第二十三話 今年もやってきた夏
翌朝。
クラウンが新馬戦で二着になっても、牧場の仕事は減らない。
いや、むしろ増えた。
絶対増えた。
なぜかと言うと、俺が一日まるっと函館へ行っていたからだ。
「…………っだぁー……」
俺は、いつもの長靴を履き、いつものように掃除をしながら、妙に重い腰をさすっていた。
遠征疲れである。
函館も良かった。
海鮮はうまかったし、クラウンの走りも見られたし、楽しかった。
我ながら、割とちゃんと満喫したと思う。
でも、牧場はそんなこと知ったことではない。
相変わらずうるさいし、掃除を後日に回してくれたりもしない。
「坊主ー」
一番手前の馬房から、歴戦の繁殖牝馬が眠たそうな声を出した。
「んー?」
「なんか今日、動きが鈍くない?」
「函館帰りだからだよ」
「そういう問題?」
「そういう問題だよ。北海道広いんだよ」
「私たちのことは馬運車に乗せて運ぶくせに……」
うるさい。
ちなみに昨夜、俺は買ってきた土産をそれぞれに配った。
爺さんには、“社長のいか塩辛”。
「なんで“社長”なんだ?」
「知らん。でも有名らしい」
「そうか。うまけりゃいい」
と言っていたので、たぶん大丈夫だろう。
馬たちには青森県産りんご。
いや、「なんで、青森?」という声が聞こえてきそうだが、函館からは青森が見えるのだ。
……うん、「だから何だ」と言われたら、まあ、うん。
結果、すごく喜ばれたので問題ない。
「りんごー!」
「おいしー!」
「しゃくしゃくするー!」
うん、よかったよかった。
で、その流れで、当然クラウンの話にもなった。
「二着だったよ」
そう言ったら、ストーンは草をもしゃりながら、実にあっさり言った。
「そんなもんだよ」
経験者の余裕である。
「無敗なんて、そりゃ派手でいいけどさ。一回負けたくらいじゃ別に何も終わっちゃいない。
むしろ『あー、勝ちたい』って思うくらいの方が強くなるんだよ」
「へえ」
「へえ、じゃないよ。重賞勝ち馬の助言だぞ」
「はいはい」
「その態度ムカつくな」
でも、たしかにそうかもしれない。
一方、当歳馬たちは土産の青森りんごを食べながら、完全に違う話をしている。
「でんせつのいかー!」
「ほたてー!」
「かいてんずしー?」
「かいてんりんごー!」
よくわからんが、本人たちは楽しそうだった。
うん。
今日も牧場は平和だ。
平和だけど、やることは多い。
今年もセリがあるしね。
そして、セリがあるということは。
爺さんに「今年も残す馬選べよ」と言われたということなのだ。
実は、ストーンの重賞賞金のおかげで、去年より少しだけ余裕はある。
あるんだけど――あの金には、出来れば、まだ手をつけたくない。
だから、ここで気分だけで二頭残すみたいなことはしたくない。
現実は現実だ。
クラウンが二着だったように、牧場経営もだいたい現実でできている。
「よし」
俺は軍手をぱん、と叩いた。
「じゃあ、今年も聞くか」
◇
「はい、というわけで」
俺は放牧地の柵にもたれながら、一歳馬たちを見回した。
「うちに残って爺さん名義になりたい馬、いるか?」
去年もやったな、この質問。
懐かしく感じるわ。
「俺、でっかいとこの坂路とか興味ある」
「俺、正直、ゴールドファームの飯食ってみたい」
「私はちょっと都会志向かなー」
「僕は話し合いで決めるべきだと思う」
「私はたぶんセレブなとこの方が似合う気がするんだよねえ」
相変わらず全員、微妙に生意気だな。
クラウンの悪影響なのか、世代としてそうなのかはよくわからない。
「みんなが特別希望しないなら、僕が残るよ」
「お?」
みんなが一斉に芦毛の仔馬を見る。
コイツは先日、「僕は客観性がある」とか言ってた自称賢い馬だ。
「なんで?」
他の仔馬が素直に聞くと、芦毛はドヤ顔で答えた。
「客観的に考えた結果さ」
うん、意味わからん。
「あと、クラウン兄ちゃんが『王者は背負うものがある方がカッコいい』って言ってた」
クラウンの悪影響が確定したな。
まあ、でも。
「後で『やっぱゴールドファームがよかった』とか言うなよ」
「それは今後のご飯次第かな」
「即座に本音混ぜるな」
でもまあ、その程度の軽さが逆にいい。
俺は頷いた。
「じゃあ、お前残るか」
「やった」
あんまり大袈裟でもない声で芦毛が言った。
その横で、他の四頭が好き勝手言い始める。
「えー、じゃあ私セリ?」
「イケメン馬主だといいなー」
「俺、高く売れたい」
「ご飯いっぱいのとこがいい」
「僕は寝藁ふかふかのとこがいいー」
わいわい騒ぎ始める一歳馬たちを見ながら、俺は一つ息を吐いた。
今年も一頭。
今年は芦毛だ。
名前はまだない。
◇
セリ当日。
去年と同じように、朝から会場はざわざわしていた。
血走った目の馬主。
資料をめくるエージェント。
やたら落ち着いた顔の関係者。
函館の結果を自慢してくる金持。
そして、場の空気に飲まれず普通に腹が減ったと主張する馬たち。
「朔ー、まだー?」
「私、今日ちょっと可愛くない?」
「俺、どう? 高く売れそう?」
「なんか緊張してきたー」
「お腹すいたー」
去年も見た光景だな、と思う。
違うのは、今年は俺が少しだけ慣れていることだ。
去年はもう全部が初めてで、「わー、こわい」だった。
ブラッシングの手つきも少し慣れた。
「よし」
俺は首筋を最後にひとなでして言う。
「ちゃんと、いいとこに貰われろよ」
「高く売れたら、後で自慢していい?」
「いいよ」
「やったー」
最初の一頭がリングへ向かっていく。
そんな感じで始まった今年のセリだが、途中でまさかの事件が起きた。
バチン。
という妙な音とともに、会場の一角がふっと暗くなった。
「……え?」
「なんだ?」
「停電?」
一瞬ざわつく。
空調が止まり、扇風機の風も止まる。
そして沈黙のあと、どこかからスタッフの人の焦った声が飛んだ。
「すみません!ブレーカーです!少々お待ちください!」
ブレーカー。
そんなことある?
セリ会場で?
周りの馬たちも当然ざわつく。
「え、何?終わった?」
「今日は帰っていい感じ?」
「俺、こういうハプニングで高く売れるタイプ?」
「どういうタイプだよ」
「暑いー」
結局、原因は扇風機の回しすぎだったらしい。
夏の北海道とはいえ、馬が集まる場所で風を回しまくれば、そりゃ電気も食うんだろう。
なんか妙に牧歌的なトラブルだなと思ってしまった。
「去年よりイベント性あるね」
「いらんわ」
俺が突っ込むと、牝馬の一頭がけろっと言う。
「でもちょっと記憶に残るじゃん」
たしかに残るけど。
……で。
「……よし」
最後のハンマーの音を聞いた時、俺は思わず小さく呟いていた。
四頭連れてきて、四頭とも貰い手が見つかった。
一頭目は、自称「坂が似合う顔」の牡馬。
百万ちょっとで、隣町の馬主さんのところへ。
二頭目は、自分を大和撫子だと言い張ってた牝馬。
そこそこ良い値がついて、本人は「やっぱり私って品があるのよね」とか言っていた。
三頭目は、「セレブな馬主に買われたい」と最後まで言っていた牝馬。
手を上げていた馬主さんは、昨年のパーティで見た人だったが、セレブかどうかは俺は知らん。
最後の一頭は、なぜか直前のブレーカー騒動で変に注目され、「停電に動じない落ち着き」みたいな訳のわからない評価までついて、ちょっと高値で売れていった。
いや、あいつ普通にボーっとしてただけだぞ。
「僕は大物だからね」
「たまたまだろ」
「結果が全てだよ」
「お前、売れた途端に性格が腹立つな」
とはいえ、今年も全部売れた。
素直にありがたい。
もちろん高額落札ばかりじゃない。
でも、ちゃんと値段がついて、ちゃんと行き先ができた。
送り出す側としては、それだけでだいぶ救われる。
去年もそうだったけど、うちの馬たちを欲しいと思ってくれる人がいるってだけでかなり安心する。
爺さんも表情はほとんど変わらなかったが、帰りの車の中で一度だけ言った。
「今年もなんとかなったな」
「そうだな」
たぶん、うちの牧場にとって“なんとかなった”は、かなり上等な褒め言葉なんだろう。
明日も、たぶん、平和にうるさい。
そして、平和に忙しい。
それでいいのかもしれない。




