幼妻と浮気したい俺 その三 過干渉な想いの果て
【幼妻と浮気したい俺その三】
――――沈黙。そう、沈黙だ。どうしようもなく胸がざわついて、俺は何も喋れずにいた。エルフィと二人きりでエレベーターに乗り込む。一悶着あった所為か、静寂はなおのこと際立っていた。
今回の誘拐騒ぎは俺が過度に騒いだだけ。睡眠薬の効果時間中だから動けるはずがない。そう思って無駄に動揺して、けどエルフィに薬を盛った話をするのは憚れてホテルマンに迷惑をかけた。
「……エルフィ、なんであんな嘘を?」
尋ねると、エルフィは照れるように袖をぎゅっと握ってくる。その白磁のような頬を朱に染めていた。罪悪感で直視できなくて、俺はエレベーターに置かれた鏡越しに彼女を見つめる。
「あなたが困ってたから。わたしが原因だったら、きっと子供の悪戯だからって、ちょっと怒られるかもしれないけど許してくれるだろうし」
「そうだったのか。エルフィ、ありがとう。助けられたよ」
俺は知らず知らずにエルフィに甘えていたのか。ぐさりと胸を突き絞めるような黒い靄が渦巻く。本当に聞きたいことも聞けていない。……けど、やはり浮気して正解だった。彼女は俺が思っている以上に配慮深くて、きっと一緒にいたらこれ以上の迷惑をかける。汚名を与えかねない。
『三階です。ドアが開きます』
エレベーターを降りた。エルフィが俺の手を握ろうとして指を絡める。……これも偽り。考えると眩暈がしそうだったけど、俺はその手を握り返して部屋まで向かった。
「ハルト、疲れた顔してるよ。大丈夫? 部屋にお茶置いてあったし、沸かそうか?」
「じゃあ一杯だけ貰おうかな。そのあとツアーに行かないか? これからあるらしい。あのホテルマン達が教えてくれたんだ」
ガチャリと部屋に入る。最初に二人一緒にこの部屋に入ってからもう何時間も経っていた。いつの間にか客室係が入ったらしく、ベッドシーツがピンと張っている。カーテンを開けて窓の外に目をやった。夕暮れに染まる空が見えた。生い茂る木々の影がより一層濃くなってきている。
「はい。第一世界のお茶っ葉なんだって。お湯も変な水晶から出るし、魔法って凄いね」
エルフィはにこにこと楽しそうに笑いながらお茶と、冷蔵庫の上にあった菓子類を丸テーブルに置いた。マグカップを手に取る。甘みのある柑橘類の香りがした。
「ねぇ、……あなた」
飲もうとする直前、エルフィがお淑やかな声で俺を呼ぶ。さきほどまでの笑顔は気づけば消えていて、真剣な緑の眼差しがこちらを見上げていた。
「わたしね。どうしてもあなたに聞きたいことがあるの」
なんで俺が部屋を後にしていたかだろうか。気づいたらいなくなっていて、不安になったのはきっとエルフィも同じだろう。俺は真摯に答えるべきだろうか。――――浮気をしたと、言うべきだろうか。仮に言ったとして、彼女がどんな反応をするのか正直な話、俺には予想もできなかった。
「どうしたんだ? エルフィ」
平静を装った。茶を飲もうとする手を止める。少女はしばし沈黙していた。けど覚悟を決めるように自身の両頬を叩くと、凛とした声で俺に尋ねた。
「わたしのこと、好き? ……ううん、愛してる?」
――愛している。だから浮気をした。年齢なんて関係ない。これは夫婦の愛なのか、それとも家族の愛なのか。どちらにしても俺はエルフィのことが大切で、だから自由になってほしいかった。俺なんて足枷にしかなれないから。
「……もちろんだ」
俺は肯定の言葉に逃げた。『愛している』と言おうとしたのに言えなかった。口にした言葉が震える。窓から射し込んできた夕日がエルフィの黄金の髪を煌めかせていた。
「……そっか。わたしも愛してるよ。嬉しいなぁ。ご、ごめんね。お茶飲むのとめちゃって」
溶けるような笑みで耳まで紅潮させると一歩距離を置いて彼女は離れた。その仕草に見惚れてしまいそうで、俺は表情を隠すようにマグカップに口をつけた。一気に飲み干す。甘酸っぱい味の茶が喉を通っていく。
「――――だからね」
上擦った声。エルフィは崩れ切った作り笑いを浮かべた。必死に口角をあげようとして、その歪んだ頬に一筋の涙を伝う。けれども同時、見たこともないくらい恍惚としていて、紅潮しきった頬を隠すように華奢な手で顔を隠した。その手は見覚えのある薬瓶を持っていた。
「それ……! 緊急的弛緩睡眠薬……!」
次の瞬間、ぐわりと視界が歪んだ。手が震えて、指に力が入らなくなってマグカップが床に落ちる。ガシャンと、陶器が割れた。
――――まさか、盛られた? なぜ?
思考が追いつかないまま立つこともできずに俺は崩れ落ちた。一瞬で意識が朦朧としていく。五感が鈍くなり、倒れる一瞬が酷く長く感じれた。筋肉が伸びていく。脱力を強制させられて、ぼんやりとした感覚に包まれていく。
「エルフィ……君は、なにを……! プラフォード……、彼女をとめろ」
「あはぁ。恥ずかしがって一気飲みするって信じてた。恥ずかしがり屋で、優しくて、わたしのことを想ってくれている大切な人。……忘れちゃった? ボディガードの人たちはわたしたち夫婦には干渉しない契約」
エルフィは身悶えるように自身の手に頬擦りをした。ぼろぼろと涙が流れ落ちて、絨毯に染みを作っていく。俺は必死で少女を見上げた。……なんで彼女は泣いてるんだ。わからない。分からない。考えようとしても頭のなかが真っ白になって、ただただ彼女に釘付けにされていた。
「わたしは愛してる。あなたの愛が真実でも、偽りでも、幸せになってほしいから。大切なあなたを助けたいから。……コヅカハルトを、わたしの夫を悪人になんかさせない。そんな未来があるのなら、わたしがどんなことにだって手を染める」
浮気がバレていたのか? 浮かび上がった疑問はすぐに確信に変わる。バレていなければ、こんなことは言われない。それなのに俺が愛しているなんて言ったから、……いや、愛しているとすらも言えないまま肯定したから、彼女は泣いている? 分からない。俺達はどこからどこまでが本物だった? ……わからない。俺は今の彼女を知らない。
「そうすれば、きっと、……きっと」
エルフィは口篭った。黙り込んだまま鞄から電気銃を取り出す。……いつ彼女がこんなものを持っていた? 分からない。
少女は光のない双眸で見下ろしてくる。落ちた雫が俺の頬に落ちて弾けた。恍惚としたまま嗚咽して、それでも口篭っていた言葉の続きを発した。
「――――きっと、別れることになったとしても、あなたは悪になんてならない。わたしが犯罪者になるだけ。それであなたは本当に愛している人と結ばれる。それって、それってとっても素晴らしいことだと思うの。紙切れ一枚のわたしの愛よりも、ずっと……! ずっと……!!」
エルフィは苦痛を噛み締めるように、張り裂けそうな声をあげた。金の髪を乱して、いままで見たこともないくらい小さく、弱弱しく大粒の涙を流していた。
……違う。違う違う違う! 俺はあの竜人の女性を愛してなんかいない。利用しただけだ。俺のせいでエルフィが縛られた人生を送るようなことはあってほしくなかったから。
「……待っ 。……がッ!」
必死になって声を発そうとしても、言葉が出ない。力が入らない。意識が回らない。眠りたくない。誰か爪を剥がしてくれ。銃で俺を撃ってくれ。
俺は、俺は眠りたく――――。




