10−14 北の森 (2)
薄暗い道を馬を進めるジョゼフ・クルーエだったが、野犬達が道に出てきて、吠えかかって来た。それを聞いて馬がいきり立って駆け始めた。馬の息は先程大分荒くなっていたから、休息は充分じゃなかった。だから馬を抑えようとするが、犬の吠え声が聞こえると止まらなくなってしまった。
しばらく駆けさせた後、大分苦し気な馬をなんとか宥めて止めた。仕方なく手ごろな木に縄を結んで、馬を止めた。ジョゼフ自体もそこまで乗馬は上手くないので、馬から降りて座って休みたくなったのだ。地べたに座って、ジョゼフは途方に暮れた。
(何でこんな事に…)
もう暗くなっている以上、しばらく時間を置いてから元の道を戻るしか無い。ジョゼフに土地勘が無い以上、前に進むのは無謀だった。
ところが、また野犬が寄って来て吠え声を上げた。馬が暴れ出して近寄れなくなり、馬に乗る事は出来なくなってしまった。それでも野犬が近寄って来るから、ジョゼフは自分の足で逃げるしか無かった。暗い森の中、ジョゼフは小走りで走った。場合により木に登った方が良いかとも思ったが、都会で育ったジョゼフには木登りの能力は無かった。
そんな時、前から黒っぽい上着のフードを被った女が歩いて来た。
「おい、貴様!」
走り寄ってくる男に女は戸惑っている様だが、ジョゼフは構わず近づいた。そしてジョゼフは女の腕を掴んで、足をひっかけて倒した。
「はははは、お前が犬の餌になってしまえ!」
ところが、倒れた女に近寄った犬は噛みつく事をせず、女が動き出すのを待った。女は四つん這いになって走り始めた。フードから覗く顔は犬の様だった。
「人狼!?」
四つん這いで走り寄って来る女の方が化け物らしく見えた。もうジョゼフは死に物狂いで走り逃げるしか無かった。息をきらせながら道を走ったが、いきなり足元が崖になっていた。
「うわあっ」
垂直ではないが高角度の崖を転がり落ちるジョゼフは、なんとか転がるのを止めて滑り降りたいと思ったが思う様にいかず、結局崖の下まで転がり落ちて止まった。
「何で道の途中が崖になっているんだ…」
呟いたジョゼフは、暗闇の中に人が立っているのに気付いた。
「おい、崖を落ちたんだ、助けてくれ!」
ゆっくりと近づいて来た人は、どうやら女の様だった。
「おい、突っ立てないで助けろ!」
女は寂し気な笑い声を立てた。
「聞きましたよ。予算は出さない、応援も出さない。なのに諜報はもっと早く進めろ。無理に決まってるじゃないですか」
その声はジョゼフも良く知っている声だった。
「モイラ、貴様、何故こんなところにいる!?職場を離れて何のつもりだ!?」
「独りで出来る事なんて限られてるじゃないですか。敵中で独り殺されるのを待つつもりだったので?」
「お前の失敗の挽回なんだから、お前の仕事で何とかする以外にないだろ!?」
「私の仕事なんて牽制だけだったんだから、それが失敗して全体が失敗したなんて言い方が成り立つ訳ないでしょ。主な原因は男達の仕事の失敗じゃないですか」
「貴様、卑しい闇魔法の使い手の癖に、何を偉そうに言っている!」
「卑しい闇魔法師ですか…前に街で反対派を操った時も成果はあなた達のものになり、私には報酬どころか街を追い出しましたよね。最初から使うだけ使って追い出すつもりだったんですね」
「危険な能力を持ったお前が悪い!」
「…それが本音なんですね。卑しく危険な闇魔法師なんて、使えるだけ使って捨てる、それをまた続けようとしたんですね」
「貴様、ノルマン公に拾って貰った恩を忘れたのか!?」
「拾われたんじゃなくて、無理やりノルマンディーに連れてこられたんじゃないですか。恩どころか恨んで良いくらいです」
「言ったな!貴様、そこに直れ!叩っ切ってやる!」
「嫌ですよ」
すっと後ろに下がったモイラに代わって、存在感の希薄な少女らしき人物が前に出た。
「あなた、さっき女性を倒して犬に襲わせようとしましたよね?どう言い訳をするつもりなんです?」
「俺はノルマン公の部下なんだ!市民が俺の命令を聞くのは当然な事だ!」
少女は薄く笑った。
「そうですか、その言葉を頂ければもう用はありません。眠ってもらえませんか」
「貴様、一市民がノルマン公の部下に無礼な言葉を吐くとは、無礼討ちにしてくれる!」
ジョゼフは腰に下げた剣を抜いたが、ジョゼフが間合いに入る前に、少女の横からもう一人の女がジョゼフの横に走り寄り、ジョゼフの横っ面を水っぽいもので殴った。上半身をびしょ濡れにしたジョゼフはまだ元気があった。
「貴様等!度重なる無礼、絶対に許さないからな!」
女はジョゼフを見下ろし、はははと笑った。
「無礼って何かな?他所の国に密入国して、その国の貴族に斬りかかる事かな?」
「密入国などしていない!ノルマン公の部下として堂々と首都に進軍したんだ!」
「それって密入国どころか侵略と聞こえるんだけどね。まあそれは置いといて」
女性達の後ろから男達がやって来た。
「さて、ノルマン公の部下、ジョゼフ・クルーエ、我らがサセックス王国に対する密入国および貴族に対する暴行未遂の疑いで逮捕する」
「サセックス王国だと!?ここはエセックス王国の筈だ!」
「大分馬で南に走った様だな。ここはサセックス王国だよ。王国を代表して、王国貴族、クライブ・ハワードがお前を逮捕する」
「貴様等!罠に嵌めたな!?」
「罠も何も、ここはサセックス王国だから、我々のルールに従って貰うよ。後、モイラは王国の魔女が保護した。魔女の森と殺し合いをしたいなら、今後もちょっかいを出すと良い」
「魔女など!ノルマン公の部下は女など恐れぬ!」
「だ、そうだよ」
クライブは振り返ってクリスティンを見た。だからクリスティンはとことことジョゼフの前に立ち、彼の目を見つめた。
ジョゼフを見つめる瞳はどこまでも深い茶色で、ジョゼフはその中に伝説の竜が見えた様な気がした。竜はジョゼフを見つめて笑い、その咢を開き、青白い炎がジョゼフを包んだ。
勿論、幻想だ。ジョゼフは失禁して倒れた。
「あらあら、まだ僕ちゃんだったのかしら。ママにおしめを付けてもらう年頃なのね」
モイラもそれには苦笑した。
「あんまり虐めちゃ駄目よ?」
「そうね、まだまだお子様なのだものね」
と言う事で、合法的に捕らえました。続きは水曜に。明日はキアラの更新。ちょっと煮詰まってます。