第八話 俺と同じ、におい
次の日、俺は、あの教官を、探した。
判定の日、俺の背中に「あの人と、同じだ」と言った、年配の教官。名簿で調べたら、桐生という名前だった。実技棟のいちばん奥、資料室みたいな薄暗い部屋で、一人、古い書類を整理していた。
俺が入っていくと、桐生先生は、顔を上げて、それから、静かに、息を吐いた。
「……来ると、思っていた」
「俺のこと、待ってたんですか」
「いや。来てほしくない、と、思っていた」
妙な言い方だった。俺は、椅子を一つ引いて、勝手に座った。桐生先生は、止めなかった。
「あの人と同じだ、って、言いましたよね。判定の日。……あれ、どういう意味ですか」
桐生先生は、しばらく、黙っていた。それから、手元の書類を、そっと、閉じた。
「昔、教え子に、一人、いた」
ぽつりと、そう言った。
「お前と、同じスキルだった。手から、悪い匂いを出す。誰も、近寄れない。……誰も、あいつのことを、好きにならなかった。判定の日、笑われて、それから、ずっと、一人だった」
俺の、判定の日と、同じだった。
「でも、あいつは、俺の見てきた中で、いちばん、優しい子だった。誰にも近寄られないから、逆に、誰のことも、傷つけたくなかったんだろうな。困ってる奴がいれば、遠くから、そっと、助けた。自分の匂いで、悪い奴を、追い払って。名乗りもせずに、消えた」
桐生先生の目が、遠くを見ていた。
「そのうち、噂になった。姿の見えない、匂いの守り神。悪人が、なぜか、みんな逃げ出す町がある、と。……それを、都合が悪いと思った連中がいた」
「清浄化機関」
桐生先生が、俺を、見た。少しだけ、驚いた顔だった。
「……もう、そこまで、知っているのか」
「昨日、会いました。刺客に」
俺が無事に座っていることで、結果は、察したらしい。桐生先生は、小さく、頷いた。
「機関は、あいつを、化け物に、仕立て上げた。世界を匂いで支配する、危険な存在だ、と。ありもしない罪を、着せて。……誰も近寄れないってことは、誰も、庇えないってことでもある。あいつの隣に立って、無実を証言できる人間が、一人も、いなかった」
俺は、黙って、聞いていた。
誰も近寄れない。世界にひとつしかないスキルは、つまり、味方が、一人もいないということ。ずっと、そう思ってきた。あの人も、たぶん、同じ場所に、立っていた。
「あいつは、それでも、誰も恨まなかった。最後に会ったとき、笑って、こう言ったよ。『先生、俺、このスキル、嫌いじゃないんですよ』ってな。……世界中を敵に回して、そのセリフだ。俺は、何も、言えなかった」
その言葉に、俺は、少し、息を呑んだ。
それ、昨日、俺も、言った。ほとんど、同じことを。
嫌いじゃない。気に入っている。世界中に笑われても、自分のスキルを、恥じない。俺と、その人は、匂いだけじゃなくて、そういうところまで、同じらしかった。
会ったことも、ない。名前も、知らない。なのに、その人のことが、なぜか、まるっきりの他人だとは、思えなかった。
「……その人、今は」
「わからん。ある日、ふっと、消えた。生きてるのか、機関にやられたのか、それも、わからん。ただ」
桐生先生は、俺を、まっすぐ、見た。
「お前を初めて見たとき、あいつと、同じ匂いがした。匂いだけじゃない。その、なんというか……周りが何を言おうと、我関せず、って顔が、そっくりだ。だから、俺は、こわいんだ。お前も、あいつと、同じ道を、行くんじゃないか、と」
俺は、少し、考えてから、言った。
「その人の名前、教えてくれますか」
桐生先生は、長いあいだ、迷っていた。
それから、ようやく、口を開きかけた――そのとき。資料室のドアが、勢いよく、開いた。
「いた。清水キヨシ」
立っていたのは、冴島レイラだった。学年一の、魅了スキル持ち。判定の日、俺のことを、視界に入れた覚えもない、って顔で、一瞥した、あの女子だ。
その彼女が、わざわざ、俺を、探しに来ていた。
「あんた、最近、いろいろ、やってるらしいじゃない。魔獣、追い返して。組織の刺客まで、追い払ったって?」
「耳が早いね」
「……ちょっと、こっち、見なさいよ」
レイラが、俺の目を、じっと、覗き込んできた。魅了スキルだ。目を合わせた相手を、虜にする。たぶん、俺が、どういう人間か、手っ取り早く、探ろうとしている。
俺は、普通に、見返した。
しばらく、沈黙。
「……効か、ない」
レイラの頬が、赤くなった。悔しさ半分、動揺半分、みたいな顔だった。
「なんで、効かないのよ! あたしの魅了が、効かない男なんて」
「別に、抵抗とか、してないけど」
「それが、腹立つのよ!」
どうやら、俺の、いつもの温度が、彼女の魅了と、まるで噛み合わないらしい。虜にしようにも、こっちが、最初から、なんとも思っていないと、取っかかりが、ないんだろう。
レイラは、腕を組んで、俺を、上から下まで、眺めた。
「あんた、ほんと、何なの。普通、あたしに見つめられたら、鼻の下、伸ばすでしょ。それか、緊張して、目を逸らすでしょ。なのに、あんた……ただ、こっちを、見てるだけ。何か、感想は、ないわけ」
「あー」と、俺は、少し考えた。「今日、いい匂いの香水、つけてるね」
「なっ……!?」
図星だったのか、レイラの顔が、一気に、赤くなった。
「か、勘違いしないでよね! これは、その、身だしなみで……っ」
どうやら俺の鼻は、魅了より先に、香水を拾ってしまうらしい。魅了スキルには、びくともしないのに、ただの香水の匂いには、ちょっと、くらっとした。我ながら、締まらない体質だと思う。
レイラは、しばらく、俺を睨んでいたが、やがて、ふん、と鼻を鳴らした。
「……覚えときなさい。あたしは、あんたを、認めたわけじゃ、ないんだから」
そう言い残して、彼女は、足早に、出ていった。なんだったんだ、と思う。でも、たぶん、判定の日みたいに「視界に入れる価値もない」と思っていたら、探しになんて、来ない。
俺は、桐生先生を、振り返った。
「で、さっきの、名前」
「……また、今度にしよう」
桐生先生は、少しだけ、笑っていた。
「その名を知れば、お前は、もう、後戻りできん。……もう少し、のんびりしていろ。お前は、まだ、そのくらいで、いい」
俺は、それ以上、聞かなかった。
いつか、聞くことになる。それは、なんとなく、分かっていた。でも、今日は、まだ、いい。
資料室を出ると、廊下の窓から、夕日が差していた。校門の下で、剛とノノが、俺を待って、手を振っている。剛は、なぜか、また勝負を挑む気らしく、拳を握っていた。ノノは、ノートを、抱えていた。
俺は、右手を、軽く振り返した。
――悪くない。全然、悪くない。
世界にひとつしかない、くさいスキル。味方は、少ないけど。でも、ゼロじゃ、なくなっていた。
▼次回予告
次回、清浄化機関、本気で動きだす。だが今のキヨシには、逃げない相棒と、記録する後輩が、いる。第一部・完へ。
▼今日の臭汁一品
四番・|傘についたまま二日たった、雨の日のにおい《梅雨明け》
ノノ評:「保存対象。地味だが、いい仕事」
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