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墓山亘の墓参り

Yu-K 0016



『墓山亘の墓参り』

二〇二七年八月一六日



1



 幽魔町には病院が少ない。歯科・眼科・耳鼻科などのメジャーどころはまだしも、精神科や泌尿器科、産婦人科を専門とする診療所は存在しない。そのため多くの場合、健康を害した町民は幽魔総合病院を訪れることとなる。まして大怪我などすれば、それ以外の選択肢は最初から存在しない。


 園田回もまた、その法則の中に組み込まれていた。


 個室の窓から木漏れ日が差し込む中で、包帯に巻かれた自分の腕を見る。手先にうまく力が入らない。食事一つまともにできなさそうに思える。園田はつい先日目を覚ましたばかりだった。頭部も胴体も包帯に覆われているため、自分が今どんな見た目なのか確認することさえできていない。それが酷く不安だった。一生この布を外さないままで生きていきたいとさえ願った。視界と呼吸は確保されており、おそらく鏡を見れば目元・口元くらいは確認できるのかもしれなかったが、園田は頑なに反射物を見ようとしなかった。


 殴られて、蹴られて、歪み切ったであろう自分の顔を見る日がいつか訪れる。それがたまらなく、恐ろしいのだ。


 園田は眠りたくなかった。


 眠れば自分にとっての猶予が一気に消えていってしまう。瞳を閉じて、再び開けたその瞬間に、包帯が消えていたらどうしよう。目の前に鏡があったらどうしよう。想像するだけで吐き気がしてくる。しかし嘔吐できるほどの筋力がなく、介助してもらうためにナースコールのボタンを押す。子機を握る手の包帯を見てまた気分が悪くなってくる。吐き気が収束して看護師が帰っていくとまた一人になる。孤独とはどうにも不快で、園田は用もないのにまたボタンに手をかけた。押そうとしたその時、病室の扉が開いた。


「どうも。また来ましたよ」


 やってきたのは墓山亘だった。つまらなさそうな顔をしながら椅子に座った。


「⋯⋯帰って」


「僕自身、あなたに会いたくはないんですけどね。だけど一応、伝言を預かっていますから」


「いいから帰ってよ!」


「また昨日みたいに叫ぶ気ですか。別にいいですけど、また明日も来るだけですよ」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯手短にして」


「わかりましたよ。

 伝えたいことは三つあります」


 亘はベッドの中央に札束を投げた。ボフッという音がした。園田にははっきりとした枚数はわからなかったが、重量から察するに相当な金額のように思えた。


「一つ目。あの宗教団体は解体しました。あなたはお金に困ることになるでしょうから、その札束を丸ごとあなたに譲ります。返済は要りません。あなたを必要以上に痛めつけたことへのお詫びのつもりですので、どうか受け取ってください」


「解体って⋯⋯どうやって?」園田の疑問は金銭面よりもそちらに向かっていた。まるで自分がお金を受け取るのは当たり前だ、とでも言いたいかのようだった。


「施設にあった信者リストを使わせてもらいました。霊力による憑依⋯⋯そういうものを解除できる呪物があるんですよ」それはあの鍵の呪物のことだったが、亘はそこまでの説明はしなかった。


「で、二つ目。あなたの爪を剝がせていただきました」


「⋯⋯⋯⋯は?」


 意味がわからなかった。


「な、なに言ってんの、アンタ。そんな──」


「あなたは一カ月以上眠っていた。その期間のうちに病室に侵入して爪を剝ぐことなどこちらからすれば容易《たやす》いわけです。僕が思うに、あなたはかなり嫉妬深くて恨みを抱きやすい性格。正直、また準備を整えられて逆襲されたら、今度は勝てないかもしれない。だから対策させていただきました。

 爪の根元の『爪母』という器官から爪が生えてくるらしいので、それごと深く抉りました。素人の技術ですからミスしているかもしれませんけどね」


 園田には、目の前の少年が何を言っているのか理解できなかった。


 それが仮に、本当だとして。目の前にいる小学六年生のガキは、眠っている相手の爪を剥いで、しかもそれを当たり前のことのように告げている。いま、指先に力が入らないのは、もしかして、そのせいで。


「ちなみに足の爪は無事です。そっちには霊力ないですよね」


「⋯⋯ふざけないでッ!」


 園田の甲高い声が病室に響いた。


「あのねぇ、アンタ、さっきからベラベラ言ってるけど、自分が何を言ってるか分かってるの? 人の爪を剝ぐとか、そんな、そんな残酷なことが、許されるわけないでしょ!」


「元はと言えばあなたが霊禍を殺したからだ」亘は一切怯まない。「人を殺したのに、死刑どころか懲役刑にもならなかっただけ、あなたは充分恵まれて──」


「うるさいうるさいうるさい! 私だって、元々は悪いことなんて一つもしてなかったのに! アンタたちが勝手に邪魔してきて、私はそれに対処しただけでしょ!」


「人を操ってお金を巻き上げたり人質にすることのどこが悪くないのですか」


「だってそれは⋯⋯守るためだもん! 確かにみんなのこと操ってたし、お金も貰ったけど、その代わりに、幽霊に襲われた人はちゃんと助けるつもりだったし⋯⋯」


「そのためなら、人の尊厳を奪ってもいいわけですか」


「⋯⋯⋯⋯!」


「僕らはもう既に、あなたに操られていた人たちから話を聞いているわけですよ。幸なことに彼らは、操られていた間のことを、夢を見ていたかのようなぼんやりとした状態でしか記憶できていなかったらしいです。それでも漠然とした内容は聞きましたよ。薄っぺらい言葉であなたを褒めさせられたり、気晴らしに殴られたりしていたらしいですね」


「そんなのしょうがないでしょ! 私は、だって、そういう生き物なんだから!」


「そうですか。それなら僕は、敵を無力化しないと安心できない生き物なので、あなたの爪を剝ぎました。それで満足ですか」


「⋯⋯クソガキが」


 亘には聞こえていないようだった。


「話が逸れましたけど、伝えたいことの三つ目。あなたは退院したらもう二度とこの町に現れないでください。それだけです」


 園田はため息をついた。肺を潰すかのような息だった。


「これで終わり?」何事もなかったかのように園田は聞いた。


「はい」と亘が淡々と答える。


 園田には策略があった。自分が準備していた物を、今になって思い出したのだ。『楽園』本部の地下室。あそこに保管していた小瓶の中には、今まで蓄えていた爪の欠片たちが大量に詰め込まれているのだ。緊急時用として仕舞っていたが、今に至るまで忘れていた。


「じゃあさっさと帰ってよ! もう二度とそのツラ見せないで!」


「⋯⋯はいはい」


 自然と口角が上がる。包帯がなければ不自然な表情がバレていただろう。あの残り少ない爪でも、経験を積んだ今の園田であれば充分に幽霊たちを使役できる。そうすればきっと、逆襲でもなんでもできるはずだ──。


 扉を開ける亘を睨む。今回は負けたが、次は手段など選ばずに殺してやる。墓山亘も。鎌鼬奏も。幽ヶ崎霊禍には⋯⋯相当な準備が必要だろうけれど。それでも絶対に。殺してやる。


「そういえば、最後に一つ、おみやげです」


 唐突に、亘はポケットをまさぐり始めた。そして何かをベッドの上に投げた。


 園田は下を見た。投げられたのは小瓶だった。それも、空っぽの。


 誰もいなくなった病室に、悲憤の叫びが反響した。起き上がった園田は絶叫を続けながらベッドの下に落ちた。点滴のチューブがプチッと外れる。鋭い痛みを堪えながら、床を這い、扉まで辿り着く。手を伸ばし、取っ手を引く。しかし扉は開かない。外でなにかがつっかえているのだと園田は察する。そして、叩いた。ただ扉を叩いた。腕が麻痺するまで叩き、喉が擦り切れるまで叫んだ。


 

2



「救えないよ、実際」


 ダンッという音と共に車のドアが閉じられた。亘が乗り込んだのは黒い乗用車の後部座席。隣には霊禍、助手席には奏、運転席にはおなじみメイド服の臨が座っていた。真上から鋭い陽の光が差しているが、車内は冷房が効いていて涼しい。


「正義のヒーローでもなければ、あの人を救うのは不可能だよ。救うことの定義にもよるけど、改心だとか更生だとか、そういう救済は意味を成さないんじゃないかな。あの人がこれまで生きていた世界は、必死で牙を剝いてエゴを出さなければ幸せになれない環境だったんだと思うし」


 まさに、野生。


 亘はスマホで『園原巡美《そのはらめぐみ》』と検索した。右頬の火傷跡が出来る前の園田の写真がいくつも表示される。写真の背景はどれも夜の繫華街か、暗い室内。彼女はブランド物のバッグを持ち、貼り付けたような笑顔を晒していた。


「⋯⋯本当はもっと前に救われるべきだったのかもしれないけど」


「なぁにブツクサ言ってんだ、人を殺す理由にはなんねーよ」霊禍は鼻で笑った。


 車が動き始める。臨は両手でハンドルを握っていた。


「今更っすけど、義手もう一本あったんすね」と霊禍が尋ねる。


「えぇ。予備の生活用ですから、ビームは撃てませんけど」


「ハハ、そりゃいいや」


「あの義手を作った人⋯⋯奏のお父さんは、どんな人なんですか?」と亘が聞いた。特段興味はなかったが、間を持たせるための質問だった。


「よくぞ聞いてくれましたわね!」亘は臨に聞いたつもりだったのだが、助手席の奏が答え始めた。「ワタクシのお父様こと鎌鼬双二《かまいたちそうじ》は、超絶エリートでスマートで、おまけにルックスもイケオジの、世界を代表する天才⋯⋯ナントカ⋯⋯学者なんですわ!」


「ナントカ学者ってなんだよ。見切り発車すんな」


「神経科学者、ですよ。他にも幅広くいろいろやっているみたいですけれど。あと、イケオジではありません」


「いーや、お父様はぜったいイケオジですわ! ほら! どうですの!?」奏は座席の隙間からスマホの画面を見せてきた。


 そこに映っていた男性は、なにやら豪華そうなホールで撮られた集合写真の、ほぼ真ん中の辺りに立っていた。黒縁メガネをかけた柔和な顔つき。いい人そうではあるが⋯⋯と亘は思った。


「んー、あと十歳若けりゃギリギリメロい枠に入ってたかもしれねーけど、どっちかっていうと楽に単位くれそうな教授ってカンジ」


「な、生意気な⋯⋯そういうことを言ってる人から落単していくんですからね!」


「別にいーよ、そもそも私は大学どころか高校に行けるかも分かんねーし」


 何気ないような発言だったが、なんとなくその場の全員が萎縮して、しばしの沈黙が生まれた。


「⋯⋯大丈夫ですよ。私も中卒ですから」と言ったのは臨だった。


「え? マジすか! よっしゃああああ!」


 なにがよっしゃあやねんと亘は思った。




「私たちは車内でのんびりしていますから、ゆっくり行ってきてください。熱中症には気をつけて」


 と、臨に言われて霊禍と亘が降りたのは、山の麓にある広々とした町営墓地。舗装された通路の隙間から草が伸びている。ゆるやかな傾斜の登り坂をしばらく進み、左に曲がると墓山家の墓石があった。


「今年きたのは初めて?」


「いや、昨日も来たよ。お父さんと、お盆の墓参りってことで」


「じゃあ二日連続か。マメなもんだよな。家がぶっ壊れて忙しいのにちゃんと墓には来るんだからな」


 亘の家は破壊されたが、火災保険が適用されたため、現在修復の最中だ。今は狭いアパートに暮らしているが、そもそも亘は家に居る時間が短いから不自由を感じることは少なかった。


 墓石を見る。昨日置いておいた酒とコーラがまだ残っていた。


「昨日も来てたわけだし、掃除はいいかな」と言って亘は持参した手提げ袋からロウソクや線香を取り出して、一通りの作法を終えた。霊禍もそれに続いた。


 やるべきことは終わった。

 しかし二人とも帰ろうとする素振りは見せなかった。


「⋯⋯あのさ、私の能力なんだけどさ、気づいたら前までより弱くなってた」


「どういうこと?」


「なんか、そもそもの火力が全然違うっていうか、燃料少ないライターで必死に火をつけようとしてる感じ。うん、だからまぁ、燃料不足だな、要するに。寝ても治らねーし、たぶんもう空は飛べない。できて滑空くらいだな。前までの三分の二くらいの火力のイメージだ」


「それは、つまり⋯⋯完全な不死身じゃない、ってことか」


 亘の中には安堵が半分、不安が半分あった。


 霊禍が永遠に死ねずに苦しみ続ける未来があるかもしれないという想定が否定された安堵と。

 霊禍が戦いを続ければ、いつか本当に死んでしまう瞬間が訪れるかもしれないという不安。


「今までは全然そんな感じしなかったのになー。やっぱ生き返るのって燃費悪いのかな」


 彼女は笑っていた。他人事みたいに昂然と笑っていた。そんな様子を見ても、亘は微塵も安心できなかった。


 また口先で慰めることはできる。しかし仮にそうしても、霊禍はあの時のように笑うだけだろう。真意は見えない。本心はわからない。彼女の心の奥底に手を伸ばすことすら、亘にはできない。ただ表面を撫で続けることが限界なのだ。霊禍自身がそれを望むなら、それで構わない。きっと、本当の意味で霊禍の心を動かせるのは、彼女の姉しかいないのだろうから。だから僕は、僕の役割を果たし続ければ、それでいい。今まで通りに続けていけばいい。続けて、続けて、続けて⋯⋯。


 続けて、どうなる?


「なぁ亘、コーラ飲もうぜ」


 気がつくと霊禍はお供え物のコーラの蓋をひねっていた。亘は一応用意しておいた紙コップを袋から取り出し、均等に注いだ。炭酸の音が心地よかった。


「んじゃ、乾杯」「うん」


 二人は同時に飲み始めた。泡が喉を刺激した。なぜかいつも飲むよりも気分がよかった。胸中の不安や心配事が一気に胃の奥へ流されるような。そんな気分だった。流れていった感情はもう戻らない。少なくともしばらくは忘れることになるし、それでよいと思っていた。そうしているうちに最後の一滴が腹の底へと消えていった。


 そして二人は同時に呟いた。


「ぬるい」



3



「あ、あの、もしも、もしもの話ですけど、自分の魅力とか財産とかが全部なくなって、地元に帰って唯一得意の技術を使って新しいビジネスを始めたのにそれすらもうまくいかなくて、おまけにその技術まで失っちゃって、その土地にもいられなくなっちゃったら、人生終わったみたいなもんですよね。仮に、仮にですけど、もしもそうなったら、どうすればいいんですか」


 あれから数日が経過し、園田は個室から相部屋へと移っていた。隣のベッドには見知らぬ女性がいて、最初は鬱陶しく思っていたものの、何度か話すうちに相手の見識の深さと菩薩のような優しさに惹かれていた。何より、包帯を取った自分の顔を見ても表情一つ変えずに接してくれたのが嬉しかった。


「それはね、園田さん。人生が終わったとか、そんな風に自分の状況を捉えるのがまずあまり良くないよ。もちろんそんなことになれば悲しいのは当然だけれど、感情でそのまま現実を捉えないほうがいい。たとえ悲しくても傍から見たらそんなに辛いことが起きているように見えない、とか。そういうことは往々にして起こることだよ」


 まるで子どもでも相手にしているかのような口ぶりの彼女は、小学校の教員だと言っていた。精神にダメージを受けたのと、それに伴う体調不良で入院することになったらしい。もうすぐ退院予定らしいが、園田にとって、彼女のいない入院生活など考えられなかった。


「大切なのは、町に居られないとか、もうビジネスができないとか、そういう大きな問題よりも、目の前の小さな問題に着目することだよ。大きなものも結局は、小さいものの集合体なんだから。大きなものを見て絶望するよりも、小さなものを見て「これなら手が届きそう」って希望を持ったほうが、行動しやすいよ。

 だからまず、自分は今、生きるために何を必要としていて、何を持っていて、どんな選択肢をとることができるのか、考えてみて」


「わ、わたしに、とれる選択肢⋯⋯」


「うんうん。一個ずつ挙げていってごらん」


 もはや「もしも」という建前は存在しないに等しかった。


「⋯⋯まず、実家はあんまり頼れなくて、だから住む場所を探さなきゃいけない、から⋯⋯」


「頼れる人とか、近くにいないかな?」


「たよれる、ひと⋯⋯」


 閃いた。答えは目の前にあった。


「そ、そうだ⋯⋯。

 わたし、唯先生のおうちに住む!」


 園田はさも当然かのように、一足す一の答えを導いた子どものように、自信たっぷりに叫んだ。


「え⋯⋯⋯⋯?」


 困惑する唯の隣で、悪魔プート・サタナキアは静かに微笑んだ。

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