10 「悪あがきは終わり?」
ユーリーンはふーっと小さく息を吐きだした。
そしてふわふわの髪を耳にかけ、「一応反論しておこうかなぁ」とけだるそうにつぶやく。
「ハナとあんたらが口裏を合わせてるだけって可能性は?」
「ここに物的証拠があるわ」
「そんなものいくらでも捏造できるじゃない。カゴと棒の仕掛けなんてあとからでも作れるし、ハンカチは私のポケットからこっそり抜きとればいいだけ。ちがう?」
「あなた、血がついたハンカチを洗わなかったの?」
「……洗うまえに抜きとられたのよ」
「それだと林で小鳥を見つけてから寮に帰るまでの間に盗まれたことになるわね。その間、だれに会ったのかしら?」
「…………」
ユーリーンは不機嫌そうに言う。「やっぱり落としたのかもね。それをあんたらのうちのだれかが拾ったんだわ」
「そんな偶然あるかしら」
「知らないわよ。でも、『天使のようなユーリーン』が小鳥を虐待するよりはまだありえるんじゃなくて?」
「どうかしら。『天使の顔をした悪魔のようなユーリーン』ならやるかもしれないわ」
「……写真だって捏造よ。リッカー先生が私の部屋にあったと言っているだけ」
「あら、今度は先生をうそつき呼ばわり? ずいぶん気が大きくなっているようだけれど、間違ってアルコールでも飲んだのかしら?」
捏造と言われてリッカー先生はユーリーンをにらみつける。
厳しい先生のひとにらみは効いたらしい。「……いまのは撤回します。だれかが私の部屋に置いたんだわ」と目をそらして言った。
「ハナさんのおとうさんにまつわる写真を? だれが?」
「……さあ」
「あなたのクラスの子たちに聞きこみをすれば、ハナさんがあなたがするべき雑用をかわりにやっていたという証言が得られるかもしれないわ。これはあなたがハナさんを脅していたという証左になるんじゃない?」
「ハナさんは優しいから。自分から進んでやってくれたのよ」
「ち、ちがいます……! 私は、ユーリーンさんに写真のことで脅されて……っ!」
ハナが勇気を振りしぼって言った言葉にユーリーンはちっと舌打ちする。
そしてふと周囲を見回した。
彼女も気づかざるをえなかったらしい。ここに、自分の味方はもういなくなっていることに。
「ちょっと……え? みんな、どうしてそんな顔で私を見てるの? ねえ、怖い伯爵令嬢さまにいじめられてるの。たすけてよぅ……」
「…………」
くすん、とユーリーンは泣きまねをしてみせたがさすがにもうだれも引っかからなかった。彼女の空泣きが虚しく響く。
私は溜め息をついた。
「悪あがきは終わり?」
「…………」
「なら謝りなさいな。私とハナさんに」
ユーリーンは歯噛みする。
悔しそうに私たちをにらんでいたけれど、そうしていても状況は悪くなるだけだと理解したのだろう、「……申しわけ、ありませんでした」と頭を下げた。
舐めてかかっていた私たちに謝るのは相当な屈辱のはずだ。耳が赤くなっている。
私はハナを見る。
ハナも視線に気づいて私を見上げてきて、もういい、というふうにうなずいてみせた。彼女が納得したならいいだろう。
「その謝罪、たしかに受けとったわ。顔をあげなさい」
私はユーリーンに言うと彼女は苛立たしそうに姿勢をもどす。
「うまくいってたはずだったのに。どこで間違えたのかしら……」とユーリーンは髪を掻きまわした。
「私に喧嘩を売ってきたところからじゃなくて?」
「……そうかもね」
ユーリーンは床の上のハンカチを見下ろす。あちこちほつれたそれを見る彼女の視線は複雑だった。
愛情のような。憎悪のような。
「……うちさぁ、一代で成りあがった会社なのよ。だからだれも大金の使い方なんて知らない。かわいい娘をお貴族さまが通う学院に押しこんだのはいいけど、こんなに金がかかるなんてみんな想像してなかった。学費をだすだけで精一杯。制服はもらいものだし鞄は質屋で似たデザインのものを買っただけ。ハンカチを買いかえるお金さえ残ってなかった」
あのとき笑われた気がしたの、と彼女は言った。
「あんたとぶつかってハンカチを落としたとき。こいつはハンカチ一枚買う金もないのか、さすが成金令嬢だなって。まともな親もいないんだろうなって。家ごと見下された気がした。
……ばかね。本物のご令嬢が、私みたいな平民のこと気にするわけないでしょうに」
「まさか……それで私を目の敵に?」
「そうよ。なんの不自由もなく育ってきたご令嬢から婚約者奪って、泥棒の濡れ衣着せてやったらどんなにすっとするだろうと思ったの。それだけよ」
あーあ、とユーリーンは笑う。
とろけそうな天使の笑みではなく、疲れきった中年の女のような笑みで。
「こんなハンカチ……さっさと捨てちゃうんだった」
彼女はだるそうにハンカチをつまみあげる。
それからポケットにしまう仕草をして、いまはドレスだということを思いだしたように苦笑した。
「じゃあね、ロゼリア。私はせいぜい身の丈に合った暮らしをするわ」
「ユーリーン……」
「ま、待ってくれ!」
大講堂をでていこうとしたユーリーンの手をフォニスがつかむ。
目を丸くするユーリーンにフォニスは言いつのった。それは――まるで、舞台の上の英雄のように。
「ユーリーン。私とかけおちしよう」
「え……」
「きみが何者でもかまわない。きみと添いとげるためなら私は家も名もすべて捨てる。必要なのはきみだけだ。きみさえいればなにもいらない。ユーリーン、きみだけが私に真実の愛を教えてくれたんだ!」
「フォニス……さま……」
「ユーリーン! 私と逃げてくれ!」
ユーリーンは息を呑んだ。
そして信じられないというふうに何度も瞬きをして。子犬みたいに潤んだ瞳でフォニスを見つめかえして――
「あ? なに言ってんだこの浮かれ貴族。頭ロマンスファンタジーか。話聞いてなかったのか? てめえに近づいたのなんててめえがロゼリアの婚約者だからに決まってんだろ。思いあがるんじゃねえ。かけおち? はぁ? てめえから家取ったらなにが残んだよ、オラ言ってみろや。税収で食わせてもらってるくせによ。え? 自分で金稼いだこともないお坊ちゃまが。いいか覚えとけ、ロマンじゃ腹は膨れねえんだよ。どうせ逃げるんなら家から金パクってくるくらいしろや。ちっ、使えねー雑魚が」
彼女はフォニスの手を振りはらうとずんずん歩いていってしまう。途中で「くそっ、歩きにきぃな!」とヒールを脱いで地面に投げすてていた。
「…………」
……いや、だれ? あの子だれ?
フォニスはユーリーンの手をつかんでいた姿勢のまま固まっている。
だれもかける言葉がないようだった。私ふくめ。
――こういうときなんて言えばいいの……?
なにも知らない大講堂の外から笑い声が聞こえてくる。真冬のように凍りついているこことは温度差があるにもほどがあった。
「…………」
「…………」
婚約者を捨てて新しい恋人をえらんだかと思えば彼女はなかなかの悪人で、それでも追いすがったと思ったら全力でフラれて虚仮にされた男。しかも元婚約者と自分の両親とその他大勢の関係者のまえで。
哀れすぎる。
ほんとうにかける言葉がない。
――いえ、でも、フォニスが本気でユーリーンのことを好きだったのなら……
まだ同情の余地はある、と思ったときだった。
フォニスが突きだしていた手の向きをぐぐぐっと変えた。私のほうに。
そして言ってくる。
「ロゼ! やりなおそう!」
「お断りですわ♡」




