カミングアウト
週末の夜は誰でも開放的になる。
翔太も豪介も普段より饒舌で、元から饒舌な翔太に至っては黙っている時間の方が短いほどだ。
ただ、店に入った途端に翔太がソワソワしだした。先ほどまでの上機嫌とは大きな隔たりがある。
口数も急に減ってしまい、それまでのマシンガンが種子島にグレードダウンしている。種子島への鉄砲伝来やマシンガンの定義は諸説あるが、およそ三百年以上の隔たりと言っていい。
「翔太さん。今日はずいぶんとお静かですね」
カウンターでビールを注ぐ角井さんですら、翔太をまるで普通の人のように扱っている。
「ちょっと学達に相談したい事があってね」
「ずいぶんと殊勝な言い方だな?なんでも言ってみろ」
豪介が力強く応じる。
無論、俺も同じ気持ちだ。
「じゃあさ、これ飲んだら俺の家に付き合ってくれないかな?」
「何言ってんだ!いま来たばっかだろ――」
俺は翔太に食って掛かる豪介を咄嗟に制した。
翔太の様子が明らかにおかしい。最近何度かこうした姿を見ているので、この際はっきりさせた方がいい。
豪介とは奮発して『響』の三十年を飲もうと決めていたのだが、別の機会にすべきだろう。
◇◇◇◇◇
21時を少し過ぎたあたりで翔太のマンションに着いた。
駅から近く、昔ながらの居酒屋が多い。こいつにはお似合いの物件だ。
お目当てのウィスキーをお預けにされた豪介が、若干不機嫌そうにエレベータに乗り込む。内部が工事作業用の養生で覆われている。養生シート越しに豪介が乱暴に七階のボタンを押した。
「工事中か?」
「え?ああ、うん。修繕工事だって。このマンションも結構古いから」
俺たちの収入で都心へのアクセスを優先すれば、何かを犠牲にしなければならない。駅から遠いのが嫌ならば、築年数が古くて狭い建物を選ぶのは妥当な選択だ。
一段と思いつめた顔の翔太が、俺と豪介をワンルームに招き入れた。
「で?相談というのは?」
「う、うん。その事なんだけど、今から俺が言う内容は、絶対にふざけてるわけじゃないから真剣に聞いてほしいんだ」
真剣に強いアクセントを込めている。顔も真剣だ。
翔太が真面目に懇願してきた事実に、俺は真剣に驚いた。
「まずは言ってみろ。内容次第だ」
怒れる豪介は、こめかみに青筋を立てながらも傾聴の姿勢を取る。
「タイムマシンを手に入れた」
「おい学!帰るぞ!!」
「その方が良さそうだ」
まさか『響』を諦めて聞かされた内容がこれとは。
エイプリルフールだってもう少し洗練された嘘を考えるものだ。
「ちょ、ちょっと待って!」
「待たねえよ!」
「四月一日に出直せ」
踵を返して出ていこうとする俺達を、玄関前に立ちふさがった翔太が制した。
手にはいつか見た風変わりなノートPCを持っている。
「マジで待ってくれ!帰るのはこれを見てからにして!」
翔太はそう言いながら液晶をこちらへ向けてきた。
◇◇◇◇◇
「……これ、どうやって撮ったんだ?」
豪介の開いた口が塞がらない。
俺と豪介は、揃って間抜け面をさらしているだろう。その間抜けさたるや、翔太並みに違いない。
「この前、玉淀湖でカヤックに乗ってた時の映像だよ」
「い、いや、あの時は『湖にスマホを落としそう』つって、車の中に置いて来てたよな?」
豪介の疑問はもっともだが……。
「問題はそんな事じゃない。一緒にカヤックに乗っているこの老人は何者だ?」
俺の記憶では湖に霧など出ていなかった。
パソコンの画面の中では、謎の霧が集まった途端、船上に異分子が現れている。
翔太がこんな動画を撮影するノウハウがあるとは思えないし、あの時は俺達全員が近くにいた筈だ。見ず知らずの人間がいて気付かない距離じゃない。
中国の故事から抜け出したような風体の老人には、今どきフィクションの世界でもめったにお目に掛かれない。
「話せば長くなるんだけど――」
◇◇◇◇◇
一時間ほどかけて、ノートPCに映る画像と共に翔太の口から語られたのは、フィクションとしか思えない話だった。
他の人間ならいざ知らず、翔太がこんな作り話を考えられるわけもない。
過去を変え、未来を変え、それらを自由にシミュレートできるなど……。
「よぅ、学。どう思う?」
「あ、あぁ。信じられない」
本当に信じられない。馬鹿げている。
キレかけていた豪介も、もはや一笑に付すような態度ではなくなっている。
あの動画は、加工してどうにかできるような代物ではない。
分量にしても、精巧さにしても、ハリウッドの最先端技術をもってしても、国家予算並みの費用をかけても作れないだろう。
しかも、そんな費用をかけてまで、翔太の一人称で見た映像を作る数寄者などいない。
何より、ほとんどは見る価値のない日常の風景。
誰かが作ったCGならば、動機を含めてあまりにもシュールだ。
それにしても、俺が実は七年前に死んでいたなんて。
俺の運命を翔太が作り替えただと?
これではまるで――
「運命に対する冒涜だ」
別に俺は敬虔な宗教家ではないが、思わず口に出してしまった。
口に出して気付いた。翔太が唇をかんで震えているのを。
「おい、学!そりゃ違うだろ!きっと俺だって翔太と同じことをした筈だ!騙りだろうが与太話だろうが、お前がそれを言うんじゃねぇよ!」
豪介が俺と翔太の間に仁王立ちして睨みつけている。
分かっている。
分かっているが、俺だけが救われていたなんて。
俺以外の失われた無辜の命に報いる術がない。
「若いっていいのう。青春じゃのう」
聞き覚えの無い声に俺が振り向いたのは、豪介の上段蹴りがその老人の顎に当たろうとする瞬間だった。
咄嗟に親友が人殺しになるのを覚悟したが、右手で瓢箪を傾ける老人は、左手一本で筋肉の塊のような豪介の脚をぴたりと止めた。
質量とスピードの物理法則を完全に無視している。
初撃を防がれた豪介が、右足が着地する勢いを利用して左の正拳を放つ。
しかし、そこに老人の姿はない。
素早くあたりを見回すと、老人は翔太の後ろからヒョッコリと顔を覗かせた。
「いやはやお見事!今、『びゅん」って音がしたぞい。もしかしてお兄さん、熊とか倒しちゃう派?」
「じじい!勝手に人の家に入るんじゃねぇよ!豪介も止めてくれ。このじいさんは、そんなに悪い奴じゃないんだ!……多分」
多分なのか?それでいいのか?
「それでいいんじゃないかのう?敵か味方かなんて、立場次第でいくらでも変わる適当なもんじゃよ」
この老人は誰に向かって話している?何について語ってるんだ?
「いんてりのお兄ちゃん。あんたじゃよ」
老人が俺に向かって指をさしてきた。まるで思考を読まれているように勘が鋭い。
「あ、言うの忘れてた。このじいさん、考えてる内容が全部分かるみたいだから、嘘ついても意味ないよ」
「むふん」
俺は夢でも見ているのだろうか。わざとらしくふんぞり返った老人も翔太の説明を否定しない。
現実感が無くなってきた。
ただし、裏を取っておく必要はある。
いたいけな翔太が騙されている可能性は排除しておきたい。
俺達しか知らない事ならば何でもいい。
俺と豪介だけが知っている事実といえば……。
「この場合、答えは『響の三十年』じゃろ?」
これは本物だ。
「学。このじいさんには勝てそうもない。下手な小細工はこの際止めとこうや」
そう言うと豪介はその場にどっかりと座り込んだ。老人がどこからともなく出したぐい飲みに瓢箪から酒を酌をされ、さっそく得体の知れない酒の相伴にあずかっている。
「うぉあ、何だこの酒!すげぇ旨ぇぞ!」
豪介が何やら感心している。
それを見た翔太が涎まで垂らして羨ましそうにしている。
放っておこう。
「いやはや、いきなり押しかけてすまんかったのう。このとおり――」
「じいさん。もういいから!」
翔太は何を思ったか、ボサボサの頭を押さえて俯いた老人の手をパシリとはねのけた。
この二人は何をやっているんだ?
「ッチ」
老人は舌打ちすると、恨めしそうに翔太を睨んだ。
これも放っておこう。
「で、呼んでもいないのに上がり込んで、じいさんは何の用だ?」
ずいぶんと打ち解けている。俺の知らない間に、翔太と老人には何があったのだろう。
「それはのう。いんてりのお兄ちゃんが気に病んでるようで、見ておれんかったんじゃ」
確かに。俺は自分だけが救われたと聞かされ、不条理を感じていた。
「不条理なぞ、世にあふれておるわい。もっどで生き返った奴を上げたらきりがないぞい」
老人は歴史上の人物名を何人も挙げた。
まさか……アレキサンダー大王が降り注ぐ矢の雨を生き延びたのや、不死身の武将として名高い本多忠勝もこのノートPCの力を借りていたとは。
「そんな昔にノートパソコンなんてある訳ないじゃん。じいさんの嘘もバレバレだね」
翔太にしては鋭い追及。
「おぬしの推理は雑じゃのう。のおとぱそこん自体がもっどを真似ているとは思わんのか?ぱそこん以前のわあぷろも、さらに遡ってれじすたあだって、もっどを真似て作られた物じゃぞい」
つまり、古代人が垣間見たオーパーツが、ノートPCの原点なのか。
血の色をしたこのノートPCを目指し、現代の技術者達は日進月歩でしのぎを削っているというのか。
「救われた命の理由なぞ考えても詮無いだけじゃよ。恨み言も言いっこなし。どうせ拾った命じゃ、ただ生きるのではなく、善く生きるよう考えよ」
気付いたら老人の姿は消えていた。心に不思議な余韻だけを残して。
最後の言葉はソクラテスか……。
あるいは、ソクラテスがあの老人の言葉を真似たのか。
まさかな。
「まだ俺が嘘ついてると思う?」
翔太が探るような目で俺と豪介を見ている。
「いや。疑って悪かった」
俺は翔太に頭を下げた。
「俺はあのじいさんを倒すって目標ができた。ありがとうよ!翔太」
豪介の場合はQに対するAが成立していないが、概ね俺と同意見だろう。
「で、このノートPCが四日後に盗まれるって相談だったな。トリックはもう分かっている。俺は道具を取ってくるから、二人はこのまま少し待っていてくれ」
豪介がいれば何とかなるかもしれないが、確実な方法を採用しい。
「すぐに戻るが、荒事になる可能性もある。豪介はこれ以上酒を飲まずに我慢してくれ」
「なんだか良く分からねぇが、言われた通りにするぜ」
「え?豪介だけ?じゃあ俺は飲んでても……良くないよねぇ~」
さすがの翔太も俺の目線の意味は察したようだ。




