私は悪くないんです、旦那様
「旦那様!どうしてここに?」
驚きつつ姿勢を戻す私の問いに答えないまま、旦那様は私に近付き、唐突に腕を掴むと自分の側へと引き寄せた。
「私が呼んでおいたんだ。今日はもう帰っていいから、お疲れの奥方を迎えに来いってね」
からかうような笑みを浮かべて告げる殿下に、明らかに不機嫌そうに眉を寄せる旦那様。公式な場以外では、この二人に不敬という言葉はないのだろうなと思いつつ、とても自然に、さも当たり前かのように肩に置かれている旦那様の手に気付いて、じわじわと緊張にも似た感覚が湧き上がってくる。
旦那様に対して少しばかりの後ろめたさを感じてしまうのは、絶対殿下のせい。私は何も悪くないのに。
「そんなに睨むなよ。危険なことは何もなかったし、ここでは労いのためにティータイムを設けただけだ。二人きりになったわけでもない。ちょうど話も終わったところだ、夫婦で話したいこともあるだろ?」
「・・・各部署に、書類提出の制限を無くすように伝令を出してある。そしてオレはしばらく休暇をとる。精々頑張れよ、アグリシオ」
「なっ、おい、そこまでするか?!」
「行こう、エリーナ」
いつもの丁寧な口調を崩して話す旦那様は、意地悪そうな笑みを口元に浮かべて言い捨てるように告げて、嘆く殿下には見向きもしないまま背を向けて歩き出した。
肩を抱かれたままの私もつられるように歩き出す。殿下が気になり後ろを振り向こうとしたが、旦那様からすかさず放っておけと言われ、結局振り向くことはできなかった。
だから、王宮内の一つの窓からこちらを見つめている人物がいたことにも気付けなかった。
帰りの馬車の中では色々と聞かれるのだろうと思って、必死に何を話そうかと考えを巡らせていたのだが、予想に反して旦那様は何も聞かなかったし、言わなかった。乗り降りにはちゃんと手を貸してくれたので、私に対して怒っている訳ではないということは分かったが、そわそわしてしまって居心地が悪かった。
浮気がバレたのに何も咎められなかった人の心境とはこんなものなのだろうか。いや、浮気なんてしていないけれども。本来後ろめたさだって感じる必要はない立場なのだけども。
邸宅へと帰り着いた後も、旦那様は何も聞かなかった。出迎えた使用人達に私の世話をするようにと告げてエントランスで別れ、その後はテリア達にこれでもかという程の労いを受けて、食事まで部屋に運ばれるという過保護っぷり。
確かに疲れはしたけれど、そこまでされる程じゃないのに。部屋から出る口実がなくなってしまい、気が付いたら入浴まで終わって夜着を着せられていた。そしてやっと解放されて一人になれた。
これは、もしかしなくても旦那様の指示だろうか。私と話したくなくて、会いたくなくてこんなことをしてる?
そんな訳ないと思う自分と、もしかして、と思う自分がいる。
旦那様が優しいからといって、もうずっと甘えっぱなしだった。何かしてもらったり、気遣ってもらってばかりだった。これでは、彼の嫌いなワガママ令嬢と大差ないじゃないか。
「どうしよう、私・・・。どうしたら良いんだろう・・・。明日なら会ってくれる?話ができる?」
不安感で落ち着かなくなり、部屋の中をぐるぐると歩き回ってしまう。不安なことも悩むことも今まで数えきれない程あったけれど、こうも怖くて心細い気持ちになったことはないように思う。
好きになってほしい、愛が欲しいだなんて言わないから、嫌わないでほしい。
ふと、庭園に目がいった。告白が失敗した苦い記憶があるけれど、夜の庭園は美しかったし、今夜は綺麗に月が出ている。
閉じ込められているように感じてしまう部屋の中にいるよりは良い。とにかくじっとしていられない。既に正常な判断ができない状態になっている事に気付くことのない私は、夜着の上からガウンを羽織り、室内用のスリッパのままで部屋を出た。




