第38話 目覚めは娘のベッドにて。最悪の鉢合わせ
勇者の前で巨大な竜の影が暴走する寸前、アイリスから受け取った『転移の石』で魔王城へと緊急避難したアルク。運悪く魔王が不在だった城で、気絶した彼はアイリスに「お持ち帰り」されてしまう。そして目覚めの時、最悪の悲劇(喜劇)が幕を開ける。
勇者の前で巨大な竜の影が暴走する寸前、アイリスから受け取った『転移の石』で魔王城へと緊急避難したアルク。運悪く魔王が不在だった城で、気絶した彼はアイリスに「お持ち帰り」されてしまう。そして目覚めの時、最悪の悲劇(喜劇)が幕を開ける。
「ん……ここは……?」
深い眠りから覚醒したアルクの鼻腔を、ひどく甘く、上品な香りがくすぐった。
ゆっくりと目を開けると、視界に飛び込んできたのは豪奢な天蓋。そして、自分が沈み込むほどにふかふかな、最高級のシルクで設えられた巨大なベッドだった。
身体の奥底で暴走しかけていた『竜王』の気配は、深い眠りを経たことで嘘のように静まり返り、かつてないほど濃密な力として肉体に馴染んでいるのを感じる。
(ここは……魔王城の客室か? いや、こんな趣味全開の甘い部屋……まさか)
「ああっ、おはようございますアルク様っ♡」
状況を把握する間もなく、ベッドの横から満面の笑みを浮かべたアイリスが覆いかぶさってきた。
「進化の熱でひどく汗をかいていらしたので、私が責任を持って、衣服を脱がせて隅々までお身体を拭いて差し上げましたわ♡ ああ、アルク様の引き締まったお身体……素敵でした……♡」
(はぁぁぁぁ!? お前、護衛(眷属)がいないのをいいことに何やってんだ!?)
完全に密室。しかもベッドの上。
過労でスリープ中のノクスとルミナというストッパーが不在のため、アイリスの独壇場は留まることを知らない。
彼女はアルクの上に完全に馬乗りになり、その豊かな胸を押し付けながら、蕩けた瞳で顔を近づけてくる。
「さあ、お目覚めの魔力供給を……んんっ♡」
「ばっ、やめろバカ! 離れ――」
アルクがパニックになりながら身をよじり、彼女の肩を押し返そうとした、まさにその時だった。
ガチャッ!
「アイリス! 愛しの我が娘よ! 帰城したと聞いて父は飛んできたぞ――」
ノックの音すらなく勢いよく扉が開かれ、マントを翻した偉大なる魔王が、満面の親バカスマイルで部屋に飛び込んできた。
そして、入り口で完全にフリーズした。
魔王の目に映ったのは、愛娘の私室のベッドで、服の乱れた暗黒騎士が押し倒されており、その上に愛娘が馬乗りになって顔を近づけているという、どう弁明しても言い逃れ不可能な光景。
「…………」
「…………(終わった)」
「あら、お父様。お帰りなさいませ」
数秒間の、永遠にも似た沈黙。
魔王の脳内が『最愛の娘の部屋に男』という事実で完全にショートし、その双眸に絶対零度の殺意が灯る。相手がただの魔族であれば、間違いなく瞬きする間に消し炭にされていただろう。
しかし、魔王の『王としての理性』がそれに待ったをかけた。
押し倒されているこの男は、かつての『竜王』であり、今まさにその規格外の力を取り戻しつつある存在。ここで迂闊に手を出せば、魔王城ごと消し飛ぶ大戦に発展しかねない。
魔王はスッと無表情になり、一度静かに扉を閉めた。
そして、数秒後にもう一度ガチャリと開け(幻覚かどうか確認し)、無言のままスッと目をそらした。
「……とりあえず。服の乱れを直して、謁見の間まで来なさい」
ただそれだけをひどく低い声で言い残し、魔王は立ち去った。
娘の部屋に無断で入った彼氏と鉢合わせた父親という、あまりにもリアルすぎる気まずさ。そして、魔王に対して絶対的な火種を作ってしまった事実に、アルクは(誰か俺を殺してくれ!!)とベッドの上で絶望の涙を流した。
───
数十分後。魔王城、謁見の間。
玉座に深く腰掛ける魔王と、その前に並んで立つアルクとアイリス。
魔王からは一切の言葉が発せられないが、玉座から放たれるプレッシャーは尋常ではなかった。『父親としての純粋な殺意』と『相手(竜王)の力量を測るヒリヒリとした覇気』のハイブリッドが空間を制圧し、アルクの胃壁をゴリゴリと削っていく。
そんな地獄のような沈黙を破るように、アイリスが一歩前へ出た。
「お父様! 今回の旅の進捗と……ついでに、私とアルク様の『愛の進捗』もご報告いたしますわ!」
(愛の進捗ゥ!? お前頼むから今は黙っててくれ!!)
アルクの悲痛な心の叫びを他所に、アイリスの口から事実を極限まで歪曲したカオスすぎる報告が飛び出し始めた。
「聞いてくださいませ! アルク様は私への愛の力で、真の次元ボスを瞬殺なさいましたの!」
(違う! 眷属たちの完全介護のおかげだ!)
「夜は魔力供給のために、いつも私たちの『愛の巣』で、私が立てなくなるまで激しく求め合っておりますの!」
(違う! お前が勝手に侵入してきて勝手に魔力吸って腰抜かしてるだけだろ!)
「ちなみに精神的な婚姻の儀は既に済ませておりまして、現在は『お父様に抱かせる孫は最低何人にするか』について毎夜熱く語り合っておりますわ♡」
(言ってねぇぇ!!)
ピキッ。
『孫』というワードが出た瞬間、魔王が握りしめていた玉座の肘掛けに巨大なヒビが入り、青筋と共に王城全体がグラグラと揺れ始めた。
「勇者など、私たちの愛の逃避行を見守る、忠実なペットのようなものですわ!」
嬉々として語るアイリスの横で、アルクは滝のような冷や汗を流しながら、ある致命的な事実に気づいて戦慄していた。
(待て……まさかコイツ。今まで旅の途中で『お父様に報告に行ってまいりますわ』と言って俺から離れていた時、毎回こんなカオスな虚偽報告をしてたのか……!?)
点と点が線で繋がっていく。
アルクが魔王と直接顔を合わせるのは、最初に城へ挨拶に来た時に続いて、今日がまだ「二度目」である。
(だから魔王様……二度目ましてのはずなのに、さっきから俺を見る目が『娘をたぶらかした生意気な彼氏をブチ殺す目』になってたのか!! 俺の知らないところで、勝手に俺のヘイトがカンストしてたじゃねぇか!!)
誤解を解かなければ殺される。
しかし、今ここで「実は俺、毎回気絶してて全部眷属にやらせてます。あと手も出してませんし、孫の予定もありません」と真実を告げれば、元竜王としての威厳は地に堕ち、勇者への潜入任務の手前、魔王からの信用も完全に失ってしまう。
今にも爆発しそうな魔王の殺意と、満面の笑みを浮かべるアイリスの捏造報告の板挟みになりながら、アルクのオタクの胃痛は、ついに魔王城の分厚い天井を突き破るレベルにまで到達するのだった。
魔王城での目覚めは、まさかの最悪のタイミングでの魔王との鉢合わせから始まりました。
しかも、これまでアイリスが魔王に行っていた定期報告が「事実を極限まで歪曲したカオスな内容」だったことが判明。直接会うのは二度目なのに、魔王からの殺意はすでにMAXです。
威厳を保つため真実も言えず、板挟みになったアルクの胃袋は果たして無事なのでしょうか……!?




