第二十五話 世の中、甘くない
実況の声ってのは、勝った時はやたら景気よく聞こえるくせに、負けた時は妙にすらすら耳に入ってくる。
『一着はサンダーボルト!二着にブラックホール!三着にミスタークラウン!』
三着。
三着かぁ。
三着である。
勝ってねぇ。
でも、めちゃくちゃ負けたってほどでもねぇ。
だから一番リアクションに困るやつだ。
「…………」
俺――ミスタークラウンは、とぼとぼと検量室の方へ歩いていた。
とぼとぼ。
ほんとに、こういう時の足取りって、とぼとぼになるんだな。
「…………」
勝ち馬とは、そんなに天と地ほど離されたわけじゃない。
二着馬とも、まあ、届かなくはなかった気がする。
でも、届かなかった。
届かなかったってことは、届かなかったってことだ。
今日のレースは、悪くなかった。
いや、マジで悪くなかったんだよ。
スタートもそこそこ。
道中の位置取りも悪くない。
四コーナーでも手応えはあった。
あったんだけど。
「お疲れ」
低くて穏やかな声。
顔を上げると、岡部のおっちゃんがいつもの感じで立っていた。
俺の上で騎手が「はぁー」と息を吐いた。
悪い意味のため息ではない。たぶん「惜しかったな」って類のやつだ。
「お疲れ様です。悪くはなかったんですけどね」
だろ?
だよな?
俺もそう思う。
たしかに今日は悪くなかった。
悪くなかったけど。
でも、勝ってはいない。
岡部さんが頷く。
「うん、やっぱり砂の方が良さそうかな」
俺はその言葉に、少しだけ耳を動かした。
騎手も頷く。
「そうですね……芝もやれなくはないんでしょうけど、こっちの方が目があると思います」
砂。
ダート。
そう、今日の俺は2勝クラスの条件戦でダートを走っていた。
デビューした頃の俺は、当然のように芝の王者になるつもりだった。だって王者っぽいだろ、芝。なんかこう、キラキラしてるし。
でも現実は、芝で「うおおおお!」ってやってみたら、なんかちょっと足りなくて、でもダートを走ってみたら「お、こっちの方が案外いいな?」となりつつある。
岡部さんが、俺の首筋を軽く叩いた。
「次もダートで試してみようか」
その声は、別に悲観してるわけじゃない。
むしろちゃんと道を見つけようとしてくれてる声だ。
わかる。
わかるんだけど。
「そうですね、よかったらまた乗せてください。クラウンはもっとやれる馬だと思います」
騎手が励ますように言ってくれる。
その声に、思わず鼻を鳴らす。
「…………」
この人は悪くなかった。
むしろ上手かったと思う。
最初のコーナーもそこまで無理させなかったし、直線でちゃんと前へ出そうとしてくれた。
でも、前に二頭いた。
それだけだ。
どうせこの人たちには、俺の声は聞こえない。
意味がないんだけど、心の中だけは勝手にうるさくなる。
甘くねぇなぁ、とか。
ダートかぁ、とか。
いや別にダートを下に見てるとかじゃなくて。
でもさぁ。
俺の理想だと、芝のGⅠをこう、どーんと勝って、テレビの前のちびっ子が「クラウンすごーい!」ってなる予定だったんだよな。
ダートも立派な競馬だ。
わかってる。
ダートGⅠだってあるし、強い馬は強い。
砂の王者だって、普通にカッコいい。
なんか海外にすごいレースがあるのも前にテレビで見た。
でも、でもさ。
なんか、こう。
「思ってた主人公ルートと違う……」
思わず、ちょっと唸るみたいに鼻を鳴らしてしまった。
騎手がそれを見て、苦笑する。
「悔しそうですね」
お、わかってくれるか?
俺はもっと、こう、すごい予定だったんだよ。
岡部さんも、少しだけ笑った。
「悔しがるのは悪くないよ」
いや、そりゃそうなんだけどさぁ。
俺が悔しいの、そこだけじゃないんだよな。
負けたのも悔しい。
三着なのも悔しい。
勝ち切れないのも悔しい。
「まあ、今日はゆっくり休んで」
岡部さんが言う。
騎手が最後にもう一度俺の首を撫でて言った。
「お疲れさん。ほんと、悪くなかったよ」
その言い方が、ちょっと悔しい。
……頑張るけどさ。
頑張るけど、そういう時はもうちょっと主人公向けの台詞がほしいんだよな。
いや、十分優しいんだけど。
俺の理想の世界には、もっと都合のいい演出があった気がする。
「……甘くねぇなあ」
ぽろっと出た本音は、当然人間には伝わらない。
今日は朔が来ていない。
来られないのだ。
牧場も忙しいし、毎回毎回競馬場に来られるほど暇でも金持ちでもない。
だから、俺が今どれだけ「くそぉぉぉ」と思っていても、それを通訳してくれる人間はいない。
まあ、いたところで、朔はたぶん「はいはい、今日もがんばったな」で終わらせるんだけど。
それでも、いないとちょっとだけ寂しい。
……いや、寂しいっていうか。
あれだ。
なんか、ツッコミ役がいないと、俺の名言が空中分解する。
そういう不便さだ。
◇
その夜。
競馬場の厩舎に戻された俺は、寝藁の上でどっかり立ったまま、しばらく動く気になれなかった。
隣の馬房では、今日勝ったやつが「いやー、俺やっぱ持ってるわー」とかなんとか浮かれている。
うるさい。
勝ったやつはだいたいうるさい。
でも、負けた俺が文句を言える空気でもないので、黙って壁を見ていた。
俺は大きく息を吐いた。
「はぁ……」
俺、もっとやれるんじゃないか?
いや、でも、今日のあれが実力か?
砂の方がいいってことは、芝の王者ルートはもう閉じたのか?
いやいやいや、別にダートの帝王もカッコいいだろ。帝王ってつくし。
でも帝王って、なんかちょっと年上感あるな。
俺まだ若いしな。
などと、わりとどうでもいいことまで考え始めていた、その時だった。
「――あー、クラウンくんだー」
どこか間の抜けたような、でも妙に人懐っこい声がした。
俺は耳をぴくりと動かして、そっちを見る。




