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10話「恋する子犬」

 夕焼けに染まる町を青年が歩いている。パーカーにカーゴパンツという格好で、多くの大学生がそうであるように彼も髪を茶色に染め、整髪料で髪型を整えていた。

 青年は一人ではなかった。傍らに犬と小さな女の子を連れていた。女の子は小学校にあがるかどうかといった年齢で、笑うと口から覗く八重歯が印象的だ。犬は白地に褐色の斑をもつパピヨンだった。その名前の由来にもなったように、大きなリボンのような耳をしている。首輪には赤い花がくくりつけられており、歩くたびに小さく揺れていた。

 指場町の西方にある自宅から南に向かい、駅の近くを通り過ぎて、公園の中を迂回して戻ってくるのがいつもの散歩コースだった。大体帰ってくるのに三、四十分はかかる。今日もいつものコースをたどり、住宅街に足を踏み入れた時にはすでに七時をまわっていた。

「ねぇねぇ。タカくんーきょうのごはんなぁにー?」

「そうだなぁ……あっ」

 女の子が尋ねてくるのに答えかけ、青年は足を止めた。彼と同年齢であろう女性が前から歩いてくる。肩にかかった艶のある黒髪が色っぽい。青年は表情を綻ばせ、「超ラッキーじゃん」と小声で呟くと気軽な調子で彼女に声を掛けた。

 二人は簡単な挨拶を済ませると、その場で立ち話を始めた。主人が立ち止まるとパピヨンは見計らったかのように、手近の電柱に小便を引っかける。女の子は所在なさそうに青年と女性を見上げた。

 散歩の再開を催促するように青年の足に纏わりつく犬と、女の子の退屈そうな視線が通じたのか、二人の会話は五分ほどで終わった。どうやら女性は青年の家を訪れることになったらしい。踵を返す女性の背中を見る青年の表情は、まるで溶けかけたアイスのように緩んでいた。

「行くぞ、澪。おねえちゃんが夕飯作ってくれるってさ!」

「えー。やったー! みお、ハンバーグがいいなー」

 女の子は飛びあがり、二人を小走りに追う。しかし何か気になることでもあったのか、一度ちらりと背後を振り返った。その視線の先には、電柱にかけられた小便の跡があった。地面に広がる黒い染みは陰鬱さを湛え、見る者の罪悪感を掻き立てるようだった。

 そして数時間後、偶然にもその場所で交通事故が発生した。居眠り運転の自動車が電柱に突っ込んだのだが深夜だったので幸い通行人もおらず、ドライバーも軽傷で済んだ。

 ただ、衝突し合った自動車と電柱は重傷だった。その後、自動車の方は廃車となり、電柱は新しいものに取り換えられたらしい。一週間もすると事故の痕跡は綺麗さっぱりと拭いさられ、現場は事故発生前の景観を取り戻したかのように思えた。


 隣に座るライバルが悪戦苦闘しているのに見かねて、沙穂は彼の手をとった。

「違うよ。ほうきはね、この指と、この指。分かった?」

「バルバル」

 彼の指に絡まった赤い毛糸を一度解き、また一本一本掛け直してやる。広げた両掌を差し出しながら、ライバルはふんふんと頷いている。

「あやとりですか。また珍しい遊びをご存じで」

 カウンターの奥からマスターが現れる。室内にも関わらず三角帽子にロングコートといった装いのマスターは、顔の半分が巨大な牙の覗く口によって占められていた。

 沙穂は再びメアード・バーに訪れていた。最近は週に一、二回のペースで通っている。もちろんライバルに会うためだった。カウンター席だけ設けられた店内には、沙穂とライバルの他に客の姿はない。沙穂が店に入ったときは客がいても、ライバルが顔を覗かせた瞬間、まるで示し合わせたように皆、出て行ってしまうのだ。それももはや、見慣れた光景だ。沙穂としては他に誰もいない方が、ライバルとじっくり話せるので好都合なのであるが、店にとっては大打撃だろう。しかしマスターはライバルの来店に、嫌な顔をみせることはなかった。

「ライバルがやってみたいって。私もそんなに器用じゃないから、簡単なのしかできないですけど……さ、ライバル。今度は自分でやってみて。レッツ、ライバルチャレンジ!」

「ラ、ライライ!」

 解いた毛糸をライバルに渡す。彼は姿勢を正すと、真剣な表情で毛糸と向き合った。赤い瞳に挑戦の火を燃やすその横顔を、沙穂は温かい目で見守ることにする。マスターもライバルには声を掛けず、一瞥だけすると沙穂の前に立った。

「そういえば今日は、ヘルブレイダーは一緒じゃないのですね。どうも静かだと思った」

 ヘルブレイダー・メアードというのがブレザーの本名であることを知ったのは、実はごく最近だ。本人に名乗られた覚えがなかったし、呼ぶときは小犬ちゃんで通じていたので、本名を知る必要性も感じなかった。それに知ったからといって何が変わるわけでもない。

「うん。そういえば最近、すぐどっか行っちゃうんですよね。行き先も教えてくれないし」

「ふむ。しかしボディ・ガードとして失格じゃないですかね、それは」

「まぁ、小犬ちゃんには小犬ちゃんの生活があるだろうから、私はあんまり気にしてないですけど。せっかく生き返ったんだから、人生を満喫したいだろうし」

 マスターは沙穂のグラスにジュースを注ぎ足した。あやとりに熱中しているライバルのグラスにも同じように注ぐ。そして顔を上げると「お客様は、ヘルブレイダーの夢をご存じですか?」といきなり尋ねてきた。

「子犬ちゃんの?」

 沙穂は眉を寄せ、頭の中を探る。もう何か月も一緒に暮らしているが、そういえば彼の夢を聞いたことはなかった。デスメアードは夢から生まれ、夢に生きる生命体だ。毎日、目覚めてはテレビに噛り付き、今では芸人やアナウンサーの名前を沙穂以上によく知っているブレザーも何らかの夢を抱き、それに則って行動しているはずだった。

「そういえば……何なんだろ。わかんない。マスターはご存じなんですか?」

「私は他人の記憶を読む力をもっています」

 その発言が、あまりに前後の繋がりに欠けたものだったので沙穂は押し黙った。マスターは口の中にずらりと並んだ、刃物のように鋭い牙を見せる。

「とは言っても、前日より過去のことしか分かりませんがね。おっと、そう身構えないでください。勝手に覗いたりはしません。それはプライバシーの侵害になりますからね」

「つまり、マスターは子犬ちゃんの夢を知っているってことですか?」

「まぁ、知ってはいます。ただ、お客様に教えることはできませんけどね」

「それもプライバシーの侵害になるからですか?」

「その通りでございます」

 沙穂は皿に盛られたピーナッツを口に放り込んだ。彼の話を塩味と一緒に呑みこむ。

「まぁ、ヘルブレイダーと今よりも仲良くなりたいと願うなら、本人に訊いてみるといいですよ。デスメアードの夢を知ることはデスメアード自身を知ることにもなりますからね」

「はい。でも子犬ちゃんの夢か……なんだろうなぁ、一体」

 頬杖をつき、壁に掛かったたくさんの時計を眺める。他人の心に土足で入りこむような行為は嫌いだったし苦手でもあったが、ブレザーともっと仲良くなりたい気持ちは当然のようにあった。今度、何かの機会に尋ねてみてもいいのかもしれない。沙穂はジュースをストローで吸いながら、考えを巡らせる。

「バルラーイ!」

 ライバルがいきなり大声を出して立ち上がり、沙穂に両手を向けた。そこには先ほど教えた通りの『ほうき』が出来上がっていた。

「凄い、やったねライバル! グッジョブ!」

「ライバルッ!」

 親指を立てて労うと、ライバルは手の『ほうき』をぶんぶんと振り回しながら、歓喜の叫びをあげた。その嬉しそうな顔を見ていると、心がほっこりと温かくなる。人間に害を与えるデスメアードと果敢に戦っている姿ももちろん格好いいけれど、こうした無邪気な一面もまたライバルの魅力だった。

 喜び合う沙穂とライバルに触発されたのか、マスターも「ではお祝いとして、サンマの塩焼きをサービスしようかね。今日はいいのが入ったんだ」と言って相好を崩した。厳つく、不気味な外見に似合わないマスターのそんな気さくなところが、沙穂は好きだった。

「バルバル!」

「良かったねライバル。大好きなサンマだよ」

 ほうきを作ったままの両手を掲げ、ライバルは声を高くする。踵を返し、奥の部屋に消えていくマスターの後姿はどこか楽しそうだった。


 六時半を過ぎたところで沙穂は代金を支払い、店を出た。ライバルは名残惜しそうに袖を引っ張ってくれたが、駅で角平が待っている。それにこれ以上、彼の夢の邪魔をすることはできなかった。また明日来るからと諭し、後ろ髪を引かれる思いでライバルと別れる。彼もまたパトロールのために町の中へ消えていった。

 頭上には茜色の空が広がっている。旅客機が近くを飛んでいるのか、空気を劈くような高い音が聞こえてくる。ちょうど電車の到着時間と重なったらしく、駅の周囲は背広姿の人々で賑わっていた。

 角平とはすぐに合流することができた。噴水前で今日の予定を話し合い、夕食はスーパーで食材を買って沙穂の家でとることに決まる。ハンドバックの中から、小さく折り畳まれた布製のエコバックを取り出して見せると「沙穂ちゃんってそういうところは準備いいよな」と角平は苦笑した。

「いいでしょ。言っておくけど、何でも入ってるよ。まぁ、八割型ドーナツだけどね」

「何でもじゃねぇじゃん。ただのドーナツバッグじゃん」

「まぁ、そういう見方もできるよね」

「そういう見方しかできねぇよ」

「まぁまぁ、ドーナツでも食べて落ち着きなよ」

 駅から一番近いスーパーにたどり着くには、指場第一公園を横切るのが近道だ。それなりに広さのある公園で、亀の形をしたアスレチックを中心としてブランコやのぼり棒などの遊具が設置されている。午後六時過ぎの園内に人の姿はなかった。夕飯のメニューについてあれこれ相談しながら、沙穂は自転車を押して歩く。夜の気配を帯び、蝉の鳴く公園にはもの哀しい雰囲気が漂っていた。沙穂はふと隅の方にある、コンクリートを長方形に固めてそのまま放置したかのような、無骨なベンチに目がいった。そして足を止める。

「やっぱり俺が思うに、焼きそばにドーナツは入れない方が――どうかした?」

「え……あ、うん」

 沙穂が見つめる先を角平はたどる。すると彼は眉を寄せ、怪訝な表情を浮かべた。

「なんだ、あれ?」

 ベンチの上には、高校生が着るようなブレザーが、裾を使って佇立していた。普通のブレザーであれば当然、そんなことはできない。優れた蝋細工ではと思いたくなるが、その素材が布でできていることは、そよ風が吹くたびに裾が揺れていることから明らかだった。

「……子犬ちゃん?」

 沙穂が呟くのと同時に、ブレザーもこちらに気付いたらしい。強い風が吹いたわけでもないのにふわりと飛びあがると、沙穂たちの方に近づいてきた。

「小娘ではないか。なぜこんな所に……」

 袖を鳥の翼のようにはためかせ、ブレザーはいつもの調子で沙穂の肩に着地しようとする。だが、角平がそれを阻んだ。彼はブレザーの左袖を乱暴に掴むと、地面に叩きつけた。ぐげっ、と潰された蛙のような声が飛び出す。あまりに一瞬のことだったので、沙穂は言葉を発することさえできなかった。

「沙穂ちゃんに近づくな、この化け物が!」

「なっ……貴様! なんだその言いようは! かつて融合を果たした仲ではないか!」

「何をわけのわからないことを……沙穂ちゃん、下がってろ。こいつは俺が何とかする!」

 角平は沙穂を庇うようにして立つ。ブレザーを睨みつける視線には強い敵意がこもっていた。沙穂は困惑しながらも二人のやり取りを眺め、徐々に頭の中を整理していった。

 確かにブレザーの言う通り、角平は以前、彼と融合してデスメアードと戦ったことがある。それは紛れもない事実だ。しかし、角平はそのことを一切覚えていないという。

 当然だ。デスメアードと出会ったことを覚えていられる方が異端なのだ。ブレザーもそのことは承知しているはずだが、いきなり攻撃をされたのがショックだったらしい。そこまで状況を呑みこむと、今にも取っ組み合いを始めそうな二人の間に沙穂は慌てて割って入った。

「かっくん。大丈夫だよ。このブレザーはね、私の友達なの」

「は? 友達って、ええっ……」

 信じられない、といったような顔つきで角平は目を丸くする。沙穂は頷くと自転車のスタンドを立て、二人をベンチに誘った。

沙穂と角平でブレザーを挟んで座る。角平は独りでに動く服という、あまりにも怪しい相手に対して変わらず不信感を向けていた。沙穂はまずデスメアードとは何か、という所から順を追って彼にブレザーのことを説明しなければならなかった。改めて言葉にしてみると漫画の設定のような、現実とはまるで思えない荒唐無稽な話だ。信じてくれるのか不安に思いつつも話を終える。恐る恐る表情を窺うと、角平は「なるほどな」と頷いた

「まぁ、沙穂ちゃんが俺に嘘つくはずないし、こいつもリモコンかなんかで動いてるわけでもなさそうだ。それにしても、現実にそんなことがあるなんてな……」

 角平はブレザーをつんつんと指で突く。「俺に触るな!」とブレザーが叫んで袖を振るうと、その反応が面白かったのか彼は吹きだした。とりあえず話を信じてもらえたようなので、沙穂はホッと胸を撫で下ろす。

「私も夢だと思いたいけどね。でも、毎日刺激的で楽しいよ。変なのがたくさんいて」

「おい、もしや、その変なのには俺も含まれているのか? 正直に言え!」

「うん。正直に言わなくても、子犬ちゃんが一番変なのだよ」

「でも不思議だよな、沙穂ちゃんだけが覚えてるなんて。体質とかなのかな。あるじゃん、霊感がある人とそうでない人と。そんな感じ?」

「うーん。でも私、これまで幽霊なんか見たことなかったけど……」

 沙穂はこめかみを掻いて唸る。なぜ自分がデスメアードのことを覚えていられるのかは、やはり謎のままだった。霊感体質かと言われると、そういうわけでもない。

 そっか、と角平も難しい顔を浮かべる。それからブレザーに視線を落とし、「そういえば」と手を差しだした。

「さっきは悪かった。いきなり投げ飛ばしたりして。沙穂ちゃんのこと、これからもよろしく頼むよ。本当は俺がつきっきりで守りたいけど、そういうわけにもいかないからさ」

 ブレザーは鼻を鳴らし、角平を見上げた。しばらくの間、袖を胸の前で組んでじっとしていたがやがてため息を吐き出すと、右袖を伸ばして角平の手に絡めた。

「……ふん、望むところだ」

 仕方ないとでも言いたげな、実に不遜な態度だが、それが強がりであることを沙穂は見抜いている。握手を交わす二人を微笑ましく見つめながら、それにしてもなぜこんなところにブレザーがいるのかふと気になった。

「そういえば小犬ちゃん、何でこんなところにいたの? 陰干し?」

「ふん。この場所はデスメアードの気が高まりやすいんだ。だからいる。それだけだ」

「本当に、それだけ?」

 何かを隠している。それは沙穂の直感に過ぎなかったが、ブレザーは顔をそむけ、決まり悪そうに押し黙った。

沙穂は首を傾げた。角平も何かを嗅ぎ取ったのか「怪しいな」と目を眇める。一挙一動も逃すまいと二人で凝視していると、ブレザーは吹っ切れたかののようにこちらを振り返り、突然高笑いをあげた。

「フゥーハッハッハッ! この究極の闇に随分と興味があるようだな! それも当然か!俺様のことはこの世の誰もが知りたがる、まさにパンドラの箱だからな!」

「うん、まぁね」

「まぁ、そうだな」

「ならばいいだろう、教えてやる。俺様はこの場所で深淵の姫君をお待ちしているのだ!」

 仰々しく言い放つブレザーを前に、沙穂は言葉を失った。

「姫君は俺という闇の中で妖しく輝く宝石、そう、ブラックダイヤモンドなのだ!」

 は? と角平が眉をひそめる。沙穂も顔をしかめた。ブレザーの発する笑い声が、蝉の音を吹き飛ばし、気怠い空気に爆ぜた。


「つまり、子犬ちゃんは女の子に一目惚れをしたってこと?」

 沙穂がその結論に至るまでには、ブレザーによる過度な比喩と脚色を加えた、とても分かりづらく遠まわしな説明を解読することが必要だった。少しうんざりとしつつも沙穂がようやく言い当てると、ブレザーは誇らしげに胸を張った。

「そういうことだ。クク……小娘、やっと俺の闇言語を理解することができたようだな」

「分かんねぇよ。というかブレザーが恋って相手はなんだよ、ワイシャツかよ」

 ブレザーは跳躍し、袖で角平の頬を張った。乾いた音が鳴り、角平はうめき声をあげてのけぞる。

「その耳は飾りか少年! 言ったはずだ、俺は究極の闇を司る子犬であるとな!」

「言ってねェよ。初耳だよ俺は……痛ぇ」

「そのつまり、お相手はワンちゃんってこと?」

「そうだ。だが単なるワンちゃんではない。プリンセスだ」

 赤くなった角平の頬を優しく撫でてやりながら、沙穂はなるほどと納得する。だが沙穂自身、ブレザーのことを子犬として認識したことなど一度たりともなかった。

「駅前で出会ってな。一目見た瞬間、俺の中の世界に愛という名の稲妻が煌めいたのだ」

「でも、子犬ちゃんの心を射止めるなんてね。なんか相手のワンちゃん凄そう」

「当然だ。この俺を夢中にさせるほどだ。凄くないわけがないだろう」

 そこまで自信たっぷりに言われると俄然興味が沸く。

「それで、その子がこれからここを通るの?」

「ああ。散歩コースらしい。その姿を一目見るのが、最近の俺様の愉悦というわけだ」

「お前の言うことはまどろっこしいんだよ、全く……」

 角平が眉をひそめてぼやく。ブレザーは彼を睨むように仰ぎ見た。

「でもさ、見てるだけ? 話しかけたりして、お友達になればいいのに」

「俺は究極の愛を囁く子犬になるつもりはない。愛を憎み、愛を恐れ、愛を退けるのが俺の生き様だ。彼女を見ることだけで十分だ。太陽に焼かれるのはごめんだからな」

「子犬ちゃん、意外と奥手なんだね……」

「だから違うといっているだろうが小娘! お前の耳は何色だ、言ってみろ!」

「薄橙」

 その時、右手の方角から話し声が聞こえてきた。幼い子どものはしゃぎ声が、夏の夕暮れ特有の空気に弾ける。沙穂はブレザーの袖口を軽く引っ張った。

「ねぇ、誰か来るみたいよ」

「くっ、もうそんな時間だったか!」

 人の気配を察するや否や、ブレザーはなぜか角平の背中に慌てて隠れた。

「おいおい、なんだよお前いきなり。なに隠れてんだよ!」

「隠れてなどいない、潜んでいるのだ! 貴様の心に生まれた青く深い暗闇にな!」

「俺の心に闇なんてねぇ。勝手なことを言うな! 早く出ろや!」

「もう、騒がしいなぁ」

 騒がしい二人を一瞥し、沙穂は前方に顔を戻す。すると入口の方から、背の高い青年と小さな女の子がやってきた。青年はおそらく沙穂と同年齢で、女の子は五、六歳といったところだろうか。人が来たことに気付いたからか、角平とブレザーは途端に静かになる。女の子が興味深そうに見つめてきたので、沙穂は小さく手を振った。

 彼らは犬を連れていた。ふわふわとした白い毛に、黒い斑模様の小柄なパピヨンだった。短い足でちょこちょこと歩いている姿はどこかいじらしく、可愛らしい。だがその一方で美しく艶やかな毛並みからは、何者にも媚びない気高さが感じられた。首輪につけた赤い花のアクセサリーが、さらにその印象を強めている。

つぶらな瞳は宝石のようだ。その目は力強く、沙穂は心を惹きつけられた。

 ブレザーは息を止め、角平の陰からその一挙一動を見逃すまいとするかのようにパピヨンを見つめている。この子犬がブレザーの心を射止めた相手で間違いなさそうだった。

 青年と女の子は楽しげに会話をしながら、沙穂たちの前を通り過ぎていく。結局パピヨンがこちらを向いた時間は三秒にも満たなかったが、ブレザーは満足げに呼気を震わせた。

「ふぅん。なかなか可愛いじゃん、あの子。ねぇ、名前とか知ってるの?」

「ククク、当然だろう。彼女の名前はリアトリス。飼い主の男の方が駿貴で、小さいのがその妹の澪だ。ここから少し離れた一軒家に母親と住んでいる。まぁ、仕事が忙しいので駿貴がほとんど妹の面倒を見ているようだがな」

「お前、他人の家庭事情知りすぎだろ。ストーカーかよ」

 悪態を吐く角平に、再びブレザーの袖が牙を剥いた。喉仏を叩かれ、角平は激しく咳込む。ブレザーは「闇の裁きだ」と呟き、去っていくパピヨンに向き直った。

「もう、子犬ちゃんやり過ぎ。かっくん大丈夫?」

 悶える角平の背中を叩いてやろうとしたその時、空に白い稲光が走った。紙を手で裂いたような音を発して地面に落ちる。駿貴たちの向かっていった方角だ。

「なんだ!」

 角平と沙穂は同時に立ち上がる。次の瞬間、女の子の叫び声が空を衝いた。沙穂は強烈な胸騒ぎを覚え、声の聞こえてきた方に駆け出した。向かう先から、犬がしきりに吠えているのが聞こえてくる。

 待っていたのは、これまでの平和な話題が一瞬で頭から吹き飛ぶほどの惨劇だった。

 うつ伏せになって倒れ、悶えている駿貴。地面にへたり込み、泣きべそをかいている澪。彼女の胸に抱かれながら、頭上目がけて吠えているリアトリス。空中には澪を見下ろすように、軽自動車ほどもある巨大な犬の頭蓋骨が浮かんでいた。

 頭蓋骨は青白い色の光によって包まれている。光は長く尾を引いており、その全貌はまるで頭でっかちな大蛇のようだった。

「キサマカ、オレノアシモトニ、アンナキタナイモノヲ! ユルサンッ、ユルサンゾ!」

 頭蓋骨から発せられたのは、男とも女とも判別のつかない、まるでボイスチェンジャーを通したようながらがら声だった。それでいて淡泊ではなく、耳にした者の心をへし折るかのような強い憤りを感じさせる。

「グギグギ。キサマニ、イキテイルシカクナド、アルハズモナイ! クタバレ!」

 頭蓋骨が大きな口を開く。幼稚園児の体など丸呑みしてしまうだろう。自身に迫る脅威に澪が泣き叫ぶ。リアトリスは歯茎を剥き出しにして低く唸った。

「そんなこと……させない!」

 子どもが命の危機に晒されているという恐怖に煽られるがまま、沙穂は骸骨の前に躍り出ようとする。しかし寸前で、後ろからやってきた角平が沙穂を追い抜いた。角平は澪に向かって飛び出すと、彼女の体を抱きかかえて転がった。

「かっくん!」

 土に塗れた角平は上半身を起こすと、顔をしかめながらも背中越しに親指を立てた。澪も目を真っ赤に泣き腫らしてはいるものの、どうやら無事なようだ。沙穂はひとまず安堵し、倒れている駿貴に近づいた。声を掛けると彼は虚ろな目で沙穂を見つめた。

「みお……は」

「大丈夫です。女の子なら、無事ですよ」

 沙穂が手を貸そうとすると、駿貴は助けを拒むように自分で起き上がった。怪我はなく、意識も明瞭とまではいかないものの、しっかりしているようなので安心する。彼は周囲をゆっくりと見渡した。次第にその表情には困惑の色が滲んでいった。

「俺は夢を見ているのか? 一体なんなんだ。なんだか超やべぇじゃん」

 標的を見失った頭蓋骨は鼻息を荒くし、怨嗟のこもった呻きを漏らしている。だが地面に落ちた自分の影の中にリアトリスを認めると、鋭い牙を腹立たしそうに軋ませた。

「リアちゃん! リアちゃあああん!」

 角平の胸の中から体を乗り出し、澪が泣き叫ぶ。沙穂は瞠目した。澪はリアトリスを抱えてはいなかった。おそらく角平がぶつかった拍子に離してしまったのだろう。

 リアトリスは憎悪を纏った未知の敵を前にしても逃げ出すことなどせず、果敢に立ち向かっていた。愛くるしい外見に反して、敵を睨む顔つきは雄々しく、主人を守る使命に燃えている。しかしいくらその心が気高くとも、相手との体格差がありすぎた。心の底から恐怖を呼び起こすような怒号が、暁の空を揺らす。頭蓋骨の強靭そうな顎がリアトリスの軟な肉体を容赦なく噛み砕こうとした――その時。

「姫ぇええ!」

 雄叫びとともに現れたブレザーが、頭蓋骨の前に立ち塞がる。開かれた口の奥に無窮の闇が渦巻いていることを知ってもなお、その立ち姿に迷いはなかった。

「俺の姫に、指一本さえ触れさせるものか!」

 愛する者を守るためなら自分の死すら辞さない悲痛な叫びは、彼の断末魔になった。頭蓋骨が顎を閉じた瞬間、びりっ、と布の裂ける音が生々しく空間を伝った。追い打ちをかけるように電撃が牙から迸ると、ブレザーはくぐもった悲鳴をあげ、やがて頭蓋骨の口からだらりと半身を垂らしたまま動かなくなった。

 リアトリスの真ん丸な目が震えを帯びる。沙穂は頬が急激に冷えていくのを感じた。

「子犬ちゃん!」

 頭蓋骨はブレザーを執拗なまでに咀嚼し、歯ですり潰してから、痰でも出すように地面に吐き捨てた。至るところが破れ、鼻をかんだちり紙のように丸まった無残な姿をもはや目に留めることもせず、殺意のこもった視線をリアトリスに突き刺す。

 沙穂は空の彼方で、赤い光が瞬くのに気付いた。光は徐々に近づき、大きくなっていく。そして真紅に燃える輝きは、そのまま真っ直ぐに頭蓋骨を脳天から突き刺した

 突如、謎の輝きに襲われた頭蓋骨は成す術もなく粉々に砕け散った。衝撃が地面を襲う。光の落ちてきた場所には地面に左拳をかざし、片膝を立てた姿勢で俯く漆黒のシルエットがあった。やがてシルエットがゆっくりと顔をあげ、身を起こす。すると額に光るV字型の触角と、口を覆う銀色のマスクが明らかになった。気付けば周囲の景色は公園ではなくなり、灰色の空が広がり、捻じれた石柱の点在する荒れた大地に移り変わっていた。

「ライバル!」

 ライバルは沙穂に頷くと、油断なく周囲に視線を運んだ。その背中に唸り声が迫る。彼が素早く振り返ると、先ほど消滅したはずの頭蓋骨が牙を剥き出しにしていた。

「バルライッ!」

 ライバルは紙一重で敵の牙をかわす。あと一秒でも反応が遅れていたら噛み砕かれていたに違いない。頭蓋骨は宙を噛むと、上と下の牙同士をぶつかり合わせた。

「オマエハダレダ。オレノ、イカリヲトメルヤツハ、ダレデアロウトヨウシャハシナイ!」

 頭蓋骨の脅しともとれる言葉を前に、ライバルの胸の目が開眼する。獲物を闇から捉える野獣の目のように、左拳が猛々しい光に包まれる。

「バァルウウッ!」

 体の底から気力の一滴まで振り絞るような叫びをあげ、ライバルは頭蓋骨に拳を浴びせた。その真紅の一撃は、これまでも多くのデスメアードたちを葬ってきた。正面から攻撃を受けた頭蓋骨もまた例外ではなく、光の中で灰塵と化す。

 だが息をつく暇もなく、頭蓋骨は再びライバルの頭上に現れた。ライバルは向かってくる敵の頬をはたき、背後に跳ぶことで攻撃を避けたが、その表情には困惑が浮かんでいた。

 動揺しているのは沙穂も同じだった。何度叩き潰そうとも敵はまるで何もなかったかのように再生し、攻撃を重ねてくる。そんな相手を倒すことなどできるのだろうか。

 苦戦するライバルを目にしていると、胸が張り裂けそうになる。彼の戦う背後では、駿貴と澪が再会を果たし、もう離さないことを誓うかのように強く抱き合っていた。澪は兄の胸の中で泣きじゃくり、駿貴は妹をなだめるように背中を撫でてやっている。

 沙穂はあっ、と叫んだ。ライバルの出現に気を取られてブレザーのことをすっかり失念していた。「子犬ちゃん!」と叫び、視線を運ぶ。そして目を見開いた。

 まるでゴミのように転がったブレザーの傍らにリアトリスがいた。汚れた布地をじっと見つめ、それから顔を近づけると小さな舌を使い、袖口から襟にかけて丁寧に舐め始めた。

 まるで傷を癒そうとするかのように、破れた箇所に舌を這わせていく。瞳を潤ませ、息を弾ませる表情は必死だった。無事を祈る気持ちが、全身から溢れだしているようだ。

「リアちゃん!」

「沙穂ちゃん、大丈夫か!」

 澪と駿貴、角平が近づいてくる。周りの景色に脅え、ライバルに目を向けつつ、おっかなびっくり歩いてくる男二人に比べ、澪の動きは素早かった。沙穂の前に来るとリアトリスを抱え上げ、良かったね、と言葉をかけながらしきりに頬ずりをする。そしてブレザーを濁りのない瞳で見下ろした。

「ねぇ。おようふくさんが、リアちゃんをたすけてくれたの? ありがとー」

「……お洋服ではない、俺は究極の闇だ」

 無邪気な感謝の言葉にも、容赦ない反論が返ってくる。沙穂は澪の向かい側に立った。

「子犬ちゃん、こんなボロボロになって」

「平気だ。問題ない。それより、姫は……無事のようだな」

 澪に抱えられたリアトリスを目にすると、ブレザーは安心したのか大きく息をついた。しかしすぐさま地面に袖をつき、起き上がろうとする。沙穂は慌ててそれを制した。

「大丈夫だよ。子犬ちゃんの大切な人は無事だから。寝てた方がいいって!」

「いや……脅威は過ぎ去っていない。この分だと、主も苦戦していることだろう。姫やお前に火の粉が降りかからないようにするのが、俺の使命だ」

「なんで、そこまで」

「それが、俺様の夢だからだ」

 彼の声は細く、今にも消え入りそうだったが、確固たる信念のようなものが宿っていた。

「単なる小犬だった時、俺は主人を救えなかったことがある。そんな気持ち、もう繰り返したくはない。そのために俺様はこの姿になって生き返ったのだからな」

 ブレザーは腹部を内側に折るようにして起き上がる。しかしダメージはやはり大きいらしく、体がふらついている。よろめき、再び倒れそうになったその時、彼の袖を横から伸びてきた腕が掴んだ。腕の先を追うと、砂埃で汚れた角平の顔があった。

「かっくん」

「……貴様、何の用だ」

「好きな子のために命を賭けて戦う。いいじゃないか。そういう奴、俺は好きだよ。沙穂ちゃんの次にな」

 角平はブレザーの前に屈みこむと、にやりと笑った。沙穂は内心、彼の行動に驚いていたがあえて口を挟まず、先行きを見守ることにした。

「俺と前に合体したの、やってみようぜ。お前の夢を叶えるにはそれしかないだろ?」

 ブレザーは澪に抱かれているリアトリスを一瞥し、それから角平に視線を転じた。

「……言っておくが、俺は嘘つきが嫌いだ。くだらぬ冗談もな」

「こんな時に冗談なんか言うかよ。だから、来い。お前の気持ち、受け止めさせてくれ」

 ブレザーと角平は視線を交わし、頷きあう。二人の心は無言のうちに決まったようだった。ブレザーは袖をバネのように使って跳びあがると、角平の胸に飛び込んだ。二人の体が重なった瞬間、大きな光が角平の体を包んだ。

 縦横無尽に広がっていく爆発的な光の中で、角平を象る輪郭が変貌していく。やがて視界が晴れると、一人の戦士が顕現した。

 狼を模したエンブレム付きのマスクに覆われた顔。ブレザーをイメージしたと思われる戦闘用の黒いスーツ。右手には真っ赤な一振りの剣、タイブレードが握られている。

 究極の闇を司る征服者、ヘルドリマー。沙穂がこの戦士を目にするのは、これで二度目だった。ヘルドリマーは自分の手をまじまじと見つめ、感嘆の声を漏らした。

「不思議だな。なんかこれ、懐かしい気がするよ」

「クク。貴様のその、肝っ玉の大きさと理解の速さだけは褒めてやる。感謝するがいい」

 ヘルドリマーから二つの声が聞こえてくる。それは角平とブレザー、二人の心が一つの体に宿っている証拠だった。空中からライバルに猛攻を加えている頭蓋骨を見据えると、彼は右手を横に突き伸ばした。その漆黒に彩られていた体が瞬く内に真白く染まる。まるで高級なタキシードを身に纏ったかのようだ。ヘルドリマーは自分の属性を自在に変化させることができた。おそらく今は風の力を行使しているのだろうと沙穂は推測する。

 ヘルドリマーは全身に風を纏うと宙を舞い、頭蓋骨の後頭部をしたたかに蹴り飛ばした。バランスを崩した敵を、タイブレードであらゆる角度から何度も切りつける。敵もまた噛みつき攻撃を繰り出してくるが、ヘルドリマーの飛行速度の方が何倍も上回っていた。

「ラライッ!」

 空中戦を地上から見上げていたライバルが右腕を振るう。その拳の先から、光に覆われた頭蓋骨が飛び出した。大きさ、色、形とともに敵のデスメアードと全く同じものだ。頭蓋骨同士は正面衝突すると、共に砕け散り、光の粒子を周囲にばら撒いた。

「あれ、ライバルは相手の技しかコピーできないはずじゃ……」

「そうか!」

 沙穂としては素朴な疑問を呟いただけだったのだが、ヘルドリマーは「小娘、いいところに気付いた」と声を高くした。地上に着地すると、彼はタイブレードで誰もいない場所をいきなり切りつけた。ぱっくりと、まるで深い切り傷のように裂け目が宙に開かれる。

「主よ、いまだ! この先に本当の敵は潜んでいる!」

「行け、黒坊主! なんだか俺もよくわからんけど、こいつの言う通りにしろ!」

「バ……ライバルゥ!」

 促され、ライバルは戸惑いつつも裂け目の中に飛び込んだ。直後、沙穂の頭上に耳を劈くような唸り声をあげながら、新たな頭蓋骨が出現した。駿貴は妹を強く抱きしめた。沙穂は考えるよりも早く、澪を庇うようにして立つ。

「させるわけがないだろう。跪け。ここから先は俺の領域だ!」

 銀色の風がヘルドリマーの全身を羽のように包む。射られた矢のような速度で頭蓋骨に追いつくと、敵の前方に回り込み、タイブレードの柄を手前に引いた。

「疾風のフォーメーション!」

「それ知ってるぜ! 行くぞ、サイクロン・タイブレイク!」

 後ろ向きに飛行しながら、両手で構えたタイブレードを突き出す。すると剣先から小さな竜巻が放たれ、ドリルのように頭蓋骨を貫いた。ヘルドリマーが地面をつま先で引っ掻いて制動をかけると、頭蓋骨は大きな閃光をあげて爆発四散した。

 同時に先ほどライバルが入っていった裂け目の中からいきなり、何かが転げ落ちてきた。それはまるで円盤と蜘蛛が融合したような外見をしていた。色は暗い茶色で、頭頂部には大きな筒を乗せている。大きさは一般的な大型犬と同等くらいだろうか。その謎の物体を追うようにして、ライバルも裂け目から帰還を果たす。地面を弾み、転がった円盤は八本の細い脚を駆使して器用に立ち上がった。

「ナニヲスル、キサマアアッ!」

 円盤から聞こえてきた怒声は、まさしく頭蓋骨が発していたのと同じものだった。一体、どういうことかと沙穂が驚いたその時、円盤の背負う筒の内側に光が灯り、そしてこれまでライバルを散々苦しめてきた巨大な頭蓋骨が、その内より打ち出された。ライバルはとんぼを切って頭蓋骨の突進攻撃を回避すると、円盤に左拳を叩きつけた。

「やはり。あの骸骨はデスメアード本体ではなく、単なる技に過ぎなかったということか」

「じゃあ、あのユーフォーみたいなのが……」

「ああ。デスメアードだ。しかし自分のメアード空間に潜んで攻撃してくるとは、随分陰険な奴だ。俺の姫に近づく資格もない。万死に値する!」

 ブレザーの声が憤激を顕にすると、ヘルドリマーは両手を大きく横に広げた。純白だった体の色が元通りの黒に変わる。ヘルドリマーは助走もなく跳び上がると、澪の前に着地した。勝利を確信するかのように見つめてくるリアトリスの眼差しに彼は頷くと、迫りくる頭蓋骨目がけて剣先をかざした。タイブレードの柄を手前に引く。

「さぁ、少年よ。今度は烈火のフォーメーションだ!」

「あぁ、これで終いといこうぜ。砕け散れ、フレイム・タイブレイク!」

 ヘルドリマーは言葉を重ねて走り出すと、業火に染まった剣を骸骨に向けて薙いだ。敵の牙に触れる寸前で横っ飛びし、すれ違いざまに切り裂く。逆巻く炎によって体の縁取りを溶かされ、刃が体を通り抜けると、頭蓋骨の口から血を吐くような悲鳴があがった。

「これが俺様の!」

「俺たちの、愛の炎だ!」

 ブレザーと角平、二つの声が共鳴を果たす。両断された骸骨は長い苦痛の声を漏らすと、閃光を散りばめながら、粉々になって消滅した。

「バッルバルバルー!」

「ドケ、オレノニクシミノ、ジャマヲスルンジャアナイ!」

 一方でライバルは敵の本体である円盤と熾烈な戦いを繰り広げていた。円盤は多脚を活かして石柱を登り、また地面を跳ね回りながら紫色の電撃を放射してくる。宙を踊るようにして迫る無数の曲線に、ライバルはなかなか敵に近づくことができない。

「……バル!」

 ライバルは後ろに跳ぶと、何かを思いついたかのように突然立ち止まり、身構えた。動きを止めた標的を狙い、電撃が襲い掛かる。だがライバルは両腕を伸ばすと、真っ向からそれを受け止めた。そのまま左の掌を広げ、右腕を後ろに引く。

「それはまさか……あやとりの、ほうきの構え! ライバル、マスターしたんだ!」

「バルライ!」

 そう。その姿勢はまさに、沙穂がバーで教えたあやとりの『ほうき』だった。ライバルは電撃を紐にみたててあやとりをし、腕の中でもて遊ぶと、敵に攻撃を返した。思いがけない返球に円盤は青白い光に包まれたあとで爆発を起こした。頭蓋骨を打ち出していた筒が半ばからへし折れ、細かな破片が雨のように地上に降り注ぐ。

「バカナ、バカナ、バカナ、バカナァアアッ!」

 足を何本か折られ、姿勢を崩したまま円盤は機体前面のハッチを開けた。すると中から砲台がせり出し、虹色の太いビームが放たれる。しかしライバルはその一撃をぎりぎりまでひきつけてかわすと、敵との距離を素早く詰め、拳の連打を決めた。円盤が石柱に激突するとライバルは深く息を吸い込んだ。彼の体の至るところで、まるで夜空に散りばめられた星々のように光が瞬きだす。

「ラィィィッ……」

 あの輝きは何だろう。沙穂が不思議に思った直後、光の剣がライバルの右掌から伸びた。ライバルは右腕を大きく振り上げると、その場から一歩たりとも動くことなく、円盤目がけて光刃を振り下ろした。

「バルウッ!」

 聞く者に戦慄を与えるような声が宙を裂く。光輝に照らされ、為す術もなく刃を叩き込まれた円盤は、黄色い液体を頭頂より噴きだしながら絶叫した。両断された体が端の方から粒子となって散っていく。ライバルは光の剣をしまうと、踵を返した。

「すげぇ。超かっけー……」

 脅威を葬った二人の戦士を前に、駿貴が惚けた声を漏らす。沙穂も思わず拳を握った。

 その時、澪は駿貴の腕から逃れると、消えていく円盤に向かって駆け出した。リアトリスは腕に抱えられたままだ。あまりに突拍子のない行動だったので、沙穂も駿貴も咄嗟には動けなかった。澪は円盤の前に立つと、少しずつ存在の薄れていくその姿を見下ろした。円盤は全身を壊れたおもちゃのようにがたがたと震わせる。

「ニクイ、ニクイ、オマエガ、オマエガ、ナゼ、オレガシナナクチャ、ナラナイ! ゼンブゼンブゼンブゼンブ、オマエノセイダ!」

「ごめんなさい」

 明らかな敵意と憎悪の矛先に立ちながらも、澪は深く頭を下げ、謝罪した。彼女の口から出た言葉の意外さに沙穂は立ち止まり、息を呑んだ。足を踏み出しかけた駿貴も、ヘルドリマーも、そしてライバルも黙ってその光景を眺めていた。

「ごめんね。リアちゃんも、ごめんなさいってしてるから、ゆるしてください」

 そして、彼女の言葉に一番驚いているのは他でもない。円盤型のデスメアードだろう。デスメアードは押し黙った。そして細いため息を漏らすと、完全に消滅した。

 リアトリスが追悼の意をこめるかのように、大きく吠える。涙を流しながら腰を折る澪の姿が、沙穂の脳裏には焼き付いて離れなかった。


「たかくん、きょうのごはんなににするのー?」

「そうだなぁ……」

 長い影を引き連れながら、暮れなずむ町に歩き出す二人を沙穂は見送る。背中に羽織ったブレザーの袖が、風もないのに小さく揺れている。膝の上には固く目を閉じた角平の頭があって、その額を玉のような汗が伝っている。どうやらヘルドリマーは体に相当な負担がかかるらしく、合体を解除すると彼は気を失ってしまった。おそらく目を覚ましたときには、沙穂が説明したデスメアードに関する知識も、ここで起こった事さえも忘れているだろう。せっかくブレザーと仲良くなれたのに、と残念にも思うが抗う術はない。

「少年に言っておけ。究極の闇が感謝していたとな」

 ブレザーは息を長く吐き出し、角平の顔を覗きこむようにした。沙穂は頷き、必ず彼に伝えることを約束する。

 角平の額を指でなぞり、夕陽に目を細める。駿貴の連れたリアトリスがこちらをちらちらと振り返ってくるのが見える。そこに深い意味などないに違いない。人であろうが犬であろうが、デスメアードに関わる記憶はその場を離れれば全て消えてしまう。どれほど信頼を重ね、愛情を育んだところで、まるで砂で作った城を壊すように、もろくも崩れ去ってしまう。いつだって例外は沙穂だけだった。

 沙穂は覚えている。澪のとった思いがけない行動の一部始終を。

 襲いかかってきたデスメアードが抱える憎悪の正体、すなわち夢の在処を彼女は知っていたのだろう。だから謝った。憎しみを向けている相手からの素直な謝罪に、デスメアードは一体、どんな気持ちで消えていったのだろう。それほど悪い気分でなかったのでは、という推測はあまりに楽観的過ぎるだろうか。何にせよ、もはや確かめる術はない。ただ澪の想いが通じたことを願うばかりだ。

「でも、いいの? お姫様のこと。せっかく面と向かえたんだから、もっと話でもすれば良かったのに」

 小さくなっていく駿貴たちの背中を見つめる。

たとえ記憶をなくしてしまっても、彼女と過ごす時間はブレザーにとってかけがえのないものになるはずだ。少なくとも沙穂が同じ立場だったらそうしている。

 しかしブレザーは「いや」と短く言うと、沙穂の肩から飛び降り、地面に着地した。体の至るところが破けていて無残な有様だったが、佇まいには凛としたものが宿っている。それは愛する者を守り抜いた男の立ち姿だった。

「これでいい。俺は姫を守ることができた。それで充分だ」

 それはブレザーの本心なのだろう。彼の夢に触れた沙穂には分かる。だからもう何も言わなかった。

 沙穂とブレザーは並んで、無言のまま公園の出口を見つめた。小柄な影が踊り、犬の吠え声が響く。町が夜を受け入れ、角平が目覚めるまで、ブレザーは今日の出来事を噛みしめているかのように、じっと動かなかった。


「デスメアード・ファイル」


ドッグキラー・メアード

属性:雷

AP3 DP2

身長:140cm 体重:45kg


【基本スペック】

領域(Lv3。メアード空間を展開する)

集中(戦いの初めに技の命中率があがる)

突破(相手の防御力に関わらず、ダメージを与える)


【特殊能力】

犬の頭蓋骨の形をしたエネルギー弾を発射する。エネルギー弾は他のデスメアードのメアード空間にも侵入することができる。


【DATE】

小便をかけられた電柱の成れの果て。犬を憎んでおり、復讐のために行動する。



※本編、脱字があったので修正しました。


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