5−3 風塵の魔女(2)
当日の午後、クリスティンは一度寮に帰って布袋を持ってきた。
「アイスちゃん、ミストの魔法は使える?」
「一応、使えるけど?」
「ちょっとこの周囲をミストで覆って。ずぶぬれにならない程度に」
「じゃ、薄めに」
そうして周囲が霧に包まれた。向こう側が見える程度だが。
「これで良い?」
「うん、良い感じ」
そうしてクリスティンはクロちゃんとジャッキーに向かって布袋から出した縫い目だらけの楕円球形のものを渡した。
「鎌鼬は急激な気圧変化が起こす皮膚の裂傷だから、圧力変化を感じたらこれを前に出して。気球が人間の代わりに破裂して、気圧変化を緩和してくれるから。
一回きりだけど」
「一回きりでも有効なら充分だよ。ありがとう」
「その一回を生かして近づくよ。ありがとう」
ジャッキーとクロちゃんは喜んで受け取ってくれた。その後、クロちゃんの耳にクリスティンは口を近づけ、小声で言った。
「気球が破裂したら、一回だけ有効な攪乱策をとるから、その隙に接近して。風魔法師とあなたにしか分からないのだけれど、単なる攪乱だから」
「分かった。一瞬だけでも有効に利用する」
クロちゃんの耳から顔を離したクリスティンに、ジャッキーが親指を立てる。
いや、あなたには聞こえない筈だけど…
事前にデボラにミストの魔法をかけさせたのは、風魔法師に盗聴をさせない為の用心だ。通常より濃厚な水蒸気濃度が空気上の音波の伝達を妨害し、またデボラの魔力が満ちたこの空間に風魔法師の干渉をさせずらくしたんだ。
第三グラウンドは周囲を2ft程地面を盛った上に木の壁で囲んであるグラウンドだった。つまり、魔法対戦を行った場合に場外に逃げる事が出来ない様になっていた。もちろん、扉があるからそこから外に出る事は出来るが。簡易な観覧席があり、そこに王子が陣取っていた。
風塵の魔女は顔も隠さず、制服のままやって来た。ちろん、とジャッキーとクロちゃんとクリスティンがクライブを見る。クライブは縦に頭を振った。つまり2年3組の噂の女生徒が風塵の魔女だった。気難しい女な訳だ。女生徒は真っすぐクライブの前にやって来た。顔を知っているのだろう。
「30ft離れて開始する。そちらが動くのを開始の合図とするから」
「分かった。距離を取ったら右手を上げるから、問題なければ右手を上げて、問題があれば大声で異論を唱えてくれ」
そうして両者は30ftの距離を取り、向き合った。クライブが右手を上げると彼女も右手を上げた。クリスティンが軽く手を合わせて一拍だけ拍手をし、それを合図にクロちゃんとジャッキーが走り始めた。果たして風塵の魔女は六連の風魔法で全員を押し飛ばそうとしたが、全員が跪いて飛ばされるのを防いだ。クライブとエグバードは盾を斜めに構えて風の影響を防いだが、ジャッキーとクロちゃんは姿勢を低くして強風には根性で対抗した。脳筋め。デボラはアイスウォールが間に合わなかったので、アイスシールドとして手で押さえた。クリスティンの前には大きなウォーターボールが出来上がっており、水球の端が吹き飛ばされながらクリスティン自体は強風から守られていた。
(来ると分かっていればね)
クリスティンから見て、デボラを除いた全員が予想通りの相手の攻撃に怯んではいなかった。強風を物ともせずじりじり前進するジャッキーとクロちゃんにのみ、風塵の魔女は小さな縦巻きの竜巻を放った。鎌鼬以前に気球を壊せない二人は楕円気球を抱えて肘で竜巻を防いだ。主に根性で。さすが脳筋二人。最初の六連強風攻撃が収まった後、クライブ達は低い姿勢のままじりじりと前進し、デボラはアイスウォールを一枚一枚丁寧に作り、隠れながら前進していった。クリスティンは大きな水球を凍らせてごろごろ転がしながら前進した。風塵の魔女は再度六連の強風攻撃を行ったが、根性で耐える前衛二人以外は皆盾があるから吹き飛ばされる事は無かった。
(どうだろう、この魔女も少々未熟に見える。六人全員どうにかしようとしているから防げていない。個別に全力で吹き飛ばせば良いのに。アイスちゃん同様に普通の学院生を舐めすぎじゃない?)
クリスティンの寸評だった。クリスティンの氷玉なんて最初から手で押していない。水魔法で転がしているんだ。だから風魔法は氷玉を押し戻す程の威力を発揮出来ない。クリスティンが近傍で行使している水魔法による魔法子支配の強さに風魔法による魔法子支配が負けているんだ。
(こうして魔法の盾となっているから、その後ろで何かをやっても見えないのよね)
クリスティン自体は相手の強い魔法は感じているが、こちらが水魔法の後ろで小さい魔法を行使しても風塵の魔女には見えないだろう。
王都にやって来た風塵の魔女は気難しい女と言われる。つまり感情的なのだ。この状況に苛ついた。一番接近しているジャッキーとクロちゃんに対して、遂に鎌鼬を放った。パン、パンと二つの破裂音がする。ここで氷球で身を隠しながらクリスティンは音のしない笛を吹いた。犬笛だ。経験豊富な風魔法師等には通用しない攪乱策だ。空気の異変に風魔法師が状況と原因を探ろうとする、その一瞬の時間を得る為だけに笛を吹いた。
(まあ、何なら他の音も混ぜて風魔法の効果を薄める事も出来ない事はないけど、王子の前でそれはね)
そういう訳で単なる一瞬の攪乱策を行った。クロちゃんには聞こえる音だから、クリスティンが攪乱策を使った事を知った。その効果は一瞬と言われていたから、その一瞬にクロちゃんはウォーターボールを作り、手にくっ付けて盾とした。次の鎌鼬では水球を破裂させる事で気圧差を緩和させようとしたんだ。もちろんジャッキーも作っていた。
(そう、そういう応用を一瞬で思いつく事が対戦では求められるのよね)
クリスティンは二人の機転に感心した。
果たしてクロちゃんの水球は次の鎌鼬で破裂した。もう充分接近したと考えていた彼は、水飛沫を避けて低い姿勢のスライディングを行った。そうして風塵の魔女を蹴倒した。その隙にジャッキーが風塵の魔女に圧し掛かり、横四方固めで抑えつけた。視界を防ぐ為に彼女が作った水球を風塵の魔女の顔にくっ付けた。
ごろごろと氷球を転がして近寄ったクリスティンは、とりあえずジャッキーを止めた。
「ジャッキー、魔女さんが溺れちゃうから水球は取ってあげて」
「魔女ならそのくらい何とかするでしょ」
「いえ、初動に失敗して吸い込んじゃったみたい。ごぼごぼ言ってるよ」
「だらしないなぁ…」
クライブもエグバードもデボラも、この二人の緊張感の無さに呆れていた。三人は惨敗も覚悟していたんだ。そうして陸上で溺れるのを免れた風塵の魔女は、開口一番文句を付けた。
「生死に係わる攻撃は無しと行った筈よ、不当な攻撃だわ」
ジャッキーが応えた。
「下手に吸い込まなければ喋れないだけだよ」
「結果的に溺れかけたのだから、不当な攻撃だわ。経緯でも意思でも無く、結果が行為を判断させるのよ」
クリスティンとしてはこいつは話が通じないタイプと判断した。研究型の人間にはよくいるんだ。自説以外は悪、嘘、陰謀とみなして思考放棄をする奴が。だからクリスティンは後ろを見る事もせず三歩下がってクロちゃんの影に隠れた。クロちゃんは歓喜した。ああ、俺、彼女の役に立っている!この背中に感じる両手の感触が彼女の信頼を示している!
いや、実は単なる盾としているだけだが。
本来なら彼は尻尾をフルスピードで振り回すところだが、女性がいるので下半身にはズボンを履いていたため、尻尾を振るところをクリスティンに見られずに済んだ。いや、クリスティンなら尻尾を最大速度で振る子犬を見たら大喜びしただろうが。
会話に隙間風が吹いている風塵の魔女。
一転して明日はシリアスな蝙蝠を投稿します。




