまにか毛むくじゃらになっている。

 毛深いとか言うレベルじゃない。これではまるで猿。


 脂汗を流しながら、狐面の少女に視線を戻す。

 狐面の少女は、いつの間にか、大きな鏡を目に前にかざしている。



 ――見るな!



 とっさに目をそむけるが、遅い。

 俺の目は、しっかりと映していた。鏡に中に居る狒狒のような、猿のような怪物のかおを。



「――うわああああっ!!」



 絶叫とともに目を覚ました。

 夢だった。気づいて胸をなでおろす。

 肌着は、寝汗でびっしょりと濡れていた。



 ――なにが本物なの?



 昨夜の、狐面の少女の言葉。

 あれが決定的に夢見を悪くした。


 雛に言われて当たり前に思っていたこと。

 化粧町のすべてに疑問を投げかけられたせいで、なかなか眠りにつけなかった。


 からかわれてるんだ。

 あいつの言うことは、みんなでたらめだ。化物なんて実在するはずがない。

 そう思えれば楽なのだが、彼女の言葉を笑い捨てにできるほど、俺はこの町について知らない。



 ――明日参るホウジ稲荷さま。そこで、自分で感じてくるといいよ。



 結局、自分の目で確かめるのしかないのだ。

 しかし、それもあの小石に巻きつけられていた手紙のせいで、迷う。



 ――帰れ。



 それは、化粧町に来た時に見た夢。

 川原で出会った幼い雛の言葉を、思い出させた。



 ――もうかえりなさい。ここは、こわいところよ。



「サトリちゃん、いったいどうしたの!?」



 悲鳴を聞きつけたのだろう。

 雛があわてた様子で駆けつけてきた。

 手に包丁を持って。


 冷静に考えれば料理の途中だったのだろうが、夢見が夢見だ。

 不覚にも、俺は情けない悲鳴を上げてしまった。







みそぎ”五日目。

 この日は雛の様子が朝からおかしかった。

 気もそぞろに彼方のほうを見ているかと思えば、ときどき脈絡もなくにやにやと笑う。



「……雛?」


「ふぇ? なに、サトリちゃん。そんなのまだ早いよぅ……」


「お前は何を言ってるんだ……」


「え……あ、いや、違うの! 別に変な事とか考えてたんじゃないの! Hな子じゃないです!」



 なんでこいつは、こんなに平和なんだろう。

 自分が疑問を抱いてること自体、馬鹿らしくなってしまう。

 まあ、かわいいからいいが。というか、どんな妄想をしているんだこやつめ。


 いじりたくなるが、自制。

 気を抜くと蕩けたようになる雛に声をかけながら、儀式の場所へ向けて出発した。



「ホウジ稲荷様は、七か所の中でも、特別なの」



 道すがら、雛をうながし、ホウジ稲荷について説明してもらう。

 話題が話題だからだろう。さすがに緊張した様子で、蕩ける気配はない。



「話したでしょ? 化粧町の縁起。平忠兼たいらのただかねさまの化物退治。その最後の舞台になったのが、ホウジ稲荷さまのある土地なの」



 雛は説明する。


 化生谷に訪れた平忠兼は、まず化物の眷族けんぞく相対あいたいした。

 狒狒ひひ猩猩しょうじょうの類だという化物は、忠兼と数合も打ちあうと、逃げだした。

 忠兼らは追った。しかしその先には、眷族たちが群れをなして待ちかまえていた。

 数名の郎党を失いながら、忠兼は勇戦し眷族を退ける。さらに奥へと進むと、ひとりの女が忠兼の元を訪れた。


 女は攫われた藤原の姫の侍女で、贄場にえばから逃げ出してきたのだという。

 贄場はいまで言う二江のこと。二江は贄。いわれを考えれば、ぞっとする名だ。


 女は言った。



「次に月の満ちる夜を待って、化物は姫を喰らうつもりです。なれば、わたしが姫に扮します。あなた方は声高に叫んでください。まことの姫はすでに贄場より逃れてここにありと。化物は風伝いにそれを知ります。そうすれば、あわてて追い来ることでしょう。わたしに気を取られているうちに、化物を討ってください」



 そのようにすると、はたして化物は現れた。

 そして四方に伏せた兵とともに、忠兼は姫に気を取られた化物を、不意討ちに退治したのだ。

 しかし、忠兼がふと気付くと、侍女の姿は消えていた。助け出した姫君も、そんな侍女は知らないという。女は神の使いであったらしい。


 化物のむくろは埋められ、塚が建てられたのだが、それが夜な夜な呪いの言葉を吐いた。

 恐れた忠兼の夢枕に、あの侍女が立って教えた。化物の死した土地の上に稲荷神を祀る社を建てなさい。言葉通り社を建てて祀ると、怪異はぴたりと治まった。

 侍女は稲荷神かその使いだったのだろう。


 これがホウジ稲荷の縁起だ。


 話を聞いて、ぞっとした。

 化生に、ではない。神の使いが人に化ける、その状況が、姫と化生の入れ替わりを連想させるというのもある。


 だが、俺の背筋を凍らせたのは、奇妙な符合。

 稲荷の使いといえば、狐だ。黒沼繭の被っていたのも、狐面。はたしてこれは、偶然か。


 もし、彼女が意図して狐面を被っているのだとしたら。

 平忠兼の化生退治になぞらえているというのなら。

 はたして、化生は誰なのか。







 御山と右手に見ながら、土道を西へ行くと、森が見えてくる。

 ホウジ稲荷のある森だ。朝から曇り空で、余計にそう思えるのだろうか。昼だというのに、森の一帯は異様に暗い。


 森の手前には、御当人が立っている。



「“禊の儀”。男。青峰佐鳥。御伽人おとぎにん、白沢の雛。いつつ。ホウジ稲荷に参らせ給わん」


「“禊の儀”いつつ。ホウジ稲荷。御当人ごとうにん二江希彦にえまれひこ。承った」



 御当人の老人は、心なしか怯えているように見える。

 しかし、その怯えは正しいのだと、森の中に入ってすぐに気づかされた。


 見た瞬間、ぞっとした。

 檻のように立ち並ぶ無数の鳥居。

 犬の姿をした狛犬こまいぬが、社を向いて立っている。


 稲荷神を祀って化物を鎮めた、などという穏やかな状態ではない。

 これではまるきり封印だ。それを証明するように、社の周りにはしめ縄が張り巡らされていて、それ以上入ることができなくなっている。


 ここに、化生谷の化物が眠っている。

 少なくとも、この化粧町の人間が本気でそれを信じていると思わせるに十分な光景だ。



「サトリちゃん。横に並んで、わたしの真似して拝んで」


「わかった」



 緊張した声の雛に従い、二礼二拍手一礼。

 頭を下げた、ちょうどその時。ぱちりと、乾いた音を聞いた。

 礼をしたまま、なんの気なしに社の脇に視線を向けて――怖気がした。



「おい」


「どうしたの、サト――」



 うながしたその先を見て、雛も息をのんだ。

 社の脇、奥の手。張り巡らされていたしめ縄の一部が、鋭利な刃物で切られていた。



「これは――御当人っ!!」



 一拍遅れて、雛が大声で叫ぶ。



「どうされた御伽人――これはっ!?」


「すぐにしめ縄の修繕しゅうぜんを。それから、朝からだれかここに来なかった?」


「朝がたに、子供がひとり。遠目からだったが、あれは、赤谷のとこの仁だったか」


「あの、馬鹿。イタズラじゃ済まないことを」



 赤谷仁あかだにじん

 山鐘楼で御当人をしていた少年だ。

 彼もこの化粧町の住人だ。こんな悪戯をするとも思えないが。

 深刻そうな、ふたりのやり取りを横目に、仁少年について考えながら、なんとなく、社に視線をやる。



 ――もし、この奥にナニカが封じられているなら。いま、ソレを妨げるものは……



 脳裏によぎる予感をよそに、社は変わりない。

 変わりなく、寒気と怖気の元凶になっている。

 しかし、これも気のせいだろうか。厳重に封印された社の奥から、なにものかの視線を感じたのは。







 その後、雛が御当人に二、三、言づてをして、白沢家別宅へと戻った。

 どうにも寒気が止まず、昼食を取った後、蒲団にくるまり、横になる。

 雛が水銀式の体温計を持ち出して来て、熱を計ったが、微熱があった。



「風邪のひきはじめかな?」



 心配そうに言う雛をよそに、すこし安心した。

 朝から、そしてあのホウジ稲荷で、感じていた悪寒は、ただの風邪によるものだったのだ。



「昨日、ずぶ濡れで動き回ってたしな。今朝は夢見も悪かったし、ちょっと体調崩してたのかも」


「怖い夢、見たの?」


「ああ。怖かった」



 思い出しながら答える。

 雛はそれから、氷嚢と手ぬぐいを持ってきて、つきっきりで看病してくれた。

 氷水の入った木桶きおけに手ぬぐいを浸け、冷やし続ける雛の白い手は、たちまち真っ赤になってしまった。


 見かねて、そっと雛に手を差し出す。

 握り返した雛の手は、冷たい。それをすこしでも暖めようと、俺は手を握り続け……やがてそのまま眠りに落ちた。


 夕方に目を覚ました時、寒気はすっかり治まっていた。

 寝汗が体の毒をすっかり洗い流してしまったようで、体が軽い。

 念のため、と雛が用意してくれたお粥をお代わりして、もうひと眠り。

 暗くなってから起き出し、すっかり活力を取り戻した俺は、風呂に入って寝汗を洗い流した。


 看病で疲れていた雛を寝床に送り、そして深夜。

 やはり彼女は現れた。



「見た?」



 曇り空が続いているのだろう。

 闇の中に浮かび上がる狐面が、短く問う。

 なにを、とは聞くまでもない。ホウジ稲荷のことだ。



「見た。あれが、化粧町の、そして七つの神域の核か」



 ホウジ稲荷。あえて漢字にするなら、封じほうじ稲荷とでも書くのか。

 あの場所を包囲するように、北にくらまし地蔵尊。西に水の江神社。南に山鐘楼が配置されている。崖様も、おそらくはそのためのもの。


 すなわち、ホウジ稲荷の封印を、より強めるために、化粧町七つの神域は存在する。


 俺の出した答えに、狐面の少女は、やはり是も否も口にしない。



「どうかな? あなたが得た真実が、真実とは限らない。だけどひとつ、作り話をしてみましょうか」



 ただそう言って、語り始めた。


 あるところに、娘がいた。

 化物の父と、人の母との間に生まれた娘。

 彼女の世界は、谷間の小さな化物の世界だけだった。

 だけど、彼女は恋をした。外から来た凛々(りり)しい武者に恋をした。

 だけど、武者は娘に見向きもしない。彼はただ、姫君を助けに来たのだから。

 娘は嫉妬した。父を陥れ殺す協力をし、姫君を喰らってこれになり替わった。


 そんな短い、物語。

 雛が語った、化生谷の縁起と、対を為すような。



「それは、化生谷の縁起の……真実か」


「さあ? 作り話だって言ったでしょ?」



 捕えようとすれば逃げる。

 そんな狐のように、彼女はくすりと笑って姿をくらました。

 すくなくとも、俺にとっては。彼女は稲荷神の使いと言うよりも、雛の皮をかぶった、化物の娘のようだった。



「化物なんて、いるはずが……ない」



 彼女の痕跡に、声を投げかける。

 言葉には迷いが強く、彼女の話を否定する力などない。


 化粧町の夜、闇は深い。

 暗闇に慣れたはずの目でも、その奥を見通すことは、できない。




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