パタン王国騒動
そうこうするうちに、8時間ほどで高速艇は広大な太平洋を渡りきってパタン大陸に入った。ちょうど一眠りして起きたラウトとミンヤックの眼下に大森林が再び広がる。
標高3千メートルの南北に長く連なる山脈を横断して山の標高が低くなってくると、植生も高山植物から針葉樹、落葉樹、そしてこの世界の人達が住む、亜熱帯性の常緑樹の大森林が眼下に広がってきた。
それも過ぎると緑の魔境とも呼べるような深い熱帯雨林が出現し、そして青い海にとって変わった。高速艇は大陸の南海岸に沿って東へ飛んでいく。
ミンヤックがその順調な飛行に満足した様子で、白い歯を見せた。
「普段はボロ船しか使えないんだがラッキーだったな。パタン王国へ行くのにボロ船では格好がつかないんだろう」
やがてパタン王国が領有するパブナ河の河口に差し掛かると、国境警備隊の高速艇が3隻やってきて並走してきた。警備隊員が5名ずつ乗船しているので、積載量が大きい双胴船である。例えていうと2匹のサバの背中に床を渡したような姿といえようか。
これも装飾は全く施されておらず、警備船ということを示す黄色と黒の縞模様を船体全体に塗装している。警備隊員は全員が丈夫そうな黒い上下のクロスアーマーで身を固め、さらに胴体や足、腕に分厚いアーマーを装着している。
防護ヘルメットを目深にかぶり、大き目のサングラスのような情報支援機器を装着している。これまた丈夫そうなグローブにブーツと、普通のエルフのような肌の見える気楽な姿ではない。手には専用の杖がいかつい光を宿している。
双方ともパイロットゴーレムが自動で超音速から、通常の時速30キロ程度の低速巡航速度に落として飛行を同期する。防御障壁が解除されて、たちまち酒の臭いで充満していた高速艇の空気が浄化された。
ミンヤックがご機嫌な顔で手を振る。
「おう、早速の出迎えか? ご苦労だな」
しかし、警備隊はご機嫌ではなかったようだ。
「なんだお前は? この世界の住人ではないなっ。密入国者か?」
「なんだと、コラ。誰が密入国者だと?」
ミンヤックの機嫌が急速に悪化していく。
「とにかく、ここはパタン王国の領空内である。直ちに停船せよ。さもなくば排除する」
警備隊が警告を出した。ミンヤックの黒い目が鋭く光る。
「コラ、オレたちはトリポカラ王国から来た薬師部の役人だぞ。何て言い草をする」
「確かに識別信号はそうだ。だが、そんなチンチクリンな役人など知らんわ。停船せよ!」
「言いやがったな! コラ」
ミンヤックが激昂した。シャツを捲り上げて、その太い腕をブンブン振り回す。
「せ、先生っ」
持ってきていたカバンの中から役職証明書を取り出しかけていたラウトが、慌ててミンヤックをなだめに入るが……時すでに遅し。
ミンヤックが猛烈なダッシュをかけて、横付けしてきた警備艇に殴り込みをかけていった。
「せんせーっ」
たちまちミンヤックが3名の警備隊員をぶん殴って倒し、大騒ぎになる。あの重装備はミンヤックのパンチの前には何の役にも立たなかったようだ。
ぶん殴られて倒れた隊員の胴体を保護するアーマーが、隕石でも命中したかのようにクレーター状に陥没している。むろん、ピクリとも動かない。
その右手前に倒れている隊員は、左足の大腿部が不自然な方向にひん曲がっているし、その奥で倒れている隊員は両肩が完全に脱臼して、ついでに両腕の二の腕がやはり不自然に曲がっている。
さすが3メートル弱のオーガを一撃で沈めただけはある。
一瞬の出来事にひるんだ警備隊長だったが、さすがにすぐに気を取り直した。
「逮捕、逮捕しろーっ」
周りの警備艇からも隊員がなだれ込んでくる。
「うわー、せんせー」
ラウトは、なす術もなく立ち尽くすばかり。
ミンヤックは更に2名の隊員を、背骨までへし折りそうなボディ打ちと、肋骨が肺に全て突き刺さったに違いない脇腹へのフック打ちで殴り倒すが……取り囲まれた。
一斉にレーザー攻撃魔法と、風の精霊による捕縛魔法を四方から食らっていく。ミンヤックの全身がレーザーで黒こげにされ、極端な風圧差で服を切り裂かれて、あっという間にボロボロにされていく。
が……
「このくらいでオレが参ると思っているのかよ!」
巾着袋から、あの5メートルに達する巨大なショベルを取り出した。それを風車のように振り回しながらミンヤックはなおも抵抗し、さらに2名を叩きのめしてしまった。
オーガを殴った時の10トントラックが布団に衝突する、あのくぐもった重低音が響き渡る。
警備隊に動揺が広がるが、警備隊長の命令が響き渡った。大きなサングラスとヘルメットで表情はよく分からないが、蒼白になっているのは間違いない。
「この化物め。怯むなっ、殺しても構わんっ。蘇生術担当は術式を展開開始。第2弾、斉射!」
この掛け声でミンヤックの体が雷撃に包まれた。ドカーンという落雷の音が数発こだまする。
「うひゃ」
ラウトが慌てて高速艇の物陰にうずくまった。雷撃で空気が帯電して、船上に無数の静電気の火花が飛び散っていく。
ラウトのクシャクシャな金髪からも十数本の静電気の火花が飛んで、さらにクシャクシャになった。目の前を細い雷がいくつも這いずっていく。かなりの高温なのだろう、雷が這った場所が溶けて泡立っている。
次の瞬間、爆風を浴びて危うく船外へ吹き飛ばされそうになり、必死で高速艇の床にしがみつく。視界の隅でパイロットゴーレムが爆風に吹き飛ばされて下界に落下していくのが見えた。
幸い、ラウトが着ている服には精霊魔法が施されているので、爆風の熱風や飛散物によるケガはせずに済んでいる。
一方、奥のほうに鎮座していたラウトとミンヤックの守護樹は爆風を浴びていた。かなりの葉を吹き飛ばされ、細い枝が何十本もへし折られてしまっている。
「……うーん」
仰向けにドスンと朽木が倒れるような音を立てて、ミンヤックが倒れて動かなくなった。全身から煙を噴き出している。巨大なショベルも手から離れて落下していった。
半数を殴り倒された警備隊長が毒づいた。
「全く、なんという凶悪犯だ。トロル以上だな」
ラウトにも隊員が詰め寄る。
「逮捕する」
「はい、もうどうにでもして下さい」
トリポカラ王立図書館の司書室。
ここの壁は土塗りだが、樹脂か何かが混ぜられているのだろう。合板のような質感になっていて、そこに大量のメモやカレンダー、回覧書類などがびっしりと重なり合いつつピンで留められている。
室内を小さな風の精霊がゆるやかに旋回していて、部屋の中に微風を送り続けている。天井には光の精霊が入ったガラス製の器がいくつかあるおかげで、司書室に充分な照度を提供している。たまに精霊が交代しているところを見ると、勤務時間が決められているのだろう。
奥の方には大量の破損した本が山積みになっており、それらをゴーレムが地道に無言でせっせと修復していた。その数は数千冊にも上るだろう。
修復できないほどに痛んだ本は、別のゴーレムがまっさらな新しい本へ文字を直接転送している。どうやらエルフ文字はこういった転送魔法にも対応できているようだ。古い本から文字だけが生き物のように浮かび上がって、それらが新しい本に流れていく。これも見ると数百冊ほどが転送作業を待っていた。
司書は2名。コラールとセリアだけで、司書長の席が別にある。司書長は今は所要で不在のようだ。司書たちはゴーレムに任せられない複雑な作業を担当しているようである。
白い長袖シャツの上に茶色のローブをかけた制服姿は、この雰囲気によく合っている。足元のサンダルのアクセサリーはちょっと派手であるが。
コラールが新着情報のインデックス整理を行っていると、ポンと音がした。すぐに小さな司書姿の女性の幻影が作業机の上に現れる。司書だと一目で分かる制服だが、ここの図書館のそれとはデザインが異なっている。
コラールが仕事の手を休めて幻影に微笑みかけた。
「あら、プルーどうしたの?」
プルーと呼ばれた幻影はのんびりした声だが、真剣な面持ちでコラールに話しかけてきた。
「ねー、さっきトリポカラから来たらしい2人組がー、うちの国境警備隊と交戦して逮捕されたんだけどー。あなたが話していた彼のことかな」
「え?」
「映像を渡すわねー」
ビビ……と、ノイズが走るが、確かに牢屋にラウトが呆然とした顔で座り込んでいる映像がコラールの席の上に投影された。その横には黒っぽい塊も見える。
「……うそ」
目が点になっているコラールの後ろで、同僚のセリアが覗きこんで「ぶ」と吹き出した。
「……むーん」
ミンヤックが伸びをして起き上がった。レーザーと雷撃に焼かれて、髪もヒゲもチリチリに焼けているが、それ以外は大した怪我は見当たらない。ラウトが半ば呆れたような顔をしている。
2人とも囚人服に着替えさせられていた。あまりこうした凶悪犯は投獄されていないので使われていないのだろう、服もサンダルも新品で汚れが全くない。
エルフの凶悪犯を想定していなかったのか、出稼ぎのゴブリン向けの仕立てになっていた。エルフは手足が長いので、袖はひじまでしか届いておらず、ズボンも膝下までしか届いていない。
その代わりゴブリンは胴体が長いので、腰回りの生地はダブダブで余りまくっている。サンダルもエルフの足の形と違い全く合っていない。
一方のミンヤックには意外と合っているように見える。腕と足が太すぎて通らないので、短冊のように服の袖とズボンが縦に切られているが。
「先生、蘇生法術を受けたとはいえ、さすがに回復が驚異的に早いですね。普通のエルフでしたら3ヶ月間は入院してますよ」
「どこだい、ここは」
再び背伸びをするミンヤック。ボキゴキと音が鳴る。
「牢屋です、先生」
「なに?」
確かに重厚な石造りの床と壁で囲まれ、正面には太い鉄格子がある。奥のほうにはトイレが見えた。
石造りの天井には、恐らく光の精霊魔法の処理が施されているのだろう。ぼんやりと発光していて夕暮れ時の明るさをこの牢屋に提供している。
牢屋の外には2人の守護樹が浮遊している。ほとんどの葉が落ち、枝もあちこち折れていて、かなりボロボロた。枯れ木一歩手前の有様である。
理由をラウトから聞いて激昂するミンヤック。とことん元気である。
「何だとーっ、密入国した凶悪テロリストだと?」
「はい」
ラウトが力なく笑った。
「国境警備隊を7名も病院送りにしましたから。全員、全治3ヶ月の重傷だそうです。おかげで私が持ってきた身分証明書も偽物だと決めつけられてしまいました。すごい勇姿でしたよ、先生」
「知るか、そんなことっ」
ミンヤックが叫んで、すっくと立ち上がった。本当にトロル並みの回復力である。
「こんな理不尽な仕打ち、ガマンできるかっ」
そう言って、鉄格子を握り締める。
ラウトはほとんど思考停止になりながらも、ミンヤックをなだめようと手を差し伸べた。
「いえ、先生。理不尽なことを最初にしでかしたのは、先生の方ですよ」
しかし、そのツッコミが悪かったようだ。真顔でラウトを振り返るミンヤック。
「憶えてねえ、よ。そんなこと」
「うわー……」
卒倒するラウト。それでも、鉄格子をガチャガチャ揺するミンヤックに、ラウトが必死で提案する。
「先生、バラン先生に知らせましょう」
……が「くくくく」と不気味に笑うミンヤック。焦げて真っ黒に縮れた、黒褐色の髪の毛がその凶悪さを増長している。
「こんなチャチな鉄格子で俺を閉じ込めるだと? ふざけんじゃねえぞ、コラ」
バカーンと鉄格子がひん曲がって、折れてしまった。黒い光のようなものが折れた鉄格子から噴き出す。
たちまち警報が鳴り響き、風の精霊群がパトカーのように赤く点滅しながら右往左往し始めた。
「うひゃ、何しているんですかっ、先生! ……って、この鉄格子。魔法無効化の闇魔法の術式がかけられていたのに、体大丈夫ですか?」
「どいつだ、コラ、責任者を出せっ」
牢屋の外に飛び出すミンヤック。全然平気みたいである。そのまま太い腕をブンブン振り回しながら、脱獄者を捕縛しようとする風の精霊群と共に走り去っていった。
「せ、せんせー。ちょっと待って、せんせー」
ラウトも涙目になりながらも慌ててついていく。2人の守護樹も4、5呼吸ほどおいてから、のっそりと動き出して後を追い始めた。
トリポカラ王国の聖堂内。
先ほど友人のプルーから送信されてきた、ノイズ混じりの映像が流れている。居るのはトリポカラ国王、バラン、スンティアサ司書長とコラールである。
緊急の召集なので、警備隊員が数名、体を半透明にして聖堂の壁際に控えている。壁際には好奇心からか何本かの守護樹が集まっており、互いに何かザワザワやっている。天井を旋回して王国賛美の歌をおごそかに歌っている数体の風の精霊も映像に興味を持っている素振りを見せていて、時々、歌が間延びしていた。
「牢屋だな、これは。バラン?」
国王が香辛料で黄土色に染まったバター発酵コーヒーをすすりながら、呆れて言う。
バランも呆れ気味である。
「そのようですね。なぜかパタン王国の国境警備隊と交戦したそうです。そうだな、ミンタマ-フ司書」
コラールだけが緊張した面持ちでうなずいた。隣のスンティアサ司書長はジト目のまま無言で、かなり呆れているのが丸分かりな表情をしている。
「は、はい。陛下」
「何をしでかしたのか、知らんが……」
国王がため息をつきながら、もう一口、発酵コーヒーをすすった。
「放置するわけにもいくまい。ベルクンプ王に聞いてみよう」
バラン達が深々と礼をする。
「恐れいります、陛下」
その時、プルーのミニ幻影がコラールの足元に現れた。もう既にヘラヘラ笑っている。
「コラールいるー?」
「あ。プルー。今、陛下の前にいるの」
コラールが慌てて幻影に話しかけて、皆に紹介した。
「彼女はパタン王立図書館の司書で私の友人の、サキ‐プルー‐ブルンプユー‐サンです。彼女が知らせてくれました」
「あ、どうもー」
ペコと頭を下げるプルー。
「古本の提供、ありがとーさんですー。237ヶ所、虫食いページがあったよ、コラールう」
「プルー、それは後でいいから。どうしたの?」
コラールが慌てて先を促した。
「あー、えーと、何だったっけー」
考え込むプルー。
それを見てバランが、スンティアサ司書長に訊ねた。
「司書って、変な子が多いな。何でだ?」
そうこうするうちにプルーの眠たそうな顔が『にぱー』と微笑んだ。
「あ、そうそうー」
思い出したらしい。
「コラールの彼氏、脱獄したわよー。今、うちの機動警察と交戦中ー」
「はあ?」
と、一同。
「ほらー、これー」
プルーが手を振ると、ミニ幻影のプルーの正面に大き目の空中ディスプレーが生じて、ノイズ混じりの映像が流れ始めた。監視カメラからのライブ映像のようだ。
ちょうど、大破して崩壊している建物の中で、機動警察にミンヤックとラウトが取り囲まれて一斉雷撃を受けた瞬間だった。
数十発の落雷がとどろき、聖堂内でも音がこだました。画像が真っ白になり、あちこちにプラズマが走る様子が見て取れる。
「あ、死んだかな」
発酵コーヒーを飲み干して、コップをテーブルに置く国王。
「その方が、良いかもしれませんな」
バランも同意している。
司書長もジト目なままで、コラールだけが冷や汗を目いっぱいかいていた。




