神の顕現(1)
「愛姫。貴女を痛い目に合わせたくはありません。どうか私の言葉に従ってください」
「嫌です。わたしは神様のものにはなりません!」
わたしは教皇様を睨みつける。怖くても、弱みを見せたくはなかった。洗脳魔法を使える彼は、その力を使えば簡単にわたしを操ることもできるだろう。それでも、彼はわたしにその力を使うことはなく、何度もわたしの意志を確認してくる。もしかしたら、わたしが神様に捧げられることを望むことが条件なのかもしれないと考えた。……そう思うことで、わたしの心を保つこともできている。
「困りました。少々強引な手を使う必要があるようですね」
彼の言葉に、わたしの身体はびくりと震えた。強引な手だなんて……何をされるのだろう。一人で狭い空間に閉じ込められるだけでも心が折れそうだったのに……。
「失礼致します」
教皇様は座り込むわたしに向けて指を伸ばした。攻撃されるのではないかと思って強く目をつむると、額に指が触れられた感触があった。怖い。このまま頭が壊されてしまうかもしれない。
しかし、変な力が注ぎ込まれたり何か痛みを感じたりすることはない。それでも怖くて目を開けることはできなかったので、目を閉じ続ける。
「……妙ですね。神力が以前よりも馴染んでいるようです。それも純粋な女神の力ではありません」
小さく呟かれた声が聞こえてきた。彼が言うことは、黒様の力と関連がありそうだ。黒様のことは気づかれていないのだろうか。でも、黒様が突然姿を消したのは男神様が何かしらの干渉を行ったからだと思うのだけれど……。それなら教皇様にも話が通じていそうなのに。
「まあ良いでしょう。愛姫、少しの間我慢してください」
「……!」
触れられた指先が、熱を帯びた。そう感じた瞬間に、全身から力が抜ける。ただでさえ立ち上がる気力もなかったのに、腕を上げることすらもできなくなった。
「なに、を……」
「動かないでください。この浅ましい力を取り除かなくてはいけないのです」
浅ましい力? 女神様と繋がりのある黒様の力なら、純粋ではないのだろうか。教皇様にとっては、何か問題があるのかもしれない。このままわたしが男神様に相応しくないと判断されたら良いのだけど……そうなった時に、わたしが不必要だと判断されて殺されてしまうのは怖い。
ただ、教皇様はわたしの額に軽く指先を触れさせているだけで、変な力が注ぎ込まれるようなことはなかった。彼は何をしているのだろう。
「……これは興味深い。先ほどまで何者かがこの場にいたのですか」
彼のつぶやきやこの行動が気になって、恐る恐る目を開けてみた。目の前には、変わらず目を閉じたままの教皇様がいる。彼の言動があまりにも自然なので気になることは少なかったけれど、そういえば彼が目を閉じているのは、何故なのだろう。生まれつきなのだろうか。
わたしがじっと彼の閉じられた目を見つめていると、ふと違和感に気が付いた。
彼の足元で、影のようなものが動いている。ただの影ではないように見える。彼はこれに気が付いていないのだろうか。
その影は徐々にわたしに近づいてきて、ついには足元に絡みついてきた。奇妙な感覚に、ぞっと寒気が走る。それを解こうと身を捩ると、いつの間にか身体が思うように動くことに気が付いた。
「如何なさいましたか?」
教皇様は僅かに首を傾けた。本当に彼は気づいていないのかも。この影はわたしに害を成そうとしているようではなく、逆に力を貸してくれているように思える。これを利用できたら……。
「あ、あの」
「何でしょう」
「あなたは今……何をしていらっしゃるのですか?」
苦し紛れに話を繋ぐ。取り合ってもらえないと思ったけれど、彼は答えてくださった。
「愛姫に注がれた神紛いの力を除去しています。この力が残されていると、神がご不快に思われてしまうかもしれませんから」
話を聞いている間に、教皇様が入ってきた扉に視線を向ける。その扉はまだ開かれていて、奥に何があるのか見えないけれどこの空間からは出られるに違いない。
教皇様に隙は一切見られない。そもそもわたしに戦いの心得はないし、上手に動けるのかも分からない。けれどこの機会を逃すわけにはいかないのだ。
そうわたしが強く思った時。まるでわたしの思いを汲んだかのように、影が教皇様の腕に絡みついた。
「おや……?」
今ならいける!
教皇様の意識が別のところに向いた瞬間を狙ってわたしは勢いよく立ち上がり、扉に向かって全速力で駆けた。身体がうまく動かないけれど、必死に足を動かす。
「お遊びもほどほどにしてください、我が御方よ」
扉の外、真っ黒な場所に飛び込んだわたしの耳に、教皇様の声は聞こえなかった。




