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【6/5完結】就職先が倒産したので牧場を継いだら、俺だけ馬の声が聞こえるようになりました  作者: 萩原詩荻
最終章 エクリプス

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第八十三話 久しぶり

「あの、すみません」


 俺が声をかけると、馬主さんが振り向いた。


 最初は普通に「誰だろう」みたいな顔だったのだが、すぐに目を丸くした。


「はい……あ、あなたは!どうされました?」


 うわぁ。


 その反応、やめてほしい。


 ありがたいし、光栄なんだけど、照れるし、ちょっとだけ逃げたくもなる。


「えーと、その」


 なるべく穏やかに、なるべく余計な波を立てないように、言葉を選ぶ。


 だって普通に考えたら、レース前に急に変な爺さんが来るの、だいぶ怖い。


「そちらの8番の馬、右前脚に違和感があるらしいです」


 その場の空気が、ぴたりと止まった。


 その横にいた調教師らしき人も、ぱっと馬の脚元を見る。


 さらに隣にいた若い調教助手さんの目が「は?」みたいな顔になる。


 まあ、そうだろうな。


 普通そうなる。


「もちろん、最終的な判断は専門の方にお願いしたいんですが、ちょっと気になって」


 すると、馬主さんは、俺が思ったよりずっと早く頷いた。


「……わかりました」


 早い。


 ありがたいけど、早い。


「『あの』桜井さんが言うなら信じます」


 その言葉の“あの”に、色々詰まりすぎている気がした。


「ありがとうございます、では私はこれで」


 俺は深く頭を下げて、その場を離れた。


 ……心臓がバクバクしている。


 背中の方で、8番の馬がものすごくほっとした声を出している。


「ありがとう!助かったよ、お爺さん!!」


 おう。


 礼儀正しくてえらいな。


「ありがとうううう!!」


 いや、声でけぇな。


 もちろん他の人には聞こえていないだろうけど。


 一方で人間同士の会話も聞こえてしまった。


「……あの、さっきの人は」


 助手さんかな。


 それに答える、落ち着いた低い声。


「知らんのか。あの人は『サクライ』の馬主で、馬の異常を見抜く目は獣医以上として有名な人だ」


「えっ、あのお爺さんが!?」


 いや、そんな有名とか言わないでくれ……。


 馬たちが「脚やな感じ」「鼻の奥変」「おなかぴー」って教えてくれるだけである。


 獣医さんたちはちゃんと勉強して、経験を積んで、大切に馬たちを見てくれている。


「ズルしてるわけだから、その評価は心苦しいんだけどな」


 思わず小声でそう呟いた。


 誰も聞いてないだろうと思ったら、すぐ近くにいた別の馬が、しれっと言った。


「でも言ってくれるとやっぱり助かるわよー」


 そう言ってくれるとありがたい。


「人間って、言ったらちゃんと止めてくれる人もいるし」


「そうだな」


「さっきの馬も『ありがとう』って言ってたでしょ」


「大事にならないといいけどな」


「あと、お爺さんって呼ばれてちょっとへこんでない?」


「余計なお世話だ」


「図星じゃーん」


 ちくしょう。


 勘のいい馬だな。


 素直に撤退する。


 焼き鳥みたいな匂いも、ラーメンみたいな匂いも、高そうなサンドイッチの匂いもする。


 競馬場って、何回来てもちょっとお祭りっぽくて楽しい。


 そんな中、人混みの向こうから若い連中の会話が聞こえてきた。


「見た?昨日の雑誌の特集」


「見た見た、『日本競馬史上最強馬は!?』だろ」


「やっぱディープワンしかいない」


「俺的にはハリボテエナジーかなー」


「世界ランキング考えろ、フランコルに決まってんだろ」


 みんな好きだよな、最強論争。


 いや、俺も好きなんだが。


 でも。


「サクライルドルフ」


 誰にも聞こえないくらいの声でそう呟いた。


 言った瞬間、自分で少しだけ笑ってしまった。


 贔屓だなぁ、と思う。


 でも、仕方ないだろ。


 今の時代、ルドルフはもう“昔の伝説”だ。


 古参の競馬ファンが酒飲みながら「やっぱルドルフだよなぁ」と言うタイプの存在になっている。


 それでいい。


 でも。


 あいつが勝ったレースだけじゃない。


 勝てなかったレースも、りんご食ってた時も、牧場で転がってた時も知ってる。


 それでなお、「最強は誰だ」と聞かれたら、俺は迷わない。


「……久しぶりに、ルドルフのこと考えたな」


 いや、正確には、そんなに久しぶりでもないか。


 ルドルフ以降も、ザビエルやプリンセス、サクライオーみたいにうちの牧場からGⅠを取ってくれた馬も出ている。


 それでも血統の話をしたり、昔の人と話したりすると、やっぱりルドルフの名前が出る。


 ただ、直接的にルドルフのレースを思い出したのが久しぶりに感じた。


 その瞬間、妙な感覚が胸の奥をかすめた。


 なんというか、ふっと引っ張られるみたいな感じだ。


 懐かしいような。


 落ち着かないような。


 でも、嫌じゃない違和感。


「……ん?」


 立ち止まる。


 競馬場のざわめきの中にいるはずなのに、少しだけ遠くの音が聞こえた気がした。


 風の音。


 草の擦れる音。


 馬房の木が鳴る音。


 そんなはずはない。


 ここは競馬場だ。


 静内じゃない。


 でも。


「……今から牧場に帰るか」


 口から、自然にそう出た。


 何か用事があったわけじゃない。


 牧場は既に後継者に譲っている。


 でも、なんとなく。


 ルドルフが呼んだ気がした。


 伝説になって。


 引退して。


 子どもも孫も残して。


 とっくに天国に行っているあの甘えん坊皇帝が。


 なんとなく、「朔ー」と言った気がした。


「……お前、もういなくなって何十年だよ」


 返事なんてあるわけない。


 わかってる。


 でも――


 呼ばれた気がした。


 俺の人生はだいたいそういう“なんとなく”に引っ張られてきた気がする。


 そして、その“なんとなく”で大体ろくでもないことか、すごいことが起きる。


 中間はあんまりない。


「よし」


 とりあえず競馬場グルメ食ってから静内に帰ろう。

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ずっと楽しく読ませていただいてます みんな、良かったね! 文才がなく上手に感想を書けないため、これだけしか…
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