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逆光のまま、名前を呼ばずに  作者: 月食ぱんな
均一な光に、名前を与える
21/27

7話|炎上2

 リングライトに照らされた瞳は、荒れ狂うコメント欄を、まるですれ違う電車の窓を眺めるように無機質に捉えている。


 そんな中、奈々子は、マネージャーの車の中で見たあの画像が、猛烈な鮮明さで重なっていた。


 加工もライティングもなく、ただそこにある「影」そのものを肯定されていた椎名冬羽。それに比べて、今の自分はどうだろう。リングライトの光で毛穴まで消し去り、親しみやすさをミリ単位で計算し、挙句の果てに「自分の人生を生きろ」とファンを突き放す。


(……あ、矛盾してる)


 救いたいなんて思っていない。けれど嫌われたいとも思っていない。ただ、自分の輪郭をこれ以上、見知らぬ誰かの熱量で溶かされたくないだけだ。


「じゃ、次、ナナの番。最近気になる話題教えて」


 梨花に振られた声で、菜々子は現実へ引き戻された。


 目の前には、リングライト。網膜を焼くような白い円環。その向こう側には、自分の言葉一つに一喜一憂し、時に牙を剥く、顔の見えない数万人の群れがいる。


「最近バズった話題、だよね。えっと、最近はね……」


 菜々子は、「正解」の回答を引き出そうとした。けれど、声がわずかに上擦ったのを、高性能なマイクは逃さない。


 《声震えてる?》

 《動揺してるの?》

 《ナナちゃん、無理に笑わなくていいよ》


 善意の心配さえ、今の菜々子には肌を刺す針のように感じられた。


 隣に座る梨花の手元がわずかに震え、ガタ、と椅子の軋む音が響いた。

 生配信特有の、あの「拾われてはいけない音」だ。


「あ、ナナは気に入ってたよね?ええと、正体不明のアーティストの写真を撮ったやつ」


 梨花の声は、あきらかに浮いていた。

 話題を「最近バズったもの」に戻そうとする、精一杯の救命措置。

 けれど、その単語を口にした瞬間、コメント欄が一斉に反応する。


 《あの逆光の男?》

 《リンカちゃん今それ言う?》

 《伏線回収きた?》


 画面の温度が、また一段階上がる。


 菜々子は、息を吸った。長くも短くもない、訓練された吸気。それをすればフラットに戻れるはずだった。けれど今回は、それを吐き出すタイミングが、ほんの一拍ずれた。


「……ああ、あれね」


 声は、落ち着いている。


「たまたま流れてきて。印象に残った、っていうか」


 たまたま。

 その言葉が、コメント欄で噛み砕かれる。


 《たまたま??》

 《アルゴリズムでしょ》

 《ナナちゃんも見たんだ》

 《推しが推しを見てる構図?》


 菜々子は、画面の奥を見つめる。

 見ているのは、文字ではない。

 その向こうにある、期待の形だ。


(ここで線を引かないと)


 頭の中で、冷静な声がする。

 同時に、別の声が囁く。


(でも、もう引いたよね。一回)


 配信で言った「なれない」という言葉。

 あれは、線だった。

 そして今、その線の上に、無数の視線が殺到している。


「……その人の写真、妙に目に残ったんだよね」


 言ってしまってから、気づく。

 これは、説明ではない。

 感情が見えてしまう、感想だ。


 陽葵が、ほんの一瞬だけ、こちらを見る。

 真緒の笑みが、完全に消える。


「音も、主張もなくて。ただ、消えずに置いてある感じで」


 《わかる》

 《あれ良かった》

 《え、ナナちゃん詳しくない?》


 菜々子は、指先に力を込めた。

 泣きぼくろに触れたい衝動を、抑える。


「……こういうの、たまにあるよね」


 無理やり、一般論に落とす。


「理由は分からないけど、目に残るものって」


 分からない。それは、これまで菜々子が避けてきた言葉だ。

 分からないものは、分類できない。

 分類できないものは、商品にならない。


 コメント欄の流れが、少しだけ変わる。


 《ナナちゃん、語るとこそこじゃない》

 《恋愛の話じゃなかった?》

 《結局何が言いたいの》


 スタッフが、再び大きく手を振る。

 もう一度、話題を切れという合図。


「……ごめんね」


 菜々子は、はっきり言った。


「今の、私の話。忘れて欲しい」


 口角は上がっている。

 声も、柔らかい。

 けれどその言葉は、命令に近かった。


「じゃあ、次いこ。次」


 梨花が、素早く頷き、ボードをめくる。


「えっと……次は、これは女の子からの質問だよ。最近買ったお気に入りのコスメはありますか?だって」


 《切った》

 《強制終了》

 《今の何だったの》


 コメント欄の温度は下がらない。


 菜々子は、用意された答えを口にする。

 色番。質感。限定かどうか。

 全部、正解。


 リングライトの中で、菜々子は微笑む。けれど、その笑顔は、ほんのわずかだけ遅れて表示されていた。


 配信終了まで、あと二十分。

 画面の端で、赤い「LIVE」は、まだ点っている。


「わかった。ちょっと落ち着こう!!」


 陽葵が、弾けるような笑顔と、それでいて必死な眼差しで菜々子を覗き込む。


「とりあえずナナは、みんなを大切に思ってるからこそ、自分自身も大事にしてほしいって言いたいんだよね! ね!?」


 抜群の明るさを纏う「太陽担当」の強引な解釈。それは、バラバラになりかけた空気をつなぎ止める、彼女なりの優しさだった。


「……そう。そうだよ」


 菜々子は即座に正しい顔を貼り直す。けれど、一度溢れた毒は、リングライトの光では消せない。


 《言い訳乙》

 《本音出ちゃったね。ファンを財布としか思ってないんだ》

 《依存するなって、結局関心ないってことでしょ》

 《Pipi☆Dot終わったな》


 赤字のギフトと共に、罵詈雑言が投げ込まれ始める。

 配信という密室は、一瞬にして公開処刑場へと変貌した。


 梨花は、ただ黙って画面を見つめる。彼女の目は、非情なコメントを分類することさえ諦めたように、静かにただそこにある事実として、言葉を眺めていた。


「ごめんね、みんな。言葉が足りなかったみたい」


 菜々子は、カメラに向かって深々と頭を下げた。うなじをさらけ出す。それは「商品」が瑕疵を認めるポーズだ。けれど、頭を下げている最中、視界の端に映るスマホの画面には、急激に跳ね上がる『視聴者数』が表示されていた。


(増えている)


 一瞬だけ、頭の中で「失敗ではない」という判定が下りる。けれど、すぐに、その考えを打ち消す。


 配信が強制的に終了されるまでの五分間、菜々子の瞳の中のリングライトは、もはや天使の輪ではなく、逃げ場のない標的のスコープのように見えていた。


 配信が終わる頃には、表情筋がいつもよりずっと痛かった。


 スタッフが「お疲れさまでした」と小声で告げ、カメラが切断された。


 瞬間、世界が静かになる。

 菜々子は、膝の上で指先を一度だけ握り込む。


 スマホが震える。


 通知。

 メンション。

 タグ。


 画面に流れてくる文字列が、目に刺さる。


 《#ナナちゃん発言》

 《#推し活否定》

 《#アイドル正論》


「……もう回ってる」


 誰かが言った。

 誰の声か、分からない。


 控え室の蛍光灯は均一で、影を作らない。

 だから、誰の表情も平坦に見えた。


 菜々子は、スマホを開く。


 最初に目に入ったのは、切り抜き動画だった。


 《Pipi☆Dot ナナ「生きる理由になりたいとは思ってない」発言》


 白い字幕。

 太字の強調。

 短い尺。


 再生数は、秒単位で増えていく。

 コメント欄は、すでに戦場だった。


 《冷たすぎる》

 《夢売ってる自覚ないの?》

 《依存するなって正しい》

 《推し活否定は無理》

 《ファンいなきゃ終わるくせに》

 《ナナちゃんはまとも》

 《これ、刺さる人多いだろ》

 《推しが理由で生きてる人もいる》

 《じゃあ死ねってこと?》

 《言ってない》

 《でもそう聞こえる》


 菜々子は、音を切ったまま、ただ画面を見つめた。

 指先が、少しだけ冷える。


(……嘘は言ってない)


 でも、本当のことを言えばいいわけじゃない世界に、菜々子は配置されている。


 そう思った瞬間。見慣れたアイコンが飛び込んでくる。


 ——なとくん@ピピドッター。


 《ナナちゃん、俺たちは味方だから。ナナちゃんは間違ってないし、必ず守るから!》


 菜々子は、画面を指でなぞり、返事を打たずに閉じた。


 味方。

 間違ってない。

 守る。


 その言葉がいちばん怖いことを、彼らは知らない。


 控え室の外から、ファンの歓声が遠く聞こえた。

 まるで、火が回る音みたいだった。


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