勇者と魔王の最終決戦 その五 黄昏魔王
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魔界には陽の光すらなかった。いつも魔力の瘴気と歪みによって生じた朧げな光の屈折が地上を照らすと同時に空を覆っていた。だからこそ我々は見たこともないものが欲しくて進行した。日が沈む瞬間を見るときは人間界を征服したときだと思っていた。
「魔王様、この光景は――」
クロノディアスは青い双眸を見開いて砂浜を一歩、二歩と進んだ。足元が波に浸かっていることに気付いていない。我が顔を見ることすらできず、水平線の果ての向こうに釘付けにされていた。零れていた冷気すらも停滞していた。我もその光景に目を向け続ける。
朱色に染まった空。海は途中で途切れていて、何もない空間のさらに向こう、純白の光が海底に沈むように落ちていく。我が耳にしていた日没とはいささか違った風景だった。他の多くの存在にとっても異質だったのかもしれない。圧巻されるように多くの者どもが海の向こうを見つめていた。
……中には彼らを眺めて楽しむ者や全く関係のない白い石ころを嬉しそうに集めている種族もいたにはいたが。
数分ほど経過すると、ホテルマンの一人であろう可憐な少女が……いや、少女じゃないな。キグルミだ。中身におぞましい数の蟲が詰まっている。そういう種族か。
ともかく少女の形をしたソレは、ハートマークとフリルだらけの可愛らしいスカートを揺らし、空色の髪に擬態した触手を靡かせながら解説を始めた。
「はいはーい。念話で質問もあったしそろそろ皆も不思議だろうから解説しちゃうよー☆ えーっと、多くの世界にとって太陽に似た星が存在します。距離によって同じ世界でも全く違った見え方がしますが、この小さな世界においてはさらに例外的であり、星や宇宙はなく、何もない空間に島と海が浮いております。簡単に言うとこの世界に宇宙はなくて太陽に見えるあれは別世界に開いた穴から入り込んできた光ってことだわさ」
キャピキャピと真面目なのか快活的なのか分からない口調で少女は眼前に広がる光景を解説し始める。……理解できてる者が何体いるのか。いや、一応の説明をしているだけで理解する必要すらないことなのだろう。
数時間ほど前に我々に料理を届けてくれたホテルマンもその場にいたが、彼女の説明には首を傾げていた。
「ホテルマン、貴様の世界でも日没はかの光景と同じであったか?」
不意に興味が湧いて彼に声をかけた。普段ならこの瞬間、クロノディアスが威圧たっぷりに言葉を添えてくれるが今の奴は使い物にならん。まぁたまには休息をくれてやってもいいか。
男はしばらく答えに悩んでいた。水底へ沈む白銀の光と我が相貌を交互に見て、それから申し訳なさそうに口を開いた。
「いえ、こうして夕日なんてものをまともに見たのは初めてです。気にしたこともなかった。しかし軍略的な観点から述べると、土とピンクが混ざったような色をしていました。砂塵と光のせいで空が濁って、とてもじゃないですが日中は活動できません」
魔界と似たようなものか。人間の体でありながら随分難儀な場所にいたらしい。どうりで鋭い目つきをしている。クロノディアスと同じような目をしてじっと海の向こう側に視線を戻していた。
「嗚呼、穏やかだ……」
我が忠実なる部下にして古き友はもはや喋ることもできなくなっている。よほど気に入ったのだろう。……太陽のない世界にずっといたのだ。晴天の空も、瘴気のない大地も、我々にとっては決して当たり前のものでは無かった。考えてみればこいつと右腕としてではなく親友として共にいたのは何十年ぶりか……。
「我が右腕よ。凍刻のクロノディアスよ。汝に問おう。……答えなくともよい。戦いに敗北したにも関わらず太陽を眺め、肉を食い、娯楽と言うものを味わえたのなら――――」
我らしくもない感傷に浸って、すべてを否定するような発言を口にしかけた次の瞬間、遠くで空気が破裂するような軽快な爆発音が轟く。全員が反射的に視線を向けた。目がチカチカするぐらい濃いピンクの煙が、何十個もの色彩豊かな玉? とともに、空へ空へと、次元の向こう側へと上がっていた。
「ふむ、ホテルマンよ。あれも何かの催しか?」
「はい☆ あちらはイベントのためのリハーサルでちょっと失敗しちゃったみたいですね。驚かせてごめんねー」
蟲はぶりっ子めいた声で軽い口調で謝罪する。しかし男のホテルマンが気配を殺して爆発のほうに駆けて行ったが……本当に平気なのだろうか。
「クロノディアス。クロノディアス、いつまでそうしているのだ」
我が呼び掛けてもやはり応答すらしない。呆然と、魂が抜かれたみたいに海の果てに沈む光を見届けている。……現場の様子を見たかったが仕方ない。
「まぁ、こうしてゆっくりするのも何十年ぶりか。致し方あるまい」
我は砂浜に腰を下ろした。ざざん、ざざんと、虚空に浮かんでいるらしい海が波音を立てていた。




