幼妻と浮気したい俺 その六 世界の果てで愛を囁く
『……行け!』
ガツンと物理的に背中を押された。前のめりに転びそうになって咄嗟に足を踏み伸ばす。二歩、三歩。途端に祭壇が紫の五芒星の輝きを浮かべる。白一色に染まっていく視界。
眼も開けられないほどの輝きに身体全てが包み込まれて――――けど一瞬で光は消えた。目を瞑っていても周囲一帯が暗がりに落ちていることが理解できて、俺はゆっくりと目を開ける。
ホテルの……どこだろうか。転送ゲートを通じたのだとしたら具体的な場所なんてわかるはずもない。周囲一帯は樹木の生い茂る森だった。けど生えている木々の全てが透き通った水晶のようで、照明がないにも関わらず月明かりで煌めいていた。
おかげで道はよく見えた。石畳風を踏み締めてまっすぐとひらけた場所へと歩き進める。冷たい風が吹きつけてくる。すぐ近くで、四方から聞こえる波の音。静かにさざめく虫の声。夜空が近い。
「この先に、エルフィが……」
俺は歩き続けた。段々と道は広がっていき、やがて水晶の木々が無くなって見晴し台のような場所に出る。暗闇の夜空のなか、木製フェンスから身を乗り出すように彼女がいた。
真っ白な髪。露出した褐色肌。少しだけいつもの彼女より背が高くて、ああ、けど分かる。なんで最初にすれ違ったんだ。……もう間違いない。
「エルフィ……」
名前を呼ぶとすぐさま振り向いた。赤らんだ琥珀の双眸。海風の音に掻き消されてしまいそうな小さな嗚咽。エルフィは俺を見上げて目を見開いた、けどすぐに表情を引き攣らせて、震える口。ゆっくりと俯きながら首を横に振った。
「ダメじゃない……。あの人のとこにいてあげなきゃ、あの人も……傷ついてる。ッから、理由は……わからない、けど。わたしより……綺麗で、大人で……!」
違う。お前より綺麗な人なんかいない。可愛い人なんかいない。どんな世界のなかでも俺にとっては一番で、ああ、言え。言え。言え! 頭のなかでだけ考えてなにになる! 俺は――――、おれは。
「俺は……エルフィ・シュトリヒを、を……! 君のことを、……にあ、逢いたくて、ここまで来た。……謝りたくて、親の都合で結婚させられて……! 君はまだ十三で、やらされてるだけだとか、愛されてないと思っていた」
違った。確かに彼女は仮面を被っていたけれど、俺は俺が思っている以上にエルフィに愛されていた。支えられていた。
「浮気の事実さえ作れば……金銭問題も解決したうえで、君が自由になれると思って、それで……ああ、嗚呼……、言い訳だ。これは……俺は、それで、――エルフィ・シュトリヒを裏切った。傷つけた。わかった気になって……、」
指先が冷えていく。肩が震えた。言葉をつづければ続けるほど最低な気分になって、彼女はいつだって笑顔でいてくれたのに、俺は今こんなことになっても言い訳しか言葉が出てこない。なんて言えばいいのかわからない。どうやって向かい合って話せばいいかもわからない。
喉の奥から出る声が詰まる。目頭が熱くなって何度も目を閉じて堪えた。呼気が震える。長い沈黙が包み込んだ。
「……隣、来てよ。いつもみたいにさ。すっごく……綺麗な場所だよ。ここ」
エルフィが違う少女の声で呟く。心臓の高鳴りも聞こえないくらい緊張が膨れ上がって、綱渡りみたいに一歩、一歩エルフィの隣まで歩いた。乾いた靴音が嫌に響く。
木の柵の向こうは切り立った崖だった。空が近いのは錯覚ではなくて、足元で波打つ黒い海は遙か下にある。岩礁に打ちつけて、引いてを繰り返していた。
「ね? すごい、素敵な場所でしょ? わたし、本当は花畑とかよりも、こういう場所が、ね。好きなの」
エルフィは儚げに微笑んだ。別人の顔でも残る面影。けど俺は彼女の本当の姿を何も知らなかった。
「わたしもね……。ハルトのこと信じられなかった。嫌われると思ってね。好きでいてほしくてね。わたしは年相応の女の子らしく振舞ってた。けどずっと、ずっと積み重なってきてね。……ッ、グッ。自分が、自分がぁ……! ひぐっ、……嫌いになってきて、それでね、それで、あの女の人は凄く綺麗でね……!」
耐えられなくなって俺は彼女を抱きしめた。膝を地面につけて、そのあまりにも華奢な背中に腕を回して身を寄せる。同時、ぼふりと白煙が渦巻いた。
俺達にかけられていた魔法か、呪いか……とにかくそういった力が解けてくれて、元の姿に戻った。二人して縮む視界の高さ。純白の髪が金に煌めく長い髪になって、華奢な身体はさらに弱々しく思えて、本当は彼女のほうがずっと堪えてきたのに。
「うぅううう……! ハルト、ハルト……わたし、渡しちゃった……! 指輪、渡しちゃっ、……わたしの、だったのに!」
赤らんだ琥珀は乾いた蒼い瞳に色を変えた。双眸がじわりと潤んでとめどなく白い頬を伝う。エルフィの小さな手が俺の服を握り締めた。肩にうずめるように、滂沱の涙が濡らした。熱が来る。鼓動が触れる。彼女が泣きじゃくるのを見るのは初めてだった。
「お金が、目的でも、ハルトのお嫁さんだった証、だッたのに……! それ、で……それで。ぅあぁぁぁ……ぁああ! ぁああああああああぁっ……! 逃げちゃったの! 信じられなくて……。わた、わたしは……嘘つきで、ハルトがずっと、わたしのために考えてくれてたのに!」
「……エルフィ」
俺は彼女と目を合わせて、ホテルマンから受け取った指輪を取り出した。科学が生み出した俺達の世界の銀輪。夜の帳が下りているなか、確かにそれは月明かりで煌めいた。
エルフィが息を止める様に目を見開く。何かを言おうとして、けど喉に詰まっていて、痙攣するみたいにぱくぱくと空気に溶ける。――――言うのは俺だ。エルフィに言わせない。彼女は何度も、何度だって言ってくれた。俺はまだ言えてない。
「――――愛しています。エルフィ。だからその、……また指輪をつけてくださいますか? 俺達はまだ……やり直せますか?」
ようやく言えた。心臓の音が外に洩れそうなくらいドクン、ドクンと轟いてくる。真摯に見つめ合っていると耐えられないくらい顔が赤くなってくる。
エルフィの手を握る。彼女の眼が限界まで見開いていくのがわかる。俺と、指輪を交互に見つめて、見たこともないくらい紅潮して、長い沈黙のなか俺達は見つめ合う。
「……アハ。わた、わたし。本当はすっごく……いけない子だよ? それでも、それでもいいの……?」
消え入りそうな声で俺に囁く。耳に残り続ける甘い吐息。言葉はもう告げた。俺はゆっくりと息を吐いて、彼女の薬指に指輪を通した。細い指に銀の煌めきが収まる。
「嬉しい……!」
エルフィはぎゅっとその手を胸に当てて、自然な仕草で背を伸ばす。首に回る腕。ハグじゃない。大きな瞳がじっと顔を覗き込んで、そのまま顔が近付いて――――唇が触れた。
一瞬だった。一秒にも満たない触れるだけのキス。思い出していた口に残る柔らかい感触よりもずっと甘くて、熱っぽくて、脳髄をわし掴みにするように記憶に焼き付く。
一歩、二歩とエルフィは距離を取ると、白いワンピースを翻して妖艶に笑った。ぺろりと舌を巻いて、潤んでいた瞳が爛々と青く輝く。
「……ッ!?」
「五年後が楽しみね」
エルフィは本当の笑顔で言ってのけた。




