不器用な魔法使いたち
建てつけが悪いのか、キィ……と戸が軋む音がした。
僕は無言で部屋に入ると、その人に近づく。
「来たか、馬鹿弟子」
「……師匠」
師匠は窓際の椅子へと座り、頬杖をついて、窓の外のたくましく萌ゆる庭の草花を眺めていた。
言葉は交わせども、その視線は僕の方を向こうとはしない。
でも僕は師匠に向けて頭をさげた。
「……ありがとうございます、ルーチェを救ってくれて。病気を治してくださったと」
「腑抜けの阿呆に礼を言われる筋合いはない。あのままでは寝覚めが悪そうだったから、私にできることをしたまでだ。……馬鹿弟子よ。反省したのならば、お前がやることは分かっているな」
そよそよと窓から柔らかな風が吹き込む。
足元でかさりと音がした。
僕は師匠の言葉を噛みしめるようにうなずいた。
「僕は魔法使いになります。師匠のように理性ある魔法を行使して、僕ら魔法使いしか叶えられない願いを叶えていきたいと思っています」
「大きく出たな。お前にできるのか? 魔法契約とその代償に振り回されているお前に」
「できるできないじゃないんです。やるんです。そうじゃないと僕は、貴方にも、ルーチェにも、何も報えなくなってしまうから」
「ふん……」
せいぜいやれるところまでやってみろ。
消え入りそうなくらい小さな声で、師匠がそう言った気がした。
春の麗らかな風が部屋へとなびき、足元に落ちていた花弁を掬い上げていく。
師匠の耳には何もなかった。
顔の横で咲いていたカルクスの花はすべて散っていた。
……本当にギリギリだったんだな。
足元に残っていたカルクスの花を優しく拾い上げようとすると、粉となって風に散る。
師匠はそれきり、何も言わなくなった。
「口は悪いし厳しい人だったけれど……でも貴方は、とても優しい人だった」
眠るように息を引き取った師匠は、穏やかな表情をしていた。
珍しいことに口許に笑みを浮かべている姿は、僕の答えに満足してくれたからだろうか。
感慨深く思っていると、不意に部屋の外で物音がした。
顔をあげて振り返れば、扉のところでルーチェが遠慮がちに僕を見ていて。
「……あのね、ノエ。これを貴方にって」
何となく察していたらしいルーチェがおずおずと僕に一冊の本を差し出す。
古ぼけている本は、何度も継ぎ足されたのかページの色褪せ具合にばらつきがあって、どのページにも師匠の筆でびっしりと文字が書き込まれていた。
これは……師匠の、魔法の研究書?
僕が少しだけそれに目を通す間、ルーチェが師匠の傍らまで寄って、椅子の正面に向かうように膝をつく。
そして祈るように手を組み、歌うように言葉を紡ぐ。
「慈悲深き芽吹きの魔法使い様。貴方様のお心遣いを決して忘れません。次なる生に、幸多からんことを……」
ルーチェの追悼の言葉に僕も祈りを込めて頭を垂れた。
その際に手の中にある本からするりと一枚の紙が滑り落ちる。
僕は紙を拾い上げ、書き込まれた文字に目を通す。
そこに書かれていた言葉に、泣きそうなくらい、師匠の慈悲深さを感じてしまった。
「ルーチェ、魔法を使うよ」
「ノエ? いったい何を……」
ルーチェが不安そうに僕を見上げる。
ルーチェの背後に立ち、安心させるようにその肩に手を置くと、僕は光の粒子を集う。
部屋のなかにキラリと瞬く魔法の粒はとても幻想的に感じられた。
「慈悲深き芽吹きの魔法使いに感謝を。そして、次代の生命へ祝福を」
魔法の粒子が師匠の身体を包み込む。
淡く輝いていた光は一際強い光を放出し、かき消える。
後に残るのは師匠の肉体とーーー一粒の種だ。
「それって……」
「師匠の花の種……カルクスの種だ」
宝石のように美しく、まん丸な種。
それは師匠の胎内に宿っていたものだ。
僕は種を拾い上げて、ルーチェの手のひらへと乗せる。
「師匠からの課題だ。この種を品種改良すること。魔法がなくても、育つようにしろってさ」
「それは、大変そうね?」
「うん……でも、僕はきっと咲かせるよ。今度は絶対に枯れさせない」
この種は、師匠が遺してくれた大切なもの。
きっと今もどこかで、僕らのようにこの種を探している人がいるかもしれない。
その人達のためにも、この種は大切に育てて、増やして、残していかなければ。
僕は花を咲かせられなかった。
それどころか、一歩間違えたら取り返しのつかないことになっていたかもしれなかった。
そんな僕に、師匠は種を託してくれた。
師匠は信じてくれたんだ。
僕がきっと、正しく魔法を使えると。
だから僕に遺書と、自分が書き留めてきた魔法の研究書を残してくれたんだ。
あぁ、まったく。この卑怯もの。貴方は本心を隠すのがとことん上手な人だった。
僕はルーチェと手を取り合って、静かに眠る師匠へと追悼する。
師匠、僕は正しく魔法を使うことを誓います。
師匠が言った、魔法契約とその代償の真髄についても、きっと理解してみせます。
でも僕はルーチェへの愛情表現をやめることはできません。
ルーチェへ口づけるたび、この紫の唇が災いをもたらしたとしても、僕はその全てからルーチェを守ってみせます。
さようなら、慈悲深き芽吹の魔法使い。
良い来世を、お過ごしくださいーーー
◇
僕ら魔法使いは、その身に代償が刻まれる。
愛逢月に生まれし僕には、【触】の代償を与えられた。
人は愛するものと触れあうことに幸福を感じるけれど、この代償は災厄をもたらすもの。
これは万能なる魔法使いに与えられる枷だと、僕は思っている。
後悔するにはもう遅い。
僕は魔法使いになった。
それは変えられない事実として、そこに泰然と存在する。
だから僕は、愛しい人に口づけをするたび、自分を戒めよう。
愛しい人を守ろうと。
その身も、心も、僕が守らないと、と。
僕は忘れない。
僕の唇がもたらす災いを。
僕自身が、愛しい人への災いとならないように。
災厄のキスが呼び寄せる災いはすべて、愛の試練と思えばいい。
そう……僕は一生をかけて、君に愛の証明をしていこう。
そしてその傍らで。
僕は育もう。
師匠が遺してくれた花を咲かせよう。
いつか僕が、師匠のように、誰かに手を差しのべられるように。
ーーー僕は、魔法使いとして在り続けよう。
【ヴァイオレット・ルージュへ口づけを 完】