第18話「監査という概念(信用を数字にする)」
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ルンゲを直接倒すことはできない。少なくとも、今は。
誠は、戦略を切り替えた。
ルンゲを追い詰めるのではなく——ルンゲが不正をできる余地を、一つずつ潰す。透明な市場を作る。不正の隙間を塞ぐ。ルンゲが動けば、必ず痕跡が残るようにする。
そのために必要なのが——監査制度だった。
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「監査」
誠が羊皮紙に書いた文字を、マリーナが読んだ。
「かんさ?」
「第三者が帳簿を検証する仕組みです。帳簿を書いた人とは別の人間が、数字の正しさを確認する」
「……別の人間って、誰が?」
「それが問題です」
誠は、マリーナとエリーゼに向かって説明した。
「今までの仕組みは、『記録する人』と『検証する人』が同じでした。マリーナさんが帳簿を書き、マリーナさんが確認する。僕が照合する。——でも、二人しかいない体制では、限界がある」
「限界?」
「二人が共謀したら終わりです。——いや、僕とマリーナさんは共謀しませんけど。問題は、それを第三者に証明できないこと。『お前たちが結託してるんじゃないか』と言われたら、反論の手段がない」
「誰にそんなこと言われるのよ」
「ルンゲです。帳簿の信用を攻撃するなら、まずそこを突くはずです。『是永とマリーナが作った帳簿を、是永とマリーナが検証している。自作自演じゃないか』と」
マリーナが、眉を寄せた。
「……確かに、そう言われたら弱いわね」
「だから、第三者が必要なんです。帳簿を書く人。検証する人。そして——検証の結果を確認する人。三者が別々の立場から同じ数字を見て、一致すれば正しい。一致しなければ、どこかに問題がある」
「三段階のチェック?」
「はい。——監査の基本構造です。記帳者、検証者、監査人。三者が独立していることが条件」
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エリーゼが口を挟んだ。
「独立。——それが一番難しいだろう」
「何がですか」
「監査する人間が買収されたらどうなる。ルンゲの金で監査人が動くなら、三段階だろうが四段階だろうが意味がない」
「その通りです。——だから、監査人の独立性を担保する仕組みが必要なんです」
「どうやって」
「三つの方法があります」
誠は、メモに書いた。
「一つ目。監査人を複数名にする。一人なら買収できても、五人全員を買収するのは難しい。しかも、五人がお互いを監視し合う。一人が不正を見逃しても、他の四人が気づく」
「五人分の報酬が必要ね」
「はい。コストはかかります。でも、不正で失う金額と比べれば——安いものです。リーゼの店で見つかった二重請求だけで銀貨十五枚。年間でいくらになるか」
「……なるほど」
「二つ目。監査人の任期を短くする。半年ごとに交代。長期にわたって同じ人間が監査すると、馴れ合いが生まれる。——定期的に人を入れ替えることで、癒着を防ぐ」
「入れ替え先の人材はいるの?」
「ここが工夫のしどころです。——賛成派の商会の帳簿担当者から、持ち回りで監査人を出す。自分の店の監査は自分ではやらない。他の店の監査を担当する」
「つまり、商人が商人を監査すると」
「相互監査です。全員が監査される側であり、監査する側でもある。——誰も逃げられない」
マリーナが、少し笑った。
「……それ、商人たちが嫌がるわよ」
「嫌がるでしょうね。でも——」
「でも、嫌がるからこそ、効くのよね。自分も見られるから、自分もちゃんとやる。——よくできた仕組みだわ」
「三つ目。監査結果の公開です。監査で見つかった問題は、全てギルドの掲示板で公開する。誰が、何を、どう間違えたか。あるいは——誰が不正をしたか」
「公開? そこまでやるの?」
「やります。公開することで、監査の透明性を保つ。監査人が不正を見逃しても、結果を公開する義務があるから、他の人間が気づく。——そして、公開されることで、商人たちは『見られている』と意識する。見られている意識が、不正の最大の抑止力です」
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エリーゼが、腕を組んだ。
「なるほど。理屈はわかった。——だが、一つ聞きたい」
「何ですか」
「監査人を監査する人間は、誰だ。監査の仕組み自体が腐ったら——誰が気づく?」
誠は、微笑んだ。
「いい質問です。——古代の哲学者が同じ問いを立てました。『誰が監視者を監視するか』」
「で、答えは?」
「答えは——『全員で監視する』です」
「全員?」
「監査結果は公開する。公開された数字は、誰でも確認できる。商人も、冒険者も、一般市民も。——監査人を一人の人間に任せるのではなく、情報を公開することで、社会全体が監視者になる。それが——透明性の本質です」
「……大きな話になってきたな」
「大きな話です。でも、やることはシンプルです。数字を記録する。検証する。公開する。——それだけです」
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監査制度の骨子が固まった。
だが——問題は、誰を最初の監査対象にするか。
「試行第一号は——冒険者ギルドにしましょう」
誠が言った瞬間、マリーナとエリーゼの顔色が変わった。
「冒険者ギルド? あのバルドの?」
「いえ、バルドは傭兵ギルドです。冒険者ギルド——ギルド長の、あのギルド」
「契約書を燃やしたあの男?」
「はい」
「……正気?」
「正気です。——理由は三つあります」
誠は指を立てた。
「一つ目。冒険者ギルドの会計は、この街で最も不透明です。契約付き依頼の報酬の遅延、手数料の不正徴収——トビアスが最初に教えてくれた問題が、まだ解決していない」
「二つ目は?」
「冒険者ギルドを監査して不正を明らかにすれば、監査制度の効果を最も劇的に示すことができます。——契約書の時と同じです。一番大きな成功事例を見せて、他を巻き込む」
「三つ目」
「冒険者ギルド長は、ルンゲの影響下にある可能性が高い。帳簿を監査すれば、ルンゲとの繋がりが見えてくるかもしれない」
「一石三鳥ね」
「はい。——ただし、ギルド長は抵抗するでしょう。契約書を燃やした男ですから」
「抵抗どころじゃないわよ。暴れるわ」
「だから——バルドの協力が必要です」
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バルドとの二度目の面会。
今度は、エリーゼが同席した。
「バルド。冒険者ギルドの会計監査に協力してほしい」
「俺に監査しろと?」
「いや。お前の傭兵ギルドの帳簿は、すでに確認した。——今回は、冒険者ギルドだ」
「あのギルド長か。——あいつは気に入らねぇ。冒険者をナメてやがる」
「冒険者ギルドの帳簿を監査するにあたって、冒険者側の代表として——バルド、お前に監査人の一人になってもらいたい」
バルドの目が、光った。
「俺が——監査?」
「お前は冒険者の利害を代表する立場だ。冒険者の金が正しく扱われているか、お前が確認する。——不正があれば、お前の手で暴く」
「…………」
バルドは、しばらく黙っていた。
「……紙切れ屋」
「はい」
「お前、最初に契約書を持ってきた時、俺はお前を嫌ってた」
「知ってます」
「今も嫌いだ」
「知ってます」
「だが——お前のやってることは、悪くない。冒険者のためになってる。帳簿を整備して、二重請求を見つけて——現に、トビアスの報酬問題も解決した」
「バルドさんが動いてくれたおかげです」
「おだてるな。——いいだろう。やる。あのギルド長の帳簿を暴いてやる。冒険者を舐めた代償を払わせてやる」
「ありがとうございます。——ただし」
「ただし?」
「監査は、報復ではありません。不正を暴くのが目的であって、ギルド長を追い詰めるのが目的ではない。——数字に基づいて、事実だけを指摘する。感情は挟まない」
「…………」
「バルドさん。約束してもらえますか」
バルドが、誠を睨んだ。
長い沈黙。
「……わかった。数字で話す。——その代わり、不正が見つかったら容赦はしない」
「容赦は必要ありません。——事実は、容赦なく語りますから」
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監査チームが編成された。
監査人は五名。
バルド。冒険者側の代表。帳簿は読めないが、金に関する勘は鋭い。
リーゼ。商人ギルド賛成派の筆頭。帳簿の整備で最も効果を実感した人。
エリーゼの騎士仲間、カール。騎士団内でルンゲに疑念を持つ一人。公正さを重視する堅物。
トビアス。冒険者の若手代表。報酬の不正に最初に声を上げた人間。
そして——ルカ。魔力痕跡の読み取りによる改ざん検知の専門家。
「この五人に、僕が技術的なサポートをします。帳簿の読み方、数字の照合方法、不一致の判断基準。——全て、事前に研修します」
「研修?」
「はい。監査は技術です。勘や経験だけでは、見落としが出る。——全員が同じ基準で数字を見られるように、マニュアルを作ります」
「あんた、マニュアル好きねぇ」
「マニュアルは、人が変わっても品質が落ちない仕組みです。——僕がいなくなっても、監査が続けられるように」
マリーナが、一瞬だけ顔を曇らせた。
「……いなくなるって。どこかに行く気?」
「いえ。ただ——仕組みは、作った人がいなくても機能するべきなんです。それが、本当の制度です」
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監査の実施日は、三日後に設定された。
事前通知は——しなかった。
「え、通知しないの?」
「しません。抜き打ちです」
「でも、相手は冒険者ギルドよ。ギルド長が暴れるんじゃ——」
「暴れるでしょうね。でも——通知したら、前回のルンゲの倉庫と同じことが起きます。証拠を隠される」
「ギルド長にそんな頭があると思う?」
「ギルド長になくても——ギルド長に入れ知恵する人間はいます。ルンゲの側近が」
「……なるほど。通知したら、ルンゲに筒抜け」
「はい。だから抜き打ち。——新しい規約で認められた手続きです。合法です」
「合法ね。——あんた、合法が好きね」
「合法が一番強いんです」
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監査当日。
朝。冒険者ギルドの正面扉の前に、監査チーム六名が立った。
バルドが扉を叩いた。
「開けろ! 商人ギルド規約に基づく抜き打ち監査だ!」
「……バルドさん。もう少し穏やかに——」
「これが俺の穏やかだ」
扉が開いた。受付の女性が、目を丸くしている。
「あ、あの——ギルド長は——」
「ギルド長に取り次がなくていい。帳簿のある部屋に案内しろ」
「で、でも——」
エリーゼが、騎士の紋章を見せた。
「騎士団の立ち合いのもとでの公式監査です。——案内を」
受付嬢が、青ざめて頷いた。
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帳簿室。
監査チームが帳簿を広げ始めた時——ギルド長が飛び込んできた。
「何をしている! 何の権限で——」
「商人ギルド規約第七十三条改定第二項。抜き打ち監査制度に基づく正規の手続きです」
誠が、書面を差し出した。マリーナの印。エリーゼの署名。規約の写し。
ギルド長は、書面をひったくって読んだ。顔が赤くなり——次に青くなった。
「こんな規約、いつの間に——」
「先週のギルド集会で承認されました。——ギルド長は、集会に出席されていませんでしたね」
「出席してない? 俺は——」
「欠席でした。議事録に記録があります」
ギルド長が、帳簿室を見回した。バルドが帳簿を開いている。リーゼが数字を書き写している。ルカが魔法で文字の上を撫でている。
「おい。待て。帳簿は見せられない。これはギルドの——」
「機密ですか。——機密性は、監査の対象外にする理由にはなりません。監査チームには守秘義務が課されています。外部に漏らすことはありません。ただし、不正が見つかった場合は——公開されます」
「不正なんかない!」
「ないなら、問題ありません。——監査が済めば、潔白が証明されるだけです」
ギルド長の顔が、引き攣った。
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監査は——すぐに結果を出した。
最初の三十分は、何も出なかった。
数字は整然と並び、帳簿の体裁は整っている。ギルド長が「不正なんかない」と言い張った通りの、きれいな帳面だった。
バルドが誠を見た。目が「本当に出るのか」と問うている。
誠は黙って首を振った。——待て、と。
四十五分。ルカが帳簿の一頁で手を止めた。魔法で文字の上を撫でていた指が、ぴたりと止まった。
「……おっさん。ここ」
誠が覗き込んだ。ルカが指した数字と、隣のページの数字を見比べた。
三秒。
「——見つけました」
一つ目。依頼報酬の「手数料」。帳簿上は一律五パーセントだが、実際の徴収額は依頼によって異なり、十パーセントから二十パーセントのものがあった。差額はどこへ行ったか——帳簿に記録がない。
二つ目。架空依頼。完了報告があるのに、依頼内容が存在しない依頼が七件。報酬は「経費」として支出されているが、受け取り手が不明。
三つ目。冒険者の等級操作。特定の冒険者の等級が、実績と合わない低さに設定されている。等級が低いと報酬の上限も低くなる。——人為的に報酬を削っていた痕跡。
「……これ、全部ギルド長が処理した支出ね」
リーゼが、帳簿を指で押さえながら言った。
「手数料の差額が——計算すると、年間で金貨二十枚以上。これ、ギルドの運営費の三割よ」
「三割!」
バルドが声を上げた。
「三割が闇に消えてるだと? 冒険者の報酬から抜いてやがったのか!」
「バルドさん。声を——」
「声を抑えられるか! 三割だぞ! 俺たちが命を懸けて稼いだ金の三割を、あのギルド長が——」
「数字で話すと約束したでしょう」
「…………」
バルドは、拳を握って、深呼吸した。
「……わかった。数字で話す。——金貨二十枚。年間。冒険者の報酬から不正に徴収された金額。これが事実か」
「事実です。帳簿の記録と、実際の支払い額の差異から算出しました」
「なら——それを、冒険者全員に公開しろ。今すぐ」
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監査結果は、その日のうちに冒険者ギルドの掲示板に貼り出された。
反応は——爆発的だった。
「手数料が二十パーセントだったのかよ! 五パーセントって言われてたのに!」
「架空依頼って何だ。俺たちの金で——」
「等級操作? だから俺の報酬がおかしかったのか!」
冒険者たちの怒りが、ギルド長に向かった。
ギルド長は——。
一瞬、顔が蒼白になった。唇が震え、目が泳いだ。帳簿を見て、掲示板を見て、冒険者たちの目を見て——逃げ場がないことを悟った表情。
だが、その動揺は三秒で消えた。
「——これが伝統だ!」
開き直った。
「手数料はギルドの運営に必要な経費だ。経費を賄うために調整するのは、ギルド長の裁量だ。——お前らにいちいち説明する必要はない!」
「伝統? 伝統で金を盗るのか!」
「盗ってない! 運営費だ!」
「運営費の名目で私腹を肥やしてたんだろうが!」
広間が、怒号で埋まった。
誠は——黙っていた。
何も言わなかった。「だから言っただろう」とは、一言も。
バルドが誠を見た。
「……お前。何か言わないのか」
「言うことはありません。——数字が全部言ってくれますから」
「…………」
「ただ——一つだけ」
誠が前に出た。
「皆さん。怒りは理解できます。でも——大事なのは、これからどうするかです」
「どうするかだと? あのギルド長を追い出す!」
「追い出した後、誰がギルドを運営しますか? 怒りに任せてギルド長を排除しても、次のギルド長が同じことをしない保証はありません。——大事なのは、同じ不正が二度と起きない仕組みを作ることです」
広間が、少し静まった。
「監査制度は、そのための仕組みです。定期的に帳簿を第三者が確認する。不正があれば公開する。——この仕組みが続く限り、誰がギルド長になっても、不正は見逃されません」
「でも、あのギルド長をどうにかしないと——」
「ギルド長の処遇は、皆さんが決めることです。——僕たちにできるのは、数字を出すこと。その数字をどう使うかは、このギルドの皆さんが決めてください」
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ギルド長は——失脚した。
冒険者たちの突き上げに耐えきれず、二日後に辞任。形式上は「一身上の都合」だが、実態は事実上の解任だった。
あの夜、酒場で契約書を燃やした男が——数字の前に膝を折った。
「……あの男、ギルド長としては無能だったが、悪党としても二流だったわね」
マリーナが言った。
「帳簿に証拠を残すなんて。——ルンゲなら、こうはならない」
「そうですね。ルンゲは、証拠を残さない。あるいは、残した証拠を消す手段を持っている。——でも」
「でも?」
「ギルド長の失脚は、監査制度が機能することの証明になりました。数字を公開すれば、人は動く。——この前例は大きい」
「大きいわね。——で、後任は?」
「それが問題です」
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その日の夕方。
ルンゲからの書簡が届いた。
「冒険者ギルドの混乱を拝見し、心を痛めております。秩序の回復のため、適任者をご推薦申し上げたく——」
誠は、書簡を読み終えて、テーブルに置いた。
「……来ましたね」
「来たわね。——次の手が」
「ルンゲは、ギルド長の失脚を織り込み済みだった可能性があります。最初から、後任に自分の人間を送り込むつもりで」
「つまり、監査で不正を暴いたのは——」
「ルンゲにとっても好都合だった。使えないギルド長を排除して、もっと優秀な——もっと巧妙な傀儡を送り込む。——制度を利用するのが、ルンゲの手口です」
「……じゃあ、どうするの」
「ルンゲの推薦候補を受け入れるわけにはいきません。——別の方法でギルド長を選ぶ必要がある」
「別の方法?」
誠は、少し考えた。
「……マリーナさん。この世界に、選挙はありますか」
「せんきょ?」
「構成員の投票で、リーダーを選ぶ仕組みです」
「……ないわね。聞いたこともない」
「なら——作りましょう」
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同じ夜。
ルンゲの屋敷。
「冒険者ギルド長が失脚しました。——予定通りです」
「ああ。推薦候補の準備は整っているな」
「はい。ルンゲ様のご意向通り——」
「待て」
ルンゲが、手を上げた。
「是永が何か動いている。——選挙、と言ったそうだな」
「選挙……でございますか」
「構成員の投票で後任を選ぶ。——面白い手を打ってくる」
「阻止いたしましょうか」
「いや。——選挙でも構わない。むしろ、選挙の方が都合がいい」
「と言いますと——」
「推薦であれば、反発が出る。だが選挙で勝てば——民意の裏付けがある。私の候補が選挙で選ばれれば、是永にも文句は言えまい」
ルンゲは微笑んだ。
「是永が作った仕組みで、私の人間を正当に選ばせる。——これ以上の皮肉はないだろう。だが、その前に——」
ルンゲの目が、暗くなった。
「帳簿の工作を急げ。選挙の前に、是永の信用を落としておく必要がある。——数字の嘘が露見すれば、是永の作った監査制度も、通報制度も、全てが疑われる」
「承知いたしました」
「正しい仕組みほど、汚れた時の衝撃が大きい。——是永がそれを知るのは、もうすぐだ」
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