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追放された“ログ係”は、世界の裏設定を読めるようになりました  作者: トワイライト
第5章:干渉 ――運命改変編

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第59話:ノイズとの激闘

 一歩、また一歩と丘陵の斜面を登っていくたびに、足裏に伝わる感触が微妙に変わっていくのを、レインははっきりと感じていた。草の上を踏んでいるはずなのに、その下にある土が、どこか“柔らかすぎる”。湿っているからではない。形そのものが、じわじわと溶けているような、不快な感覚だった。


 風はほとんど吹いていないはずなのに、視界の端では、地平線がかすかに揺れて見える。遠くの森の木々が、蜃気楼の中に閉じ込められたみたいに、輪郭を震わせている。


「……空気が……震えてます……?」


 フィアが小さく呟き、胸元を押さえた。

 レインは立ち止まり、周囲の空を見上げる。青いはずの空には、目で追えないほど細い線が縦横に走り、その一つ一つが、見えない弦のように震えていた。その振動が、頬を撫でる風の感触に混じり、皮膚の内側をざらざらと擦る。


【モノローグ/レイン】

 「……歪みが、また広がっている……。昨日見た“空の波”より、明らかに強い……」


 意識を集中させると、視界に淡い光が浮かんだ。


《ワールド・ログ 起動》


【周辺環境】

状態:不安定

大地データ:微破損

大気データ:揺らぎ拡大中

補足:歪み発生源 近傍


 短い文の中に、赤い文字がいくつも混ざっている。

 レインは無意識に拳を握りしめた。


「……どこかに、源がある……」


 そう呟いた次の瞬間だった。


 足元の地面が、黒い液体に変わったように波打った。


 草も土も石も、色を塗り替えられたように一瞬で真っ黒に染まり、その黒が水面のように揺れる。レインは思わずバランスを崩し、片足を引いた。靴底が、液体でもないのに沈み込むような感触を返してくる。


「ッ……!」


 フィアが短い悲鳴を漏らし、レインの腕を掴む。その視線の先で、黒が盛り上がった。


 地面という面から、何かが這い出してくる。


 最初は塊だった。だが、瞬く間にそれは縦に伸び、横に裂け、細い枝のようなものを何本も生やした。人の腕にも獣の脚にも見えるその突起は、しかし途中で輪郭が途切れ、すぐに別の位置へと移動する。形が決まる前に崩れ、崩れながら組み上がっている。


 人型とも、獣型とも、何とも呼べない。

 ただ、“世界が吐き出したエラー”としか言いようのない存在が、そこに立ち上がった。


「来たぞ……本物だ」


 丘の少し下から、ゼクトの低い声が聞こえた。彼はすでに黒剣を抜き、細めた目でその異形を見据えている。


 レインは慌てて意識を集中させた。


《深層ログ閲覧》

対象:異常体/識別不能


──ERROR──

データ破損

読込不能


「……予測……ゼロ……!?」


 視界に並ぶのは、何も教えてくれない赤い行だけ。

 普段なら、敵の強さや行動パターンの一端が表示されるはずの場所は、まるで上から黒いインクをぶちまけたように、情報という情報を弾いていた。


【モノローグ/レイン】

 「前に見た“ノイズ”より……はっきり形をとっている……。でも、ログは前よりひどく壊れてる……!」


 中規模――そう言うべき存在感があった。

 前回、辛うじて打ち倒したノイズと、街の外で遭遇した亜ノイズ。その中間に位置するような圧迫感が、肌を刺す。


 異形は、首のような部分をかしげた。顔はない。だが、そこから向けられる“視線”のようなものが、はっきりとレインたちへ注がれているのが分かった。


 次の瞬間、地面が裂けた。


 いや、裂けたように“見えた”。黒い液体が再び波打ち、その中から伸びた腕のようなものが、大地を掴み、ぎちぎちと潰していく。潰された場所は土でも石でもなく、絵の具で塗った布を乱暴に擦り取ったように、白い穴になって消えた。


「レイン! 下がれッ!」


 ゼクトが叫びながら前に躍り出る。黒剣が大きな弧を描き、ノイズの伸びた腕を切り払った。金属同士がぶつかるような音はしない。代わりに、世界の縫い目が引きちぎられるような、低く軋む音が丘一帯に響いた。


 しかし、次の瞬間――


「……!」


 ゼクトの剣の刃が、じわり、と黒く染まり始めた。

 切り払ったはずの黒が、逆に刃を侵食していく。光沢を持っていた刃先は、まるで腐食する鉄のようにざらつきを増し、ところどころにひびが走った。


「ちっ……! 存在を侵す気か……!」


 ゼクトが舌打ちして剣を振り払うと、黒い汚れは霧散した。だが、その一瞬の侵食だけでも、剣の重さとバランスがわずかに変わっているのが伝わってくる。


 レインは再びログにアクセスした。


【対象:異常体】

ERROR:基本ステータス取得不可

ERROR:行動パターン解析不能

ERROR:攻撃ログ取得不可

ERROR:未来予測不能


原因:世界外データ/理外存在


「……ログが……通じない……!」


 未来の一手も、敵の意図も、なにも見えない。

 レインの唯一の武器が、ほとんど意味を成していなかった。


 


 ノイズは、重さという概念から外れたような動きを見せた。


 一瞬、そこにいたはずの輪郭が薄れたかと思うと、距離という概念を無視するように、空間の別の場所で再構成される。目で追っても、その移動には筋道がない。足を動かしているわけでも、空を飛んでいるわけでもない。ただ“位置”が飛び、世界の布が畳まれたり開いたりしているように見える。


 空間が二重に折りたたまれ、裂け目から腕が伸びる。

 そこに“攻撃の溜め”も予兆も存在しない。気配がない。

 だから、ゼクトの防御も、フィアの詠唱も、半歩ずつ遅れてしまう。


「くっ……!」


 ゼクトが剣で受け止めた瞬間、再び黒が刃を侵す。受け流しきれなかった余波が地面を抉り、小さな穴をいくつも穿った。そこから、空気が吸い込まれていくような寒気が這い上がる。


「魔法が……乱されて……狙えません!」


 フィアが震える声で叫んだ。

 彼女の指先から放たれた光の矢は、ノイズに近づくにつれて軌道を歪められ、ありえない方向へと逸れていく。風の刃も、炎の線も、すべてノイズの周囲でねじ曲げられ、地面に突き刺さっては虚しく消えた。


「こいつは……動きの原理が違う! 読みも未来予測も意味がねぇ!」


 ゼクトが押し込まれながら叫ぶ。

 剣戟のたびに、ノイズの身体から黒い欠片が飛び散り、空中で細かな粒となって消える。その一つ一つが、世界の一部を削り取っているように感じられた。


【モノローグ/レイン】

 「……どうすれば……。ログも、魔法も、通じない……。攻撃の“前”が読めない相手なんて……」


 額に汗が滲む。

 足元の土も、いつ崩れるか分からない。

 世界そのものが、この戦場を嫌がっているようだった。


 


 ふと、視界の端でフィアが震えるのが見えた。

 恐怖だけではない。彼女の瞳の奥で、何か別の揺らぎが生まれている。


「……レインさん……」


 フィアは胸元を押さえ、ノイズから目を離さないまま、掠れた声で言った。


「……ノイズから……“泣いてる”みたいな……苦しい音が……します……!」


 泣いている。

 この世界を壊そうとしている災厄が、泣いている――。


「……共鳴……」


 レインの脳裏に、深層ログで見た文字列がよみがえる。


《運命共鳴(Fate Link)》

【効果】心の振動/運命の揺らぎを捉える


【モノローグ/レイン】

 「……フィアのスキルは、“心の揺れ”を感じ取れる……。なら、理から外れたこいつの“揺らぎ”も……」


 意識を集中すると、視界の隅で淡い光が瞬いた。


【対処ヒント】

対象:異常体ノイズ

状態:存在揺らぎ 過大


フィアの共感値:有効範囲内

→揺らぎパターン補足時、一時的“固定化”可能


「……やれるかもしれない……!」


 レインは息を吸い込み、フィアのほうを振り返った。


「フィア! 君の感じた“揺れ”に合わせて……魔法を!」


「え……?」


「ノイズの“泣き声”みたいなもの……その波を掴んで! 揺れている瞬間じゃなくて、揺れが“止まりかける”ところを狙うんだ! そこを固定できれば……ゼクトさんの一撃が入る!」


 フィアは戸惑いながらも、強く唇を噛み、こくりと頷いた。

 彼女は両手を胸の前で組み、目を閉じる。


 ノイズの攻撃が、こちらへと迫る。

 ゼクトは一歩引きつつも、その全てを紙一重でいなしていく。黒剣が、存在を削る腕を受け止めるたび、火花の代わりに黒い粉塵が散った。


 


 フィアは静かに息を吐いた。


「……聞こえる……」


 閉じた瞼の裏で、世界のノイズが形を変えていく。

 耳が拾う音ではない。

 胸の奥、心臓のすぐそばで響いている何か――金属音とも、風切り音とも違う、高くて透明な“悲鳴”のような振動。


「……泣いてる……迷ってる……壊れかけの音……!」


 その音は、純粋な悪意だけではなかった。

 何かを探している。

 何かを拒まれて、行き場を失った幼い声のようにも感じられる。


 フィアの瞳が、ぱちりと開いた。


 そこには、淡い銀色の光が宿っていた。


《運命共鳴:局所展開》

対象揺らぎ:捕捉中

共感リンク:フィア・ノルン → 異常体


固定化時間:0.7秒(予測値)


「……レインさん……揺れが見えます……。今なら……!」


 フィアの言葉に、レインは素早くゼクトへと向き直った。


「ゼクトさん! 0.7秒だけ止める! その間に、中心を!」


「充分だッ!!」


 ゼクトの声が、風を切った。

 彼は一歩引き、姿勢を低く構え直す。その背筋には、今までで一番重い一撃を放つ前の、静かな緊張が走っていた。


「フィア!」


「——《空間固定・共鳴拘束》!!」


 フィアの叫びと同時に、彼女の足元から風が渦を巻いて立ち上がる。

 空気が震え、その震えがノイズの周囲へと走った。

 世界の揺らぎと、ノイズの“泣き声”に合わせて重なった風の輪が、その存在を包み込む。


 瞬間――ノイズの身体のブレが、ぴたりと止まった。


 輪郭が初めて“形”を持つ。

 複数に割れていた腕や脚のような部分が、一瞬だけ、一つの塊としてそこに固定される。


「今だッ!!」


 ゼクトが大地を蹴った。

 黒剣が唸りを上げる。

 空間がきしみ、その中心を、彼の一撃が貫いた。


「おおおおおおおッ!!」


 剣がノイズに触れた瞬間、丘陵全体が凍り付いたように感じられた。


 音が消える。

 風も、揺れも、全てが一拍遅れる。


 そして――

 ノイズの中心から、ひび割れが走った。


 ひとつ、ふたつ。

 黒い鏡に石を投げ入れたように、放射状に走るひび。

 そこから溢れ出すのは、光ではなく、“何もない”空白。


 ノイズが、悲鳴を上げた。


 耳ではなく、世界そのものがきしむ音が、レインたちの全身を貫く。フィアはその場に膝をつき、耳を塞いだ。レインも歯を食いしばりながら、剣を振り抜いたゼクトの背中を見つめる。


 ひび割れは一気に広がり、ノイズの身体を細かな欠片へと分解した。


 分解された欠片は、黒い砂にも煙にもならない。ただ、“そこから消える”。

 空間から切り取られたように、ぽっかりと穴だけを残し、やがて周囲の世界がその穴を埋めようとするみたいに、歪みながら閉じていく。


 気づけば、丘陵に吹く風の音が戻っていた。


 


 レインは、張り詰めていた息を大きく吐き出した。

 足元がまだふらつく。さっきまで、世界そのものが足元を拒んでいた感覚が、じわじわと遅れて身体にのしかかってくる。


 ノイズが消えた場所には、黒い線が一本、焼き付いたように残っていた。そこだけ、草が生えず、土も色を持たない。ただ、深い闇に塗られた裂け目のように、じっと丘を裂いている。


 レインは膝に手をつきながら、視界へ意識を向けた。


《深層ログ閲覧》


【戦闘結果】

対象:中規模ノイズ

状態:消滅/断片化完了


危険度:高

再出現可能性:有り

原因:世界の歪み拡大/運命改変連鎖


補足:同種存在の増殖確率 上昇傾向


【モノローグ/レイン】

 「……撃破はできた……。けど……これで終わりじゃない……。世界の傷が広がるほど、同じものが……もっと大きなものが……」


 その背後で、フィアが大きく息をしている気配がした。

 振り返ると、彼女はまだ呼吸を整えきれていないものの、はっきりとした光を瞳に宿して立っていた。


「……レインさん……」


 フィアは自分の胸に手を当て、その鼓動を確かめるように押さえながら、かすかに微笑んだ。


「さっき……ノイズの声が、前よりはっきり聞こえました。

 怖かったですけど……悲しくて……苦しくて……でも……手を伸ばさなきゃいけない気がして……」


 レインは、彼女の顔をしっかりと見つめた。


「……フィア……君がいなかったら……絶対に勝てなかった」


 本心だった。

 ログが役に立たず、世界の理が裏返り、攻撃の予兆も掴めない相手。

 そんな敵に対抗できたのは、彼女の“共鳴”があったからだ。


 視界の端で、再びログが淡く光る。


【対象:フィア・ノルン】

スキル:運命共鳴(Fate Link)


リンク値:72% → 75%


覚醒進行度:+12%

状態:覚醒段階へ接続中


【モノローグ/レイン】

 「……リンク値が……また上がっている……。さっきの“共鳴拘束”、完全にこのスキルの一部だ……」


 フィアは息を切らしながらも、はっきりとした声で続けた。


「……レインさんが……私を支えてくれるから……

 私は戦えるんです……。あの“泣き声”も、“歪み”も……一人じゃ、きっと耐えられませんでした」


 レインは思わず、胸の奥が熱くなるのを感じた。

 自分の力は、世界を歪め、ノイズを呼び寄せてしまう。それでも、彼女はその隣に立ち続けると言ってくれる。


「上出来だ」


 少し離れたところで剣を収めながら、ゼクトが低く言った。

 黒剣の刃には、先ほどの侵食の名残なのか、細かな傷がいくつも刻まれている。それでも、彼は柄を握る手を緩めなかった。


「だがな……これは“中規模”だ」


 ゼクトは黒い線が残る地面を睨みつける。


「もっと大きなノイズも……いずれ来る。

 世界の歪みが進めば進むほど、ああいう“存在してはいけないもの”が、当たり前のように出てくる」


 丘に吹く風が、黒い線の上だけで不自然に捩れていた。

 そこから立ち上るのは煙でも霧でもない、目には見えない“違和感”の層。空を見上げれば、さっきまでよりもわずかに色が薄くなっているように感じる。


【モノローグ/レイン】

 「……この世界は……もう、限界が近いのかもしれない……」


 救った命。

 歪んだ分岐。

 現れたノイズ。

 そして、確実に進んでいるフィアの覚醒。


 全てが、ひとつの線へ収束していく気がした。


 その線の先に待っているものが、救いなのか、それとも終わりなのかは、まだ見えない。

 だからこそ――レインは、隣にいる二人の温もりを確かめるように、静かに拳を握りしめた。

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