勇者と魔王の最終決戦その一 3 敗北者
そしてカウンターの前に出ると、屈辱を押し殺すようにぷるぷると口角を震わせながら、頭を垂れて跪いた。
「ようこそお越しくださいました。チェックインのご用件か……ですか?」
言葉を間違えかけたのか、『ですか。』だけ嫌に強調されていた。敬語だがあのゴーレムと違い、我々に不服ながらも従わざるを得ない様子。やはり人間種は魔族を嫌って当然ということか。……だが悪くない! 魔族に子犬のごとく媚びを売るような人間より何倍も良い! 嫌々付き従ってこそ人間だ。我らが魔族としての欲望を心得ている。クロノディアスも満たされたような邪悪極まりない歪んだ表情で、高圧的に立ち振る舞う。まさに皆が描く魔族の姿そのものだ。
「そうとも。チェックインだ。可能な限り最も良い部屋を差し出せ。金が欲しいか? いくらでもくれてやっていい」
「っチ。こっちが下に回れば……! あ、いえ、ではこちらの書類にお名前等を書いた後、隣の機械……固定ゴーレムに入金または指定された単位の……魔力? を注入してください」
垣間見える殺意。そのホテルマンの男はすぐに笑顔を取り繕って我々に書類の説明をしていく。名前を書く場所を説明されるが否や、クロノディアスは誇らしげに自らの二つ名である凍刻と、我が名前を連ねる。魔王ディスト・デッド・ブラッド・エンド。死と血による結末の運命だなんて仰々しい名前をしてるが、勇者の一撃を受けてもなお幸運に恵まれて生きている。
「……魔王様とお呼びしたほうがいいですか? それともお客様?」
「お客様で構わぬ。魔王様では我が同胞を総称して呼べぬだろう」
我が寛大な心でお客様と呼ぶことを許可してやるなか、クロノディアスは料金の代わりに魔力を注ぎ込み、段々と顔色を悪くしていく。……魔力の過剰使用により疲弊だ。極大魔法を撃ってもなお余裕があった彼が? 一体どれだけの魔力を請求されたのだ。
慌てて看板の形をしたゴーレムを覗き込む。指定された魔力量の数千倍もの値をつぎ込んでいた。永遠に泊まれそうなくらいだ。クロノディアスは気持ち悪そうにカウンターにもたれかかると、今再び戦慄を刻み、掠れた声で我に告げた。
「このゴーレム……私の魔力を受けても時間が歪むどころか凍りすらしなくて……極大魔法を撃ったこともあって……不覚。三度もの敗北を――――」
いかん。ただでさえ意気揚々と四天王を名乗り、勇者に壊滅に追いやられてプライドをずたずたにされていたのだ。自慢の魔剣も折られ、最強の技も破られて、ついに限界を超えて自刃しかねないほど負の感情を抱いている。部下のミスは上司が拭う。
我はクロノディアスの、もとい我が右腕にして馬鹿な親友の肩を担いだ。凍刻の全魔力を受けてもなお毅然としている看板がたのゴーレムと対峙する。
「魔王様……! ああ、私は今この瞬間、あらゆる世界の誰よりも幸福を感じております」
「お客様。既に要求分の魔力どころか過剰なほど受け取っているので魔力を頂く必要は……」
魔族は誇りを重んじる。決して敵から逃げてはならない。部下が勝ち逃げされそうになっているのに無視できるものか。我は足の隅から角の切っ先まで、極大魔法で相当浪費してしまったが、我が宿敵以外の存在に負けるわけにはいかない。全ての魔力を一点に蓄えて、全身全霊を賭けた一撃を、今再び解き放つ!
「ぶっ壊れろオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
「お客様!? 壊されたら、……マニュアルによるとこの世界を強制退去ですよ?」
ホテルマンの男が意外と敬語に順応しながら頬を引き攣らせるのも、我はそれを無視して、叫び、魔力を圧縮し、一撃を放つ。周囲の者共が我らを一瞥した。人間、巨大クワガタ。ゴーレム、エトセトラ。だが、我が咆哮の先に待っていたのは恐ろしい静寂だった。このゴーレムは壊れるどころかうんとも寸とも言わない。
『3O77の部屋を三十二年十ヶ月二十日分の魔力を受け取りました』
「……ぜぇ、はぁ。これはいわゆる、チップというやつだ。早く部屋に……案内するがいい」
魔力を使いすぎて立ち眩みがした。視界に靄が掛かり、途方もない虚脱感。立っているのも歩くのも辛く、しばらく横にならなければ倒れてしまいそうだ。
「ではお部屋へ案内します……ワニ。よければ抱えて運ぶこともできますが……ワニ」
勇者に敗れ、ここでも負け、とってつけたような語尾をする白いスーツのワニに抱えられて部屋へと向かうことになった。我々の誇りは……この場所を征服しなければ覆らない。
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