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逆光のまま、名前を呼ばずに  作者: 月食ぱんな
均一な光に、名前を与える
20/27

6話|炎上1

 生配信は、握手会よりも静かだ。

 静かだけど、視線は多い。


 スマホ一台。リングライト一つ。白い壁。

 それだけで、部屋は「番組」になる。


 ただし、椅子の軋みも、息継ぎも、言い淀みも、全てが拾われるので注意は必要だ。


 菜々子は、控え室の簡易テーブルの前に座っていた。ピンクの衣装ではない。今日の配信は「私服風」で統一されている。ふわふわしたニット、ハイウエストのスカート、薄いピンクのリップ。


 電車の隣で、教室で、会社で、立ち寄ったスーパーで……ファンたちの日常の中に、ひょいと紛れ込むような、親密な幻想を抱かせるコーディネートを計算した。


(それが、今日の商品だし)


 菜々子は、画面に映る自分の顔を最終確認する。リングライトの光は瞳の中に完璧な白い輪を作り、肌の微かな凹凸を飛ばして、毛穴のひとつも見当たらない磁器のような質感に変えてくれる。


 デビューする時、運営から「何かわかりやすい特徴があるといい」と言われたのを、ふと思い出す。


 誰にでも好かれる端正な顔立ちは、時に「印象に残らない」という致命的な欠点になる。


 菜々子は迷わず、左目の下に小さな泣きぼくろのタトゥーを入れた。数ミリの黒い点。それだけで、平坦だった「菜々子」という顔に、ある種のフック——切なさや情緒といった、物語の種が芽生えた。


(不純物ひとつない美しさは、消費しにくい)


 あえて付け加えた欠け。今、リングライトに照らされた画面の中では、その小さな黒い点が、親密な幻想を完成させる最後のピースとして機能している。


「まもなく配信開始です」


 スタッフが、カメラの外で手を上げる。

 開始まで、あと十秒。


 菜々子は、いつものスイッチを入れる。

 背筋を伸ばし、顎を引き、目線をレンズに合わせる。口角を、黄金比の位置へ。


 スタッフの合図とともに、画面の端に「LIVE」の赤い文字が点った。


 瞬時に、コメント欄が滝のように流れ始める。


 《かわいい》

 《今日も天使》

 《生きててよかった》

 《仕事しんどいけどナナちゃんで回復》

 《彼女と別れたけど配信間に合った》


 菜々子は、訓練された絶妙な速度で、けれど少しだけ照れたように微笑んだ。口角の角度は、練習した通りの「親しみやすさ」を演出するミリ単位の調整。視線はカメラのレンズ。その向こう側にある、何万ものスマホの画面を見つめる。


「こんばんはー!Pipi☆Dotのピンク担当、ナナでーす!」


 画面の向こうから、無数の手が振られているみたいに、コメントがさらに跳ねる。


「今日も会いに来てくれてありがとう。みんな、ちゃんとご飯食べた?水分取った?寝れてる?」


 けれど定型文ほど、効く。

 誰かに心配されたという体験は、人を長く繋ぎ止めるから。


 隣の椅子で、陽葵が大げさに頷いて見せる。黄色担当の陽葵は、今日も太陽みたいに笑っている。


「ねえ、ナナ!今日の企画、赤裸々に恋バナを話すってホント?」


「……聞いてないけど?」


 菜々子が即答すると、コメント欄が「草」「ナナの冷静さ好き」で埋まる。


「つまり、私たちが揃って坊主頭がタイプですって言ったら、明日からみんな髪の毛を剃っちゃうのかな?」


 陽葵の無邪気な爆弾発言に、コメント欄は「明日バリカン買うわ」「予約した」と大盛り上がりを見せる。菜々子はそれを見事なタイミングで制止し、笑いに変えながら、淡々と「ナナちゃん」を遂行していく。


「でもさ、みんなが坊主頭のライブ。そんな光景、怖いけど見てみたい気もする」


 真緒が、画面の外で笑い声を押し殺す。

 今日の赤色担当は、どこか機嫌がいい。


「ちょっと、恋バナの前に、事前に募集した質問に答えるコーナー行くよ」


 スタッフが用意したボードを、梨花が読み上げる。

 青色担当の梨花は、手元のボードをめくる動作が、どこか事務的で重い。あまりエンジンが掛かっていないようだった。


 質問はいつもの通り、無難なものから始まった。

 好きな食べ物。最近ハマっている曲。

 朝のルーティンに、行ってみたい場所。


 菜々子は、用意された範囲で笑い、盛り上げる。けれど、配信という場には必ず境界線を試す質問が紛れ込む。


 梨花が、少しだけ視線を泳がせて、紙をめくった。


「えっと……次の質問は……」


 コメント欄が、先回りしてざわつく。


 《きた》

 《恋愛系?》

 《地雷踏むなよ》

 《運営頼む》


 梨花は、覚悟を決めたように息を吸い、読み上げた。


「ナナちゃんにとって、ファンってどんな存在ですか?自分は、ナナちゃんがいないと生きていけないです……だって」


 空気が、一瞬だけ止まった。


 陽葵が、笑顔のまま固まる。

 真緒が、口元だけで「うわ」と言った。

 梨花は、紙を持つ手をきゅっと握りしめている。


 菜々子は、コメント欄を見ない。


 見れば引っ張られるからだ。

 今必要なのは、言葉の選び方だけ。


(重いな、と思う)


 反射的に浮かんだのは、そんな可愛げのない一言だった。いないと生きていけない。その言葉に含まれた純度の高い依存は、菜々子にとって、スポットライトよりもずっと眩しすぎて、直視できない類のものだった。


 誰かの人生の屋台骨になるなんて、菜々子自身が望んだことではない。自分はただ、「Pipi☆Dotのピンク担当ナナちゃん」という商品を、適切な価格で、適切な場所に陳列しているだけなのだから。


 そう言い切ってしまえたら、消せなかったもののことを、考えなくて済む。けれど、それを口にすれば「商品」としての価値は暴落する。ファンが求めているのは、冷徹な真理ではなく、自分たちの熱量に応じた「愛」という名の幻想だ。


 菜々子は、視線をカメラのレンズの、さらに奥へと滑らせた。


「……嬉しい。そう思ってもらえるくらい、みんなの日常に私がいるんだなって思うと。でもね」


 口角の角度は変えない。けれど、声のトーンをわずかに落とす。寂しさの中に、一滴だけ慈しみを混ぜたような、絶妙なニュアンス。


「……アイドルって、誰かの人生の代わりになる仕事じゃないと思うんだ」


 梨花が、息を呑むのが分かった。

 陽葵が、視線だけで「大丈夫?」と聞いてくる。

 真緒は、火がつく匂いを嗅ぎつけたように、面白がっている顔をしていた。


 菜々子は、淡々と言葉を並べることを自分に課す。その方が、余計な感情が乗らないからだ。


「応援は、嬉しい。ほんとに救われる。でも、私がいることで誰かが何かを失うなら……それは、たぶん間違ってる」


 コメント欄が、ゆっくりざわつき始める。


 《それな》

 《依存するなってこと?》

 《いや、推しが生きがいの人もいるだろ》

 《ナナちゃんはまとも》

 《冷たくない?》

 《いや優しいだろ》


 菜々子は、最後に一つだけ、線を引く言葉を置くことにする。そこを曖昧にすると、受け取り方が暴走する恐れがあるからだ。


「だから、私はね。誰かの生きる理由になりたいとは思ってないし、なれない。なりたくない、じゃなくて……なれないの」


 奈々子は、鏡張りの自分を確認するように、そっと指先を左目の下の泣きぼくろへ伸ばした。


 コメント欄の速度が、一気に加速する。


 《え》

 《なりたくないって言った?》

 《推しに言われたら死ぬ》

 《ナナちゃんは間違ってない》

 《これ切り抜かれるやつ》

 《スクショした》

 《録画した》


 スタッフがカメラの外で手を振っている。

 次の話題に移れという合図だ。


 陽葵が慌てて笑い声を作り、真緒は、唇の端だけで笑った。彼女のその笑みは、「あー、やっちゃったね」という、残酷なまでの予感を含んでいる。


「……じゃあ、次の質問!最近バズった話題で、一番印象に残っているのは何ですか?」


 梨花が震える声で軌道修正を試みるが、コメント欄は彼女の声を聞いていない。


 菜々子は口角を固定したまま、視界の端で、自分を爆心地とするコメント欄の爆発を見守る。一度ついた火は、スタッフの制止も、陽葵の明るい声も、梨花の事務的な進行も、すべてを燃料にしてあっという間に燃え広がっていく。


 《生きがいを否定された。ショック》

 《ナナちゃん、それ本音なの?》

 《何様? お前がアイドルでいられるのは誰のおかげだと思ってんの?》

 《さすがに冷たすぎ》


 菜々子は、誹謗中傷を、淡々と「ノイズ」として処理する。脳内の仕訳ボックスが高速で稼働して、これはゴミ箱、これもゴミ箱、これは放置と仕分けした。


 目の前では、最近バズった話題について、陽葵が必死に流行りのダンス動画の話をしている。


「そうそう、あのステップ難しくない!? 私、楽屋で練習して真緒に笑われちゃったんだから!」


 陽葵の懸命な軌道修正。けれど、菜々子の意識はそこにはない。網膜の端を、真っ赤な文字が横切る。


 《裏切り者》

 《調子乗りすぎ》

 《もう応援しない》


(……バズった話題か)


 奈々子は冷静に、次に自分に振られるであろう質問の答えを考える。


 つい癖で、指先が左目の下の泣きぼくろに触れた。その瞬間、なぜか昨夜見た、あの写真を思い出してしまった。


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