第26話:元仲間との再会
王都の市場は、朝から喧騒が絶えなかった。色とりどりの布を並べる商人たち、旅人を相手に声を張り上げる行商人、果物を試食させながら押し売りする少年……。石畳の上を馬車が走り抜け、そのたびに舗装された道が細かく震え、砂埃がふわりと舞い上がっては陽光に照らされて淡く光った。王都に入ってまだ数時間ほどだが、レインとフィアにとって、この活気ある景色は新鮮そのものだった。
レインは周囲を観察しながら歩き、フィアはすぐ横で小さく息を弾ませるようにきょろきょろと視線を動かす。色鮮やかな街並みに心を奪われているのだろう。彼女の銀髪が風に揺れるたび、柔らかい光の粒のようなものが髪の間からこぼれ落ちるように見えた。
「すごい……こんなに人がいる街、初めてです」
フィアが感嘆の声を漏らす。
レインは頷きながらも、視線を絶えず動かしていた。王都は安全な街ではあるが、同時に多種多様な人物が入り混じる場所でもある。情報を求める者、名声を追う者、裏社会の流れを操る者、王族に仕える者……その全てが、ここに揃っている。
(……不要なトラブルは避けたいが……必要な情報も、この人混みの中に埋もれている)
そんな思考が頭に浮かんだそのときだった。
ふと、レインの視界の端に、見覚えのある輪郭が映り込んだ。
細長いシルエット、長い銀髪、魔導士特有のローブ。そして、どこか気弱そうでありながら芯の強さが伺える横顔。
時間が止まったような感覚の中、レインは足を止め、呟く。
「……セレナ……?」
その声に、銀髪の女魔導士はぴくりと反応し、ゆっくりと振り返った。
大きな灰色の瞳が、驚愕に揺れながらレインを視界に捉える。
「……嘘……レイン……?」
彼女の声は震えていたように聞こえた。
周囲の喧騒が一瞬遠ざかり、まるで二人の間だけが切り取られた静けさに包まれたように感じる。人々の足音、呼び声、馬車の音すら、すべてが遠くに霞んでいく。
久しぶりに見るセレナ・ルミエール。
勇者パーティーで最も温厚で、戦いでは後衛として支援魔法を担当していた少女。あの日、レインが追放される場にいて、何も言えずに唇を噛んでいた一人。
彼女はレインを見つめながら、息を呑み込むような仕草をした。
「ど、どうして……? どうしてあなたが王都に……?」
レインは小さく息を吐き、落ち着いた声で答える。
「……偶然だ。フィアと旅をしていて、王都に寄っただけだ」
その口調には、あの頃の弱々しさはもうなかった。
セレナの問いを受け止める姿勢には、一つ一つの言葉を自分の意志で選び取るような確固たる重みが宿っている。
(……そうだ。俺はもうあの頃とは違う。
あの時の俺は、仲間の後ろに立つしかなかった。
けれど今は、自分の足で立っている)
セレナはその変化にすぐ気づいたらしい。レインの全身を、驚きと困惑の入り混じった目で見つめる。まるで別人にでもなったかのように、慎重すぎるほどゆっくりと視線を上下させる。
(歩き方も……表情も……声も……全部違う……
あの時の、怯えたレインじゃない――)
セレナの内心が透けて見えるような沈黙が流れた。
レインは自然と《ワールド・ログ》を起動し、ほんの軽い確認のつもりでセレナのログを覗き込む。
そこには、赤い文字が一行だけ浮かんでいた。
【後悔:強】
その一行が示すものは、言葉にしなくても痛いほど理解できる。
セレナは、レインを追放した日のことを、ずっと後悔しているのだ。
(……気づいていたのかよ。ずっと……そんな気持ちを抱えていたなんて)
胸の奥が、ほんの少しだけ締め付けられる。
レインは大きく息を吸って感情を抑え、無理に表情を崩さず、ただ静かに彼女の顔を見つめ返した。
セレナはまるで何かを言おうと口を開きかけるが、声にならず、視線を揺らすだけだった。
フィアも隣で少し戸惑ったようにレインを見上げ、セレナにも軽く会釈する。
「この方が……元仲間の……?」
「ああ。勇者パーティーの魔導士だったセレナだ」
レインが淡々と言うと、セレナの肩がぴくっと反応した。
「……レイン……ひとりじゃないのね」
セレナはフィアを見て、そして再びレインを見つめた。
そこには驚きと、ほんの少しの寂しさのような感情が入り混じっていた。
「……本当に……変わったのね……」
その言葉に、レインは微かに笑みを浮かべる。
「……そうだな。
旅に出て……自分の力を知って……少しは前に進めたと思う」
市場の喧騒は続いているのに、この三人だけは別世界にいるかのようだ。
屋台の揚げ物の香り、遠くで響く鍛冶場の金属音、子どもたちの笑い声……すべてが淡く背景に溶けていく。
(……元仲間。
今は敵でも味方でもない。
ただし――状況によっては、再び関わることになる)
セレナは視線を伏せたまま、小さく震える手を胸元に当てる。
「……私、あの時……助けられなかった……あなたの言葉も……聞いてあげられなかった……」
声は震え、責めているというよりは、自らを抱きしめるような痛みが込められていた。
レインは深く息を吸い、ゆっくり吐き出す。
「セレナ。
あの時のことは……もう気にしてない。
お互いに、立場が違っただけだ」
その言葉に、セレナは目を見開く。
許されたという実感より、レインの変化への驚きの方が強いようだ。
「……本当に……強くなったのね……」
レインは小さく頷いた。
「俺は俺の道を行く。
フィアと一緒に、未来を……“変える”ために」
その言葉に、セレナは震えるように息を吸い、そして小さく頷く。
「……レイン……もし、また会うことがあったら……その時は……」
最後まで言葉にはしなかったが、その続きをレインは感じ取った。
(……その時は――味方になる、と言いたかったのか)
無言の会話が交差し、再会は短く終わる。
セレナは胸元で手を握り、そっと微笑むと、魔術師の訓練場へ向かって歩き出した。
レインはその背中を見送り、深く息を吸う。
(……元仲間。
だが、今の俺の旅の邪魔にはならない。
いや……場合によっては、力になるかもしれない)
夕暮れの王都の街角で、行き交う人々の影が長く伸びていく。
市場の喧騒の中で、レインとフィアは再び歩き出す。
この再会はほんの一瞬だったが――
確かに、物語の流れを変える“気配”だけは、強く残されていた。




