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しばらく経ったある日、冬の足音が聞こえてきた頃リコの家の扉がノックされた。
王都の空は急速に高くなり、朝晩の風は肌を刺すような冷たさを帯び始めている。並木道の葉はすっかり落ち尽くし、石畳の上をからからと転がっていく。そんな季節の移り変わりの中、新居での生活は一見すると穏やかに流れていた。
クリスは仕事で家を出ている。ジルに「強引に」紹介された職場で働いているのだ。
あの白銀髪の兵士が、自らの特権と人脈をフルに活用してクリスにあてがったのは、家から適度に離れた、肉体的にも拘束時間の面でもそれなりに厳しい職種だった。「元奴隷を遊ばせておくわけにはいかない」という大義名分の裏に、リコとクリスを極力引き離そうというジルの思惑が透けて見えていたが、クリスもまた、生活の基盤を築くためにそれを拒むことはできなかった。
「はーい!」
アトリエに籠り絵を描いていたリコは、ノック音を聞いて絵の具だらけのエプロン姿で慌てて扉を開けた。
手についた乾きかけの顔料を無造作にエプロンで拭いながら、リコは玄関の重い木製の扉を開く。
「失礼します。リコさんのお宅でしょうか」
「私ですけど……?」
そこに立っていたのは、丁寧な若い男の執事だった。男は頭を下げて、リコに手土産を渡す。
一分の隙もない仕立ての良い衣服をまとい、洗練された所作で一礼する執事の姿。その胸元に刻まれた紋章を見た瞬間、リコの脳裏にあのペンバー家の豪奢な屋敷の光景が蘇った。
執事が恭しく差し出してきたのは、美しくラッピングされた小さな箱だった。
「私、ペンバーの屋敷の者です。当主よりあなたを屋敷へお呼びするよう申しつかっておりまして、お忙しい中申し訳ないですが、今からご一緒頂けますか?」
手土産の中には、最近できた新店の限定スイーツが入っていた。かわいいシェル型の菓子だ。リコは中身を確認し、にんまりと笑って頷く。不覚だが、見事に食べ物に釣られてしまった。
それは王都の若い女性たちの間で今、最も手に入らないと噂されている絶品の菓子だった。色鮮やかな貝殻の形をした生地の間に、濃厚なクリームがたっぷりと挟まれている。アトリエに引きこもって作業を続け、糖分を欲していたリコの脳は、その甘美なビジュアルを前に一も二もなく即降伏した。
「ちょっと待っててくださいね」
リコは執事を家の中に招き入れると、大急ぎで寝室へ引っ込んで着替えを済ませる。準備をして慌てて戻ると、リコは彼に案内をされて再びペンバーの屋敷へと足を踏み入れた。
絵の具の汚れたエプロンを脱ぎ捨て、外出用の衣服に着替たリコは少しだけ胸を騒がせていた。かつてクリスが縛り付けられていたあの悪夢のような場所。
「すぐに参りますので、ここでしばらくお待ちください」
執事はリコを客間に通すと、一礼をして去って行く。久しぶりに訪れた豪華な屋敷に、リコは辺りを見回した。クリスが知ると嫌がるかもしれないと今更ながらにぼんやりと思い、少しだけ反省する。
天井から吊り下げられた見事なシャンデリア、磨き上げられた大理石の床。クリスにとっての地獄は、変わらず絢爛豪華な姿でそこに鎮座していた。彼を救い出した今、自分が再びこの場所に足を踏み入れたことをクリスが知れば、あの美しい顔をどれほど曇らせるだろうか。
「よく来た」
ガチャリと扉が開いて、ペンバー家当主が姿を現した。リコがペコリとお礼をすると、当主はドサリと向かいの椅子に腰掛ける。
圧倒的な質量感を持つ老貴族の威圧感が、客間の空気を一瞬で支配する。
「遠いところをわざわざすまぬ」
「いえ、……あの今日はどのような用件でしょうか?」




