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クリスは十四歳の時に奴隷として両親に売り払われた。
それが、彼の人間としての尊厳が完全に剥奪された日だった。貧困にあえぐ家庭の犠牲となり、市場へと引き渡された恐怖。仲介業者では動物のように扱われ、自分と同じく奴隷として扱われる人の多さに驚き、そしえ自分の運命を呪った。
檻の中に押し込められ、家畜と同じように歯並びや体躯を品定めされる屈辱の日々。絶望の最中、追い打ちをかけるような報せが届いた。両親は自分を売ったあとに、あっさりと流行り病で亡くなったという。
怒りをぶつけるべき相手すら失い、クリスは世界のすべてを憎むようになった。
幾つの仲介を介したのかはわからない。だが、十五歳になったばかりの頃、クリスは高値で男性奴隷としてペンバーの屋敷に売り払われた。
まだ少年の面影を残す、腹が立つほどに整った容姿。屋敷の女主人はクリスのことを気に入り、頻繁にクリスのことを「かわいがった」。
彼は女主人の気まぐれに付き合わされる玩具であり、道具に過ぎなかった。
下手を打てばなじられ罰を受け、奴隷らしく扱われていたと思っている。
鞭打たれ、罵倒され、果てのない労働を強要される日々。特に、奴隷としての環境に彼が屈服し慣れるまでの最初の数年は酷いものだった。
そんな環境の中で、彼の心は急速に摩耗し、冷徹に閉ざされていった。すっかり性格もひねくれて曲がりきった頃、二十四歳の時、クリスの人生を変える出来事があった。
ペンバー家の屋敷でバッタリとリコに再会したのだ。
その再会は、泥の底に沈んでいた彼の世界に、一筋の雷光が落ちたかのような衝撃だった。
リコは七歳年下の小さな女の子で、クリスの家の近所にある孤児院に育った女の子だった。
かつて、まだ自分が奴隷に落ちる前、貧しいながらも自由だった少年時代。近所にあった孤児院の庭で、いつも気の棒で地面に絵を描いていたが、彼女が七歳の時にクリスが奴隷となり売り払われたため、そのまま別れていたのである。
泣き虫で、孤児院ではいつも少し浮いていたようだったと記憶している。
その、泣き虫で頼りなかったはずの小さな女の子が、成長した女性の姿となって彼の目の前に現れたのだ。
屋敷で出会ったリコはクリスにすぐ気が付いて、必ず私が助けてあげると約束してくれた。
男性奴隷として男の尊厳を擦り切らせていた姿を見られるのは恥ずかしくもあったが、それはクリスの暗雲たる人生で一筋の希望の光でもあった。
彼女のまっすぐな瞳が放つ輝きは、あまりにも眩しかった。
どうせ解放されるなんて無理だろうと思う自分もいたが、だが一縷の望みを捨て去ることはできなかった。
気まぐれな罰として身体中にあざをつくられ、食事ももらえないような日は、虫のように部屋の隅で這いつくばりながら、クリスはリコの言葉を思い出した。何度も何度もなぞるように、祈るように、呪うようにその言葉をたどった。
それはいつの間にか強い希望となり、クリスはその日を待ち侘びて一日一日を過ごした。その気持ちは望を超え、最早執着に近い心を産んだとクリス自身で理解している。
何年かかろうとも、彼女が自分をこの地獄から引きずり出してくれるのを待つ。それだけが、彼の壊れかけた精神を繋ぎ止める唯一の楔となった。
実際にリコがクリスを迎えにきた日のことをなんと言い表せば良いのか。あの無常の喜びと共に、間違いなくリコが女神か天使のように見えた。
彼女が莫大な金を支払い、契約書を破棄させたあの瞬間、クリスの魂は名実ともにリコのものとなったのだ。
しかし、救い出された新居での生活は、必ずしも甘いものばかりではなかった。
リコがジルを追いかけて家を飛び出していったその夜、クリスはまんじりともせず過ごした。
あの白銀髪の軍人。リコが「大事な人」と呼び、必死な形相で追いかけていった男の存在が、クリスの胸をかき乱した。
せっかく手に入れた理想の揺り籠が、あの男によって壊されるのではないか。
明け方近く、薄暗いダイニングルームで冷めた食事をテーブルに出したまま、クリスが椅子に座り続けているとコンコンコン、と三度ノックが鳴り響く。
静寂に満ちた室内に響く、規則正しい音の並び。リコが帰ってきたのかとクリスは慌てて扉を開いた。
「君は……」
引き開けた扉の向こう、クリスの視線の先にはジルが立っていた。白銀色の髪の涼やかな目元の彼は、ぐっすりと眠るリコを抱えて立っている。
ジルの表情はひどく冷ややかで、その腕の中のリコは、衣服から強い酒の匂いを漂わせながら、完全に意識を失っていた。ジルは挨拶もそこそこに、不躾な態度で室内に足を踏み入れた。
「失礼しますよ。リコの寝室はどこですか」
ジルはズカズカと立ち入ると、寝室を探しリコをそこへ寝かせた。アルコールの香りが色濃く残るその姿にクリスは不快そうに眉を寄せる。
自分の知らない場所で、リコがこれほどまでに泥酔するような事態になったこと、そしてそれをこの男が介抱しているという事実に、クリスの独占欲が醜く鎌首をもたげた。




