二人の主要人物
「……でもその人もダメだったの。ようやく私だけを愛してくれる人が現れたと思ったのに、その人も自分のことしか考えてなかった。私の望んでいる人ではなかった」
長ったらしいため息をもらした女。
これで話の8割は終わったらしかった。
「それから、家を飛び出して……しばらく一人で過ごしてたんだけど、寂しくなっちゃって……その時告白してきた人と、試しに付き合ってみることにした。もちろん性的なことはしないって条件付きで」
寂しさを紛らわすために恋人を作っては、期待していたのと違う、と別れる。
彼女は、そういうことを繰り返してきた。
何度も何度も、泣きながら別れることになってなお、彼女は恋人を作ることをやめない。
何度失望しても、人を求めずにはいられない。
何度同じ過ちを繰り返しても、希望を捨て切れないのだ。
いつかは誰かが自分を救いに来て、全てを大丈夫にしてくれることを真面目に夢見ている。
彼女は、ずっと夢見て生きてきたのだった。
「えっと……何人くらいの人と付き合って別れてきたのか聞いていいですか?」
「さあ……でも多分、10人は超えてると思う」
まあこんなに綺麗な人、モテないはずがない。
10人以上、という数字も納得のものだと木口は思った。
「全員告白されて、付き合ったんですか。あなたの方から告白して付き合ったことはないんですか?」
「それは一回もない。いつも向こうから好きだ、って言ってきた。何度も好きだって言われてるうちに、だんだん私の方も好きになってきて……そういうパターンが普通だった。片思いしたこともあるけど、告白なんてできなかった……」
「どうしてですか」
「だって怖いじゃん。勇気出して告白して、断られたらって思うと……そんなのされたら生きていけないじゃん。そもそも、私みたいな人間が好きな人に振り向いてもらえるはずないもん……」
木口は話を聞けば聞くほど、ふつふつと怒りが湧いてきた。
何か言ってやりたいけど、自分が思っていることをそのまま言ってしまったら、確実にこの人は怒るだろう。
それにますます意固地になるに違いない。あなたに私の何がわかるの? というセリフで封じ込められるに違いないのだ。
それじゃ意味ないんだ。
一体どんなふうに間違いを指摘すればいいのか。どういう物言いで伝えれば、この人を傷つけないですむのか——。
いや。
まったく傷つけないですませる、なんて不可能だ。
本当にその人のためを思うなら、時として傷つける覚悟も必要だ。
地獄から這い上がるには、多少の痛みが伴うものなのだ。
それは、自分が身を持って知っているじゃないか。
その時は辛くても、後から振り返ってみると、あの時這いあがろうとして良かったと思える。
そういう日が必ず来る。
この人が傷つくことを言いたくない、というのが自分のエゴにすぎないことに気づいた木口は、覚悟を決めた。
「あなたは今のままじゃ、絶対に幸せになれません」
「え?」
「今のあなたを愛そう、なんていう人は現れないと思います。あなたが望んでいる人は一生現れることはありません」
「なっ……」
嘘でしょ、という顔で絶句する女。
一生懸命生きている人間に、苦しんでいる人間に、そんなこと言う人いる!? と木口を人ではない者のように見ている。
「あなたが一生懸命生きていないからです」
「なんでそんなこと言うの? 私はこれまでたくさんたくさん辛い目にあってきたの……! なんで責めるの? 私が悪かったことなんて一つもないはずでしょ?」
「確かに子どもの頃のあなたには、何も悪いところはありません。あなたの周りの大人たちが全部悪かったんです。それは気の毒だと思います。……でも、あなたが家を飛び出してからの人生に関しては、周りが全て悪い、とは言えません」
「私が悪いの……!? これまで私を裏切ってきた人たちのせいじゃなくて……?」
「はい。あなたが幸せになれない原因はあなた自身にあります」
それは、これまでの女の話を聞くだけで見えてくる、明白な事実だった。
「あなたは言いましたよね。『あの人も私の望む普通の親なんかじゃなかった。自分が救われることしか考えていない、自分勝手な子どもだった!』って。あなたも同じじゃないですか」
彼女には、物心ついた頃から親がいなかった。捨てられたのだ。
それから、劣悪な施設でいつも気を張り詰めながら生活して、7歳の頃に親戚の夫婦に引き取られた。
だが、そこで彼女はひたすら搾取された。商品としてしか愛されなかった。あたたかい家庭のあの文字さえなかった。
その他、多くの過酷な体験を経て、彼女の元にようやく光が射したかと思われた。
自分を"愛する我が子"扱いしてくれる女性が、突如として目の前に現れて、彼女を冷酷無慈悲な夫婦から救い出してくれたのだ。
「あの人には、"理想の娘像"がキッチリと決まっていた。そのイメージから、私が少しでも外れると『そうじゃないでしょ?』って自分の理想像に当てはめようとしてきた。私はあの人の望むように振る舞わないと、愛してもらえなかった。ありのままの私を愛してもらえなかったんだ……」
彼女はその部分を話す時、ひときわ多くの涙をこぼした。
「あなたもその女性と同じなんです。自分勝手な理想を相手に押し付けて、少しでも自分の意に沿わないことをすると拒絶する。今まで関わってきた相手に、申し訳ないって気持ちはないんですか」
今木口の前にいる彼女と、彼女を引き取ったという女性の間には、何の違いもないように見える。
しかし、本人は全然そんなふうには思えないのだった。
私とあの人が似た者同士なんて言われて初めて気づいた、というように目を丸くしている。
確かにそうなのかも……と頭ではわかっている。
でも、彼女の心はその事実を認められなかった。
認めたくなかった。
「申し訳ないなんて思うわけない。だって私は何も贅沢なことは言ってないんだもの。自分の全てを受け入れて愛してほしい……みんなが当たり前にもらってきたものを私もほしいだけ。ただありのままの私を愛してほしいだけ。それがそんなにいけないことなの?」
視線で非難される木口。
しかし、彼は落ち着き払った様子で、真理を告げるように淡々と述べた。
「あなたの言う愛って、相手が何をしても黙ってそのままにさせておく、ってことなんですか? 相手がどんなに悪いことをしても、自分を傷つけてきても、君はそれでいい、って笑って流すようじゃないと、愛してるって言えないんですか?」
彼女は「私は……私はただ……」と視線をあちこちに彷徨わせながら、途切れ途切れ話した。
「私はただ『こんなことさせてごめんね。今まで辛かったね』って……そう言ってほしかっただけなのに……」
私の望み通りに動いてくれない他人が悪い。
はるかは、内心そう思っていた。
「私、他の人より何倍も辛い思いをして、頑張って生きてるんだもの。助けを求めたっていいでしょ……? 恋人なんだからそのくらい耐えてくれてもいいじゃない……」
なんでこんなに可哀想な私を支えてくれないの?
はるかの心の叫びが、聞こえてくるようだった。
彼女は本気で、自分はどこまでも哀れな存在で、哀れな自分がしでかす行動を受け入れない相手に愛がない、と思っているのだった。
自分の悪い部分も残らず愛してくれないと、それは真実の愛ではない、と。
彼女が恋人にしてきたことの実例を、いくつか挙げてみる。
夜中でも授業でも、構わず電話をかけてくる。何度も何度も相手が出るまで、一分程度の間さえおかずに連続してかけてくる。
いつまでも電話に出ないと、
『もう何もかもどうでもいい』
という意味深なメッセージを残して押し黙る。
それで焦り出した恋人が慌てて連絡を取ろうとするも、いっこうに出てこない。
居ても立っても居られなくなって、彼女の自宅に駆けつけると、彼女は玄関の鍵を開けて、恋人を待っているのだった。
そして「なんで電話に出てくれなかったの」と泣いて責め立てる。
『本当に危ないところだった。あと一分遅ければ首吊ってた』
そんな言葉で、相手の罪悪感を猛烈にかき立てるのであった。
その他、唐突に幾筋もの切り込みが入った手首の写真を『また切っちゃった……ホントに辛い。助けて』というメッセージと共に送りつけたり。
街を歩いている最中、彼氏が綺麗な人を見つけて数秒間見つめていただけで、
「私のことなんて本当は好きじゃないんでしょ!」
と泣き出したり。
不機嫌になると、とことん機嫌を直そうとしなかった。相手から正解が引き出されるまでは絶対に謝ろうとはしなかった。
彼氏には何も非がないというのに、彼氏の方から平謝りされるまでは、彼女自身はごめんのごの一文字も発さなかった。
……とまあ、数え上げるとキリがないのだが、ここまでにしておこう。
「俺はあなたの苦しみや、これまでどれだけ辛い思いをしてきたのか、まるっとわかってあげることはできません。所詮今日初めて会話しただけの赤の他人ですから。あなたがどういう人間なのかも全然わからない——でもこれだけは言えます」
木口の落ち着き払った口ぶり、スッと伸びた背筋、強い意志の宿る瞳からは、およそ高校生とは思えない、達観した雰囲気を感じる。
「その考え方を変えない限り、あなたは一生幸せになれません。あなたが幸せから逃げて、"不幸な目にばかり遭う可哀想な自分"を愛している限りは」
この言葉は、彼女の胸に鋭い矢のように突き刺さった。
「そんなわけ……まるで私が幸せになりたくない、って思ってるみたいな言い方……」
「あなたは自分を幸せにするために具体的に何かしましたか?」
木口の口調は強めだが、そこには目の前の人間を導こうとするようなあたたかみも感じられる。
質問された女は、しどろもどろに自分のこれまでの奮闘について語る。
「たくさんの人を信じてみた。本当は誰も信じられなかったんだけど、一緒にいるうちに変わるかもしれない。この人になら全てを委ねられるかもしれない、って希望を抱いていたの。でも……でも。本当の自分を出すと、みんな離れていった。それで、ああダメなんだ、って。信じても無駄なんだって……」
「いい加減目を覚ましてください!」
静かな雰囲気から一転して、木口は大声でピシャリと言い放った。
それは、危険なことをしている我が子を目の当たりにして「やめなさい!」と叱る親の様子に似ていた。
「あなたは流されてきただけじゃないですか。自分の力で何かを勝ち取ろうとしたことなんてなかったんでしょう? 相手が自分の望みを叶えてくれることだけを、ただそれだけを期待していたんじゃないですか?」
「でも……私がこれ以上何を頑張れって言うの? もう十分耐えてきたじゃない。これまで辛い目にしか遭ってこなかったんだから、何もしなくても幸せがやって来ていいはずでしょ? 禍福は糾える縄の如し、って言うのに。なんで私だけは違うの? なんで私には幸せが来ないの? なんで私だけ可哀想なままなの?」
なんでなんで、と駄々っ子みたいに繰り返す女。
いや、この女は実際駄々っ子だった。体だけが大きくなっただけの子どもだった。
「じっと待っていたら向こうから幸せがやって来る。そんなことは滅多にありません。宝くじに当たることを夢見るように、棚ぼたを待っているだけでは、何年経っても幸せになんてなれませんよ」
信じたくない。
その強い意思が、女の顔に表れている。
彼女はこれまでの人生で悲しみを味わうたびに、こう自分に言い聞かせてきたのだ。
こんなのは何かの間違いだ。今に幸福になる。酷い目に遭えば遭うほど、大きな幸福がやって来るに違いない。
だってそうじゃないと、あまりにも理不尽じゃないか。私だけあまりにも不公平じゃないか。
「じゃあ……じゃあ、どんなに辛い目に遭っても、それはもうしょうがないってこと? 一つも苦労なんてしてこなかった人たちと同じように、辛い目に遭ってきた人も頑張らないといけないってこと? それなら私の不幸はなんだったの?」
彼女の挙動が、怪しいものになっていく。
どうしようもない感情を発散させるように、ユラユラと体を横に揺らして、憑かれたようにブツブツと早口で話す。
「辛いことなんて何もなかったみたいに笑えばいいってこと? それで普通の人みたいに前向きに生きていこう、って? そんな不公平なことがあっていいの?」
「綺麗さっぱり忘れろ、とは言えません。……できないと思いますし」
涼しい表情を保っていた木口だが、そこでわずかに顔が歪んだ。
「俺も、何もかも忘れて常に明るい気分でいられるわけじゃない。この世全てを呪いたくなる時だってあります」
木口もかつて地獄の中にいた。今の彼になるまでに、様々な葛藤を味わい尽くした。
だからこそ確信を持って言えることがある。
「でも負けちゃダメなんです。自分は世界で一番不幸だ可哀想だ、って決めつけて、自分なんかの力では何も変えられない、って思ってても、何にもならないんです。自分でそう思っているうちは何も変えられないんです」
この言葉がどうか届いてくれ、と木口は願う。
言葉を授ける。ただそれだけでは他人を変えることはできない。
その人自身が言葉を受け止められるかにかかっている。
結局、自分自身で意識を変えることでしか救われる道はないのだ。
他人の手助けや親身な言葉は、その足がかりでしかない。
それ以上の何でもないし、それ以上であってもいけない。
「どれだけ辛くても、どれだけ苦しくても、どれだけ恨めしくても、自分の足で歩き出すしかないんです。他の人に背負わせてはいけない。周りの人たちは、あなたの進む道を歩きやすくしてくれたり、隣で肩を貸したりはしてくれますけど、あなたの代わりに歩いてくれるわけではないんです」
どんなに辛くとも、いつかは立ち上がって前に進まなければならない。
そうしないと、いつまでも暗い闇の底で生きることになる。暗闇の中でずっと過ごすには長すぎる人生を、苦しみ悶えながら生き抜く羽目になる。
「ふざけてますよね。世の中にはトラウマや辛い過去になんて悩まされず、毎日笑って過ごしてる人もいるのに、一方では毎日気が狂わないように何とか自我を保って必死に生きている人間もいる。不公平で理不尽でどうしようもないですよね。でもそれに対して、不公平だ! って喚いてもどうにもならないんです」
不公平で理不尽でどうしようもない世界。
でも、その酷さを嘆いたって何か良いことが起こるわけではないのだ。
だったら、世界を恨むことなんてやめた方がいいじゃないか。
「難しいことだってわかってます。今日から変わろうと思って、簡単に変われるものじゃないともよく理解しています。俺だっていまだに恨んでいる。恨みに飲み込まれないようにいつも必死です。でも変わろうと思わなければ、一生変わらないままです」
「でも失敗したら?」
彼女は、それが一番怖い、というように怯えた目で木口を見つめる。
「死ぬほど頑張って、それでもダメだったら? 成功しなかったら? 今よりももっと酷いことになったら? その時はどうすればいいの? どう生きていけばいいの?」
「わかりません。どう生きていけばいいのかなんて誰にも……あなたが自分の生き方を見つけるしかないんです。でも、これは確実に言えます。今よりも酷い状態になることはない。たとえ辛い経験を塗り替えられなかったとしても、頑張っても恨みが消えなかったとしても、あなたが変わろうと思っている限りは、今よりも悪いことにはならない。だからもう"そっち側"に行かないでください。自分で自分の首を絞めるような道を選ばないでください」
「私だってこんな自分嫌だ。自分のことなんか好きになれるわけなかった。だから誰かに好きだって言ってほしかったの。私が私を愛せないから、他の誰かに代わりに愛してほしかった……」
常に意識していながら、ハッキリとは認めてこなかった本心を、彼女は恐々と口に出した。
「でもそれじゃダメだって言うんだね。自分で自分を愛してあげるしかないってことだよね。でもそんなのできるのかな。もう遅いんじゃないかな。今から変えるなんて本当にできるのかな。私なんかの力で変えられるのかな」
襲いかかる不安に闘う前から負けてしまいそうだ、というふうに涙をボロボロと流す。
「一人じゃ不安だと言うなら、俺がそばで支えになります。あなたを一人で闘わせたりしません」
ギョッと目を見開いて、そのまましばらく動かなくなる女。
木口はそんな彼女の様子を、真剣な眼差しで少しも目を逸らさずに見つめている。
「なんでそこまで……」
「あなたが幸せになるところを見たいんです」
彼女を救う手伝いをしたい。自分にできることなら何でもしたい。
木口の決意は完全に固まっていた。
「見せてください、あなたが自分の幸せのために歩む姿を」
彼女は、長い間視線を彷徨わせていたが、やがておずおずと言った。
「私、宇佐はるかって言うの。君の名前は……?」
「俺は木口彼方です。よろしくお願いします」
はるかと彼方。
この二人の出会いが、物語の始まりだった。
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