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赤壁戦後の孫劉関係の再考 ――なぜ2人は争うことになったのか――  作者: えいの


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【補論】諸葛亮のグランドデザイン ―― 破綻した「輔弼」、挫折した「簒奪」、そして完璧なる「再構築」

本補論で展開する「劉琦擁立システムと北伐体制の類似性、および諸葛亮によるグランドデザイン説」は、正史『三国志』および裴松之の注釈に記された断片的な史実(状況証拠)を繋ぎ合わせ、後漢末期の政治思想や官職制度の力学から導き出した筆者独自の推測・歴史的仮説である。歴史書に「諸葛亮が全てを計画した」と明記されているわけではない。しかし、当時の極限状況における彼らの行動の軌跡と、数十年後の蜀漢の国家体制の符合を照らし合わせる時、そこには単なる偶然では片付けられない、ひとりの天才的な政治家の精緻な思考のプロセスが浮かび上がってくるのである。

本編第1章から第4章において、劉備がいかにして「正当な執政官(輔弼者)」としての名分を獲得し、孫権の「貸与」という詭弁による麾下統制システムから脱却していったかを論証した。この劉備陣営の根幹をなす「劉琦を擁立し、自らが実権を握る」という極めて精緻な政治デザインは、結果的に劉備に最大の政治的利益をもたらした。

しかし、歴史の事象を時系列に沿ってミクロの視点で解剖していくと、この体制は最初から順風満帆に計画・実行されたものではないことがわかる。当時の状況証拠を丹念に繋ぎ合わせると、この「劉琦擁立システム」は、本来の構想の致命的な破綻と、主君・劉備の「名分(倫理観)」に対する異常なまでの執着に直面した天才軍師・諸葛亮が、絶望的な土壇場で組み上げた「奇跡のリカバリー策(Plan B)」であったことが浮かび上がってくるのである。

本稿では、諸葛亮という一人の天才政治家がいかにして危機を脱し、そしてその時に構築した「君臣のフォーマット」が、いかにして後年の蜀漢の国家体制(北伐体制)へと受け継がれていったのか、その思想の系譜を追う。

1. 儒教的理想と劉備の「劉氏輔弼」構想

後漢末期という時代は、単に武力が支配する野蛮な時代ではない。四百年にわたって浸透した儒教的倫理と漢王朝の法秩序が、未だに知識人(士大夫)たちの精神を強く縛り付けていた時代である。この時代において、他者の領土を簒奪する者は「逆賊」の汚名を着せられ、最終的な天下の覇権を握ることはできないという強迫観念が存在した。

それゆえに、力ある臣下が非力な正統君主を支える「輔弼ほひつ」、あるいは君主に代わって政務を執る「摂政」こそが、簒奪の汚名を避けつつ実質的な権力を掌握するための最も洗練された政治手法であった。かつての伊尹いいん周公旦しゅうこうたん、あるいは前漢の霍光かくこうらが体現したこの「賢臣による輔弼」というイデオロギーは、劉備陣営にとっても至高の目標であった。

建安十三年(208年)、曹操の南下という未曾有の国難に際し、荊州牧・劉表は病床に倒れる。裴松之が注に引く『英雄記』が伝える通り、劉表は劉備に対して「卿便攝荊州(卿が荊州を摂せよ)」と託した。劉備陣営の当初の基本方針は、次男の劉琮を新たな荊州牧として戴き、劉備がその軍事・政務の全権を「摂(代行)」して、巨大な曹操軍を迎え撃つというものであったはずだ。これが、劉表の遺志にも、漢代の政治倫理にも完全に合致する、彼らの「Plan A(第一の構想)」であった。

2. 劉琮輔弼の破綻と、諸葛亮の「冷酷な代替案」

しかし、歴史は劉備たちの理想通りには動かなかった。劉表の死後、実権を握っていた蔡瑁・張允らは、客将である劉備に一切の相談や通達をすることなく、独断で曹操への降伏を決定してしまう。劉備がこの事実を知ったのは、曹操の軍勢が既にえんにまで到達し、目と鼻の先に迫った絶望的な状況下においてであった。

これにより、劉備が描いていた「劉琮を擁立して輔弼する」という大前提は、根底から完全に崩壊したのである。

この国家存亡の、秒刻みで死が迫る非常事態において、諸葛亮は劉備に対して極めて現実的かつ冷酷な代替案を進言している。正史『三国志』蜀書・先主伝には、次の一文が記されている。

「或勧備攻琮、荊州可得。」(あるいは備に琮を攻めよと勧める。そうすれば荊州は得られるであろうと。)

裴松之の注や他の史書を総合すれば、この「あるひと」とは諸葛亮を指す。諸葛亮の思考は「主君を支える輔弼体制が不可能になり、かつ敵が目前に迫っている以上、今度は自らの軍事力をもって直接襄陽を急襲し、劉琮から荊州を力ずくで奪い取る(簒奪・実力行使)しかない」という、冷徹なプラグマティズム(実用主義)へと瞬時に切り替わっていたのである。緊急避難的なクーデターによって荊州の軍事資源を奪取しなければ、劉備陣営は曹操軍に蹂躙されて全滅する。軍事合理的観点から見れば、諸葛亮のこの進言は百パーセント正しかった。

3. 「吾不忍也」 ―― 実利を拒絶した劉備の執着

しかし、劉備は諸葛亮のこの完璧な軍事的進言を、即座に、かつ断固として拒絶した。

「吾不忍也。」(私には忍びない)

この劉備の決断は、後世の文学作品では「劉備の仁徳の深さ」を示す美談として消費されがちであるが、歴史学的な視点から見れば、これは極めて高度で、かつ狂気すら孕んだ「政治的計算(あるいは政治的本能)」の発露である。

恩人である劉表の死の直後に、いくら裏切られたとはいえその子(劉琮)を武力で討てばどうなるか。劉備は「追い詰められて国を奪った卑劣な逆賊」へと転落する。これまで彼が流浪の生涯の中で血を吐く思いで築き上げ、多くの名士や民衆を惹きつけてきた「仁義の士」「漢室復興の忠臣」という最大の政治的資本(名分)が、その瞬間に完全に灰燼に帰すのである。

劉備は本能的に悟っていた。「名分」を失った自分は、ただの弱小な軍閥に過ぎず、曹操や孫権に対抗する絶対的な求心力を永遠に失うことになると。ゆえに彼は、目の前にある荊州という巨大な「実利」を捨ててでも、自らのアイデンティティである「名分」を死守する道を選んだ。

諸葛亮にとって、これは想像を絶する誤算であったに違いない。自らが仕えた主君は、自軍が全滅するかもしれない極限の状況下においてすら「名分」のために「軍事力(実利)」を捨てるという、常軌を逸した倫理的執着を持っていたのである。

輔弼構想(Plan A)が破綻し、代替案である実力行使クーデターも主君によって却下された。もはや劉備陣営には、十数万の避難民を抱えながら、当てもなく南へ逃亡し、曹操の虎豹騎こひょうきに追いつかれて殺されるという道しか残されていないように見えた。

4. 活きた「江夏の伏線」 ―― 上屋抽梯の真実

しかし、諸葛亮が後世に名を残す真の天才政治家であったのは、この文字通り八方塞がりの絶望的状況下において、主君の厄介な倫理観(名分)を完全に満たしつつ、実質的な権力と軍事基盤(実利)を確保するという、アクロバティックな新体制を瞬時に組み上げ、しかもそのための「ピース」を数年前から密かに準備していたことにある。

その決定的な鍵となったのが、劉表の長男・劉琦の存在である。

時計の針を数年前に戻そう。『三国志』蜀書・諸葛亮伝によれば、諸葛亮は以前、蔡瑁らから命の危険を感じていた劉琦から再三にわたって助言を求められていた。ある時、劉琦は諸葛亮を高い楼閣に招き上げ、酒宴の最中に密かに「梯子はしごを取り外させる」という強硬手段に出た。他人に絶対に聞かれない密室を作った上で、「今日、上は天に至らず、下は地に至らず、言葉はあなたの口から出て私の耳に入るのみです。なんとか私を救う策を授けてほしい」と懇願したのである(上屋抽梯)。

これに対し諸葛亮は、春秋時代の晋の献公の歴史を引き合いに出して説いた。

「君は見なかったか。申生しんせいは内に在りて亡び、重耳ちょうじは外に在りて安きを」

国内に留まった長男の申生は継母の陰謀で殺されたが、国外へ逃れた次男の重耳は生き延び、後に帰国して天下の覇者となった。この歴史の教訓に従い、劉琦は黄祖の戦死によって空席となっていた江夏(辺境の最重要拠点)の太守となることを父・劉表に願い出て、見事に死地を脱した。同時に彼は、江夏の強力な水軍という独自の軍事基盤を手に入れたのである。

この逸話は単なる「命乞いと助言」ではない。諸葛亮は、劉氏の正統な後継者(器)を、蔡瑁らの毒牙から安全な辺境へと隔離・保存し、将来の政治的カードとして温存するという極めて高度な戦略的布石を打っていたのである。「重耳は外に在りて安きを」という言葉の裏には、「外で力を蓄え、しかるべき時に戻って覇権を握れ」という強烈な政治的示唆が含まれている。

5. 完璧なる再構築 ―― 新生「輔弼体制」の誕生

劉備が襄陽の前で「劉琮への簒奪」を拒否した瞬間、諸葛亮の頭脳の中で、この江夏に打っておいた伏線が強烈な閃光を放ったはずである。

曹操に降って正当性を失った劉琮という「器」はもう使い物にならない。しかし、東の江夏には無傷のまま温存されていた「劉表の長男」という最高の名分を持つ劉琦と、一万の水軍が存在している。

劉琮の輔弼が不可能になり、劉備自身が直接トップに立つ(簒奪する)ことも倫理的に不可能であるならば、もうひとりの正統な血脈を持つ者を主君(器)として据え、再び劉備がその下で「執政官(実)」となればよい。

長坂の戦いで曹操軍の猛追を受け、壊滅的な打撃を受けた劉備軍を救ったのは、他でもない、この江夏から関羽と劉琦が率いてきた水軍であった。逃避行の末に江夏(夏口)へと辿り着いた劉備と諸葛亮は、直ちにこの「最高の名分」を行使する。

赤壁の戦いを経て、彼らは劉琦を「荊州刺史」に推戴し、劉備はその輔弼者として荊州南部四郡を平定する軍事行動を起こしたのである。

これは、諸葛亮という類稀なるグランドデザイナーによる、執念の「再構築」であった。劉備の絶対に譲れない「大義名分(簒奪の否定)」と、軍閥として生き残るために絶対に必要な「実利(荊州の支配と正当化)」の双方を、劉琦というピースを嵌め込むことによって完璧に両立させたのである。

荊州の士大夫たちにとって、劉琮が曹操に降った今、劉氏の正統は劉琦にあり、彼を奉じて逆賊曹操から領土を回復する劉備は「最高の忠臣」として映った。諸葛亮は、崩壊しかけた劉備の政治生命を、江夏の地で鮮やかに、かつ当初の構想(Plan A)よりも遥かに強固な形で蘇らせたのである。

6. フラクタル構造 ―― 『出師の表』に息づく荊州の原風景

そして、歴史のダイナミズムはさらに数十年後の未来へと連なっていく。この時、諸葛亮が劉備のために再構築した「正統な主君+実力ある執政官」という統治フォーマットは、蜀漢という国家の最終形態として完全にリメイクされることになるのである。

建安二十八年(223年)、劉備が白帝城で崩御する。後を継いだ若き皇帝・劉禅を頂点に戴き、丞相である諸葛亮自身が軍事・内政・外交の全権を掌握し、北伐(対魏戦争)を主導したあの体制である。

【荊州モデル(設計者:諸葛亮)】

君主(器):劉琦(劉表の正統な後継者) / 執政官(実):劉備

【蜀漢モデル(設計者:諸葛亮)】

君主(器):劉禅(劉備の正統な後継者) / 執政官(実):諸葛亮

二つの体制の政治的アーキテクチャ(構造)は、恐ろしいほどのフラクタル(相似形)を成している。

劉表から「卿便攝荊州」と託された劉備。劉備から「君可自取(もし我が子に才能がなければ、君が自ら国を取れ)」と託された諸葛亮。

どちらも前任者から実質的な「簒奪の許可」とも取れる究極の託付を受けながら、彼らはそれを拒み、「正統な後継者を頂点に戴き、自らは臣下として全権を振るう」という輔弼の道を選んだ。

諸葛亮は、かつて若き日に主君(劉備)に演じさせた「忠実なる最強の輔弼者」という役割を、今度は自らが主君(劉禅)に対して、文字通り命を削って演じ切ったのである。劉禅が諸葛亮を「相父(しょうほ=父のごとき宰相)」と呼んで全権を委ねた姿は、かつて劉琦が劉備を頼り、全幅の信頼を置いて荊州の統治を任せた姿と完全に重なり合う。

7. 結語:永遠の「輔弼体制」

諸葛亮が第一次北伐に際して劉禅に奉った不朽の名文『出師のすいしのひょう』には、次のような一節がある。

「臣敢えて効を尽くさざらんや。(中略)先帝の殊遇の恩に報い、陛下の明に忠を尽くさんとするのみ。」

ここには、「先帝(劉備)の遺志に報いるため、愚臣が全力を尽くして陛下(劉禅)を補佐し、逆賊を討つ」という、涙を誘うほどの強烈な「輔弼の美学」が綴られている。

しかし、この名文の底流に流れる精神的支柱をさらに遡れば、それはかつて建安十三年の荊州において、「先主(劉表)の遺志に背くことはできない」と劉備が簒奪を拒み、絶望の淵から劉琦を擁立して見事に「輔弼体制」を蘇らせた、あの土壇場での成功体験(原風景)が強烈に刻み込まれていたのではないだろうか。

諸葛亮にとって「正当な主君を輔弼し、大義を成す」というフォーマットは、単なる処世術やその場しのぎの策ではない。それは、儒教的倫理(名分)と現実政治(実力)が矛盾し、相克する後漢末期という時代において、人間の尊厳と国家の正義を両立させるための、至高の芸術作品マスターピースであった。

劉琦と劉備による荊州統治の構図は、単なる歴史の一コマではない。それは、後に諸葛亮自身が劉禅とともに完成させる「究極の輔弼体制(蜀漢国家の完成形)」を生み出すための、壮大にして凄絶なプロトタイプ(原型)だったのである。

(補論 終わり)

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