第31話「王への上奏」
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議決から三日後。
マリーナの商人ネットワークが、情報を掴んだ。
「ルンゲが王宮に上奏文を提出した。——内容は、是永誠および関係者の活動停止命令の発令要請」
クラウスの屋敷。全員の顔が、強張った。
「活動停止命令。——具体的には?」
「商人ギルドの業務報告書——市民通信の発行禁止。是永誠の公的活動の制限。改革派貴族への『助言』の強化。——要するに、議会で否決できたから、今度は王権で完全に封じると」
「上奏文の根拠は?」
「『秩序攪乱行為』。——是永たちの活動が王権を脅かす革命的行為である、と」
誠は——静かに聞いていた。
「……革命。——僕たちがやっていることは、革命ですか」
「ルンゲがそう名付けた。——名前をつけることが、権力のやり方だ。『改革』と呼べば正当になる。『革命』と呼べば犯罪になる。同じ行為でも、呼び方を変えれば意味が変わる」
クラウスが言った。その声は、冷静だったが——怒りが滲んでいた。
「問題は——王がどう判断するかだ」
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「王は——どんな人ですか」
誠が聞いた。
クラウスとエリーゼが、顔を見合わせた。
「……アルブレヒト三世。五十二歳。——悪い王ではない。暴君でもない。ただ——」
「ただ?」
「面倒を嫌う人間だ。——国政に強い関心がない。日々の統治はルンゲのような有力貴族に任せ、自分は儀式と狩猟に時間を使っている」
「つまり——ルンゲの言いなり?」
「言いなりではない。——だが、ルンゲが『問題ありません』と言えば、深く追及しない。ルンゲが『問題です』と言えば、対処を任せる。——無能ではなく、無関心だ」
「前回の布告も——」
「王が自分で判断したとは思えない。ルンゲの上奏をそのまま承認しただろう。今回も同じことが起きる可能性が高い」
誠は——考えた。
「……王に直接会う方法は」
「謁見? ——簡単ではない。謁見を申し入れられるのは貴族だけだ。私が申し入れることはできるが、ルンゲが先に上奏している以上、こちらの申し入れが受理されるかは——」
「先手を取られている」
「そうだ」
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マリーナが——口を開いた。
「先手は取られた。——でも、王宮に味方がいないわけじゃない」
「味方?」
「王の側近に、穏健派がいる。——商人ギルドの取引で、何度か接触したことがある。ハインリヒ・フォン・メルツ伯爵。王の財務顧問だ」
「メルツ伯。——知っている。ルンゲとは距離を置いている人物だ」
クラウスが言った。
「ルンゲとは距離を置いているけど、改革派でもない。——穏健派。波風を立てたくない人間よ」
「波風を立てたくない人間は——どうすれば動く?」
「波風を立てない方法を見せれば動く」
誠が言った。
「メルツ伯に会います。——王に直接話す機会をもらう。そのために、メルツ伯に——僕たちの目的が王権の否定ではないことを、具体的に示す」
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翌日。
マリーナの手配で、メルツ伯との面会が実現した。——王宮の一角にある、財務顧問の執務室。
メルツ伯は——白髪の、痩せた男だった。目は鋭いが、物腰は柔らかい。
「是永殿。——噂は聞いている。異界の男。帳簿の改革者。法を変えようとする平民。——そして、ルンゲ伯が『革命分子』と呼ぶ男」
「革命分子ではありません」
「では、何だ」
「コンプライアンス担当です」
「…………何だって?」
「規則を守る仕事です。——そして、規則を正しく機能させる仕事です」
メルツ伯が——少し、笑った。
「面白い。——ルンゲ伯の上奏文を読んだ。あなたたちを革命分子として活動を停止させろ、と。——私は、承認する前に、直接話を聞きたいと思った。だから、マリーナ殿の申し入れを受けた」
「ありがとうございます。——率直に申し上げます。僕たちは王権を否定していません」
「否定していない? ——法を変えようとしているのに?」
「法を変えることは、王権の否定ではありません。——法を変えるのは貴族議会と王の権限です。僕たちは、正規の手続きで法案を提出し、正規の議決を求めました。否決されました。——全て、既存の制度の中で行っています」
「だが、市民を動員して議会に圧力をかけた——とルンゲ伯は主張している」
「市民に情報を提供しました。——圧力ではなく、情報です。議決の結果を市民に伝え、賛成した議員の名前を公表しました。これは——市民が自分たちの代表を知る権利です」
「市民の代表? ——貴族は市民の代表ではない」
「今は。——でも、貴族が市民を統治しているなら、統治の内容を市民が知る権利はあるはずです。知らなければ、統治が正しいかどうか判断できない。判断できなければ、統治への信頼が失われる。——信頼が失われた統治は、長続きしません」
メルツ伯の目が——少し、変わった。
「……つまり、あなたの主張は——王権を強化するためにも、透明性が必要だ、と」
「はい。——王権を脅かしているのは僕たちではない。王権への信頼を損なっている不正が、王権を脅かしている。不正を放置することの方が、よほど革命のリスクを高める」
「…………」
「メルツ伯。——前の世界で、僕は歴史を学びました。民衆が革命を起こすのは、改革が進みすぎた時ではない。改革が封じられた時です。声が届かなくなった時に、人は手段を変える」
メルツ伯が——椅子の背に体を預けた。その指が、机の上の上奏文の端を、無意識に折り曲げていた。——王権維持のために書かれた上奏文を、王権維持のために疑い始めている。その矛盾に、本人が気づいているかどうかは——わからなかった。
「……是永殿。あなたは——脅しているのか」
「脅していません。——事実を述べています。集会禁止令。法典非公開令。改革派への弾圧。——これらが続けば、市民の不満は地下に潜る。地下に潜った不満は、制御できない。——制御可能な形で声を上げられる仕組みを残しておくことが、王権にとっても最善です」
「制御可能な形?」
「情報公開。合法的な告発制度。定期的な報告と監査。——全て、秩序の中で不満を処理する仕組みです。仕組みがなければ——不満は、秩序の外で爆発する」
メルツ伯は——長い間、黙った。
「……私から国王陛下に、進言する。『是永たちの話を直接聞いてからでも遅くない』と」
「ありがとうございます」
「ただし——謁見が実現するかどうかは、陛下のご判断だ。ルンゲ伯が先に動いている。承認が先に降りる可能性もある」
「わかっています。——でも、可能性がある限り、手は打つ」
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メルツ伯との面会から二日後。
王宮から——二通の書状が届いた。
一通は、クラウス宛。
「国王陛下は、法改正問題について、関係者の直接の意見を聴取されることを決定された。クラウス・フォン・アーレンベルク子爵は、是永誠とともに王宮に出頭されたし」
もう一通は——ルンゲ宛にも、同じ内容が届いているはずだった。
「……謁見が決まった」
クラウスが、書状を持って——少し、手が震えていた。
「メルツ伯が動いてくれたんだな」
「はい。——ただし、これはチャンスであると同時に、最大の危機でもある」
「危機?」
「王の前で、ルンゲと直接対決することになる。——王が判断を下す。その判断は、議会の議決よりも重い。王命は、法を超える。もし王がルンゲの側についたら——全てが終わる」
「全てが?」
「活動停止命令。法改正案の永久凍結。下手をすれば——投獄もあり得る。王命に逆らえば、それは本当の反逆になる」
沈黙。
ルカが——口を開いた。
「おっさん。——王様って、誰のためにいるの?」
「…………」
「貴族のため? 市民のため? 自分のため?」
誠は——答えに、詰まった。
「……わかりません」
「わからないの?」
「わからない。——前の世界でも、その問いには答えが出ていない。権力は誰のためにあるのか。——哲学者も政治家も、何百年も議論して、まだ結論が出ていない」
「じゃあ——おっさんは、どう思うの?」
「…………」
「おっさん個人の意見でいいよ」
誠は——少し、考えた。前の世界で、何度も聞かれた質問だった。株主のため。顧客のため。社会のため。——どの答えも正しくて、どの答えも不十分だった。この世界に来て、その問いは——もっと切実になっていた。
「…………」
ルカが、黙って待っていた。急かさなかった。——この子は、答えを急がない。答えが簡単ではないことを、知っているからだ。
「……権力は——責任のためにある、と思います」
「責任?」
「権力を持つ人間は、権力の範囲にいる人間に対して責任がある。王なら国民に。領主なら領民に。ギルドマスターならギルドメンバーに。——権力の大きさと、責任の大きさは、同じであるべきだ」
「でも——今の王様は、責任を取ってないんでしょ」
「取っていない。——でも、取っていないのは、王が悪い人間だからとは限らない。取る仕組みがないから、取れていないのかもしれない」
「仕組みがない?」
「王に対して『あなたの責任はこれです』と示す仕組みがない。情報公開がないから、王は何が起きているか知らない。報告制度がないから、問題が上がってこない。——結果として、ルンゲのような人間が情報を独占し、王の判断を操作できる」
「じゃあ——王に会って、何を言うの?」
「仕組みを作りましょう、と。——王の責任を定義する仕組みを。それは王権の否定ではなく、王権に意味を与えることだ、と」
「……それ、伝わるかな」
「わかりません。——でも、言わなければ、伝わる可能性はゼロです」
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謁見の前夜。
エリーゼが——誠に、作法を叩き込んでいた。
「入室時は右足から。視線は床。王が座るまで立つ。着席を許されるまで立ち続ける。許されなければ最後まで立つ」
「最後まで?」
「最後まで。——発言は王に許可されてから。名前を呼ばれるまでは存在しないものとして扱われる」
「……存在しないもの」
「それが作法だ。——是永。明日は、正論だけでは通じない。王は論理で動かない。王は——空気で動く」
「空気?」
「王の前では、ルンゲは完璧な空気を作る。敬意と信頼と忠誠の空気。——お前は、それとは違う空気を作らなければならない」
「違う空気?」
「誠実の空気だ。——嘘のない人間の空気。王は多くの嘘つきに囲まれている。嘘のない人間を見れば——気づく。気づくかどうかは、王次第だが」
「……エリーゼさんは、王に会ったことが?」
「騎士として、何度か。——遠くからだが。あの王は——馬鹿ではない。怠惰なだけだ。本気で考えさせれば、判断力はある」
「本気で考えさせる方法は?」
「一つだけある。——王が、自分の問題だと感じた時。他人事ではなく、自分の問題だと」
「王にとって——法改正が自分の問題になる瞬間」
「ルンゲの不正が、王の信用を傷つけていると理解した瞬間だ。——ルンゲは王の名前で布告を出している。放火を。集会禁止を。法典の封鎖を。全て王の名前で。——王の名前で行われた不正は、王の責任になる」
「…………」
「そこを突け。——王自身が、ルンゲの道具にされていると」
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同じ夜。
ルンゲの屋敷。
「謁見か。——メルツが余計なことをしたな」
「いかがいたしますか」
「問題ない。——謁見は、こちらにとっても好都合だ。王の前で是永を潰せば、今度こそ完全に終わる。議会では否決した。王の前で否定されれば——三度目はない」
「是永は何を言うと?」
「何を言っても同じだ。——王は、安定を求める。是永の改革は不安定を生む。ルンゲ家は三代にわたって王室に仕えてきた。是永は昨日来た余所者だ。——王がどちらを信じるか。聞くまでもない」
ルンゲが——微笑んだ。
「明日は——是永の最後の舞台になる。——丁重に、優雅に、完全に潰す。王の御前で」
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