第12話「数字は嘘をつかない」
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差額の追跡は、地味な作業だった。
誠とマリーナは、先月の取引を一件ずつ洗い直した。入金元を確認し、出金先を確認し、帳簿の記載と実際の金の動きを突き合わせる。
二日目。パズルのピースが一つずつ嵌まり始めた。
消えた金貨三枚のうち二枚は、契約審査機関の「運営費」として計上されていた。支出先は「書記用品商ヴェルナー」。——実在しない商人。
残り金貨一枚と銀貨十三枚は、「冒険者ギルドへの共同出費」として計上されていたが、冒険者ギルド側に受領の記録がない。
「……全部、契約監査局の絡みね」
マリーナが、帳簿を睨んでいた。
「ルンゲの書記官が処理した支出。二件とも」
「ええ」
「偶然じゃないわよね」
「偶然にしては、出来すぎています」
誠は、テーブルの上にメモを広げた。
「書記官五名のうち、会計処理を担当しているのはグリム。この人物が二件とも処理しています。ただ——」
「ただ?」
「証拠としては弱い。架空の商人への支出は、『調べたら閉業していた』と言われればそれまでです。冒険者ギルドへの出費も、『連絡の行き違い』で片付けられる」
「つまり、わかっていても追及できない」
「今の段階では」
マリーナが、ため息をついた。
「……私のギルドから金が抜かれてる。私の目の前で。しかも、私が招き入れた人間に」
「マリーナさんが招き入れたわけじゃ——」
「同じよ。ルンゲの申し出を受けたのは私。——自分のギルドも守れないで、何が商人ギルドマスターよ」
マリーナの声に、初めて自分への怒りが混じっていた。
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誠は、別のアプローチを考えた。
犯人を追及するのではなく、仕組みで不正を封じる。
コンプラの基本だ。「悪い人間を捕まえる」のではなく、「悪いことができない環境を作る」。
「マリーナさん。会計基準を作りましょう」
「会計基準?」
「帳簿のルールです。記帳の方法、勘定科目の定義、残高の計算方法——全部を標準化する。そして、定期的に第三者が監査する」
「第三者って——」
「契約監査局じゃないです。ルンゲの人間が入っている機関に会計監査を任せたら、泥棒に鍵を預けるのと同じです」
「じゃあ、誰が?」
「当面は、僕とマリーナさんで。二人で相互チェックする。——二重照合です。一人が記帳し、もう一人が検証する。二人が共謀しない限り、不正は通らない」
「あんたと私が共謀する可能性は?」
「ゼロです。——あ、いや、マリーナさんが僕を買収する可能性は」
「あんたを買収する金なんてないわよ」
「そもそも買収されません。コンプラ担当は」
「言い切ったわね」
誠は、新しい羊皮紙を広げた。
「会計基準、第一版。書きます」
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会計基準の骨子は、三つだった。
一つ目。全ての支出に、相手先の実在確認を義務づける。架空の商人への支出は、これで防げる。
二つ目。一定額以上の支出には、二名以上の承認を必要とする。一人の書記官が勝手に金を動かせない。
三つ目。月次の残高照合。帳簿上の残高と、実際の金庫の中身を毎月突き合わせて、差額が出たら即座に調査する。
「……シンプルね」
「シンプルなのがいいんです。複雑な規則は守られない。シンプルな規則は守られる。——少なくとも、破れば目立つ」
「でも、これを導入したら——」
「ルンゲの書記官の不正が、自動的に浮かび上がります」
「それは——」
「わかってます。ルンゲとの関係が悪化する可能性がある。でも、このまま金を抜かれ続けるよりはマシです」
マリーナは、窓辺に立った。外を見ている。
「……ねえ、是永」
「はい」
「あんた、この世界に来てから何日くらい経った?」
「……数えてません。たぶん、一ヶ月くらいです」
「一ヶ月で、契約書を作り、審査機関を立ち上げ、今度は会計基準を書いてる」
「……はい」
「あんた、異世界に来る前もこんな感じだったの?」
「……だいたい同じです。制度を作って、運用して、穴を見つけて、直して。その繰り返しでした」
「楽しい?」
誠は、少し考えた。
「楽しくはないです。正直。でも——やらないと、誰かが損をする。それがわかってるのにやらないのは、もっと嫌です」
「……変な人」
「よく言われます」
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エリーゼが来たのは、午後だった。
「是永。一つ報告がある」
「何ですか」
「グリムについて調べた。ルンゲの書記官。——あの男、以前はルンゲ家の領地の税務を担当していた」
「税務?」
「ああ。そして、ルンゲ家の領地では、三年前に税収の大幅な減少があった。公式には『不作』が原因とされているが、実際には——」
「横流し、ですか」
「断言はできない。だが、グリムがその時期に税務担当から外され、『書記官』として転属している。——功績での栄転ではない。問題を起こしたが、処分すると都合が悪い人間を、別の場所に移した。そういう匂いがする」
「……典型的な不正人事ですね。問題社員を異動させて、問題を見えなくする」
「お前の世界にもあるのか」
「山ほどあります」
誠は、メモに書き加えた。グリム。ルンゲ家領地。税務。横流しの疑い。
「エリーゼさん。この情報、どこから?」
「騎士団の同僚。ルンゲ家の領地に駐在していた騎士がいる。その者から聞いた」
「エリーゼさんが、自分から調べてくれたんですか」
「……別に。気になっただけだ」
エリーゼは顔をそむけた。
「あの紳士の仮面の裏に何があるか、知りたかっただけだ。騎士として」
「……ありがとうございます。すごく助かります」
「礼はいい。——それより、帳簿の照合は進んでいるのか」
「進んでます。それで——一つ、お願いがあるんですが」
「何だ」
「グリムが処理した支出の中で、冒険者ギルドへの『共同出費』というのがあったんです。冒険者ギルド側に受領記録がない。——バルドに確認してもらえませんか」
エリーゼが、眉を寄せた。
「バルドに?」
「はい。バルドは僕を嫌ってますけど、ギルドの金が絡む話なら、無視できないはずです」
「……一理あるな。あの男は粗暴だが、ギルドの金には敏感だ」
「金に敏感な人は、金の不正に一番怒ります。——コンプラの世界では、味方にすべきは『正義の人』じゃなくて『利害が一致する人』です」
「……あんたの世界観は、いつも生々しいな」
「リアルです。生々しいのではなく」
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三日後。
エリーゼが、バルドの回答を持ってきた。
「バルドは言った。『冒険者ギルドは商人ギルドから共同出費など受け取っていない。何の話だ』と」
「——やはり」
「さらに。バルドはかなり怒っていた。『うちの名前を使って金を動かしている奴がいるなら、そいつは俺の敵だ』と」
「バルドが怒ってくれましたか」
「怒った。もうほとんど暴れそうだった。——あの男、ギルドの利権には敏感だ。自分の縄張りで勝手なことをされるのが、何より嫌いらしい」
「完璧です」
「完璧?」
「バルドが怒ってくれたということは、冒険者ギルド側からも追及の声が上がる。商人ギルド単独で騒ぐよりも、ずっと効果があります」
「……あんた、バルドすら利用するのか」
「利用じゃないですよ。利害の一致です。——バルドだって、自分のギルドの名前で不正されたら困るでしょう」
「まあ……確かに」
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その夜。
誠は帳簿のメモを整理していた。
架空の支出先「ヴェルナー」。冒険者ギルドの名を騙った支出。グリムの経歴。——点と点が、線になり始めている。
だが、まだ足りない。
金の流れの終着点がわからない。金貨三枚と銀貨十三枚。少額だ。ルンゲの規模から見れば端金だろう。——なぜ、わざわざこんな少額を抜く?
誠は考えた。
テスト。
これは、テストだ。少額で試して、バレるかどうか確認している。バレなければ、金額を増やす。バレても、少額なら言い逃れできる。——典型的な不正の初期パターン。
つまり、今はまだ序章。本命は、これからだ。
「……ルンゲは、商人ギルドの金庫を狙ってるんじゃない」
誠は呟いた。
「金庫を通過する金の『流れ』を狙ってるんだ。——商人ギルドを、資金洗浄の窓口にしようとしてる」
契約審査機関を通じた正当な支出。その中に、少しずつ偽の支出を混ぜる。金額が小さいうちは誰も気づかない。帳簿が整備されていない世界では、なおさら。
誠が帳簿を整備したのは——ルンゲにとって、想定外だったはずだ。
「……でも、帳簿がある今なら——追える」
誠は、新しい羊皮紙を取り出した。
支出先の一覧。実在確認の結果。グリムの処理パターン。全て記録する。
まだ、証拠としては不十分だ。状況証拠の積み重ね。でも——記録があれば、後から追える。
見えないものは管理できない。見えるものは、管理できる。
——金の流れが見えれば、ルンゲの動きも見える。
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同じ夜。
ルンゲの屋敷。
グリムが報告に来ていた。
「ルンゲ様。商人ギルドで帳簿の整備が始まりました。是永が主導しています」
「……帳簿?」
ルンゲの目が、わずかに細くなった。
「ええ。入出金の記録を標準化し、月次で残高を照合する仕組みだそうです。すでに先月分の不一致が——」
「気づいたか」
「はい。書記用品商ヴェルナーへの支出を、洗い直しているようです」
ルンゲは、暖炉の前で立ち上がった。
「……あの男、契約書だけでなく、会計にも手を出すか」
「対処いたしますか」
「いや。急がなくていい」
ルンゲは窓辺に歩いた。夜の庭を見下ろしている。
「少額のテストが見つかった程度では、こちらの本丸には届かない。むしろ——帳簿を整備してくれたのは好都合かもしれないな」
「好都合、でございますか」
「帳簿が信用されるようになれば、帳簿を操作した者が嘘を作れるようになる。——是永はまだ気づいていない。数字は嘘をつかない。だが、数字を書く人間は、嘘をつく」
ルンゲは微笑んだ。
「泳がせろ。好きなだけ調べさせてやれ。——そして、帳簿の信頼性が確立した頃に、こちらが本当の数字を書き込む」
「承知いたしました」
ルンゲは暖炉の炎を見つめた。
「正しい仕組みほど、乗っ取った後の価値が高い。——あの男には、もう少し頑張ってもらおう」
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