明日世界が終わればいい
明日世界が終わってくれないかな。
ミサイルでも降ってくればいいのに。
授業中、須美は窓の外を眺めながら、そんなことを考えていた。
高校生の時も授業中などにそう夢想していたことを、須美は暗い気持ちで思い返す。
ある日、突然変異が起きて何もかも木っ端微塵になればいい。
それは、自然災害だったり、教室に侵入してきた殺人鬼だったり、疫病によるパンデミックだったりした。
須美は、ありとあらゆるシチュエーションで、日常がぶち壊れる場面を妄想していた。
そんな妄想をするようになったのは、いつからだったっけ。
須美は、自分の過去を思い返してみる。
多分、7、8歳頃にはもう妄想していた気がする。
夜眠りに落ちる前に、明日が来なければいいのに、なんて思っていた。
朝、布団の中で冷たくなっている自分を想像すると心が落ち着いた。
眠っている間に心臓麻痺でぽっくり逝く。これこそ、苦しみも恐怖もない理想の死に方だ。
須美は嫌なことがあるたびに、翌日に憂鬱なことが待っているたびに、是非ともそうなってくれれば良いが、と祈りながら眠るのであった。
須美にとって学校は苦痛でしかなかった。
友達と笑い合いながらも、心の底から楽しめない。
そもそも楽しいって何だったっけ。どういう時に感じるものだった?
この頃はそんなふうに確かに存在していた感情すら、わからなくなっていた。
自分の心が喜ぶものが何だったのか、思い出せなくなっていた。そんなもの、最初からなかったような気さえしてくる。
自分の感情がわからなくなるたび、ああ私はなんて空っぽな人間なんだ……と絶望する。
こんな空っぽな人間、誰かに愛されるわけない。
存在自体がつまらなくて、いてもいなくても変わらない。死んでも誰も困らない。一生誰からも一番に愛されることはないんだろう。
友達も本心では自分のことを思っていないのを須美はわかっていた。
自分といても"本当の楽しさ"は手に入らないのだから。
このままでは誰からも愛されないと、須美自身わかっていた。
しかし——。
余計な自我を出して、嫌われてしまったら?
演技をやめてしまったら、今の関係すら失うかもしれない。
いなくなっても特に困らないが、まあどっちかと言えば好きかもしれない、と思われているこの状態を崩すのが怖い。
本当の自分を出して、前の方が良かった、と思われてしまったら……。
須美には、その可能性の方がよほど恐ろしいのだった。
だから虚しさを我慢して、友達相手にもビクビクと接する。親にさえ自分の本心を見せられない。
こんな生活が永遠に続いていくのかと思うと、須美は真っ暗な水底に沈められたような心地になる。
でも、今の状況から一歩踏み出す勇気がどうしても湧いてこない。
また一人ぼっちになってしまう。
それだけは嫌だ。
周囲の人間全てから笑われ、煙たがれ、蔑まれた経験が、頭にこびりついて離れない。
自我とか個性とか本心を出せば、またあんなことになる。みんな私を白い目で見る。
だから、完璧に周りに馴染まなきゃいけない。
そうすれば、誰にも何も言われないですむ。迫害されないですむ。みんなに受け入れてもらえる。
その結果、空気みたいな存在になろうとも、排斥されるよりずっとマシ。
これが一番幸せなんだ。これ以上を望んじゃいけない……。
須美は、はるかとの再会を思い出す。
はるかちゃんも、私のことをおかしい、気持ち悪いって思ってたんだ。やっぱり間違っているのは私の方で、私が選んだ生き方は正しかった。
それがわかって良かった。
『あなたがそんな子だとは思わなかった』
先生の突き放すような白い目が忘れられない。
先生があの時私を怒ったのは正しかったんだ。
先生は何も悪くなかった。全部先生の言う通りだった。
悪いのは私だけで、だから否定されて当然だったんだ。いじめから助けてもらえなくて当然だったんだ。私が悪いことをしてしまったのが原因なんだから。
だから私は、もう悪いことをしないように、みんなの機嫌を損ねないように、ただそれだけを気にして生きるべきなんだ。
今までだってそうしてきた。これからだってできるはずだ。
あの人のことも好きになれるはずだ。
須美はギュッと下唇を噛む。
昨日、あの人が家に来た。
お母さんとお父さんと私が集ういつもの食卓に、昨晩はあの人——輝真くんがいた。
みんな楽しそうだった。場を白けさせないように、私もよく笑って話した。
私がそうすると、お母さんはすごく嬉しそうにしてくれた。
輝真くんは、私が楽しそうにしているのを見ると、ますますテンションが上がっていた。
食事中、何度も私をチラチラ見てきて——ああ本当に私のことが気になっているんだな、と悟ってしまった。
彼のことが嫌いなわけではない。良い人だとも思う。小さい頃遊んでくれたことをよく覚えている。いとこの優しいお兄さんとして私も慕っていた。
でも、嫌いじゃない、良い人だ、というだけで、恋愛対象として見ることなんてできない。
お母さんから「良い子じゃない」と勧められるたびにその通りだと思う。
理想的な人でしょ? と言われていくうちに、だんだんこんなに良い人を好きになれない自分の方がおかしい気がしてくる。
お父さんだって「輝真くんにだったら娘を取られてもショックじゃないなー」と言ってくれている。
おばさんも顔を合わすたびに、それとなく息子の自慢をしてくる。
周りがここまでオススメしてくれる人を好きになれないのは、ただの私のわがままな気がしてきた。
私のわがままでみんなを振り回している。みんなに迷惑をかけている。
だったら、意地を張るのはいい加減にしなきゃ。
輝真くんを好きになれるように、私も努力しなくちゃいけない。
みんなそれを望んでるんだから。その通りにしなくちゃ、私はみんなから嫌われてしまう。
それだけは絶対に避けなければならない。
みんなが喜ぶ選択を取り続けなければ。
そうすればきっと——きっとみんな私を受け入れてくれる。好きになってくれるはずだから。
目を閉じて輝真くんを思い浮かべてみる。
彼に笑いかけられるのを想像してみる。
うん、大丈夫。嫌な感じはしない。
次は、彼と手を繋ぐことを想像してみる。
……うん。大丈夫だ。嫌じゃない。気持ち悪くない。
次に、彼とキスするところを想像してみる。
…………大丈夫。耐えられる範疇だ。我慢できると思う。まだまだ平気。
最後に彼とセックスすることを想像して——。
「うっ……」
思わず出てしまったうめき声に、須美は口を押さえる。
誰かに気づかれてしまっただろうか。
さりげなく周りを見回してみて、安心する。
良かった、誰もこちらの様子に気づいていないみたいだ。
須美は自分に失望した。
やっぱりダメなのかもしれない。
私は、輝真くんのことを好きになれないのかもしれない。
どうしよう。私が彼を好きになれたら全部解決するのに。
お母さんをガッカリさせちゃう。
私のせいで。
私がわがままなせいで、みんなの良い空気を壊しちゃう。
なんで好きになれないの。そうなってくれるのが一番いいのに。それがみんなが幸せになれる方法なのに。
須美は、思い通りにならない自分の心が歯痒かった。
こんなことは今までなかった。
高校受験の時も、本当は制服が可愛い一駅先の学校に行きたかった。
でも、お母さんから徒歩で通えるところにしなさいと言われて、第一志望を家から一番近いところに決めた。
部活も、バレー部がいいかも、と思っていたのに、友達にバレー部の先輩嫌いなんだよね、と打ち明けられたら、あっさり違う部活にした。違う部活にできた。
お母さんに、男子とあまり関わらないように、と言われて、仲の良かった男子とも距離を取るようになった。
どの場面でも、モヤッとしたことはしたけれど、大した不満はなかった。不満を感じても我慢できる範囲だった。
ずっとそうやって生きてきた。今までその生き方で上手くやれてきていた。周りと衝突せずに順風満帆に生きてこれていたと思う。
なのに、なんでまた同じようにできないの。
このままでいいのか、と心のどこかでは不安に思いつつも、私は上手くやれてきていた。
心からの喜びは得られなかったけれど、失敗もしなかったはずだ。
だから、この生き方は間違ってないのだと思う。
私はこうやって生きていくのが正しいんだ。
はるかちゃんと再会して、それがわかった。
はるかちゃんと会えば、違う生き方を見つけられるかも。
今の私のやり方が実は間違っているんだと、そう言ってもらえるかもしれない……なんて期待していた。
須美ちゃんは、自分の生きたいように生きていいんだよ。
そう言ってもらえるかと思っていた。
でも違ったんだ。
私が見せた借り物の言葉じゃない“本心"を、勇気を振り絞って曝け出した"自我"を、はるかちゃんは「気持ち悪い」と一蹴した。
昔、唯一私を受け入れてくれたはるかちゃんがそう言うんだから、きっとそれが正しいんだろう。
ありのままの私は気持ち悪い。
私の本心なんて誰も知りたくない。
本当の私は受け入れられないんだって——。
それに、"本当の私"がどんなふうだったか、そもそもそんなものが本当にあったのか、それすら最近はわからなくなってきた。
少し前までは、それを探したい、見つけ出したいと願っていたけど、もういい。
誰も望んでいないなら探し出す必要なんてない。見つかったところで良い未来が待っている保証なんてないし……。
失くしてしまって、もう見つからないのなら——そんなのないのと同じじゃないか。
最初からなかったものと思えばいい。そうすれば楽になれる。
とにかく今は、早く輝真くんを好きになれるように頑張らなくちゃ。
きっとできるはず、私なら。
須美は、暗雲が立ち込めてきた空を眺めながら、自身を鼓舞した。
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