病院にて
ビハール湿原で採取された巨大な野生芋の試料は、既に別便で無事に届けられていたようだ。
「有望だよミンヤック。試料の保存状態も良好だ。これで精製用の資材不足は解消されたな。遺伝子と波動検査も大方完了したよ。薬草園のヤム芋の品種改良にも使えそうだ」
風の精霊に乗ったレマックのミニ幻影が、病院に入院しているミンヤックとラウトに報告した。
2つのベッドの間に空中ディスプレーが生じていて、歌手のアバンがポップな歌を可愛い振り付けで歌っている。
病院も石造りの建物で、300万年までとはいかないが年季がものすごく入った雰囲気を出している。やはり窓やドアの枠とその周辺を中心にかなりの回数修復した跡が見られる。
病院の周辺は王宮に準じて花壇が取り囲んでおり、ミツバチ、マルハナバチに花アブや色とりどりの蝶の類が大量に乱舞している。
ただ、王宮と異なり患者が利用する建物なので、巨大なムカデにトンボやスズメバチのような虫や、カラスの大きさ以上の鳥は見られない。恐らく、精霊魔法で遠ざけているのだろう。
病院の外壁はコケや地衣類も見られず清潔に手入れされているが、それでも長年にわたる雨風による侵食は避けられていない。遠くから見ると建物という印象が薄れてしまう。
しかし、病室内部は最新の医療機器が稼動していた。ミンヤックとラウトが使っているベッドも可変式である。
健康状態をモニターしている機器も新しく、あまり崩れていないひらがなのようなエルフ文字が表示されて、2人の脳を含む神経系統の波動と、循環器の波動、呼吸器官の波動がモニターされている。その表示枠の隣では血液とリンパ液の波動を表示していた。どれも正常値の範囲である。
ラウトにはまだ点滴セットが取り付けられていて、腕に1本の管が渡されている。一方のミンヤックには取り付けられていない。もう完全回復しているのだろう。
だが、2人ともまだショックから立ち直れていないようで、ベッドにぐったりと横たわっている。さすがのミンヤックもレマックの話に無反応だ。
この時とばかりにミンヤックに散々悪態をついてからレマックのミニ幻影が消失し、しばらくしてからコラールが心配で訪ねてきた。職場の休み時間で抜けて直行してきたのか、司書室の制服のままである。
2人の体の状態を手持ちの杖でスキャンして安堵した。
「よかった、何とか無事で。普通、あれだけの事をされたら再生エラーが累積して、とんでもない事態になるものよ」
ラウトが力なく微笑んだ。
「うん。何回死んだか、憶えていないよ」
ミンヤックもボーとしている。
「えらい目に……あった」
コラールがキッと見つめる。
「ミンヤックさんっ。これに懲りて、もうラウトさんを困らせるようなことは控えて下さいねっ」
「おう……これ以上分解されたくない」
初めて聞くミンヤックのか細い返事を聞いて、ラウトの目から涙がとめどなく溢れ出した。
「先生。その言葉、心待ちにしていました」
その様子をあきれながらも微笑ましく思うコラールである。
(ラウトさん、人が良すぎるわね。このドワーフを追い出すネタを探すのは簡単だけど、そうなったら困るのはラウトさんだものねえ。考えものだわ)
その頃、薬師部ではレマックの助手のテランが泡を吹いて倒れていた。過労である。製薬や薬の調合作業中のレマックからは、ミンヤックに対する悪態が呪文のように延々と口から吐き出されている。さすがに、この有様を見たバランとバワベルが立ち尽して天を仰ぎ見た。
「陛下~。少々やり過ぎです」
薬師部の外では、何事もなかったかのように守護樹たちが集まって日光浴をして何かザワザワしている。
結局ミンヤックはドワーフ世界の側での懲罰で、しばらく本国に強制送還されることになった。
「あれは正当防衛だ。民族差別な言い草をして挑発してきた警備隊が悪い」
しかし、ミンヤック本人は断固としてこの主張一点張りであるが。
そんな屁理屈など政府間協定の前では、ドワーフ世界のカマキリの鎌並みに意味のないものだった。せめてエルフ世界のカマキリ並みに大きければ、少しは変わったのかもしれないが。
ちょうど良い機会だということで、手術道具などをこの際に新品へ切り替えることになった。そのリストが彼に渡される。崩れた草書体のひらがなみたいなエルフ文字だが、ミンヤックの読解には問題ないようである。
バランがミンヤックに微笑んだ。
「こういったものは、工業技術が進んでいるドワーフの世界で鍛錬製造されたものがいいんだよ。精霊魔法は大して期待できないが、それは後でノームに魔法処理してもらえば済む話だしね」
リストを受け取ったミンヤックが肩をすくめた。結構な量の注文のようだ。
「確かに、あまり魔法には頼っていないけどな。契約やら術式言語や精霊場解析がどうとか、面倒だし。それよりも、物理化学法則やら量子力学のほうが分かりやすいよ。特に精霊魔法は、ワケが分からん」
そう言い放って、彼の背丈ほどもある大きなリュックを揺らす。ガチャガチャとビンがぶつかる音がする。なおも酒類を手荷物で持っていくつもりのようだ。
バランも少し肩をすくめた。
「そうかね? ジャンビ君。まあ……久しぶりの故郷だし、家族サービスでもしてきなさい」
ミンヤックが白い歯を見せて笑った。
「おお、そうするつもりだ。エルフ世界の酒も大量に仕入れて送ったからな。久しぶりに虫じゃないツマミで酒が飲めるよ」
別の世界へ渡る際に用いる世界間転移ゲートは、トリポカラ王宮外交部の貿易課の専用室にある。課のロビーからかなり離れていて、王宮の汚水を処理する浄化槽がある区画の倉庫室を改造した専用室である。なのでこの辺りには、ほのかにツンとする下水の臭いが漂っている。
エルフ世界が鎖国状態なので、そういった位置づけなのも当然なのであるが……ゲートの大きさも普通の片開きのドア程度しかなく、とりあえず形式だけ整えたという『やっつけ感』がたまらない。
このゲートは約300代目であるが、そろそろ建てつけが悪くなっていた。開け閉め時に軋む音がして不快だと、もっぱらの不評である。仮にもエルフ世界の玄関口なのだが、一向に改善する気配はなさそうだ。
そんな部屋も掃除はきちんとされていて、虫の類もウロウロしていないのだが……普段利用する人が少ないのか、部屋の空気は何となく埃っぽい。
ゲートの正面には、魔法使いが使う言語のうちの最も単純なソーサラー文字で『ようこそエルフの世界へ』と書かれた横断幕が壁にかけられている。文字のイメージはローマ字に似ている。
しかし相当長い間使われているのか、横断幕の生地が弱くなっていた。壁からそろそろはがれ落ちそうである。
実際のところ、このゲートをよく利用しているのは出稼ぎたちで、オーガやゴブリン、トロルなどである。彼らの言語は別にあるのだが、それは完全に無視されている。なので出稼ぎが見ても、何が書かれているのか分からないだろう。
今は、その部屋に巨大な荷物を担いだミンヤックと、見送りのバランにラウト、そして貿易官の4名がいた。
エルフ世界から外の世界へ病原菌などを侵入させないために、貿易官が精霊魔法を使って全員の体内から全ての菌やウイルスの類を部屋の外へ追い出した。これで出国検疫は終了である。人手不足なのだろう、貿易官が検疫官まで兼任している。
バランが苦笑してラウトに顔を向けた。
「後で追い出した菌を体内へ戻す魔法を使うんだが、それでも、お腹の具合が悪くなるんだよね。ラウト君、今晩は胃腸に優しい食事にしたほうが良いよ」
ラウトがちょっと驚いたような顔をする。
「そ、そうなんですか。分かりました、バラン先生」
「ふん」と鼻息を荒げて、ミンヤックも文句を言う。
「そうなんだよな。この処理のせいで今晩は酒が飲めねえ。腹を下してしまうからな。いい加減に、体に優しい検疫方法を採用してもらいたいもんだ」
貿易官はこのような文句には慣れきっている様子で、一顧だにせずゲートの正面に立った。
「あと百回も行き来すればあなた方も慣れると思いますよ。さて、術式を展開します」
厳重な魔法防御服をまとった貿易官がゲート魔法の術式を展開し始めた。結構上位の役人が行うのだが、この職は左遷とまでもいかなくとも、それに近い扱いをされている……らしい。そのせいか、呪文を詠唱する声にもあまりやる気は感じられない。
ただ、装備はさすがに最新のものだ。ヘルメットをかぶり、丈夫なグローブとブーツで固めていて、国境警備隊員が着ている服装に近い。しかし、さすがにボディアーマーまでは装備していないが。
使用している杖にも追加のアクセサリーが大量に取り付けられていて、キーホルダーなどのアクセサリーを売る行商人のような印象を受ける。実際かなり重そうで、頻繁に持ち替えている。
貿易官が術式詠唱のガイドを空中ディスプレーに表示させて、それを見ながら詠唱していく。精霊魔法ではない緻密なウィザード魔法陣が、幾重にも作成されてプログラミングされていく。
やはりエルフには難しいのか時々プログラムを間違えて詠唱してしまい、そのたびに慌てて修正をかけてやり直している。やはり以前にラウトがこぼしたように、精霊魔法とはかなり勝手が違うのだろう。
その間に、ミンヤックが出国簿に記入している。
「おや、オレが入国してから、週に1人程度しか使っていなかったのかよ。鎖国するにも程があるぞ」
バランが苦笑した。
「他の世界は空気が薄いんだよ。頭が痛くなる。反対に外の世界から戻ると空気が濃すぎて酔うからね。進んで出国するような物好きなエルフはほとんどいないよ」
やっと術式が完成してゲート魔法が発動した。立体魔方陣で非常に緻密な術式が流れているのが目視できる。
ローマ字のような単純なソーサラー言語ではないウィザード魔法の言語だ。酵素や何かの分子模型に、たくさんの衛星が回っているとしか表現のしようがない複雑な姿と動きをしている。
それでも元々このゲートを動かす魔法は、ウィザード魔法よりも高度な魔法だったらしい。そのため、発生する魔法のエネルギーも通常のウィザード魔法より桁違いに大きい。
そのため、耳障りで不快な音と波動が部屋に充満している。4人全員のイライラ度が徐々に上昇するのと呼応するかのように、ミシミシ軋みながら転移ゲートが開いていった。
……と、向こうには1人のさえない坊主が紅茶をすすって待っていた。
「慣れない魔法とはいえ、いつも時間がかかりすぎるぞ」
「すいません。ゲート管理人さま」
謝る貿易官。誠意のカケラもない、とりあえず謝ってみた感がすごい。坊主も毎度のことなので、その後は特に何も言わなかった。
「ん?」
坊主がミンヤックの姿を認めた。
「ドワーフの薬屋じゃないか。早くも追放かね」
貿易官が代わりに説明する。
「2週間の強制送還です。パタン王国の国境警備隊と交戦しまして」
一方のミンヤックは頬を膨らませた。
「オレは今でも正当防衛だと思っているがね。じゃあ、しばらく留守にするが、仕事を溜めないようにしろよ」ラウトの肩をバンと叩く。
「それと、オレの守護樹が遊びまわらないように見張っておいてくれ。ブレスレットもあちこちガタが来ているから、適当に修理しておいてくれ」
「は、はい。分かりました」
ラウトが襟を正した。
「うむ」と、うなずいたミンヤックが茶の箱を坊主に手渡した。
「トリポカラ産の薬草茶だ。長生きできるぜ」
「はは、いい冗談だ。頂こう」
ミンヤックが大きなリュックを揺らしながら何とかドアを通過して、坊主のいる向こう側に歩いていく。
するとゲートが閉まり、ウィザード魔法陣も消えた。イライラ感も収まる。
はあ……と深いため息をするラウト。貿易官も安堵の息をついている。
「ああ、そうでした。バラン先生、これを見てくださいますか」
ラウトがディスプレーを空中に表示して、辞令を映し出した。暫定的にラウトをバワベル組のレマック薬師の下に配属するという内容である。文体はアラビア語を草書体に崩したような感じだ。
「あの、バラン先生。薬の調剤ですが私一人で行わなくてはいけないんですか?」
バランが鷹揚に答えた。
「いや、君はまだ新人だし、そこまでは要求していないよ。当面の薬作りは、レマック薬師が1人で担当することになる」
大変だろうなあ……と同情するラウトだ。バランが話を続けた。
「君にはバワベル組のレマック薬師の下でテラン君と一緒に、ジャンビ君がドワーフ世界からここへ戻ってくるまでの間、働いてもらうよ。あくまでレマックの助手その2という立場だ。これは、そういう辞令だよ」
「あ、なんだ、そうですか。よかった」
安堵するラウト……だったが。
薬師部の建物の外では、ラウトとミンヤックの守護樹が日光浴をしている。街からは、アバンの渋い歌が流れて聞こえていた。
レマックは助手が2人になったことをいいことに、業務には入っていない自分のための研究実験まで行うようになってしまった。
「え」
と、目が点になるラウトとテラン。通常業務に加えてレマックの思いつきで行う実験の助手で、てんてこまいである。しかも失敗の連続で成功例が全く出てこない。
「ちょ、ちょっと待って下さい、レマック先生。し、仕事が増えています」
テランが悲鳴を上げるが、レマックは聞く耳を持たない。斜め上45度のあらぬ方向を凝視して言い放つ。
「助手が2名になる事なんて、そうそうないんだよ。この機会に、私が昔考えてメモしておいた画期的な調合方法を試さないとねっ」
ご丁寧に、部屋の風の精霊群がファンファーレを奏でた。
「うわー……先生。こんな性格してたんですね」
がっくりとするテラン。そのままラウトに恨みがましい視線を投げかけた。
「お前らのせいだー」




