儀式
左の手のひらに、薄水色の陶器をのせる。中には真っ白な砂が入っている。夜一が右手をかざすと、砂がサラサラと波打った。そして平らになる。
その上に、香木から削り取った粒子の細かい香粉をまぶす。人差し指が、くるくると何かを描くように動いた。不思議なことに、香粉は指の動きに合わせて美しい模様を作る。複雑な図柄だ。
図柄は、思念や祓う対象によってその形を変えるのだという。夜一から聞いてはいたものの、実際にこの目で見るのは初めてだった。
「灼くん」
「な、なんだよ……?」
流れるような夜一の仕草に見惚れていた。それを見透かされたようで、灼の声は上擦った。
「火、ちょうだい」
「は?」
「ライター持ってるやろ」
灼は、未だに紙煙草を吸っている。どれだけ電子煙草が主流になろうが、煙草税が増税されようが、頑なに同じ銘柄を購入し続けている。だから、ライターは必需品なのだ。
「持ってるけど」
「マッチを持ってくるの忘れてん」
「大事なもん、忘れるなよ……」
そう言って、灼はライターに火を灯した。
夜一が、その火を綫香に移す。ゆっくりと円を描くように綫香を動かした。円は、少しずつ大きくなっていく。夜一はそうしながら、静かに念を唱えた。そっと囁くようで、けれど威厳に満ちている。
最後に、綫香の火を香粉へと渡す。
なんともいえない香りが、じわりと広がっていく。灼は気配を感じることができない。けれど、わずかに残った思念が今、清められていることだけは分かった。
夜一が懐から鈴を出し、リンと鳴らす。軽やかな、それでも胸にずしりと響く音だった。
残留した思念を祓ったあとで、カヤの供養も済ませた。
集落内には墓地があったけれど、カヤやその家族の墓標は見当たらなかった。そのため、的形の屋敷の跡地に花を手向けた。
合掌していると、隣にいた夜一の体がピクリと動いた。
「これはな、カヤちゃんのことを思って手を合わせてるんやで」
寧々と会話しているようだ。
「そうそう。そうやって、両手を合わせるねん」
どうやら、寧々も合掌しているらしい。夜一が、灼の首元を見ながら微笑んでいる。まるで愛おしいものでも見るような、優しい顔だった。
✤
神戸に戻ってから数日後。依頼人である的形良治が、御影探偵事務所を訪ねてきた。
「昨日、現地に行って来ました。拍子抜けしたというか……。本当に、何もかも無くなっていたものですから」
ソファに座った的形は、複雑そうな顔をしていた。
「解体する必要もなくなったんだから、良いんじゃねぇの」
茶を出しながら、灼は的形に言った。
「そうですね、屋敷の残骸を撤去したり、後始末をする必要はあるんですが……。ひとまず、肩の荷は下りました」
「あの場所に、もう呪いはありません」
「はい」
夜一の言葉に、的形はうなずく。
「幽霊もいません。一体も……。それに、思念も残っていませんから」
「は、はぁ……」
的形は、不思議そうな顔でうなずいた。
幽霊はカヤという認識で、それ以外のことは考えてもみなかったのだろう。自分の先祖たちが悪いモノになって彷徨っていたという事実は、知らないままのほうが良いのかもしれない。
これで、彼も解放される。的形という家が、代々受け継いできた呪いから。
「あの、お支払いなんですが。振り込みさせていただきます。今日か、明日にでも」
的形が口にした「振り込み」のワードで、夜一の目がギンギンになる。
「毎度ありがとうございますーー!」
「それで、これ。手土産といいますか……」
的形が、テーブルの上に紙の包みを置いた。「豚饅頭」の文字がデカデカとある。
「こ、これは! 老祥記……!」
夜一の顔が、にんまりする。
この老祥記は、豚まんが名物なのだ。創業は大正四年。南京町で、ひときわ長い行列をつくっている。
「匂いにつられまして。地元の方に、買っていくのはどうかと思ったんですが」
「とんでもない! 大好きなので嬉しいですよ」
細身の体型だが、夜一は食い意地が張っている。早く包みを開けたいのだろう、ちらちらと「豚饅頭」の包みに視線を送っている。
「で、では。僕はこれで……」
気を利かせたらしい的形が、ソファから立ち上がる。灼は見送りのために、事務所の出入口まで付き添った。
「また、何かあったら来いよ」
「……ないことを祈りたいです」
的形が苦笑いする。
「そりゃ、そうだな」
的形の痩せた背中を眺めながら、灼はぼそりとつぶやいた。呪い、いわく、幽霊騒ぎ。そんなものとは、一生縁がないにこしたことはない。
的形に出した茶を片付けるために部屋に戻ると、夜一が豚まんを口に押し込んでいた。この老祥記の豚まんは、かなり小ぶりなのだ。とはいえ、さすがに入れ過ぎだ。もしや、一人で食べ切ろうとしたのではあるまいな……。
「勝手に食うなよ」
夜一の食い意地に呆れていると。
「んぐっ! ふごぉ……!」
灼に現場を押さえられたことで、焦ったのだろうか。夜一が豚まんを喉に詰まらせている。トントンと胸元を叩いているので、心優しい灼は手伝ってやった。バシッと強めの一撃を入れる。
「痛い……!」
涙目になりながら、夜一が灼を睨む。
「灼くんの馬鹿力!」
「死ぬよりマシだろ? 祓い屋が幽霊になるとか、マジで笑えねぇ」
鼻で笑いながら、灼も豚まんを口に放り込んだ。
口に入れた瞬間、ジューシーな肉汁があふれる。まだ熱々だった。皮はモチモチだ。豚肉は少し荒めにミンチされており、歯応えがある。
青ネギが良いアクセントになっている。味付けはシンプルなのだが、その分だけ肉の旨味を感じることができる。
手が止まらない。ぽいぽいと豚まんを口に押し込みながら、これでは夜一と同じだなと思った。
夜一が、キッチンから醤油と酢を持ってきた。そのままでも美味しいけれど、つけダレで味変をしても楽しめる。多めの油で揚げ焼きのようにしても絶品だった。
「やっぱり、老祥記やなーー! 美味しい~~!」
「……おい」
「ふぁに?」
豚まんで頬をぱんぱんにした夜一が、灼を見る。なんと間が抜けた顔なのだろうとドン引きする。
「寧々にも」
食べさせてやりたい。夜一にそう訴えると。
「ふぁ! ふぉうやな!」
ひたすら咀嚼して、ごくっと飲み込んでから、夜一は寧々に語りかけた。
「ごめんな、つい夢中になって。寧々も一緒に食べよなーー! ほら、これな。豚まんっていうんやけど。美味しいねんで~~! 小さいから寧々ちゃんも食べやすいんちゃうかな」
豚まんの包みを、ぐいっとこちらに押し付けてくる。
「あ、でも。気を付けて食べてな。じゅわって勢いよく肉汁が出てくるから。まだ熱々やし、火傷したらあかんで?」
幽霊に火傷もないだろう。またしても、勢いよく豚まんを頬張る夜一に呆れつつ、こういうときに会話ができる彼を羨ましいと思った。
「……まぁ、でも食べるところを視れるしな」
寧々は、いつの間にか灼の隣にいた。ソファにちんまりと座り、豚まんを食べている。もぐもぐしている頬が可愛い。決して口に詰め込むことはなく、ひとつ食べ終わってから、次の豚まんに手を伸ばす。行儀が良い。誰かとは大違いだな、と灼は密かに思った。




