拾い物は神様
百合は鼻歌を歌いながら山を登っていた。その歌声は決して大きくはないけれど、葉の擦れる音で騒がしい森の中にもよく通る美しい声だ。
その歌声は山を登っていると言うのに少しも途切れなかった。それはこの山が然して高くなく坂が急でもないことと、そして何より百合がこの山を登り慣れているためだ。
百合はご機嫌に歌いながら歩を進める。すると、次第に赤い社が現れた。
そこには小さな神社があった。百合は目的地であるその神社に立ち入ると、建物の中に入ることのできる扉を躊躇うことなく引いた。
「また、来たのか」
すると中からそんな声が聞こえた。低い声は冷たい。しかし、百合は怯むことなく笑顔で言った。
「おはようございます、神様」
百合は中で座りながらこちらを見上げる彼に言った。
彼は美しい青年だった。緑かかった銀の長い髪、新緑を思わせる瞳、思わず見惚れてしまうほどの完璧な顔立ち。青年の姿をしていると言うのに、その形以外全てが彼がただの人ではないと主張している。
「神様、怪我の方は大丈夫ですか?」
百合はそう言うとしゃがみ、そっと青年の肩に触れた。一瞬青年は顔を歪めたが、すぐに諦めたように息を吐くと言った。
「問題ない」
「もう。神様は本当にそれしか言わないんですから。傷見させてもらいますね」
青年の肩には不格好に布が巻き付けられており、それをゆっくりと百合は解いていく。不格好で緩かったために、それは簡単に解かれていき、すぐに青年の肌が現れた。
「ほら、全く大丈夫じゃないじゃないですか!」
そこには大きな怪我があった。百合は持ってきた袋を開いて、中から水を入れた筒と薬草を擦り潰したものの入った器を取り出す。傷を濡らした布で清めたあと、薬草を手に取り、そっと傷口に縫った。
「痛いですけど我慢してくださいねー」
まるで子供に言い聞かせるような口調に青年は顔を歪めた。しかし、抵抗しても無駄だとわかっているのか、手をはね除けることはない。
「はい、できました!じゃあ布を巻いていきますねー」
その手は全く覚束無く、先程と同様に不格好な形になっていく。しかし、百合はこれでよし!と満足気な様子を見せる。
「大丈夫ではないですけれど、さすが神様ですね。治りはとても早いです!」
「当然だ。柔な人間と一緒にするな」
百合はその言葉を否定しない。何故なら、彼は見た目の通り普通の人ではなく、そもそも普通の人どころか人間ですらないからだ。
「ええ。さすが、神様です」
素直に誉める百合に青年は嫌そうな顔をして言った。
「……何度も言うが俺は神ではない。竜人だ」
「ええ、ですから。竜神様、ですよね?」
「お前わざとだろう。何度も言っている。神ではなく人で竜人だと」
彼を、神様を拾った日から神様は自分は神様ではないと言った。
しかし、それが百合には納得できなかった。
(だって言い伝えと全く同じだもの)
この神社のある山の下には村がある。その村で百合は暮らしており、その村では昔からある言い伝えがあった。それはこの村には昔神様が暮らしていたという言い伝えだ。
神様は村で暮らし、村を守護し、潤わせた。神様が眠りについた後もその体は土地を守り潤わせ続けてくれていると。
そしてその神様は人の姿と神の姿を持ち、神の姿の時は木よりも遥かに大きく、その体は鱗を持ち、鋭い牙と爪を持つと言われていた。
そして、百合は目の前の神様がその姿をしていたのを見た。
百合と神様が出会ったのは五日程前のことだ。
百合はいつものように山に登り、この神社に来ていた。この神社は基本的に百合以外は訪れない。そのため、百合にとってここは一人になれる貴重な場所だった。
そんな場所で神様は人の姿で倒れていた。肩には酷い傷があり、大量の血が流れていた。辛うじて、生きているというくらいの彼を百合はなんとか神社の建物の中に入れて村から道具を持ってくると手当てをしたのだ。
と言っても百合に怪我をした時の治療の詳しいやり方などという知識はない。しかし、ここから十六のただの娘である百合だけの力で青年を山から下ろすことなどできるはずもなく、かと言って村人をここに呼ぶ訳にもいかなかった。何故ならここに村人は必要最小限度しか入ってはいけない決まりとなっているからだ。
百合だけが例外的に許されているのであった、山は神様の眠る神聖な場所であるため、基本的には村人は入れないのだ。
そんな場所に村人を呼べるはずもなく、それどころかその神聖な場所に余所者が立ち入ったなどと知られれば、村人達は彼に何をするかわからない。
だから、百合は動物が怪我をしていたと嘘をついて彼を治療したのだ。
だが、百合だけの手に負えるような傷ではなかった。しかし、青年は驚異的な回復力でなんとか持ち直し、次の日に目を覚ました。
そこで、百合は拾った青年が神様であると知ることとなる。
百合が次の日神社に来ると青年は外に出ていた。しかし、その足は覚束無く、慌てて駆け寄り、触れると百合は手をはね除けられ
『触るな!』
と怒鳴るとその姿を村で伝わっていた神様の姿へと変えた。
大きな体、緑のかかった銀の鱗、鋭い爪と牙。そして大きな翼。百合な呆然とその姿を見上げることしかできなかった。
だが、その時間は長くは続かなかった。神様はすぐに人へと戻ると倒れてしまったのだ。
意識はあったが、力が入らない様子。百合は少し躊躇った後、弱々しく抵抗する彼を建物に戻し治療をしたのだ。
最初『人間こどきが俺に触るな』など文句を言われたが、神様を放っておくこともできない。神様も最後は諦め、五日目になった今やもう抵抗することもなかった。
「でも、驚きました。私、神様って信じてなかったんです」
村人は深く神様を信じている。しかし、百合は少しも信じてはいなかった。
だから、神様を見てとても驚いたのだ。
「神など居る訳がないだろう。お前は馬鹿なのか?」
しかし、神様自身が百合の言葉を鼻で笑って否定した。その手には百合が握ってきた、握り飯を持っている。
「神などそんな都合の良いもの居る訳がない。願って祈れば神が助けてくれる、救ってくれるなど、お前達人間の愚かな願望に過ぎない。その証拠に神に祈ろうが毎年どこかで災害は起きているし、人は沢山死んでいる」
「……否定はしませんけれど」
百合も五日前までは神様など信じていなかった身だ。深く信じる村人達をこの神様のように馬鹿なんじゃないだろうか?とすら思っていた。
「言い伝え全てが嘘でなかったとしても、大方俺と同じような竜人がこの村で生涯を終えたというだけだろう。竜人は死ねば世界に還る。還ったその場の土地はしばらく潤うだろう。それに……お前みたいなやつもそうだな」
「……私、ですか?」
突然指されて百合は目を丸くした。今の話のどこに自分が関係があったのだろうか。
「お前、竜人の子孫だろう」
「……さあ、わかりません。ですが、仮に神様が竜人であったのであればそうですね」
百合はそっと右手を瞼の上に置いた。瞼の下には百合の瞳が……青空のような瞳がそこにある。
百合の暮らす村、それから周辺の地域では皆揃って黒い髪、黒い瞳をしている。しかし、百合は黒髪こそ一緒だが、瞳の色は青色をしていた。
村に居たとされる神様は青色の瞳をしていたとされており、村では十数年かに一度百合のような神様と同じような瞳を持つ人間が生まれた。
その者は神様の子供とされ大切に育てられる。山に立ち入りを許されているのもそれが理由だった。
「血は混じり過ぎていてほぼ人間と変わらないが辛うじて竜人の血は残っている。お前みたいな人間も死ねば竜ほどではないが土地を潤わす。まあ、少なくとも数年は持つだろう。だから大昔の竜人の力が消えても加護が消えていないように感じるのだろう」
「……なるほど」
確かに辻褄が合うような気がした。
神の子孫と言われている者達が死んだ次の年は必ずこの村は豊作もなっている。
死ねば百合は神様の元へと送られると言われていたが、違ったらしい。世界に還るとは壮大な話だ。
「竜人は基本的に群で暮らす。基本的には人になど興味はないから関わらないが、人と接触している群もいる。この辺りの地域は閉鎖的でかつ竜人の郡がないから知らないだろうが、遠く離れたところでは俺らを認識している人間達も居ない訳ではない。……お前の村の神様とやらは群から追放されたか、自ら人と暮らすことを選んだか。まあ、いずれにしろ相当変わった奴だったんだろう」
「そうなんですね。つまり、神様と同じような変わり者だったってことですね」
「……おい。その神様とやらはまさか俺のことではないだろうな」
鋭く百合は睨まれる。しかし、怯むことなく百合は首を傾げて言った。
「え、でも神様一人ですよね?相当な変わり者なのかと」
「そんな訳ないだろう!!……っ!」
神様は思わずと言ったように身を乗り出して言った。それが急な動きだったためか、傷に響いたのか、顔をしかめて、肩を押さえる。
だいぶ痛そうだ。しかし、相当心外だったのだろう。神様は言葉を続けた。
「俺は別に群に所属してないわけではない!……他の群との衝突があって、そこで離脱しただけだ。傷が治り次第すぐに帰還する」
どうやら神様は変わり者の竜人ではなかったらしい。
帰還すると言ったその顔はどこか辛そうに見えて、神様が帰還を深く望んでいることがわかった。
きっとどうしても帰りたいから神様は人間ごときである百合に世話を焼かれても黙っているのだろう。
「なら、早く怪我を治さなくてはいけませんね。ほら、もう横になってください」
「……ふん」
神様は鼻を鳴らしながらも百合の言葉に従う。
今日は随分長く話してしまった。だんだんと神様も心を開いてくれているのか口数が増えている。それが嬉しくて会話をしてしまったが、怪我人をお喋りに長く付き合わせてはいけなかった。
「お水とあとおにぎりここに置いておきますね」
百合はそう言うとそっと立ち上がる。
「……もう行くのか?」
「ええ。……何ですか?もしかしてもっと一緒に居たいんですか?」
「なっ!そんな訳あるか!いつもはもう少し長く居るだろう!だから……!」
慌ててそう言う神様に百合はクスクス笑っていけないと、己を律した。
「だって、神様が沢山お喋りしてくれるんですもの。ここに居たら嬉しくて怪我をしているのも忘れて喋ってしまいます。だから、今日はこれでお暇しますね。……では、神様。また、明日」
百合はそう言って建物を出るため扉を横に引く。返事は期待していない。いつも返ってきてはいないから。
しかし今日は違った。
「……神様じゃない。俺の名前はヴァルトだ。そう呼べ」
「」
驚いて百合は振り返る。しかし、神様はこちらに背を向けてしまっていた。表情は見えない。けれど……。
(耳、赤いわ)
耳が神様の表情を教えてくれた。百合はクスリとこっそり笑う。
(楽しいわ。神様ってこんなに親しみやすい方だったのね)
百合は元々神様なんて信じていなかった。神様に怒りすら覚えていた。けれど、目の前の神様は嫌いじゃない。好感が持てた。
だから、その時に百合に一つの考えが生まれた。その考えは口からそっとこぼれ落ちていた。
「ねえ、神様」
「だから、ヴァルトと呼べ」
懲りずに神様と呼ぶ百合にそう神様は言った。けれど、百合はそれを無視して言葉を続ける。
「神様が完治して、ここを無事に出ていけるようになったら、お礼に……私の願いを叶えてくれますか?」
「……願い?」
ようやく神様が振り向いた。百合は笑顔で頷いた。
「何か叶えてほしいことでもあるのか?」
「ええ。神様にしかお願いできないことなんです」
そう百合が言えば疑わしげな顔で神様は言った。
「無理難題ではないだろうな。それと酷く愚かな願いとか」
「無理難題はわかりますけど、愚か、ですか?例えばどのような?」
「あの村を侵略しろとか、金銀財宝を盗んでこいとかだ。人間はいつもそればかりをしているだろう」
予想もしてなかったその言葉に百合は目を丸くしてクスリと笑った。
「そんなこと言いませんよ。まったく人間をなんだと思っているんです」
そう百合が言うと、一瞬神様はほっとしたように息を吐いて、すぐに元の表情に戻って言った。
「……ふん。まあいい。それで、何を叶えてほしいんだ」
「……今はまだ秘密です」
「はあ?」
なんだそれはと言わんばかりの顔に百合は笑顔で答えた。
「だって、今無理だって切り捨てられたくないんですもの。愚かではないと思うんですけど、一つは無理難題かもしれないので」
「……一つっていくつ願う気なんだ。お前は」
呆れたようにそう言われたので、安心してください、と百合は答えた。
「お願いは一つだけにします。一番叶えてほしいことはちょっと無理難題かもしれないので、駄目だった時に代替案を出そうって思ってるだけです」
百合がそう答えれば、神様はまた後ろを向いてしまった。駄目だったかしら?そう百合は思ったが……
「……まあ、そうだな。気が向いたら叶えてやってもいい。愚かで無理難題でなければ」
と背中ごしに言われて百合は目を輝かせた。
「……ええ!楽しみにしてますね」
「……ふん」
百合の言葉に神様は鼻を鳴らして答えた。




