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追放された“ログ係”は、世界の裏設定を読めるようになりました  作者: トワイライト
第5章:干渉 ――運命改変編

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第53話:救えなかった命

 一日の終わりを告げる鐘の音が、ゆっくりと空に溶けていった。昼間あれほど激しかった喧噪は嘘のように引いて、リュードの街には静かな夜の気配が落ちている。城門前の地面には、つい先ほどまで転がっていた魔物の残骸がほとんど片付けられ、血の匂いも土や灰の匂いに薄められていた。


 焚き火の炎が点々と揺れ、その周囲で冒険者や兵士たちが腰を下ろしている。泥だらけの鎧を外す者、傷を押さえながら仲間と笑い合う者、黙って空を見上げている者。誰もが疲れ切っていながら、それでも生きて戻れた安堵が表情に滲んでいた。


 レインも、少し離れた場所で石に腰をおろして息を整えていた。背中には疲労がずっしりと貼りついている。それでも、胸の奥に残るのはどこか温かい手応えだった。視線を上げれば、フィアが近くの焚き火の明かりに照らされながら、傷だらけの兵士に簡単な治癒魔法を施している。その横顔には優しさと、今日一日で刻まれたわずかな逞しさが混ざっていた。


【モノローグ/レイン】

 「……今回も……救えた……

  みんな、無事でよかった……」


 戦いの最中、ログで確認し続けた戦況。

 致命傷を負うはずだった兵士を事前に注意喚起で助け、毒霧もほとんど被害なく防げた。あれほどの群れが押し寄せたにもかかわらず、街は守られ、人々は笑っている。


 レインはゆっくりと目を閉じ、胸の中で静かに安堵の息を吐いた。そのまま、いつものように習慣のように意識を深層へ落としていく。


《ワールド・ログ 起動》


 視界の上に淡い光が広がり、都市全体のログが俯瞰の形で表示される。多数の光点が生命を示し、それぞれが「無事」「軽傷」「意識あり」といった文字を伴って揺れていた。大きな赤い警告は見当たらない。


「……よかった……」


 そう思いかけた――その瞬間。


 視界の片隅で、強い赤色が瞬いた。


 光の海の中で、ひとつだけ異様にまばゆい赤が点滅している。まるで助けを求めるように、何度も何度も点いては消えていた。


 レインの心臓が、どくりと重く跳ねる。


 意識をそちらに集中させると、赤い光は一つのログとして形を取った。


【対象:幼児/都市住民】

【未来:死亡】

【残り猶予:数十秒】


「……まさか……!!」


 喉から勝手に声が漏れた。

 その情報の意味を理解した瞬間、頭の中が真っ白になる。


 数十秒。

 あまりに短い。


 レインは飛び上がるように立ち上がった。

 世界が足元から崩れ落ちるような悪寒が背筋を走る。


「レイン?」


 近くでフィアが振り向くより早く、レインは駆け出していた。


「待て、レイン! どこへ行く!」


 背後からゼクトの声が飛ぶ。レインは振り返らずに叫んだ。


「子供が……死ぬ……!!」


 その言葉だけで、十分だったのだろう。追いすがる足音がひとつ増える。ゼクトがすぐ後ろを走ってきている気配が伝わる。


 レインはログが示す位置へ意識を合わせて走った。

 視界の隅に、都市の簡易マップが光で描かれる。赤い点が、街の少し奥まった路地裏で点滅していた。城門前の広場から一本脇へ逸れ、狭い通りへと潜り込む。


 石造りの建物が左右から圧迫してくるようで、夜の闇が濃く感じられた。遠くからはまだ笑い声や人のざわめきが聞こえるのに、この路地だけ音が遠のいているようだった。


「間に合え……!」


 息が焼ける。

 心臓が喉元に張り付くように痛い。

 足がもつれそうになりながらも、レインは全力で駆けた。


 やがて、目標の場所が視界に飛び込んでくる。


 そこは建物と建物の隙間にある、細い路地だった。

 地面には戦闘の余波で転がった石や木片が散らばり、壁の一部が崩れたような跡が残っている。上を見上げれば、二階部分の壁が砕けて穴が開いていた。


 崩れた瓦礫の山の下から、布の端が覗いていた。


 レインは血の気が引くのを感じながら、瓦礫へと飛び込んだ。


「おい、レイン!」


 追いついたゼクトが声を上げるが、レインの耳には届いていなかった。


「……嘘だ……まだ……!」


 両手で石を掴み、乱暴にどける。

 指の皮が擦り剥け、痛みが走る。

 それでも止まらない。小さな身体の輪郭が、瓦礫の下から少しずつ形を見せ始める。


 幼い腕。

 小さな足。

 土と血にまみれた布。


 レインは歯を食いしばり、最後の大きな石を持ち上げた。


 その下に――小さな体が押し潰されるように横たわっていた。


 顔は瓦礫の影になっていたが、ぐったりとした姿勢と、どこにも動きの気配がないことで、十分に理解できてしまう。


「……嘘だ……まだ……助かる……!」


 レインは震える手で幼い身体を抱き起こした。

 小さな胸に耳を当てる。

 そこに――音はなかった。


 冷たい。


 体温は、もうほとんど残っていない。


 レインの視界が揺らいだ。

 自分の呼吸の音が、妙に大きく耳に響く。


「……レインさん……」


 追いかけてきたフィアが、足元の瓦礫に気をつけながら近づいてくる。状況を目にした瞬間、彼女の表情から色が消えた。


「いや……そんな……」


 彼女は幼い顔を見つめ、震える手で口元を押さえた。

 涙が目にあふれ、こぼれそうになるのを必死にこらえている。


 ゼクトは一歩離れた場所に立ち、何も言わず、ただ静かにその光景を見守っていた。


 レインは、まだ何かできるはずだと、ありもしない可能性にすがるようにログを呼び出した。


《ワールド・ログ 起動》

《対象:幼児/都市住民》


 文字が震える視界の上に浮かび上がる。


【未来予測:誤差発生】

原因:データ破損/外部要因

状態:修正不可


【モノローグ/レイン】

 「……どうして……読めたのに……

  未来が見えたのに……

  どうして……救えなかった……!」


 読み込んだときには、すでに手遅れだったのか。

 ログに表示された“残り数十秒”は、彼が気づくより少し前の状態を示していたのか。

 あるいは、ログ自体に誤差が出ていたのか。


 理由はどうあれ――結果は変わらない。


 今、腕の中にある小さな命は、もう二度と戻らない。


 胸が締め付けられ、吐き気すら込み上げてきた。

 喉が熱くなり、視界の端から涙が滲み出す。


 遠くで、誰かの叫び声が聞こえた。


「きゃっ……!! あの子……!」


 振り返ると、路地の入口に女性が立ち尽くしていた。顔色は真っ青で、唇が震えている。幼い子と同じ布の色の服を着ていることから、それが母親であるとすぐに分かった。


 彼女は足元がおぼつかないまま駆け寄り、レインの腕の中の子供を見るなり、その場に崩れ落ちた。


「いや……いやっ……起きて……! ねぇ、起きてよ……!」


 震える手で小さな体を揺さぶりながら、何度も名前を呼ぶ。その声は涙と嗚咽で掠れていて、言葉になっていなかった。


 レインは腕の中の重みを、そっと母親に預けた。腕から重さが離れた瞬間、空気が急に冷えたように感じられる。自分の手に残る感触が、どうしようもなく現実を突きつけてくる。


 ――救えなかった。


 自分は、この命を救えなかった。


 ログを見たのに。

 気づいたのに。

 走ったのに。


 遅かった。


 ゼクトが静かにレインの横にしゃがみ込み、その顔を覗き込む。


【ゼクト】

 「レイン……

  “運命を変える”ってのは……

  常に全てを救えるって意味じゃない。」


【レイン】

 「でも……僕は……見えたのに……!

  あんなに……近くにいたのに……!」


 声が震え、喉が締め付けられる。

 目の前では、母親が子供の名を呼び続けている。その泣き声は、鋭い刃のように心を切り裂いた。


【ゼクト】

 「未来は“予測”だ。

  お前の見たものは、あくまで“可能性”の一つ。

  世界の安定値が乱れている今……

  誤差はどんどん大きくなる。」


 ゼクトの声はいつになく静かで、低く、重かった。

 責めているわけではない。

 ただ、事実を突きつけているだけの声音。


 レインは歯を食いしばり、握った拳に爪を食い込ませる。


【モノローグ/レイン】

 「……僕は……“救えるはずの命”すら……救えなかった……

  力を持っているくせに……

  僕は……何をしているんだ……!」


 腕の中から離れていった重さが、今になってずしりと胸に戻ってくる。

 自分が力を得たのは、こういう悲劇を止めるためのはずだった。


 それなのに。


 泣き崩れる母親の声が、路地全体に響いている。

 周囲に集まり始めた人々も、言葉を失ってその光景を見守るしかなかった。


 レインの頬を、ぽたぽたと涙が落ちていく。

 握り締めた拳が震え、地面の砂を掴んでいる。


 悔しさと、自分への怒りと、どうしようもない無力感が、胸の中で渦を巻いていた。


 けれど――その奥底で、別の何かが静かに生まれ始めている。


【モノローグ/レイン】

 「……もう二度と……

  “救えるはずの未来”を逃さない……

  絶対に……もう誰も死なせない……!!」


 それは、無謀にも聞こえる誓いだった。

 世界の安定が崩れている今、全てを救うことが不可能に近いことは分かっている。ゼクトの言葉がそれを教えてくれた。


 それでも――

 レインはそう願わずにはいられなかった。


 自分が見た未来。

 自分が触れてしまった死。

 それらが、彼の心に深い傷と同時に、決して消えない火を残した。


 フィアがそっとレインの横へしゃがみ込む。震える手で、レインの拳を包み込んだ。


【フィア】

 「……行きましょう、レインさん。

  あなたなら……きっと……」


 彼女の手は温かかった。

 それは、まだ守るべき命がここにあるのだと、静かに教えてくれる温度だった。


 レインは涙を拭わず、そのまま顔を上げた。

 視界はにじんでいる。それでも、前を見据える目だけは、さっきまでよりも強くなっていた。


 救えなかった命。

 その重さを抱えたまま――レインは、さらに先へ進む決意を固めた。

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