ヴァイオレット・ルージュへくちづけを
ルーチェは僕をこぢんまりとしたリビングに通すと、僕とルーチェの二人分のお茶を出した。
「ノエ、会いに来てくれたのね。嬉しい」
「僕も君に会えて嬉しいよ、ルーチェ」
「雰囲気が変わったわね。とっても魔法使いらしくて格好いいわ」
にこにこと笑いながら、あれやこれやとここ数日の森での生活を話すルーチェはとても元気そうだった。
夢中で話してくれるルーチェに相づちを打ちながらお茶を嗜む。
他愛もない話をし続けて、カップの底が見え始めた頃、ルーチェのおしゃべりも落ち着いた。
ルーチェがカップに視線を落とす。
僕はルーチェの一挙一動から目をそらさなかった。
「ルーチェ」
「なぁに、ノエ」
「僕たち、別れよう」
ルーチェの肩がびくりと跳ねた。
僕の言葉は予想していたものだったのか、驚くことはなく、ルーチェはぎこちなく微笑んだ。
「どうして? 私たち、うまくやれていたじゃない」
「そうだね。だけど、ごめん」
「病気だって、ノエのお師匠様に治してもらったのよ。ようやく、これからじゃない」
「それは、とても喜ばしい。だけどごめん」
「ノエが嫌がっていたのにキスしたのも悪かったって思ってる。もう二度としないわ」
「うん。怒ってないよ。むしろ僕が謝らなきゃ。君につらい思いをさせたこと。ごめ……」
「ノエ!」
テーブルが揺れる。
ルーチェが声をあらげて、テーブルに拳を叩きつけた。
「あなたのお師匠様から全部聞いたわ。私が貴方にキスしたのを、死にたいからだと思ったそうね。それを理由に私の命を……その、奪おうとしたってことも」
「……っ」
自分の犯そうとした罪を目前に突きつけられて、息が詰まった。
でも耳を塞いではいけない。
何も違わない、事実なのだから。
否定をしないで困ったように笑えば、ルーチェの顔が険しくなる。
「ノエ、正直に言って。もしかして私にはふさわしくないとか女々しい考えで身を引こうとしているの? 私をここまで連れてきておいて? 家族を置いて、私は貴方を信じてここまで来たのに? 私を裏切るの?」
「……」
「もしそうなら、ノエ。お望み通り私は今すぐここで首をかっ切って死んでやるわ」
「なっ……! 馬鹿っ、何を考えてるんだ!」
「それはこっちの台詞よ、ノエ!」
ルーチェの馬鹿な言葉を撤回させようとした僕の言葉を、ルーチェの気迫が飲み込んだ。
「私はノエから見て、そんな弱々しい女だったの? 後ろ向きでうじうじして、今日か明日かの命に絶望する女に見えたの?」
「それは違……っ」
「違わないじゃない」
僕の否定は、ルーチェに拒絶させる。
ルーチェのエメラルドの瞳が僕を射ぬいた。
「私は貴方と普通に生きたいのよ。笑って、泣いて、喧嘩して。歳をかさねて。生きるなかで災いなんて沢山あるのよ。私の病気だってそうでしょう? でも私はそれを貴方と一緒に乗り越えたいの。ノエとキスをして、もし災いが振りかかったってきっとなんとかなるってことを証明したかったのよ」
ルーチェは席を立つと、僕に歩み寄る。
後ずさろうと腰を浮かせた僕の頬を両手ではさみ、額と額をコツンと合わせた。
「確かに不安になるときもあるわ。だってノエが私を愛してくれる理由が分からないから。だから貴方の身体を……唇を求めてしまうのよ」
ルーチェがそっと顔を近づける。
僕の口許を覆い隠す魔法のヴェール越しに、ルーチェが僕へと口づけた。
「愛しい人。私を殺してしまうほどに愛してくれる理由を教えてよ」
ルーチェが吐息を残して僕に問う。
……そう、だった。
ルーチェはこういう人だった。
真っ直ぐで、自分の言葉をちゃんと持っていて、はっきりと意思表示ができる人。
それをどうして、僕は彼女が言葉を隠してしまう人に思ってしまっていたのか。
彼女の言葉には裏表がない。僕はその言葉を受けとるだけで良かったのに。
最初から間違っていたのは僕だけだったんだ。
ルーチェは最初から、自分の気持ちを言葉にしていたじゃないか。
僕はルーチェの唇へと触れた。
「……僕は、君の笑顔が好きなんだ」
とめどなくあふれるのは、ルーチェへの愛しさ。
堰を切ったかのように言葉が飛び出していく。
「君はいつだって前向きだ。小さい頃、よくいじめられていた僕をかばってくれた。強い女の子だって思ってた。でも、病気になって、皆に大丈夫だって言う影で、こっそり泣いていたのを見てしまったんだ」
僕の頬から手を離そうとしたルーチェの手を握る。
小さくて細い手だ。
昔は僕の方が小さかった気がするのに、いつの間にかすっぽりと覆えるくらいになってしまっていたこの手。
「いつから愛しているって言うようになったのかはもう覚えていないけれど、最初の僕はつらいことをつらいと言えない君が、つらいって言えるような場所を作りたかっただけなんだ。君の抱えるものを、僕に分けてほしいと思った。そう思ったら、後は無我夢中だった。弱虫な僕じゃ頼ってもらえないだろうから、僕は君に頼ってもらえるような人間になろうと思った。頑張れば頑張った分だけ、君は誉めてくれるから、僕は頑張れた。全部、君が僕にそうさせたんだ」
ヴェール越しにルーチェの手の甲に口づける。
「拍子抜けするくらい、単純で、馬鹿な理由だった」
そうだった。
始まりはそうだった。
それがいつからか、ルーチェの病気を治すことと、ルーチェの隠れた気持ちを探ることばかりをしてしまっていたから、僕の心はねじれてしまっていたのだろう。
我ながら、きっと今は情けない顔をしていると思う。
でも、ルーチェはそんな僕に微笑むと。
「可愛い」
そぅっと頭を胸へと抱き込んで、僕の髪を優しく撫でた。
「ルーチェ……?」
「可愛いなぁ、ノエ。それでこそ、ノエだよ」
ルーチェはそう言うと、ちゅ、ちゅ、とついばむように僕の顔へとキスを落とす。
一貫性のないルーチェの行動に動揺していると、僕に沢山のキスをして満足したらしいルーチェは、にんまりと笑った。
「私は、ノエのそういう素直なところが好き。ちゃんと打てば響くところが好き。素直すぎて昔はいじめられていたけど、でも今はその素直さが誠実さや真心に繋がってるのを知っているつもり」
ルーチェが僕の瞳を覗き込む。
僕はルーチェに囚われてしまって、目がそらせない。
「ノエ、私は貴方を手放さない。もし貴方が私を殺そうとしたことを負い目に思うのなら、むしろ貴方は私から離れるべきではないわ。私を守って。ノエがもたらす災厄から、私を守って」
ルーチェはそう言うと、僕のヴェールをそっと持ち上げた。
影が落ちてくる。
直に伝わる熱と、肺へと吹き込まれる吐息。
柔らかくて、温かくて、心に甘さを感じる、溶けるようなキス。
駄目だ、と思うのに。
また間違えてしまう、と思うのに。
やっぱり僕はルーチェを拒むことができなくて。
災厄を招く口づけを、深く、深く、僕らは交わしあう。
……これが答えなのかもしれない。
僕と、ルーチェの、二人の答え。
きっと僕らはこれから先も、何度も過ちを繰り返す。




