口裂け 11
運転手によるアナウンスで次のバス停が幽魔団地であることがわかったため、僕は少しばかり待機して、それからバスを降りた。彼女は降りてこなかった。
彼女がどういう人間なのかは僕の頭では理解できなかったが、どうやら自分の見た目を気にしているようだった。ハッキリ言って彼女は不潔だった。だから僕は美しくないと言ってやったんだ。
僕は幽魔団地の404号室に住んでいた。だから僕は階段を上って、廊下を歩いて、そして部屋の鍵を開けた。
中には彼女がいた。まるで当たり前みたいに、畳の上に仁王立ちしていた。
なぜ僕の部屋がわかったのか。なぜ先回りできたのか。なぜ中に入れたのか。そんな疑問を考えようとして、霧がかかる気配を感じてやめた。今はただ逃げなければ。
彼女の手中にはハサミがあった。僕は玄関ドアを開けて逃げようとしたが、なぜかドアノブがまわらなかった。
「さっきの質問に、もう一度答えてください」
震える声なのにどこか恐ろしい。彼女は黒髪越しに僕を睨んでいた。恐怖の中で僕は思い出した。口裂け女は容姿を気にしているのだった。だから僕はここで殺されなければならないんだ。
今思えば、相手が本物の口裂け女であるならば、僕はどう答えても死に至ることになったことだろう。綺麗だと答えても、マスクを外して「これでもか」なんて言われてブチ殺されていただろう。
当時の僕はそんなことを考える余裕もなく、ただ単に見たままの答えを⋯⋯「綺麗じゃない」と答えたのだった。
口裂け女はハサミをチャキチャキとその場で開閉させた。四十八回だった。その間僕はただ黙っていた。
「まさか、あなたにそう言われるとは」ハサミで僕を指しながらそんなことを言ってきた。
確かに僕は他人の顔にどうこう言える立場の人間ではない。
だけど僕は僕自身の醜さに過敏だったからこそ、口裂け女の醜さにも気づけたのかもしれない。なにせ相手はマスクをつけていたにも関わらず、目元のクマやシワが多いせいで、そこまで美人には思えなかったのだ。せめて顔の上半分だけでも美しくなければ、口裂け女の典型的な問答は成立しないのだ。
ここまでくるともはやいきなり刺されるなんてことはないだろうと、僕はやや安堵していた。それが間違いだったことはすぐにわかることになる。
「でも、あなたがそう言うならそうなのでしょうね。こうして家に侵入されて、脅されて、それでも私を美しいと言ってくれないのなら、きっと何をしても無駄なのでしょう」
「一体⋯⋯何がしたいんですか?」
「あなたが私にふさわしい相手か、確かめたかったんです」
ふさわしいというのが何を意味するのかわからなかった。
「どうして」
「さぁ? でもよかったですね。あなたは合格です」
彼女はマスクを取った。当然の如く口は横に裂け、鋭い牙が端から端までビッシリと生えていた。その強烈な顔を見て、僕の頭の中はおびただしい数の疑問で埋め尽くされた。なんの病気だ? どういう骨格になっているんだ? そもそも相手は、人間なのか?
そんな疑問たちのせいで僕の脳はパンクして、あの霧が僕の思考を邪魔した。そのせいもあってか、僕はあろうことか口裂け女の接近を許してしまった。迫りくる彼女の牙を回避するという発想すら思い浮かばなかった。
僕は左手首を乱暴に掴まれ、そして薬指を根元から食べられてしまった。
とても痛かった。
口裂け女は次に、彼女自身の左手の薬指を嚙みちぎった。
僕たちは同じ痛みを共有した。




