闇エルフに買われて
遠くから足音が聞こえてくる。
「何だ……ここは……夢か?」
彼はゆっくりと顔を上げる。そこには、自分を閉じ込める頑丈な鉄の扉があった。
男は立ち上がる。息が急に荒くなり、顔は怒りに歪む。鉄の扉を蹴り飛ばし、何度も何度も拳を叩きつけた。
拳からは生々しい血が滴り落ちる。
「なぜだ……なぜ、大国の王子が、こんな卑しい奴隷に成り下がらなきゃならねえんだ!」
「なぜだ!」
男は叫ぶ。拳をぎゅっと握りしめ、さらに強く鉄の扉に叩きつける。バキッと、指の骨が折れる嫌な音がした。
しばらくして、彼はようやく静かになり、扉の前に膝をついた。
「俺はもう……死ぬしかねえのか……」
カチリ。
誰かが見回りに来た。
彼はすぐに立ち上がる。
あの女に殺してもらってやる。
鉄の扉が開き、一人の老人と、背の高いダークエルフの女が現れる。
「どうですかな?」と老人が言う。
「みすぼらしい奴隷って感じじゃないわね。むしろ、体つきは貴族みたいだわ」と女が言う。
「彼はエドラシル王国の王子ですからね」と老人。
女は男の目前まで歩み寄る。その瞬間――
ダークエルフの顔面に一撃が炸裂した。女の眼差しが一瞬で鋭くなる。
女は即座に男の首を締め上げ、男の足が地面から浮くほどに持ち上げる。
「何をするんだね!」と老人が叫ぶ。
「金貨二十枚で買ってやる」と女は言った。
[よし……これこそ望んだ結末だ。奴隷として生き恥を晒すよりはマシだ。だが、たったの二十枚か。もっと値がついてもいいはずだろうが]
視界が徐々に暗くなり、息が止まる。
――――
「お前を息子とは認めん」と王が言う。
「売ってしまいましょう」と王妃が言う。
「やめてくれ!」
――――
彼ははっと目を覚ます。見渡すと、川のほとりにいる。先ほど自分を締め上げていたダークエルフが、何やら本に書き込んでいる最中だった。
「ここはどこだ……俺は死んだはずじゃなかったのか?」
彼は自分の手を見る。布で包帯が巻かれている。そして首に触れると、鉄の首輪がはめられていた。
この鉄の首輪こそ、あの両親からの屈辱の証だ。
突然、男の首元に剣の刃が当てられる。
「今からお前は私のものだ。生きたいなら従え」と女。
男は刃先をしっかりと掴み、血が流れる。
「殺せ。もうこんな屈辱に耐えられねえ!」と叫ぶ。
女は男の手を刃先から離させ、剣を鞘に収める。
「お前を殺すわけにはいかない。私はお前を運び屋として使うからな」と女。
袋から包帯と治癒薬を取り出し、男に投げつける。
「早く飲め。日が暮れる前に小さな村に泊まるぞ」と女。
男は仕方なく治癒薬を飲み、腕に包帯を巻いた。
「終わったか?」と女が問う。
ズシンと、かなり大きな荷物が男に投げつけられた。
「てめえ、正気かよ!こんなデカい荷物、俺が持つのか!」
「文句を言うな。言うなら、もっと苦しい思いをさせてやる」と女は冷たく言い放つ。
男は重い荷物を背負うが、重いものを持つことに慣れていないため、歩みは遅かった。
二人は川沿いの小道を歩き始める。
「お前の名前は?」と女が尋ねる。
「何のためだ?」と男が返す。
「フレダと呼べばいい」
「俺はスヴェンだ。よろしくな、フレダ様よ」
「苗字は名乗らないのか?」とフレダ。
「あの二人にはもう関わらねえ。あの苗字も、二度と名乗らねえよ」とスヴェンは言った。
しばらく歩くと、木と石でできた家々が並ぶ小さな村に到着した。
スヴェンはすぐにその場に膝をつき、背中の大きな荷物を下ろす。
「くそっ、疲れたぜ……」
「立て。今夜の宿を探すぞ」とフレダ。
二人が再び歩き出そうとしたその時、遠くから叫び声と幼い子供の泣き声が聞こえてきた。
「何か叫び声が聞こえるな」とフレダ。
「宿に行こうぜ」とスヴェンが返す。
「いいから来い」とフレダ。
「はいはい……フレダ様よ」とスヴェンが小さく呟く。
二人が音の出処に向かうと、多くの村人が一軒の家の前に集まっていた。
「すみません、何があったんですか?」とフレダが尋ねる。
中年の女性が振り返る。
「実はあの家に、男性とその子供が閉じ込められてしまってね。魔法の壁があるらしいんだよ」と女性が言う。
フレダは家に近づき、扉に手を触れる。すると、体内に焼けるような感覚が走った。
「あの男性は、何か魔法の道具を持っていますか?」とフレダ。
「いや、彼はただの狩人だよ」と女性。
「でも、はっきりと強い魔力の気配がする。何か道具からだ」とフレダが小声で呟く。
「スヴェン、私と一緒に家の中に入るぞ」とフレダが付け加える。
「何で俺が付き合わなきゃならねえんだよ」とスヴェン。
「罰だ」とフレダ。
瞬間、スヴェンの全身に激しい痛みが走る。
「わかったわかった! 行けばいいんだろ!」とスヴェンが叫ぶ。
「罰を止めろ」とフレダ。
「で、このデカい荷物はここに置いてくんだろ? 中に持ち込んだら邪魔だぜ」とスヴェン。
「あそこの木の下に置け」とフレダ。
フレダは指先に魔力を集中させ、扉の前に魔法陣を描き始める。
陣が完成した瞬間、ガラスが割れるような音が響いた。
フレダは何の痛みもなく扉の取っ手に触れる。
「スヴェン、来い」
「へいへい、フレダ様よ」とスヴェンは小声で返す。
二人が家の中に入ると、虚ろな目で立っている男性と、部屋の隅で気絶している幼い子供の姿があった。
[どうやら遅かったな……もうすぐあの男と子供の魂を喰われる] とフレダは思う。
「あの魔法道具は結構レアだぜ。あの男から直接奪っちまおう」とスヴェンが小声で言う。
スヴェンは一気に男に向かって走り出し、男を蹴り飛ばした。男は勢いよく壁を突き破って吹き飛んだ。
「何をするつもりだ!」とフレダが叱る。
「俺は好きなことをやってるだけだ」とスヴェン。
フレダは目を細め、眉をひそめる。
「尊大な態度だな」とフレダ。
「当然だろ、俺は支配者なんだからな」とスヴェンが返す。
すると、天井から荒い息遣いが聞こえてくる。二人が顔を上げると、さっきの男がまるでコウモリのように天井に張り付いていた。
「スヴェン、あいつを捕まえろ!」とフレダが叫ぶ。
男が降り立ち、容赦なく剣でスヴェンを襲う。
剣がスヴェンの肩に突き刺さる。それでも彼は男を蹴り倒し、必死に押さえ込んだ。
フレダは男の全身を調べ、二つの輪が重なり合った金属の首飾りを見つける。
「早くしろ! もう限界だ!」とスヴェンが叫ぶ。
フレダはその首飾りを男の首から引きちぎった。途端、耳をつんざくような叫び声が部屋中に響き渡った。
「何が起こったんだ……?」と男が正気を取り戻して言う。
全てが収まった後、スヴェンの体は力尽きてその場に崩れ落ちた。
「動くな」とフレダ。
「ちょ、ちょっと待てよ……」とスヴェン。
フレダは容赦なくスヴェンの肩から剣を抜き、すぐに包帯を巻き始める。スヴェンは激痛に大声を上げた。
「てめえは本当に優しさってものを知らねえんだな!」とスヴェン。
「優しさ? 何のためだ。お前はただの奴隷だ」とフレダが冷たく返す。
「ありがとう!」と男が叫ぶ。
「あなたたちがいなければ、どうなっていたかわからない」と男は続けた。
「おい、そっちの兄ちゃん。今すぐ何か食い物を用意しろよ」とスヴェンが言う。
フレダはすぐにスヴェンの頭を叩いた。
「何だよ!」とスヴェン。
「少しは礼儀を弁えろ」とフレダ。
「あ、ああ。すまないね。食べ物を用意してくるよ……ただ、家がめちゃくちゃで申し訳ないが」と男が言う。
「いえ、結構です。私たちは今夜泊まる場所を探しているんです」とフレダ。
「それなら、この近くに空いてる小屋があるよ」と男が言う。
男が立ち上がろうとしたが、力が入らずその場に倒れこんだ。
「まずは休んでください。場所を教えてくれれば十分です」とフレダ。
男は小屋の場所を教え、二人は家を出る。村人たちが彼らを出迎えた。
「あなたたち、本当にありがとう!」と先ほどの女性が言う。
「どうも。では、そろそろ休ませてもらいます」とフレダ。
「おい、おばさん! あの男を助けたんだ。俺は腹ペコなんだぜ!」とスヴェンが言う。
フレダは即座にスヴェンの負傷した肩を強く叩いた。
「すみません、この奴隷はどうも手に負えなくて」とフレダが謝る。
「後で食事を小屋に持っていくよ」と女性が言う。
「ありがとうございます」とフレダ。
「小屋で休んでいてください」と女性が付け加えた。
フレダとスヴェンは大きな荷物を運びながら、質素な小屋へと向かった。
小屋の中に入ると、フレダは本を取り出し、何かを書き始めた。気になったスヴェンが覗き込もうとすると、本はすぐに閉じられた。
「何か用か?」とフレダ。
「いや、中身が気になっただけだよ」とスヴェン。
「いずれな」とフレダ。
「けちな女だな、お前は!」とスヴェンが言った。




